2011年12月5日月曜日

山田ミネコの『最終戦争』シリーズから「ペレランドラに帰りたい」

山田ミネコといえば、すぐに思い浮かぶのは「最終戦争」シリーズです。このシリーズを始める10年も前からマンガを描いています。貸本マンガとのことですが、さすがにそれは見ていません。
 1995年にオウム真理教の事件があり、この人も間接的に非常に大きな被害(?)を受けています。シリーズの「最終戦争」にはハルマゲドンのルビが振ってありましたので。

 表題作は白泉社の『冬の円盤』に載っているものでシリーズ初期のものです。
 扉絵は内容には関係のない絵で、ひとりの男と人間ではないもの(胸に山田の名前があります)との次の会話が載っています。「おまえ 気は不確かか?」「だいじょうぶ ちゃんと狂っているよ」
 東京三世社の少女SFマンガ競作大全集版ではタイトルの下には次の言葉があります。
 SFは応々(ママ)にして嘘とも真実(まこと)とも判別し難い物語がある。

 ストーリーは以下のようになっています。

 金星に夢中の男と切手が趣味の男がキャベツ畑の真ん中の家に下宿しています。ある夜に、畑のはずれに何かが落下します。ふたりが駆けつけると若い女が倒れています。
 ふたりは若い女を下宿に運びます。気がついた女は自分はペレランドラの第一女王リマだと言います。大臣の反乱で父も母も殺されて、自身も命を狙われているというのです。
 三人は下宿の一室で暮らすことになります。
 リマは言います、「ペレランドラに帰ったら 女王になる たいかん式の日は 山々から花火が打ち上げられて 地球からはふん火のように見える」と。
 数日経ったある日、怪しい三人組が現れて、あっさりとリマを攫われてしまいます。ふたりが気がつくと、部屋は荒らされ切手帳もなくなっています。
 一か月ほど過ぎて、TV のニュースで「金星の表面に火山の爆発が現れ」とやっています。続いてニュースは、非常に珍しい切手で、4万ポンド、約3千万円の値が付いたとして、切手マニアの持っていた切手が紹介されます。
 このニュースで金星に夢中だった男の世界は崩れ去り、以後、切手集めに夢中になります。一方、切手が趣味の男は金星の火山の爆発から、リマの言ったことを思い出します。そして、「やっぱり彼女は本当の金星人だったのかもしれない」と思い、天体望遠鏡を覗くようになるのです。
 最後に趣味の入れ替わりになるというところでお話は終わります。

 キャベツ畑の中といえば、練馬の24年組のことなのでしょう、作者自身にも関係するようですが。
 このマンガの面白さの第一は、扉絵の会話にあると思うのですが、どうでしょうか。この頃には金星の素顔も知られていたのに、敢えて金星を持ってきた作者には感服します。これが、太陽系外の星からだったなら、最終戦争シリーズは生まれなかったろうと思うからなのですが。

 果たしてリマは無事にペレランドラに帰れたのでしょうか。

 間もなく東北地方太平洋沖地震から九ヶ月です。ペレランドラよりもはるかに近い被災地なのですが、そこに帰れない人たちはまだ大勢います。いったいいつになったら帰れるのでしょうか。あるいは、ペレランドラより遠いのでしょうか……。


 タイトル『ペレランドラに帰りたい』
 書名『冬の円盤』
 出版社 白泉社 花とゆめコミックス
 出版年 1977年5月20日 第1刷発行

 『ナルニア国物語』で知られる C. S. ルイスの『金星への旅』を読んだのはこの4年ほど後です。原題を "PERELANDRA" といいます。奇想天外社で出版されたものです。


 今日でこのブログを始めて一年です。
 拙い文章を読んでくださった方に感謝いたします。

2011年11月30日水曜日

萩尾望都の『かたっぽのふるぐつ』

公害を扱った40年前の作品です。以下のページに内容が載っています。
 http://www.hagiomoto.net/works/013.html
 なお、これにはネタバレはありませんが、以下にはそれも記しています。

 「ぼくたちのY市は 石油コンビナートの町だ(中略)みんな スモッグとガスの中にある」そんな町にある小学校の5年B組はさよなら会で「ふるぐつホテル」と云う劇をやることになります。ヨーコによると「旅人にすてられたぼろぼろのふるぐつがアリたちに励まされ、希望を失わずひばり一家の巣になるまで」のお話です。吉田志郎と渡辺悠は古靴の役をやることになります。

 公害についての授業でクラスでは侃々諤々の議論をします。終業のベルが鳴り、先生は言います。「きみたちは公害に 勝つために 強いからだを つくることだ かんぷまさつや うがいを かかさずやって 体力をつける」
 志郎との帰り道で悠は言います。「かんぷまさつじゃ 公害に 勝てないよ!」

 志郎は家に帰って父親に公害のことを訊きます。すると父親は言います。「何億円もかけて公害防止機械を買いいれ設備をよくしてる 公害なんか出してやしない」
 それを聞いて安心する志郎ですが…。
 翌朝、学校への途中で出会ったヨーコは言います。以下にそれを要約します。
 “現実に公害はある、そんな公害防止機械なんてない。父さんたちは会社ではたらいて、わたしたちに食べさせたり教育をうけさせたりしている。町の発展のためにはコンビナートは必要だ、人間は石油からはなれて生きていけない。公害はいや! でも公害は必要悪だ。”

 その日休んだ悠に会うために、帰りに悠の家に寄った志郎に悠は見た夢の話をします。
 “第三次世界大戦さ 石油コンビナート対人間の 煙はまるまって 世界中の空にちった 悪臭は風をつかまえて 世界の空気の中にひろがった ロケットで わずかの人びとが 月へ逃げた 石油コンビナートはますます大きくなって…… 地球の爆発と一緒に宇宙へ飛び散り 宇宙中の全部の星が 腐ってとけて消えてしまった”
 その話を聞いてぽかんとする志郎でした。

 次の日の朝、志郎とヨーコは悠を迎えに行きます。
 放課後、劇の練習中に悠は発作を起こし、救急車で病院に運ばれますが、その夜に喘息で吐いたものが気管に詰まり、死んでしまいます。

 さよなら会は中止になります。通知表を渡されるとき、志郎は先生に尋ねます。吉田の次は渡辺だったのです。「それ…… 中味 書いて あるんですか?」「今日 わたす つもりだった ……からな 渡辺は公害に 勝てなかった なあ」
 自分の席に戻りかけて志郎は叫びます。「ユウは かんぷまさつじゃ 公害に勝てないって 言ってました」「亜硫酸ガスには プロレスラーだって 勝てない……負ける!」

 終わりまでのおよそ5ページは志郎の思いなのでしょう、ある意味で、社会問題(公害)に対する思いです。
 石油コンビナートの町----- 人びとの幸福と未来を約束された町に------ あしたをもたない少年たちがいる…… との言葉でマンガは終わります。

 このような社会派のテーマは悪を想定して、それを叩くという形になりやすいのですが、このマンガにはそういったものがほとんどありません。もちろん、公害を認めているのではありません。公害は悪であるが、それを全面否定もできない、そんな宙ぶらりんの状態をどうすればいいのかに重点があるような……。

 このマンガの頃は、公害問題が日本中に蔓延していました。このマンガの舞台のY市についても、Wikipedia に詳しく載っています。これが描かれた頃は公害の後期にあたるようです。
 また、松尾鉱山の閉山は 1969 年とのことですので、脱硫装置はこの頃までにほぼできあがっていたようです。

 このマンガを読んだのは 1977 年なので、公害問題はほとんど終わった頃でした。それでも読み手の胸に響くものはありました。
 このようなマンガは、今も公害に悩まされている国では、どのように受け取られるのでしょうか。


 タイトル『かたっぽのふるぐつ』
 書名 萩尾望都作品集2『塔のある家』
 出版社 小学館
 昭和52年4月10日初版第1刷発行


 11月25日に出た雑誌「暮しの手帖」に萩尾望都のエッセイが載っていて、両親のことを書いています。

2011年11月13日日曜日

ちょっと休憩 『七ツ森』

仙台の北に大和町という町があります。そこに七ツ森と呼ばれる七つの小さな山があります。大和町のホームページに「七ツ森のできたわけ」と云うお話が載っています。
 https://www.town.taiwa.miyagi.jp/soshiki/soumu/7tsumori.html
 七ツ森は、地名で、七つ森ではありません、念のため。

 仙台に住んでしばらく経った頃、わたしはどうにもこの七つの小さな山が気になって仕方ありませんでした。もちろんまだホームページなんか無い頃のことです。そこで自分でこの山のいわれを考えてみたのでした。
 以下、少し恥ずかしいのですが、それを書いてみます。

 ずうっとずうっとむかしのこと、七ツ森の辺りは一面の田圃だった。
 ある日、男があぜ道で大きなたまごを拾った。そのたまごときたら、にわとりのたまごを十(とお)集めたものを十(とお)集めたよりも大きかった。男は村のものを呼び集めた。「はて、なんのたまごだべぇ」「さて、こんなたまごなんぞ見たこともねぇ」「食えるべぇか」などと話していると、堅い木を叩くような音がした。見る間にたまごが割れて中からヤモリのようなもんが出てきた。その大きさときたら、大きなネコよりも大きかった。わっと、みんなは逃げ出した。
 それからが大変だった。この生きもんは初めは人の家に入り込んで飯を平らげていた。そして、食えば食った分だけ大きくなった。飯を食い尽くすと、秋の田圃に入り込んで、刈り取り間近の稲を食いだした。辺り一面の田圃を食い尽くす頃には小山のような大きなもんになっていた。とても鍬や鎌で殺せるような代物ではなかった。
 ばけもんは稲を食い尽くすと、ぐっと頭を上げ鼻をひくひくさせて、北へ向かってのそのそと歩き出した。どうやら大崎の方へ向かうらしい。百姓たちは智慧を絞った。「毒を盛るしかあんめえなぁ」「けど、あいつは米しか食わんぞ」「その米に毒を盛ればいい」ということで、みんなは毒草を集めに集めた。なにしろあんなでかい身体だ、少しぐらいでは効くまい。毒草から搾った汁を炊きあげた飯に混ぜて、大きな握り飯をいくつもいくつも作った。それをばけもんの前に置いて、遠くから様子を見た。
 ばけもんは飯の匂いを嗅ぎつけると、のそのそとやってきて、握り飯を食いだした。その間にも、食った分だけさらにばけもんは大きくなった。「もうすぐみんな食っちまうぞ」「いっこうに弱ったふうには見えんなぁ」と、みんなは不安げに見ていた。
 そのうち、さすがのばけもんにも毒が回ってきて、のたうち回り始めた。その時、ばたばたさせていたしっぽが泉ヶ岳にあたった。その頃の泉ヶ岳は、今よりもずっと高くて、富士山のような形だったのが、しっぽがあたって頂が二つに割れた。こうして北泉ヶ岳と泉ヶ岳ができた。
 しばらくすると、ばけもんはぴくりともしなくなった。おそるおそる近寄ってみると、ばけもんは死んでいた。大きすぎて動かせなかったのでそのまま放っておいたら、いつの間にか、ばけもんは山になっていた。ばけもんの頭や背骨が今の七ツ森だということだ。

 おしまい


 どこかで聞いたことのあるようなお話かと思います。でも、民話とはそうしたものなのではないでしょうか。
 こんな話をあとふたつ作ってみたのでした。三つの中でこれが面白いと言ってくれた人のいたのが、このお話です。

2011年10月25日火曜日

COCO の『異形たちによると世界は…』

 今回は、今年発行された新しいマンガを取り上げます。この人はブログでマンガを描いていますが、初めて読んだのは出版された『今日の早川さん』です。SFの博覧強記には驚かされました。

 表題のマンガは、H.P.ラヴクラフトのクトゥルー神話を換骨奪胎した4コママンガと、3〜7ページの短編で作られています。帯には、「もしも、怖ろしいクトゥルーの邪神たちが実はかわいい女の子だったとしたら?」との惹句があります。

 ラヴクラフトは文庫本で1, 2冊読んだだけで、それもずいぶん前のことでした。それほどの興味も湧かずにそれでおしまいになってしまいました。著者後書きに、登場する者の発音は指定されていないというようなことが書いてあったような気がします。Cthulhuをどう発音するかですが、その本にはクトゥルフとあったように思います。
 ラヴクラフトに興味がなかったにしては、諸星大二郎のマンガはずいぶん読みましたけれど。

 短編はシリアスが主ですが、4コママンガは基本的にはギャグマンガと言っていいと思います。
 4コマは続き物が多いのですが、クトゥルーのキャラクターが作者なりの解釈で登場します。妙に怖い(?)のが15ページ目の「重ね合わせの猫」でした。シュレディンガーの猫の話ですが、4コマ目で、顔中に冷や汗をかきながら、ナイアルラトホテップとティンダロスは何を見たのでしょうか、気になります。

 短編では「庭の片隅で眠るもの」を面白く読みました。珠恵が庭で見つけた、カエルに似た生き物ツァトゥグァの話です。ツァトゥグァは人から見たら長命の生き物です。珠恵は成長するにつれて、ツァトゥグァを忘れます。家を出て行った珠恵ですが、出戻ってきます、ツァトゥグァに初めて出会ったときぐらいの女の子を連れて。
 その子がツァトゥグァに気づきます。「おかーさん、変なカエルがいるよ」「そういえばお母さんが小さい頃にも、いつもここにこんなカエルがいたのよ。懐かしいなあ」
 最後のコマは「きみきみ、あのときの カエルくんじゃないよね?」と云う珠恵の呼びかけと 「…もうしばらく、ここにいるとするか」と云うツァトゥグァの心のつぶやきです。
 最後のコマの珠恵は、少し前のコマとは違って、生き生きとして見えます。娘と同じ歳のようにも見えます。きっとここではよい生活を送れそうに思えてきます。

 このマンガは面白く読みましたが、もう一度ラヴクラフトを読もうとは思いませんでした。ラヴクラフトが高い山か深い池かわかりませんが、その周辺をうろうろしているのがわたしには似合っているのでしょう。


 書名『異形たちによると世界は…』
 出版社 早川書房
 2011年7月20日 初版印刷
 2011年7月25日 初版発行

2011年10月13日木曜日

矢代まさこの『シークレット・ラブ』

 これは41年前のマンガです。1970年に描かれたものです。ですけれども、単行本の出版年から見ると、このマンガを読んだのは早くても1978年だと思います。

 「きいてください わたしの初恋の物語 けれどききおえたあとで あなたの健康なほおを さげすみの笑いでゆがめないでください」と始まる物語、まさに「秘められた恋」の物語です。デラックス・マーガレットに載ったものですが、この当時、このようなマンガを載せたことには敬服します。

 以下にストーリーを簡単に記します。

 登場するのは、わたし敦(敦子)、冬子、そして冬子のいとこの牧夫です。わたしと冬子は高校一年生です。
 わたしは冬子を親友だと思っています。冬子のことは、何だってわかっているのですから。わたしは、プレゼントしたショールに包まれた冬子を絵に描こうとします。
 体の弱いわたしは、病院で手に怪我をした男の人から、外科の診療室の場所を訊ねられます。数日経って、その男の人に街で出会います。内田牧夫と名乗り、カメラマンの卵で、イメージにぴったりだからわたしを撮りたいと言いますが、きっぱり断ります。

 冬子のところで、冬子をモデルに絵を描いているところに、牧夫さんが来ます。牧夫さんは冬子のいとこだったのです。冬子を撮ると言って、わたしも撮っているのに気づいたわたしは、興奮して、貧血を起こして倒れてしまいます。
 「ほかの男の子は らんぼうで 子供っぽくて うすぎたない けどね 牧夫さんは ちがうわ」と冬子に言われます。その時から自分の冬子への友情をうたがいはじめます。
 翌日、病院で牧夫さんに会ったわたしは公園で牧夫さんと話します。話していて気づきます、ほんの少し深い友情だと思っていた冬子への感情は、実は恋なのではなかったのかと。

 冬休み中には冬子に会うことを避けますが、休みが明けて再び冬子を描くために冬子のもとに行きます。しばらく来なかったことを気遣う冬子。
 冬子から牧夫さんの気持ちを訊いてほしいと頼まれて、わたしは自分に云いきかせます。「牧夫さんに やきもち やいたり しないわ 気の弱い 冬子の気持ちを 彼に伝えて あげるわ それが ふつうの 友情なん だわ」と。

 牧夫さんに会って冬子の想いを伝えますが、牧夫さんが好きなのはわたしだと言うのです。冬子を牧夫さんに取られるのでは、との恐れはなくなりましたが…。
 化学室の掃除当番の冬子に、どのように伝えようかと悩むわたしですが、冬子は牧夫さんからの電話で牧夫さんの気持ちを知っていました。わたしは自分の気持ちを冬子に伝えられません。
 二人の間で硫酸の瓶が割れて、わたしは足に硫酸を浴びます。

 それから一週間、冬子は訪ねてきません、ふと窓を見ると手紙が挟んであります。冬子からの手紙です。それを読んで、わたしはすぐに牧夫さんに電話をします、「冬子は…… 死ぬかもしれない!」と。
 海辺で冬子を見つけますが、ふたりの前で冬子は岩から海に身を投げます。慌てて海に飛び込み冬子を助ける牧夫さん。その様子を見つめながらわたしは考えます。
 「冬子に恋したりしなければ(中略)あんな誤解は……こんな事件はおこらなかったんだわ」「冬子のそばから去らなければ…」と。

 最後の齣はショールに包まれ微笑む冬子の絵と、「病的に潔癖な少女の異性をいみきらう 感情がうらがえしにされつくられたエピソード それがわたしの初恋だったのかもしれません 冬子は今もキャンバスの中で愛らしく ほほえんでいますけれど……」との敦子のモノローグで終わります。

 このマンガについて作者は“エス”の世界を描きたかったんだけど…と言っているようですが、なんか違うような気がしました。吉屋信子は読んだことはありませんが、エスで真っ先に思い浮かぶのは、ペギー葉山の学生時代の三番の歌詞です。吉屋信子の世界は、そんなにきれいじゃないよと言われれば、なにも言えませんが。
 このマンガでは、登場する三人の想いが、見事に三角形を描いています。そして、矢印は常に一方方向なのです。冬子と牧夫の想いは敦子にはわかっています。でも、自分の想いは誰にも知られてはいけない、と敦子自身は思っています。そのために敦子は街を離れることになるのですが。
 16歳で初恋は遅いと思いましたが、恋だと気づいたのがその時で、そのずうっと前から恋していたのならと、納得できました。
 今のマンガなら、敦子の葛藤はほとんど描かなくても成り立つのかもしれません、それがいいことなのかどうかはわかりませんけれども。

 このマンガを冬子の眼から見た物語として描けば、どんな話になるのでしょうか、興味のあるところです。


 書名『シークレット・ラブ』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス SCM-473
 出版年 昭和53年4月20日初版発行

 矢代まさこを扱った blog では
 http://blog.goo.ne.jp/luca401/e/92ef3476d56e5447ced8ab3ade35bcef
を面白く読ませてもらいました。

2011年9月24日土曜日

柴門ふみの『反逆天使の墜落』

 読んだ後で背筋がぞうっとするマンガです。

 柴門ふみは高橋留美子と双璧をなすマンガ家です、少女マンガを描かない女性マンガ家として。どちらも少年マンガや青年マンガを描いて人気を得ています。

 表題のマンガは1980年の「マンガ奇想天外」No.1 に載ったもので、ほとんど間を置かずに単行本に収録されています。

 以下にあらすじを載せます。

 幼い頃に、八畳間で一人寝る私は、薄明かりの中で「クリスマス・ツリー」と名付けたものを見ながら眠ります。それは、人や車や建物などの飾りをぶら下げ、回転しながら飾りをらせん状に吸い込んでいきます。手を伸ばせば届きそうで届かない、そのうちに眠ってしまいます。
 成長とともにクリスマス・ツリーは現れなくなります。

 ホテルで一瞬クリスマス・ツリーが見えます。「渦の中に 吸い込まれ そうで 吸い込まれ なくて」
 男は言います、「吸い込まれない方法(中略)うんと食べて うんと太って 樽の様に なるのだ」「ポーの短編に あるだろう 円筒状のものが 渦にまき込まれる速度が 一番遅い」「落ち着いて 太るには 家庭に入るのが(後略)」

 男と結婚して赤ん坊が生まれますが、「もはやクリスマス・ツリーは 断片すら見えなくなって しまったのですが、 失なわれてしまったものに対する 執着も又、私の内で どんどん膨んでいったのでした。」
 泣いている赤ん坊の傍らで、灯りもつけずにクリスマス・ツリーの現れるのを待つ私。「息子が かわいく ないのか!」と夫に言われ、「ぶよぶよして 生温かくて 気持ち悪い」と答えます。
 街に逃げ出した私の目には、遠近感を失った人びとしか見えません。
 「(前略)墜落の感覚をおぼえました」「おちた私の足元には 眠り続ける私がいました」「頭上では 街と人びとが回転を続けていました」「本当の私は、実はまだ あの八畳間で、眠り続けているのだ」と私は気づきます。

 暑い日に、夫は赤ん坊を連れてパンダを見に動物園に行こうとします。上り坂は夫がベビーカーを押します。私は、下り坂は楽だからと夫からベビーカーを受け取ります。頭上でクリスマス・ツリーの鳴る音を聞いて、私はベビーカーのハンドルから手を離します。坂を下り落ちるベビーカーと追いかける夫、追いついたところに大型トラックが…。

 坂の上で私は眠っているあたしに言います。”ほら あたし 目が醒めたでしょ” ”クリスマス・ツリーが 見えるでしょう” ”立ち上がって 腕を差しのべるのよ”と。
 「まだ円筒形でない おもりもない あたしはまっすぐに吸い込まれてゆく 渦をつっ切り 加速をあげて 回転する間もなく」
 最後のページは、「光の点をめざして……」と、両手を挙げた子どもの私が吸い込まれていきます。
 でもこれは吸い込まれると云うよりは、上に向かって落ちていくというほうがいいのかもしれません。

 このマンガを読んだのは、30年前です。そのときは、なんか怖いなぁ、と思ったものでした。たぶん、母性本能はどこに行ってしまったのかとの思いがあったのでしょう。
 最後のページでは、中学生の時に読んだ詩を思い出していました。作者もタイトルも忘れてしまったのですが、寝転んで青空を見ていると、空に落ちそうになって草をぎゅっと掴むと言う詩です。
 また、このマンガのタイトルの意味がよくわかりませんでした。
 しばらく経ってから読み返したときに、読み終えて最後のページで涙がこぼれました。誰も救われないその寂しさかもしれません。

 さて、改めて読んでみて、主人公の私はそれなりに救われるのかなぁとか考えつつ、初めて読んだ頃とは全然別のことが頭をよぎりました。
 裁判になったときに、心神耗弱が認められるのだろうかとか、未必の故意なのだろうかなどという大事かもしれないけれど、作品の本質とは無関係のことですが。


 タイトル『反逆天使の墜落』
 書名『ライミン・フーミン』
 出版社 奇想天外社 奇想天外コミックス
 昭和55年6月15日初版発行

 帯には、柴門ふみ処女短篇集とあり、吾妻ひでおの推薦文があります。


 167ページの最後の齣に"ポーズの短編"とありますが、これは"ポーの短編"です。このような誰でも気づく誤りは訂正しないのでしょうか。「マンガ奇想天外」での誤りがそのままになっているものですので。

2011年9月12日月曜日

地震から半年

 大地震から半年が経ちました。海沿いの地域は、まだまだ復興にはほど遠いのが実情のようです。また、地震の被害を被った内陸部の復旧もまだのようです。
 それでも希望の明かりを灯すために、仙台では恒例の「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が先日の土曜・日曜に行われました。人出もそれなりだったようです。

 海から離れたところに住み、海から離れたところに職場がありで、津波の被害は幸いありませんでした。私の勤務場所はほとんど被害はありませんでしたが、地震の被害はまだ復旧からほど遠い職場です。

 この半年は、まだ半年なのか、もう半年なのかよくわかりません。なんか、気がつけば半年と言ったところでしょうか。今から半年後には、一年経ってなどと書いてるのでしょうか、なってみなければわかりませんが。

 地震と津波と、そして原発と三重苦を負った人から見たら、幸せなのだからと、前を向いていくしかないと思います。

 まぁ、りきまずに、ぼちぼちと行こうと、思うこの頃です。


 死者・行方不明者が二万人を切ったことが救いと言えるのでしょうか……。

2011年9月7日水曜日

須藤真澄の『電氣ブラン』

 表題は作者の最初の単行本のタイトルで、この名前の作品はありません。九つの短編と MASUMI'S スーパーマーケットと題する一ページのイラストというか、身近なもの(たとえばいろいろな時計)を描いたものが数ページです。
 電氣ブランというのは浅草にある神谷バーのアルコール飲料の名前です。

 9編中6編が1985年の作品です。うち、一編は同人誌に描かれたものです。ただし、初出一覧は、東京三世社版には載っていません、竹書房版にはあります。
 初出一覧でみると『告知』が一番古い作品です。ただし、五年後に(原稿サイズ直しのためリライト)とあります。

 『月守(つきもり)』は、星を作るのが仕事のおじいさんと孫娘のお話です。孫娘は初めは高校生として登場しています。最後のページは、右・左・下と三齣しかありませんが、面白い齣です。

 『黄金虫(おうごんちゅう)』は、錬金術学校に進もうとしている高校生・木乃枝が主人公です。自分の心の中が、金の光沢になって現れるというプレッシャーに耐えながら、受験に励みます。錬金術材料との看板の店に入ると、おばあさんと赤ちゃんがいます。ふたりとも名前は木乃枝でした。おばあさんのアドバイスを受け、合格する木乃枝です。最後のページがこれも素敵でした。

 『スウィング』は、拾ったタコのおもちゃの足が折れるたびにタイム・スリップが起こり、そのときのエネルギーで地震が、それも大きな地震が起こってと云うお話です。タコさんはいったい何なんでしょうか、誰が作ったのでしょうか、と言うことは一切でてきません。

 『帝都は燃えておりまする』は、初代ゴジラのパロディーです。登場するのは帝都を焼き尽くそうとする大火災です。ファイヤー・デストロイヤーを持った博士がヘリコプターから火の中に飛び込み火災を終わらせます。
 このマンガは1985年に発表されたのですが、1989年のジョークに一酸化二水素 (Dihydrogen Monoxide) があります。1997年には、アイダホ州の14歳の中学生が "How Gullible Are We?" と云う調査に用いて、世界中に広まったのですが、このジョークがもう少し早くにできてたら、きっと作者はこれを取り入れていたに違いないと、今は思うのです。

 ばかばかしいのが『大回転焼小路』で、笑わせてもらいました。

 『告知』は1980年、『創造』は1981年の作品ですが、高校 1, 2 年生の時の作品とは思えないほどに完成されています。

 『告知』は、子どものない夫婦の前に、それぞれに現れた中学生ぐらいの女の子「麻憂(まゆ)」のお話です。ある日、別々に行動していた夫婦はそれぞれに麻憂を連れて出会います。ふたりの麻憂は消えてしまいます。そしてしばらくして夫婦に子どもができます。と、書けばそれほど面白くないかもしれませんが、読んでみると、絵とお話がマッチして面白いのです。「麻憂(まゆ)」は、子宮を見立てて、繭に掛けてあるのでしょうか。

 『創造』は、植物で少女タイプの生物を作り、それをクローンにして増やすというお話です。植物少女・草子(カヤコ)は順調に増えていくのですが、ある朝、すべてのカヤコは花にもっどてしまいます。最後の一ページは示唆に富むセリフで終わっています。「僕らが宇宙のちりに 一握りの土くれに 戻ってしまうことなど無いと 言い切れるだろうか」「歩いて来た このはるかな道が どこかでゆがんでいた ものとしたら—」

 『晩餐』は、この短篇集では一番長くて、30ページあります。この短篇集の中では一番読み応えがあります。そんなわけで、これはそのうちに別に取り上げようと考えています。(yonemasu.blogspot.com/2015/02/blog-post.html に書きました)

 作品後記「川のほとりに」は、面白く読ませてもらいました。文才もあるようです。


 書名 『電氣ブラン』
 出版社 東京三世社
 1985年11月10日 初版発行
 まひるの空想掌編集 と副題が付いています。
 カラー口絵が8ページあります。
 また、カヴァーには、銀文字で電氣ブランについて以下の記述があります。
  リキュール類
  アルコール分40%
  容量162ml

 書名 『電気ブラン』
 出版社 竹書房
 1996年4月18日 初版第一刷発行
 東京三世社のものとは違うカラー口絵が1ページあります。
 初出一覧があります。

2011年8月30日火曜日

いしかわじゅんの『至福の街』

 作者は一応少女マンガ(らしきもの)も描いているのですが、それは措いておきます。どんなマンガだったのか全然印象がないのです。『うえぽん』と云うタイトルで、白泉社から全三巻ででています。今は、電子書籍で読めるようです。

 さて、表題作ですが、1980年の「マンガ奇想天外」No.1 に載ったもので、翌年に単行本になっています、また、1985年に別の出版社からでています。
 この本には11編の短編が載っていて、一番長いのが表題作で48ページあります。巻末に自註があります。その中で作者は、「さる高名な漫画家が、今にどんでん返しがあってギャグになるだろうと、最後まで読んで、結局シリアスのままだったんで驚いた、と言う話が伝わって来た位に、コレはシリアスなのだ」と書いています。別のところで手塚治虫が、と書いている人がありましたので、高名な漫画家は手塚なのでしょう。

 マンガ家菱川は、あるときから自分の周りの人たちが、遠い目をするようになったのに気づきます。初めは恋人の由以、その由以に振られ、由以がつきあいだした筒井と…。
 そしてその頃にブームになったUFO、先輩マンガ家の恩田もそのことに気づき、話し込むふたりでしたが。
 道を歩いていて、菱川は人にぶつかってしまいます。「あ… 失礼!」「いいえ」「あの目だ…!!」菱川はその男の頭上に一瞬「ピンク色の………肉」を見た、と思います。

 アシスタントは「むこうの方が給料がいい」とやめたり、あるいは独立していきます、遠くを見る目をして。ついに連載も次々に打ち切られ、連載無しになります。
 この頃には「あの眼は既に 街の過半を 覆って居た」「遠くを見る様な ……そう 至福とでも 言ったらいいか」「我利と秩序とが 奇妙な調和を 成して居る風景だ」と言う状態になっているのでした。
 「最後の 頼みの綱」と、菱川は恩田のもとを訪ねます。その恩田は「一人ひとりが 幸福になる 事によって全体も 幸福になるんだ そうだろう?」と、サングラスを外して拭きます。その眼は遠くを見る眼だったのです。

 菱川は部屋に閉じ籠もります。今日が何日なのかもわからなくなり、真冬なのに暖かい日々です。
 「受け容れちまやいいんだ…」などと考えているところに、それは現れます。なにが現れたかはここには書きません。答えは扉絵ですが…。
 大勢の集まった道場で、由以は菱川に絹の袱紗を渡そうとします。「さあ……」「宇宙とひとつに なるのよ…」
 受け取ろうとして手を伸ばす菱川ですが、あと少しのところで拳を握りそこから逃げ出します。すると街中の人たちが追いかけてきます。逃げる途中で、街全体が大きなドームに覆われているのを知ります。ドームの果て、押し寄せる人、先頭には由以。
 絶望から両手をドームに付くと、すっと手首から先だけがドームの壁を突き抜けます。

 「オレの指の間を 真冬の風が ゴウと鳴って 走り抜けた」

 宗教と SF がある意味で融合したような、奇妙なマンガです。また、絵がいしかわじゅんのマンガの絵なのも、ミスマッチのようでいて味があるような気にもなります。

 恩田の「一人ひとりが云々」は、ある種の合成の誤謬だと、今ならすぐに言えるのですが、このマンガを初めて読んだときには、そんな言葉は知りませんでした。
 マンガのタイトルの『至福の街』とは、言い得て妙です。信じてしまえば幸福なのですが、信じられない者にはこれほどのディストピアはないでしょう。
 大勢(たいせい)に流されやすい自分は、きっと、菱川を追いかけるほうになるんだろうなぁ、などと思いながら読みました。


 書名『至福の街』異色短篇集
 発行所 奇想天外社 奇想天外コミックス
 昭和56年11月25日 初版発行


 1985年12月に双葉社から ACTION COMICS の一冊として出されています。カヴァー絵は扉絵を描き直したもののようです。こちらは、持っていません。

2011年8月19日金曜日

さべあのまの『地球の午后三時』

 この人も「プチフラワー」で知った一人です。創刊号から描いていますが、『フリフリCAT』は、印象に残っていません。その次の『三時の子守唄』からは、面白い絵を描く人だなぁと、思いました。

 絵については、できるだけ書かないようにしようと思っているのですが、この人については一言書きますと、アメリカンコミックを取り入れたような絵です。とは云っても、マンガにアメコミの薫りを入れたような感じです。その絵が受けたのだろうと思います。一度見たら忘れられない絵といえるでしょう。

 表題作は朝日ソノラマで出していたマンガ雑誌「デュオ」に載ったものです。
 主人公の男の子リッキー、リッキーと仲良くしたいマリィ・ルー(たぶん二人とも小学校の高学年でしょうか)、リッキーの両親、リッキーの家庭教師のバド、そして一年前になくなった鍛冶屋のユッカ大将が主な登場人物です。

 リッキーは、バドがママにちょっかいを掛けようとしていて、ママも悪い気ではないようだと思っています。
 そんな夕方に、ママはパパの好物のマッシュ・ポテトを作りますが、それはインスタントです。まずくてイヤになったリッキーは、皿の上に山を作ろうとしてママに叱られますが、新聞を取り上げられたパパも新聞の蔭で同じことをしています。
 その後で、できあがったばかりの模型の船を持ってリッキーの部屋に来たパパは、次の日曜に島の入り江でリッキーの船と一緒に進水式を行おうと言います。
 「なんでも知ってるボク この家庭の平和なんて ボクによって保たれているようなもんさ」とリッキーは思います。

 土曜日にリッキーはマリィ・ルーと庭でピクニックをします。絵はありません。
 天気予報は明日の日曜は雨と云っています。

 まだ暗いうちに雨音でリッキーは目を覚まします。メモ帳を破り雨を受けて、雨を燃やすためにバケツの上でマッチで火をつけると、雨は蒸気となってリッキーを雲の上へと運んでいきます。以下10ページが雲の上でのリッキーとユッカの話になります。
 ユッカは雲の上の天気を作る鍛冶場で働いています。

 ここでの二人の会話がこのマンガの言いたいことで、この会話を通してリッキーの考え方に少しずつ幅ができていくのです。「早くおとなに なりたいと 思うけど いいかげんに なるのは イヤだし」「ずっと このままで いたいと思ったり」と言うリッキーに、ユッカは笑いながら答えます。「完璧な おとなや 永遠の こどもなんて いるもんか!」と。
 ママについては「キミ達 男同士(リッキーとパパ)が 仲良くすれば するほど 女のママは さみしいことも あるのさ」「女はいくつに なっても チヤホヤして もらいたい もんなのさ」と言います。
 雲の上から自分の家を見ると、台所でママが本物のマッシュ・ポテトを作っています。「ママは キミとパパのことを ちゃんと思っているのさ」と、ユッカは言います。リッキーはユッカに「今日だけは 雨に しないでよー!」と、お願いして、午后の三時までは雨を降らせないことにしてもらいます。

 日曜の朝、まだ眠っているリッキーに「早く起きないと おいてっちゃうぞー」とパパが声を掛けます。外はいい天気です。
 朝食の席で、ママに弁当のバスケットを渡され、少し考えてから「ママも いっしょに 行こーよ!」とリッキーは誘います。「でも…」とためらうママに言います。「進水式には シャンペンを 割ってくれる ご婦人って 必要なんだ!」

 進水式を終えて、うれしそうにパパに寄り添うママを見てリッキーは心の中でつぶやきます。「ユッカ ありがとう……」

 男の子の成長物語です。この後で、リッキーはマリィ・ルーに優しくできるのでしょうか、気になるところです。
 季節は違いますが、このマンガを読み終えたときに思い浮かんだのは、イギリスの詩人ブラウニングの "春の朝(あした)" でした。特に、あの最後の一節、「すべて世は事も無し(All's right with the world!)」を思ったのでした。

 この本のカヴァー絵は雲に乗ったリッキーとマリィ・ルーそれに犬のクラ・ビス、それを遠くの雲の上から手を振って見ているユッカです。実際の物語ではリッキーとユッカだけしか雲の上ではでてきませんが。


 書名『地球の午后三時』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス 713・ストロベリー・シリーズ
 昭和57年11月26日初版発行

2011年8月11日木曜日

筒井百々子の『たんぽぽクレーター』

 プチフラワーに連載されたマンガで、のちに小学館から単行本二冊で出ています。
 各パートごとにサブタイトルがあり、単行本の目次には、いつの出来事かが示されています。以下、単行本をもとに書いていきます。

 双子の兄弟ダグとレミイは、12歳の夏に、原子炉を積んだ衛星の落下事故に巻き込まれ、ダグは被曝してしまいます。このままでは秋を越せないと知って、父親は月にある WHO の病院にも電話をするのですが、どうしようもないと言われてしまいます。
 そこに助け船が現れます。たんぽぽクレーターにある病院の院長は、この病院でなら、治療方法が見つかるまで、コールド・スリープで眠らせておけるというのです。
 レミイは院長に言います、「ダグが 月で死んだら 許さない」と。

 PART2 からが月面のたんぽぽクレーターでの話になります。

 たんぽぽクレーターとは、民間の月面総合医療都市で小児医療を行っています。まもなく18歳になるジョイは、18になったら医師国家試験を受けることになっています。受かるだけの実力はとっくにあるのですが、院長の方針で18まで待たされています。奥さんをアメリカに残して月にきているデイバイン医師と、ジョイから見るといろいろとわけのわからないところの多いマックギルベリー院長が副主人公です。

 患者の小さな女の子・ジルを誘拐しようと入り込んだ男・パチョーレクは院長に取り押さえられます。院長の右手は義手でした。パチョーレクは、護送の途中で下記のような騒ぎのどさくさで逃げ出して、月にとどまり、さまざまの場面に味方として登場します。
 ハローウィンの夜に地球との連絡が取れなくなります。傍受した地球の放送から、以前から寒冷化していた地球は、中緯度地方までが氷河に覆われたことがわかります。それを聴いて多くの職員は持ち場を離れ地球へ帰ろうとします。
 その混乱の中で夢遊病のジルは、壊れていたエレベーターの穴に落ちて死んでしまいます。そこにジルの父親が現れます。彼は「地球は 環境破壊と 大気汚染で 寒冷化していた(中略)6月の各国の 宇宙兵器実験は 致命傷でした」と説明します。1巻123ページの「季節は 大切な 地球の娘 冷たくなった少女 帰らない夏」は印象的です。

 暴徒に襲われ、地下に避難するジョイたち、その中でジョイはコールド・スリープ中のダグを見つけます。
 発電所の故障で病院中が停電してしまいます。眠っているダグの装置はどうなってしまうのか? と気遣うジョイで、1巻は終わります。

 ジョイの働きで、何とか間に合わせの発電機で電力は供給できました。そして、ジョイは、二度とダグのところには来ないことにします。
 捨てられた太陽発電車を見つけて、それをばらして新しい発電車を作ろうとするジョイですが…、修理班の人からたんぽぽクレーターが年内に閉鎖されることを知らされます。
 その頃院長はデイバインに「患者の亡命や 引き渡し拒否(中略)職権濫用の ワンマン院長」として「月面での 医療活動禁止 追放」となったことを伝えます。たんぽぽクレーターは、患者の引っ越しのためにクリスマスイブまでは存続されます。
 閉鎖のことを確かめようと、ジョイは院長のもとに急ぎますが、途中で倒れてしまいます。急性白血病でした。スクラップ置き場から、危険レベルの放射性廃棄物が見つかります。

 それでもダグのことを心配するジョイは、クリスマスイブまではたんぽぽクレーターに残ることにします。さまざまのことがあり、院長は月から追放、アメリカに帰るはずだったデイバインは妻が死んだことを知らされ、診療所に規模を縮小してのたんぽぽクレーターに残り、ダグを守ることにします。
 クリスマスイブに、デイバインは車いすでジョイを外に連れ出し、ジョイが作っていた発電車を見せます。それを見て喜ぶジョイ。ベッドに戻ってジョイに小さな紙袋を渡します。袋の中には小さなスイッチが入っています。そのスイッチを入れると、窓の外に発電車からの電気を取り入れて、大きなツリーに灯りが点ります。

 以上が PART9 までです。PART10から12は、それから3年半後の話になります。

 たんぽぽクレーターからの子どもたちは同じ夢を見ます。男の子と夏の夢です。その謎を解こうとするうちに、クリスマスイブにジョイが亡くなったことを知ります。謎の答えを捜すとしたらまずあそこだと、たんぽぽクレーターに向かう子どもたち。
 一方、放射線障害の特効薬「黒」を完成させた院長は、ラグランジェポイントのコロニーにレミイを訪ね、そのことを伝え、月にくるように言います。
 月に密入国した院長ですが、宇宙空港で原子力船の墜落に巻き込まれます。気がつくと心配そうに見ているレミイがいます。院長はダグの分の「黒」をレミイに託して、けが人の手当に駆けつけます。

 子どもたちは夢に登場した男の子がダグだったことを知ります。
 何とかたんぽぽクレーターにたどり着いたレミイは、「黒」を投与された小さなダグの手を取って眠ります。
 ダグが目覚めたら地球に帰るはずだったデイバインは、診療所を続けることになります。
 デイバインは院長に「信じますか? あの子たちが ダグの夢を見たこと」と言うと院長は答えます。「子どもは どんな夢だって 見るものだよ(中略)地球に 夏を呼ぶものがいるなら あのたんぽぽクレーターの 子どもたちかもしれない」と。

 作者はいろんなSFや小説からこのストーリーのヒントを得ているようです。
 1巻18ページと2巻238ページには「星の王子様」の挿絵も登場しています。それがまた実にいいところにです。


 書名『たんぽぽクレーター』1巻 (PART1 から PART5 まで)
 発行所 小学館 PFC-491
 昭和59年10月20日 初版第1刷発行

 書名『たんぽぽクレーター』2巻 (PART6 から PART12 まで)
 発行所 小学館 PFC-492
 昭和60年3月20日 初版第1刷発行


 東日本大震災から5ヶ月です。死者・行方不明者が2万500人と最初の頃より少なくはなっていますが。
 余震でしょうか、いま22時32分ですが、揺れています。

2011年7月31日日曜日

室山まゆみの『ハッピー・タンポポ』

 室山まゆみと云えばまずは『あさりちゃん』なのかもしれません。おそらく女の子向けのマンガとしては、一番巻数の多いマンガでしょう。30年以上も描かれています。
 ここで取り上げるのは、それよりも古いマンガです。

 ウィキペディアに『ハッピー・タンポポ』と云う項目があります。それによると、1977年から約四年間連載されたとのことです。作品の特徴や登場人物については詳しく載っています。野々タンポポと藪小路いばらの二人が主役です。

 単行本には収録されていなかったのですが、『あさりちゃん』94巻に一部の7話分が収録されました。あとがきマンガによると、小学五年生と六年生に連載されたとありました。さすがに学年誌は見ていませんが、昭和50年代に小学館で出していた、ティーンコミックというA5版の雑誌があり、その「室山まゆみ あさりちゃん」に収録されています。これが全部なのかわかりませんが。また、ウィキペディアには「コロコロコミック」で総集編が刊行されたとありますが、こちらは見ていません。

 このマンガで印象に残っている場面があります。94巻にもある「さらば短足ズン胴」の、二ページ目、ずらりとハンガーに掛けられた11着(見えるところだけで)のオーバーオールです。すべて同じデザインですが、母親は「タンポポ だって、 毎日 かえてる でしょ。」と言います。
 これを見たときに思い出したのが、"江戸の粋"でした。
 いろいろと禁制があったから、表は飾れないけれど、見えないところに凝るというあれです。そこまで作者が考えたかはわかりませんが、そんなことまで思いを馳せらされました。そして、ニヤリとしてしまったのでした。
 もちろん、ギャグマンガですので、きちんとその作法にのっとって、笑わせるところあり、オチはきっちりついています。

 「初デートはムフフのフ」では二人のあこがれのカケスくんから、別々に、同時刻、同じ場所にきてくれるように言われ、舞い上がります。その場所に行って、にらみ合う二人でしたが、たのまれたのは合宿の炊事当番でした。
 二人ともうまく料理ができず、最後の手段と、店屋物をとってしまい、二人で料理屋で皿洗いをするというオチになります。

 このほかにも面白い作品が多いのですが、いまは手に入れるのが難しいのが残念です。


 タイトル『ハッピータンポポ』
 書名『あさりちゃん』94巻
 出版社 小学館 てんとう虫コミックスTC-1206
 2010年12月29日 初版第1刷発行
 
 ティーンコミック第4号 昭和54年11月15日発行 
 ティーンコミック第6号 昭和57年2月20日発行 デビュー作が載っています
 ティーンコミック第8号 昭和58年4月19日発行

 デビュー作の『がんばれ姉子』は、4ページの小品です。これもいわゆる少女マンガと言うよりは、ギャグマンガでしょう。

2011年7月18日月曜日

北原文野の『もうひとつのハウプトン』

 この人の名前を知ったのは、「プチフラワー」の創刊号でした。それ以来7年ほどもこの雑誌に書いていたのです。「プチフラワー」に最後に書いたのは Pシリーズの『L6外を夢見て』でした。『Pシリーズ』以外の作品もあるのですが、やっぱりこのシリーズが浮かんできます。
 これほど長く描いていたのに、背表紙に名前が載ることはありませんでした。でも、これらの作品が好きだったかたは、少なくなかったはずです。

 創刊号の『ぼくは ぼくに…』がデビュー二作目とのことです。男の子の心理の変化がうまく表現されています。作者は、分身ものといっていますが。

 ここで取り上げるのはデビュー作です。この作品は1980年1月別冊少女コミック増刊号に掲載されたとのことで、リアルタイムでは読んでいません。

 母親が入院して、叔母のもとに預けられたデビィは、ハウプトンの、晴れていても灰色の空にうんざりしています。そんなデビィを叔母は美術館に連れて行きます。「絵なんか興味がない」デビィですが、一枚の絵の前で立ち止まります。その絵に描かれた太陽からの光でデビィの影が足下に落ち、その絵の中に落ちていきます。

 青い空と、緑の村に落ちたデビィは、少し年嵩の少年ジョシュア・タッカーと出会います。ジョシュアは「ここはハウプトンだよ」と言います。ジョシュアはデビィを連れて、附近の案内をします。もとのところに戻ってくると、ジョシュアのおばが現れ、その後で二人はデビィの前から消えてしまいます。
 すぐに現れたジョシュアは、こめかみに怪我をしています。ジョシュアの時間では一年が経っていたのです。

 大人になっていくかつての少年ジョシュア・タッカーを見守る(?)デビィ。
 大きな街に出て、結婚をして、それでも絵で食べていこうとするジョシュアでしたが、妻を亡くし、故郷のハウプトンに帰る決心をします。
 ところがかつての青い空を失い、街へと変わってしまったハウプトンを見てジョシュアは叫びます。「うそだ これがハウプトンなものか」と。
 そこに現れたデビィにジョシュアは言います。「デビィ デビィだね?」「変わらなかったのは… きみだけだよ」と。

 「あら あなた影が」「見まちがいよね」との叔母の声で我に返るデビィでしたが…。目の前に次々に現れる絵は、デビィがジョシュアと一緒に観た風景でした。そして最後の絵は、「変わらなかった少年」と題されたデビィの肖像でした。
 「変わらないのは… きみだけだよ」「みんな 一瞬のもの だから 一瞬のものに しがみついて 描きとどめたい」と言ったジョシュアの言葉を思い、涙を流すデビィ。

 美術館に来るときに見た、空き地の切り株を、「嘆きの木」だったかもしれないと思うデビィでした。
 デビィは絵を描く気になり、ハウプトンの街を描き始めます。「しかしひどい絵」とつぶやきながら。

 最後のページでは、デビィを驚かそうと、知らせずに退院した母親が登場します。
 最後のコマの叔母のセリフは、シリアスになりすぎたことに対しての、作者の照れ隠しなのかもしれません。

 あとがきで作者は、「絵の光が当たって影ができるシーン」からするすると話ができたと書いています。
 ストーリーとしては、タイムトリップになるのでしょうが、傍観者のはずのデビィを最初と最後でジョシュアが見るからこそ、物語が成立しているのです。
 これがデビュー作とは思えないほどに完成された作品です。

 さて、この、変わるものと変わらないものというのは、語り始めたら終わりがなくなりそうなことなのですが、絵の本質にも関わってくることなのでしょう。とてもここで取り上げることはできなさそうです。

 以下、どうでもいいような独り言です。
 美術館で開かれているのは、ジョシュア・タッカー生誕百年記念展なのですが、彼は、いくつのときにハウプトンを離れ、いくつで妻を失い、いくつのときに最後にデビィに会い、いくつで亡くなったのでしょうか。ハウプトンが、緑の多い村から、彼の知らない街に変貌するまでには、それなりの時間が必要だろうと思うのですが…。


 書名『もうひとつのハウプトン』
 発行所 SG企画
 1988年7月20日 初版発行

2011年7月11日月曜日

清原なつのの『ゴジラサンド日和』

 この人のマンガには、はまるものがありました。特にタイムトラベルのシリーズには。また、『花図鑑』シリーズも面白く読みました。でも、まずは、表題のマンガから取り上げます。

 N市H山動物園(もちろん名古屋市東山動物園です)のセメントの恐竜のところからお話が始まります。
 春三月、四月から高校三年生になる久里子は、失恋したばかりです。その回想の中に手話をするチンパンジーがでてきます。利口な馬ハンスでないのは、久里子が高校生なので、そのほうが話として作りやすいからでしょうか。
 京都大学霊長類研究所のアイ・プロジェクトは1978年から始まっているとのことですが、このマンガの頃はまだ一般に広く知られてはいなかったはずです。

 久里子に声を掛けたのは、70歳を過ぎたおじいさん、落ち込んでいる久里子を元気づけようとします。その久里子の回想の場面で、自分では会話をしているつもりで、相手の顔色しか見ていなかったことに気づきます。
 おじいさんは若い頃に、「相手の心を 読み取る能力が あれば」と、旧制四高の学生の頃の初恋の話をします。背景には旧制四高の「南下軍の歌」が流れています。
 30年ぶりにあった初恋の人と見た映画が1954年の「ゴジラ」だったのでした。

 久里子に「チンパンジーは どこですか?」と声を掛ける青年が現れ、説明をする久里子。そんな久里子を見て、おじいさんは言います。「当たりは ひとつだけじゃない 前後賞も 組みちがいもある」と。「新説 赤い糸の伝説」には、絵を観て、吹き出しそうになりました。
 チンパンジーのところに行くと、青年はまだいました! 青年にチンパンジーの話をする久里子、青年は久里子に言います、「チンパンジーと いっしょに サーカスに 転職するよ」「いじらしい じゃないか」と。

 久里子は、四月からこちらの大学生になるという青年と、つきあうことになります。

 陽気のよくなった頃におじいさんが倒れたときいて、二人はお見舞いに行きます。病気で倒れたのではなくて、通信販売で買ったゲートボール養成ギプスのせいだったのですが。
 おじいさんから見せられた初恋の人の写真を見て、びっくりする二人。なんと、息子さんの嫁さんにそっくりなのでした。

 おじいさんは、自殺さえしかねないように見えた久里子が気になって、声を掛けたのかもしれません。でも、清原なつのの手にかかると、そんな気配はどこかにいってしまうようです。気持ちの切り替えを久里子は学んだように思えます。

 さて、清原なつののマンガといえば、落書きにその魅力を感じるのはわたしだけでしょうか。このマンガにはそれほどありませんが、10(196)ページ3齣目はCMそのままですし、32(218)ページ4齣目は面白いことが書いてあります。また、31(217)ページ5齣目の背景には人に紛れ込んでいる4種類の動物がいたりします。()内は、ハヤカワ文庫版のページです。

 この本の三番目には、『思い出のトロピカル・パラダイス』が載っています。読み終えて、ハインラインの『夏への扉』が思い浮かびました。気が向いたら、改めて書いてみようと思います。


 書名『ゴジラサンド日和』
 出版社 集英社 りぼんマスコットコミックス RMC-303
 1984年7月18日 第1刷発行

 ハヤカワ文庫
 タイトル『ゴジラサンド日和』
 書名『私の保健室へおいで・・・』
 2002年6月10日印刷
 2002年6月15日発行

2011年6月26日日曜日

寺島令子の『チルドレンプレイ』

 今まで四コママンガを取り上げていませんでした。ここで初めて触れてみたく思います。
 以前の(いつから前なのでしょうか、その辺はよくわからないのですが)四コママンガは必ず「起承転結」からなっていて、などと言われていたものですが、いつの頃からか、それがかなりユルくなってきたようです。

 『チルドレンプレイ』は、寺島のデビュー作です。手元にある決定版では、181ページ以降だと思われます。どなたか、ご存じのかたはお知らせくだされば幸いです。
 保育園を舞台にした、園児たちとそれに振りまわされる保母さんの四コマです。

 いかにもありそうな日常の一コマをマンガにしています。しかしその多くは、実際には起こりえないようなことです。だからこそ、そこに笑いが生まれるのでしょう。
 それにしても、こんなにたくさんの四コマを描けたものだと感心してしまいます。もっとたくさん描けるよと、作者なら言いそうですけれど。

 いま読み返してみて、子どもの足がずいぶん大きいのに気づきました。保母さんよりも足が太くて、大きいのでした。
 タドンおめめでも、ちゃんと表情は出せるのだなぁと思ったことを思い出しました。
 デビュー作とのことで、絵は決してうまくはありませんが、発想はすばらしいものがあると思い、これ以後の寺島作品はほとんど見ています。

 ところで、このマンガは講談社の「ヤングマガジン」に載っていたものなので、いわゆる「少女マンガ」ではないのかもしれませんね。

 この本には、巻末に4ページの別の作品が二つ載っています。


 書名『チルドレンプレイ』
 発行所 講談社 ヤンマガKCスペシャル 43
 昭和61年4月18日 第一刷発行

2011年6月10日金曜日

ちょっと休憩 地震から三か月 星新一の『感謝の日々』

 6月11日で地震から丸三か月になります。地震のときには、普段は何の意識もしなかったことやものが、こんなにもありがたかったのかと思いました。
 その代表が、水と電気でした。水の入ったペットボトルをぶら下げて、階段を登りながら思い出したのが、星新一の表題のショートショートでした。

 「ひとにぎりの未来」に載っている作品です。

 すべてが満たされた未来、人びとにそのありがたみを知ってもらうために設けられたのが「○○の日」です。「休電日」には、24時間電気が完全に止まります。「保険の日」には、何があっても保険金は支払われません。
 なにかを完全に止めることで、その止められたもののありがたみを知らしめるのです。

 電気はスイッチを入れれば、水は栓をひねれば使える、この当たり前のことがこれほどまでに大事なことだったとは。いつの間にか、空気のような存在になっていたものの価値を、改めて認識させられました。
 しかし、いつの間にか、そのような思いは薄れてきているのに気づいて、少し情けなく思っています。

 三か月が過ぎました。まだまだ余震への心配はありますが、とりあえず前を向いていこうと思っています。

2011年5月29日日曜日

佐々木淳子の『セピア色したみかづき形の…』

 10ページのSFマンガです。まさにアイディアがものをいっています。

 宇宙船は地球から二億キロのところを、地球に向かって飛んでいます。実はこの距離には単位がありません。少なくともメートルではないようです。二億キロメートルなら太陽-火星間よりも短くなりますから。

 宇宙船から見える地球は、ほとんど時間が流れていません。宇宙船の中では、時間は普通に流れています。逆ウラシマ効果によってだとのことです。
 相対性理論では、宇宙には絶対基準がありません。絶対基準があるとして、この作品は生まれました。8〜9ページの見開きに、その理屈に気がついた主人公テルルの独白があります。その独白の最後にひときわ大きな文字で書かれています。「ぼくらは 宇宙に本当の意味で〝静止〟してしまったんだ!」

 宇宙船から見える地球ですが、テルルが眺めているのは、とある街の夕暮れです。ほとんど動かないその街で、ロードウェイを逆に走る少女、走るといってもほとんど静止画を見ているような感じなのでしょう。
 いつしか少女に心惹かれるテルル。「地球についてから あの子を捜すのは そう難しいことじゃ ないよね」「ぼくは 十六年間も あの子を見てきたんだから」

 このマンガに対して、相対性理論では云々、と批判の手紙が来たと作者は言っていました。理論だけではSFにならない、と書いていたように記憶していますが、それが書いてあったものを見つけられませんでした。

 絶対静止というアイディアにうならされたので、それは気にも留めませんでした。ある意味では、ニュートンの時代に戻ったと言っていいでしょう。
 気になったのは一つだけでした。地球からどのくらい遠いところから見ているのかわかりません、この状態はあと五年はつづくとあるので、相当に遠くから地球を眺めているはずです。それなのに、太陽に邪魔されずに地球が見える、しかも街の中の少女の表情までわかるとは、なんとすばらしい望遠鏡なんだろうと。

 ものすごく抒情的なSFといえばそうかもしれません。けれど、それだけに心に残るのです。果たして地球に帰ったテルルは、あの少女に会えたのでしょうか、などと…。
 と、書いて気づきました、テルルは地球に帰るのではありませんでした。テルルはここで、宇宙船の中で生まれたのでした。


 タイトル『セピア色したみかづき形の…』
 書名『那由他』三巻
 出版社 小学館
 昭和58年1月20日初版第1刷発行

 手元のは昭和58年3月25日第3刷でした。予想外の売れ行きだったのでしょうか。

 少年/少女SFマンガ競作大全集PART 13 東京三世社 昭和57年1月1日発行 にも載っています。ただし、表紙と目次には「セピア色した三日月形の…」とあります。こちらはマンガの後に、佐々木淳子と作家の新井素子の対談があります。このときには新井素子はまだ大学生でした。

 何とか今月二度目ができあがりました。少し短いのは、これ以上長くすると、ストーリーを全部書かなければならなくなるから、ということで。

2011年5月22日日曜日

山岸凉子の『学園のムフフフ』

 山岸凉子は実に多くのマンガを描いています。今なら『舞姫 テレプシコーラ』が浮かびます。古くは『アラベスク』、『日出処の天子』などの長編、『天人唐草』や『ゆうれい談』などの短編があります。その中から少し毛色の変わった表題のマンガを取り上げてみたく思います。

 タイトルどおりの学園マンガです。ネットでの評判を見るとあまり芳しくないようですが、なかなか面白いと思って読みました。
 高校の入学の日からお話が始まります。主役は平岡伸江と南妙子です。伸江の目から見ての物語として進行します。
 伸江は新入生代表として挨拶をするほど成績優秀です。妙子は保健委員に選ばれ成績はそれなりに良いようです。伸江に「ふーん 美人だよね こういうのが アイドルに なるんだよね」と思わせるほど目立ちます。
 伸江は視力0.1なのにハンサムはしっかり見えるという特技がありました。そのめがねにかなったのが自治会長で三年生の村淳一でした。
 入学の日の夜に伸江の見た夢は、小さい頃にいじっめっこにいじめられたというものでした。「あんな男の子は いまどき どうなっているんだろう」と思います。

 いつしか伸江についた呼び名は「女史」「平岡女史」になります。
 そんなある日、伸江の下駄箱にラブレターが入っているということが起こります。ところが封を切ってガクゼンとします。妙子宛の手紙が隣の伸江の下駄箱に間違えて入っていたのでした。翌日、そのラブレターを妙子に渡すと、意外な反応が返ってきます。手紙の中のひどい間違いに大笑いしながら、「はじめて もらった ラブレターが これでは あんまりよ」というのです。
 一人静かに本を読む妙子、けれど読んでいたのは『天才バカボン』。
 そんなこんなで伸江と妙子のつきあいが始まります。
 そして、妙子の先輩から妙子が中学時代に「学園のプリンス」と呼ばれていたと聞かされます。伸江の頭の中はクエスチョンマークだらけ。

 夏休みのキャンプで、思わぬことから、おしとやかだと思っていた妙子の積極的な面を知る伸江でした。
 そしてキャンプの最後の夜、伸江は自治会長の村淳一から「これ… 南くんに わたしてくれる」と手紙を託されます。「男が女に わたす手紙を 女にたのむ ばかがいるか」と、涙をぬぐう伸江。ところが、妙子は、翌日の帰りのバスの車中でも、手紙のことは伸江には何も言いません。
 結局、夏休み中、伸江は妙子と会おうとはしません。

 二学期の始まりの日、伸江は妙子の変貌(?)に驚きます。肩まで掛かるほどの髪をプッツリと切っていたのです、「ワカメちゃん じゃないのよ あんまりだ」と言わせるほどに短く。訊くと、「ザルかぶって 母に切って もらったの」との返事。
 妙子は、村淳一の手紙に返事を書いていませんでした。「自分を下げて あいてに きらわれる 方法をとった」ことに伸江は気づきます。

 二人はまた一学期と同じようにつきあいます。
 そんなある日、レポートを書くために妙子の家に行くと、ハンサムな兄がいます。普段は東京の大学に行っていて、家にいないとのことです。
 「ねえ アルバム 見る」とわたされたアルバムには、伸江を幼い頃にいじめたいじっめこが写っています。てっきり妙子の兄にいじめられたと思い訊くと、「それ あたしよ」と答える妙子。「昔は 男女(おとこおんな)なんて いわれてたのよ」と続きます。学園のプリンスのいわれについてはこう答えます。「男子と 賭をして 勝ったの」 その内容を聞いてガクゼンとする伸江。「校舎の2階から とびおりるの 負けたほうが ラーメン おごろうって」
 「外見と中身が ちがいすぎるのよ」と伸江は叫びます。

 外見と中身の違いは誰でも多少は経験することですが、これほどギャップがあると大変でしょう。本人はそのことに何も感じてなければなおさらに。
 直接に関係はないのですが、「外面似菩薩(げめんじぼさつ)、内心如夜叉」という言葉を思い出していました。妙子の内心はもちろん夜叉ではありません、そこには何の悪意もありませんから。しかし、だからこそ周りは振り回されるのでしょう。

 『赤い髪の少年』の中にあっては、このマンガは異質です。これだけがコメディーなのです。もっとも、伸江にとってはコメディーでは済まないのでしょうが。


 タイトル『学園のムフフフ』
 書名『赤い髪の少年』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス(SCM-388)
 昭和51年7月1日初版発行

 ブルー・ロージス 自選作品集 (文春文庫 ビジュアル版) 1999年11月発行 にも載っています。

2011年4月29日金曜日

コンタロウの『東京の青い空』

 コンタロウといえば『1・2のアッホ!!』や『いっしょけんめいハジメくん』などのギャグマンガが知られています。この『東京の青い空』は唯一のSFマンガとのことです。

 正味44ページで、PART 1 失踪(11ページ) PART 2 抜け穴(11ページ) PART 3 動機(11ページ半) PART 4 真相(10ページ半) となっています。このページ割りをみると、起承転結を、同じページ数に割り振ったように見えます。

 ふたりの少年(俊一と圭太)とひとりの少女(ルミちゃん、白血病で余命幾ばくもない)を縦糸に、横糸には神田警部と水野(身分は出てきません、刑事でしょうか)のふたりでしょう。
 最初にネタバレを書きます。第三次世界大戦後の地下都市東京の物語です。
 では、ストーリーを。

 最初のページは爆破事件の発生と、そのニュースをカーラジオで聞いているトラック運転手です。次のページでそのトラックを停める少年たち、銃で運転手を脅して、Z地点に行くように言います。
 この辺で舞台が現在ではないらしいことがわかります。
 この三人がいた孤児院の院長が自殺したようだということで、神田警部と水野が登場してきます。少女が読んでいたらしい本を、警部は水野に手渡します。古めかしい本で百年以上も前のもので、タイトルは「東京の青い空」です。

 Z地点でエレベーターで地上に出ようとする三人ですが、着いたところは、荒れ果てた(三人にはそれが何かわからないのですが)地下鉄の駅でした。駅にも、傾いた電車の中にも白骨死体がありました。帰ろうとするのですが、ルミちゃんの気分が悪くなり、たくさんの骸骨のある電車の中のシートにルミちゃんを横にします。
 水野はZ地点のことを調べ、忘れられた抜け穴だったことを知ります。そして、地上に向かった三人のことが臨時ニュースで流されます。

 なぜ、どのようにして三人は地上へと向かったのかに疑問を抱いた水野は、それを調べようとします。
 一方、電車内の三人は大ネズミの大群に襲われますが、銃で撃退します。そしてつぶやきます。「ボクらに銃を くれるなんて (中略) あのタヌキみたいな顔のおじさんは」と。
 神田警部が失踪事件についての調査報告を発表します、青い空を見るために地上に出たのではないかと。
 水野は盗まれた銃がないことを知ります。喫茶店であれこれ考えている水野ですが、そのときテレビで失踪事件のことが流れます。女性評論家は言います、「(少女が)つぶやいた、死ぬ前に ひと目 青い空が 見たいわ…と(中略) 少女の願いを かなえてやるために 危険を 承知で 地上へ…」
 「いつも ピリピリ してる この辺の 連中が 涙を?」これで水野は真相に気づきます。
 大ネズミが出てこないことを確かめて三人は戻ろうとしますが、フタが開きません。内側から鍵をかけられてしまったのです。

 このマンガはeBookで出版されているようなので、最終章を細かく書くのはやめておきます。
 この芝居の脚本をかいたのは政府でした。
 「この地下でたえなければならんのだ! いつの日か 地上が 浄化され 東京の 青い空の下でくらせる日まで!!」と、神田警部は言います。
 三人は地上へと向かい、青い空ではなくオーロラの輝くきれいな色の空を目にします。
 「2112年現在の磁極は東京をつらぬいている」との放送でマンガは終わります。

 小学生がこのマンガを読むと、おとなは汚いというのでしょうか、あるいは水野さんは子どもの味方というのでしょうか、それはわかりません。けれど、このマンガはさまざまの視点から読めるのがいいのではないでしょうか。
 地下都市を維持していかなければならない立場からすれば、三人の命以上のものが得られるならば……というのもわからないではないのです。でも、もっと別の解決法がなかったのかとの思いも残ります。
 三人を縦糸に、警部と水野を横糸にと書きましたが、この物語は、織物ではなく、編み物なのかもしれないなあと今は思います。一本の糸から紡がれる物語なのかなあと。


 書名『東京の青い空』
 発行所 創美社 ジャンプスーパーコミックス74
 1980年9月15日


 四月は、先月の地震もあり、最初と終わりのほうだけにしか書けませんでした。来月はどうなることでしょうか。 

2011年4月1日金曜日

中森清子の『東京マグニチュード8.2』と古屋兎丸の『彼女を守る51の方法』

 『東京マグニチュード8.2』が意外に多くのかたの目に留まったようなので、その内容を書いて、古屋兎丸の『彼女を守る51の方法』についても少し触れておきます。

 今の地震への標語は「グラッときたら身の安全」が第一で、第二が脱出口の確保、次に火の始末になっています。揺れの時間はせいぜい一分間と考えられているようです。ところが、今回の大地震は揺れが五分間ほども続いたのです、揺れが収まったかと思うとまた揺れを繰り返したのです。後で知ったのですが、この地震は3つの連動した地震だったとのことです。ですから揺れの時間が長かったのです。

 『東京マグニチュード8.2』はおよそ30年前の作品です。マグニチュード(M) 9.0 の地震が実際に起こってしまった今からみれば、いろいろと変なところもみられるのですが、あらすじを追ってみましょう。なお、以下のページは集英社漫画文庫のものです。

 主人公の香川緑は高校生で、化学の実験中に大きな地震が起こります。スカートに火がついて慌ててそれを消す緑、しかし周りでは、火だるまになっている級友が数人。階段から逃げようとしますが、階段は火の海です。窓から、下のプールに飛び降り、何とか校舎からは脱出します。以下、29ページから40ページまで校庭での出来事になり、校庭に地割れができ、落ちた教師を閉じ込めて、地割れはまた閉じてしまいます。M 8.2 ではこのようなことが起こるとは思えません、このシーンは誇張でしょう。
 町営グラウンドに逃げようとするのですが、余震でビルからガラスが降ってきて倒れる級友も。53ページまでがグラウンドに着くまでの描写です。
 グラウンドに着いたのはよかったのですが、水道の水は出ません、そこに雨が降り出し喜んだのですが、灰や砂を含んだ雨で、飲めたものではありません。疲れ果てて座り込む主人公たち、そこを、動物園を逃げ出したライオンに襲われます。作者の頭には1979年の千葉県君津市にある神野寺のトラ騒動があったのではと、想像してしまいます。
 何とかトラから逃れ、84ページからは地下鉄のトンネルを通っての逃避行です。ようやく地上に出た4人(委員長の脇坂、山下、親友の関マコ、主人公)の目の前には、99ページに描かれた、飴のようにねじ曲がった東京タワーがありました。
 この後、コンビニから勝手に持ち出した食べ物を巡るトラブルがあり、脇坂が別行動をとります。三人になったところに、警官ひとりとふたりの男のグループが現れ、警官がピストルで山下を脅し、動きを封じて、残りのふたりが緑とマコを襲おうとします。この危機は何とか切り抜けますが、山下は、警官に撃たれて太ももに怪我をします。銃声を聞きつけた脇坂が戻ってきて、また四人で行動します。病院をみつけますが、人影はなく、そこにあった消毒薬を使い、包帯を巻きます。137ページに「たった1日で」とありますので、ここまでで夜が一回あったことになります。

 以下は、ネタバレというか、いくら何でもそれはないんじゃないのというシーンが続くのですが…。
 池袋の主人公の家にたどり着くためにタバコ屋の角を曲がるのが143ページですが、そこで見たものは、一面の水浸しの光景でした。
 さらに襲ってくる津波に追われ、サンシャインビルの屋上に逃げる四人ですが、途中でマコが津波にさらわれ、三人は何とか屋上にたどり着きます。屋上から見渡すと遠くのビルで、誰かが火をたいているようです。泳ぎに自信のある脇坂は海に飛び込みますが、すぐにサメに襲われてしまいます。
 瀕死の山下は緑に「おれ… きみが… ずっと 好きだったんだ」と言い、「救助隊が くるまで ……」「がん…… ばろうな」とほほえんで目を閉じます。
 アメリカ軍のヘリコプターに発見され、救助される緑。
 兵士たちは、「生存者モ 数エルホドシカ イナインダロウナ……」と話しています。
 水に沈んだ東京の上を飛ぶヘリコプターのシーンでマンガは終わります。

 前に、突っ込みどころがあると書いたのは、後半に多いのですが、それはやめておきましょう、昼の東京都区内が水没すれば、一千万人からの人が亡くなるのは、わからないではないです。でも、サンシャインビルが傾き、水没するとは考えられません。そのほかにもあるのですが、やめておきます。


 書名『東京マグニチュード8.2』
 出版社 集英社  集英社漫画文庫
 昭和58年2月25日 第1刷発行


 つぎに古屋兎丸の『彼女を守る51の方法』ですが、一応のことは、Wikipedia にありますので、そちらをご覧くださるようお願いします。書きかけ項目になっていますが。

 こちらは現実味があるというのは、震災とその後の大勢の登場人物が、ありそうな設定になっているところにあります。また、津波はでてきませんが、帰宅困難者というところは、このたびの東北地方太平洋沖地震の際にも問題になりました。

 書名『彼女を守る51の方法』
 出版社 新潮社
 いつの出版か、余震で本棚が壊れたままなので今のところわかりません。


 地震から三週間経った今日現在、死者・行方不明者は28,000名を超えてしまいました。

2011年3月25日金曜日

中森清子の『東京マグニチュード8.2』

 倒れた本棚の本を片付けているときに一冊のマンガが目にとまりました。それが表題のマンガです。
 昭和57年(1982年)ザ・マーガレット1号掲載とありますから、1981年12月発売なのでしょうか、およそ30年前の作品です。

 地震の描かれたマンガを買ったのは憶えていましたが、内容はすっかり忘れていました。読み返してみると、いろいろと突っ込みどころの多いマンガですが、いまは措いておきます。

 このマンガが描かれたころの事情をみてみましょう。
 1974年5月に伊豆半島沖地震があり、静岡県南伊豆町で30人が亡くなっています。この地震は M(マグニチュード) 6.9 でした。1978年には1月に伊豆大島近海地震(M 7)があり、伊豆半島の東側で25人が亡くなり、6月には宮城県沖地震(M 7.4)が起こり28人が亡くなっています。この1978年宮城県沖地震は、津波は非常に小さいものしか発生せず津波被害はありませんでした。しかし、倒壊家屋が多かったことから、建築基準法が改正され、1981年に施行されました。

 作者は静岡県出身とありますので、東海地震の心配があったのでしょう、それで舞台を東京に置き換えてこのマンガを描いたのかもしれません。

 このマンガの後の、1983年5月には日本海中部地震があり、104人が亡くなっていますが、そのうちの100人が津波の犠牲者です。

 1995年1月には兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)があり、その犠牲者の多さに驚かされたのですが、津波はありませんでした。

 そして東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)では、死者・行方不明者は27,000人を超えて、その多くが津波の犠牲者なのです。

 東京が地震に襲われるマンガとしては、古屋兎丸の『彼女を守る51の方法』があります。こちらのマンガはまだ現実味を帯びています。

 なんか、とりとめもなく書いてしまいました。
 次回からは、もっとましに書こうと思っています。


 書名『東京マグニチュード8.2』
 出版社 集英社  集英社漫画文庫 195
 昭和58年2月25日 第1刷発行

2011年3月17日木曜日

地震から一週間

 東北関東大震災からもう一週間になります。幸い、わたしは無事でしたが、今日現在で16,000名の死者・行方不明者が出ています。亡くなられたかたの御冥福をお祈りいたします。

 緊急地震速報の終わらないうちに揺れ始めたと思います。必死でパソコンが机から落ちないように押さえていました。わたしの職場は、二階建ての一階なので揺れの割には被害は少なくて済みました。
 職場の避難場所で全員の無事が確認されそこで散会になりました。そのときはラジオで大津波警報が出たことは知っていました。帰宅した後は、停電でラジオもなく、何があったのかさえわかりませんでした。

 翌日、ラジオを手に入れスイッチを入れて愕然としました。それでもそのときはまだ死者・行方不明者は2,000人に満たなかったと思います。その数は日に日に増えて、とうとう今日は16,000名とのことです。

 日曜日の午後に電気は回復しましたが、ケーブルテレビの会社までは通電されていなくて、テレビは映りませんでした。
 月曜日に職場に行きましたが、棟続きの本屋(八階建て)は、惨憺たるものでした。上の階ほど被害が酷く、こんなものがというものまでが動いていました。
 余震も回数が多く、結構揺れも大きなものがあったりしています。

 きょうで一週間ですが、街はまだ生きていません、店は開いているところも売り切れたらおしまいです。行列があればとりあえず並んでみるという状況です。地震前のあふれているような物は、現実だったのでしょうか、そんなことも考えてしまいます。

 東京電力は計画停電を行っていて、その地域のかたは大変とは思いますが、どうか被災地のことを思いやってください。

 なお、このたびの震災を東日本大震災と報じているところもありますが、賛成できません。JR東日本や東日本高速道路に引きずられるのかもしれませんが、東北は北日本に分類されています。

 わたしのところは、食器棚が倒れ、食器のほとんどが割れたのと、本棚がめちゃくちゃになり、おそらく使い物にならなくなったことぐらいでしょう。怖くてまだ全部は見ていません。机から落ちた iMac はこうして無事に blog の更新に使えています。

 一週間後に更新する元気があるかどうか……

2011年3月6日日曜日

沖倉利津子の『卯子そのぐんじょう色の青春』

 沖倉利津子といえば「セッチとカッチ」のシリーズを取り上げるべきなのかもしれません。なぜこのマンガかといいますと、最初に手にしたのがこのマンガだったからです。タイトルと、少し上を向いた女の子の横顔に惹かれたのかもしれません。こぼれ落ちそうな目はいかにも少女マンガですが。

 小学校の図画の時間に、空を群青色に塗り続けクラスメイトから馬鹿にされ、暗い小・中学校時代を過ごした卯子。誰も知っている人のいない高校に進学して、明るい人間に生まれ変わろうとするのですが…。

 ひょんなきっかけから卯子は、クラス委員長田畑君のやっている自転車同好会に入ることになります。ところが、卯子には自転車に乗れないという特技(?)がありました。委員長の助けを借り、卯子は必死に練習をするのですが、いっこうに乗れそうにありません。
 卯子は、副委員長の笹野さん、田畑君の幼なじみで他クラスの額田君と友だちになります。この二人も自転車同好会に入っています。ところが、同じ一年生の何気なく友だちと話しているのを聞いて、卯子はまた落ち込んでしまいます。
 中間テストの結果を見て、さらに落ち込む卯子。退部を言って逃げ出します。

 次の日曜日、することのない卯子は弟の自転車を借りて練習をします。
 「乗れない自転車 明るくなりえない 人生ー そんなの イヤだ!」と、何度も転んでは起き上がってを繰り返します。「負けるもんか〜」と、大声を出して体の力が抜けて、何とか走り出せました。実は最初だけ田畑君が支えていたのですが、乗れたことにはかわりありませんでした。
 田畑君は前の日のことを謝るために、自転車で卯子のところに来たのでした、2時間近くを掛けて。

 夏休みになり、自転車同好会は本格的サイクリングを行います。脇を通った車に気をとられ道路脇に倒れ落ちた卯子は、幸い怪我はしませんでしたが、自転車がゆがんでしまいます。自転車の修理をする田畑君の傍らで、空を見上げた卯子は「うあー 群青色ー」と言いました。
 その後しばし、卯子と田畑君の空の色談議が続きます。それがタイトルになっている訳です。

 本当の空の色はどんな色かは人それぞれでしょう。でも、確かにどこまでも青い空は、深い深い青、群青なのでしょう。そしてその色は、小学生の使う絵の具ではとても出せなかったのでしょう。
 カヴァーの群青色は、もっと深い色のほうがよかったような気がするのは、わがままでしょうか。

 自転車について自分のことを考えてみると、乗れるようになったのは小学生のいつのことか憶えてはいませんが、何度も何度も転んだことは憶えています。自転車はいとこから借りました。

 このマンガを読んで、沖倉利津子の他のマンガも読んでみようと思ったので、このマンガに出合えたことは幸せでした。

 最後に、卯月は陰暦四月なのですが……


 書名『卯子そのぐんじょう色の青春』
 出版社 集英社 マーガレットコミックス 736
 1983年2月28日 第1刷発行

2011年2月25日金曜日

ちょっと休憩 『東京キッド』と『心の窓にともし灯を』

 古い唄で恐縮なのですが。

 美空ひばりの『東京キッド』が1950年、ザ・ピーナッツの『心の窓にともし灯を』が1959年暮れ、とのことですが、ザ・ピーナッツを先に聴き、美空ひばりが後になりました。『東京キッド』は10年ほど前に聴いたのですが(その前に聴いたことがあったかもしれません、憶えていないだけで)、「右のポッケにゃ夢がある 左のポッケにゃチュウインガム」で、『心の窓にともし灯を』を思い出したのです、「ポッケにゃなんにもないけれど」というフレーズを。

 1945年に戦争に負けて、なにもないところから再出発した日本です。それから15年経っても、まだ貧困はつきまとっていたのです。池田内閣で所得倍増計画が閣議決定されたのが1960年12月のことで、翌年度から実施されました。日本は高度経済成長期に入ったのです。その少し前から国民総中流がいわれるようになり、1970年には9割が中流と答えるまでになりました。

 さて、バブルの崩壊から10年ほど経ったころ、日本の失われた10年といわれ始めるときに、『東京キッド』を聴き、『心の窓にともし灯を』を思い出したわけです。この頃は、まさか失われた20年になるとは、思ってもいなかったのですけれども。
 今は、ポケットにはいっぱいいろんなものが詰まっているけど、本当に必要なものは、入っているのだろうかと。ポケットをいっぱいにすることに夢中になって、何かを忘れたのではないのかなぁと。
 以前は空のポッケと夢があったはずなのに、今はふくらんだポケットと、そしてどこかに忘れた夢かなぁなどと考えていたのでした。

 今から10年前を振り返ると、まだポケットにはいろんなものが詰まっていたのですが、それから10年、ますます増えるワーキングプアをみると、ポケットが空になり、夢をなくしてしまった人たちは、どうすればいいのでしょうか。


 はたらけど
 はたらけど猶わが生活(くらし)樂にならざり
 ぢつと手を見る

 啄木

2011年2月20日日曜日

松本和代の『もな子…しゃべり勝ち!』

 この人の単行本は四冊しか出ていないようです。『もな子…しゃべり勝ち!』は二冊目です。

 高校二年生のもな子の、まぁ言ってしまえば、どたばた恋物語なのです、甘くはないけれども。といっても悲恋ではありませんので、ご安心を。
 主な登場人物は、もな子、親友のカンナ、他校生の樫本くん、北炭先生、そして恋敵の中学生の史織ちゃんの五人です。もう一匹、樫本くんの飼い犬ノリノスケを忘れてはいけませんでした。

 もな子は弁論部に所属していて、弁舌の立つほうだと思っています。そして、将来は環境庁の長官になると張り切っています(環境庁が環境省になったのは2001年です)。
 そんなもな子を心配して、カンナは恋のおまじないのカメを作ることを勧めますが、もな子は、それを一笑に付します。けれど、密かに「4時半の君」と名付けた男性に恋心を抱いているもな子は、カメを作って、その男性に渡そうとします。ところがノリノスケの登場でそれもできず、飼い主の樫本くんと知り合います。
 後日、もな子は知ることになりますが、「4時半の君」は、世界史の北炭先生として、もな子の前に現れ、樫本くんの家に大学生の時から下宿しています。

 この樫本くんは、来るべき食糧危機に備えて、巨大ナスを作る研究をしています。ナスはもな子の好物でもありました。
 あとは、どたばたコメディーになります。
 全体の2/3ほどのところから史織ちゃんが登場します。恋のさや当てが始まるのですが、マンガのタイトルとは違って、もな子は、口では史織ちゃんに敵わないのでした。
 樫本くんに、妹として好きだと言われて落ち込む史織ちゃん、元気づけようとして史織ちゃんに好かれて困り顔のカンナ、そして……。
 ナスの季節が終わり、つぎは巨大大根に挑む二人、話しながら笑いあう二人の後ろでは……でマンガは終わります。

 植物の巨大化以外は、いかにもありそうなお話で、さて何でこんなマンガが印象に残っているのかなぁと思うのですが。
 北炭先生以外の登場人物、特に樫本くんと史織ちゃんの思い込みの激しさが、このマンガの命なのでしょう。たぶん、樫本くんの中では、巨大植物を作るのが一番で、もな子はその次なのでしょう、でも、それはもな子の中ではどうでもいいのかもしれません。きっともな子は、巨大植物を作る夢を持った樫本くんを好きになったのでしょうから。

 絵はいわゆる少女マンガの絵ではありません。よく言えば個性的な絵です。また、マンガのタイトルとは異なり、もな子が誰かにしゃべりで勝つということは滅多にありません。


 書名『もな子…しゃべり勝ち!』
 出版社 集英社  集英社漫画文庫
 昭和56年10月25日 第1刷発行

2011年2月12日土曜日

阿保美代の『真夏に真綿の雪が降る日』

 先日、漆原友紀の『水域』を読んでいてふと思い出したのが、阿保美代の表題のマンガでした。『水域』は、上下470ページの大作ですが、『真夏に真綿の雪が降る日』は、たった8ページの小品です。でもその中に詰まっているものは、とても大きいのです。

 阿保美代のファンのかたが、以下のサイトを作っています。
 http://abosan.web.fc2.com/top.html

 8ページのあらすじというのもどうかと思うのですが、これがないと感想が書けませんので。

 あやは、朝、目を覚まします。「遠くのほうで かねの音や たいこの音が 聞こえる(中略)きょうは 特別な日だ!」ということで、ひとりで、「きれいに かざられた きょうの料理」を食べ、「大好きな 朝顔の もよう」のゆかたを着ようとします。「おかあちゃん 帯 むすべない」と呼んでも、「みんな でかけてる きょうは 特別な日 だからだ」と、涙ながらに納得します。
 外へとでかけますが、誰にも会えません。学校に行っても誰もいません。村を見つめながら、あやは考えます。「かねとか たいこの音 たしかに 聞こえるのに みんな どこさ いるんだべ」と。
 帯がとけて泣いているあや、動くものが目に入ります。こわれた手風琴とこわれた人形でした。その人形はあやが無くしたと思っていたものです。あやは人形を連れ帰ります。おなかいっぱい食べ、「あやは 人形と いっしょに ねむる」 と、ここまでで6ページです。

 以下の2ページで語られることが表題の意味になります。
 「雪のように 光る あわい あわいものが そっと ふってきて やさしく あやを つつむなかで あやは ねむる……」
 たった10で、はやりやまいで逝ってしまったあやの墓参りにきている母親と、あやぐらいの年頃の子ども(あやねえちゃんと子どもは言っています)。特別の日とは、お盆のことだったのがわかります。

 あやの亡くなった後で、村はダムの底に沈みます。
 新しく作ったお墓にあやの骨はあるのですが、あやが生まれ育って、そして死んでいったダムの底の家に、あやの魂は帰ってきているのではと、母親は言うのです。

 「くる年も くる年も その子は 水の中の村さ たった ひとり 帰ってきて ひとり 遊ぶ(中略)泣きつかれて 真綿の雪が ふりつもるまで……」とお話は終わります。

 繰り返しになりますが、最後の二ページで、なぜあやがひとりぼっちなのかがわかるのです。ところで、「みんな どこさ いるんだべ」との、あやの思いはどこに行くのでしょうか、「真綿の雪が ふりつもるまで……」続くのでしょうか。それでは、あまりに救いがないと思えるのです。
 あるいは、将来母親があやのもとへいったときに、あやは救われるのでしょうか。
 一度目はすらっと読めたのに、読み返したときには、あちこち、つっかえてしまいました。なぜあやがひとりぼっちか、わかっていて読むと、また、違った思いが湧いてくるのです。

 ダムに沈むということ以外にも、『水域』との共通点はあるようですが。

 投稿の時季が半年ずれていますが、そのへんは大目にみてください。


 タイトル『真夏に真綿の雪が降る日』
 書名『アボサンのふるさとメルヘン2』
 出版社 講談社
 昭和57年11月15日第一刷発行

2011年2月8日火曜日

粕谷紀子の『花園を求めて』と『花園を見た日』

 ふたつの作品を取り上げたのは、同じような少女を取り扱いながらも、まるで違った結末になっているからなのです。
 『花園を求めて』は1975年ちゃお秋の増刊号、『花園を見た日』は1978年プチコミック早春の号に載ったものです。『花園を見た日』はプチコミックで読みました。これはこの号の特集が「倉多江美の世界」でしたので買ったのです。『花園を求めて』はその後の1978年3月に出版された単行本「水の中の星」で読みました。
 『花園を見た日』は単行本には収録されていません。
 ページ数ですが、『花園を求めて』は25ページ、『花園を見た日』は48ページです。『花園を求めて』の二倍の長さになった分、『花園を見た日』のほうが細かいところまで描かれています。

 それではこのふたつの作品をみていきましょう。以下『花園を求めて』は『求めて』、『花園を見た日』は『見た日』と記すことにします。

 表紙の絵はかなり違いますが、それは置いておきます。
 まず最初のページですが、両方とも山を見つめる少女のななめ後ろの絵から始まります。『求めて』は山が遠景にありますが、『見た日』では中景になっています。また少女の視線が『求めて』では山の頂を見つめていて少し頭が上を向いているようです。『求めて』では風は少女の前から吹いていますが、『見た日』では後ろから吹いています。
 一番大きな違いは、『求めて』では雲間から漏れる、ほのかな光が太陽を暗示しています。一方の『見た日』では黄色い弱々しい太陽が描かれているだけです。この太陽は薄い雲を通して見た太陽のようです、輪郭がぼやけていてかすかな光が漏れているようにしか見えません。これが実は結末を暗示しているのですが、最初に読んだときには少し絵が違うといった程度にしか思いませんでした。
 「この冬枯れの 荒涼とした土地の どこに 花園があるだろう ーー?」「聞こえるのは むなしく 荒野を吹きわたる 風の音ばかり」という書き出しで二つのお話は始まります。
 『求めて』には、さらに「1840年 フランスの片いなか」とあります。

 主な登場人物は主人公の少女テレーズ、農園に新たに雇われた中年の男(ジェローム、『求めて』には名前は出てきません)、主人公が働いている農園の女主人(イヴォンヌ、『求めて』には名前は出てこなくて、二コマだけ姿が描かれています)、女主人の甥だという若いツバメ(アルフォンス、『求めて』には名前は出てきません)の四人です。

 テレーズはそれなりの家庭に生まれますが、父が亡くなり、零落していきます。それでも母は平気な顔をしています。なぜ平気なの? と幼いテレーズに問われて、母は答えます。「心の中に 幸せな 思い出を(中略)それはそれは 美しい花園の ようなもの」を持っているからだと。
 物語の始まる前の年に母も亡くなり、テレーズは農場で働き出します。

 以下、まず『求めて』のあらすじです。
 いつも花園を夢見ているテレーズは、周りから孤立しています。若いツバメに乱暴されそうになったところを、中年の男に助けられます。男はテレーズに言います。「なぜ街に行かないんだ?」 それに対してテレーズは答えます。「花園を待っているの」と。
 その後の会話で、この男が10年前に妻を残して街に出た、この農園の主だとわかります。しかし、男は「十年前に家を出た男だ」といって名乗り出ようともしません。
 クリスマスのミサに、農園に残されたテレーズは、またも若いツバメにおそわれます。このときにも中年の男が農園に残されていて、テレーズを助けようとします。男は銃を取り出すのですが、止めようとするテレーズ、その隙を突いてツバメは男に襲いかかり、男を撃ってしまいます。
 瀕死の男は次のように言います。「きみは花園をみつけたろう?(中略)今度は広い世界へ ほんとうの幸せをさがしに行くんだ」
 そして、テレーズが街に出るところでお話は終わります。

 次いで『見た日』のあらすじです。
 出だしはほとんど変わりありません。周りから孤立するテレーズを見て男は思います。「おれは10年かかった"もっとべつの生活"などありはしないということを悟るまで」
 寒い地下室に誤って閉じ込められたテレーズは、半死半生で助け出されます。ようやく気がついたテレーズですが、頑なな心はそのままです。けれど男にこう言われるのです。「もっとべつの生活なんてありゃしない!! 今が! ここが! あんたのまわりの人間たちが!! あんたの生活さ!」
 それ以後、周りに心を開いていくテレーズ、奉公人仲間ともきちんと交流できるようになっていきます。英語を読めることを知った女主人から、ジェロームの残していった英語の本を読むように命じられるテレーズ、英語のわからない女主人には子守歌代わりだったのですが、眠りの中でジェロームとつぶやきます。
 クリスマスのミサに、農園に残されアルフォンスに襲われるテレーズ、ジェロームはテレーズを助けようと銃を取り出そうとするのですが…。「あの女は8年間おまえを待ち続けていたんだからな」とのアルフォンスの言葉を聞き、隙ができて、アルフォンスに撃たれてしまいます。
 瀕死のジェロームをみつけたイヴォンヌは、許しを請うジェロームに言います。「やっと 帰ってきて くれたのね それだけで 十分よ!!」
 横たわるジェロームを支えるテレーズと、イヴォンヌのほおに手を添えるジェロームの場面でお話は終わります。そこに添えられている言葉は「花園は ひとの心の中に あるのかもしれない……」

 『見た日』は、ここで終わっているのですが、テレーズは街に出ることもなくたぶん農園で暮らすのでしょう。

 これを書くために『見た日』を読み返してみて、書き始めたときと少し違うことに気づきました。最初のページに弱々しい太陽、と書いたのですが、テレーズの影がくっきりと描かれていました。決して弱い光ではないようなのです。
 描かれた順番から考えても、「花園はひとの心の中にある」が作者の言いたいことなのかなあと思ったのです。

 しかしそれでも、と思うのです。チルチルとミチルは、青い鳥は自分の家にいると気がつくのですが、それでは、二人の夢の中の旅は無意味だったのかと。
 決してそんなことはありません。自分の鳥が青いと気づくのは自分の力で気づく、それが大事なことのように思えるのです。
 『見た日』でテレーズが変わったのが、ジェロームに言われたからだけだとしたなら、問題でしょう。ジェロームに言われたことがきっかけになって、自分で考えた結果なら、それでいいのですが。

 タイトル『花園を求めて』
 書名『水の中の星』
 出版社 大都社
 昭和53年3月10日初版発行

 タイトル『花園を見た日』
 プチコミック早春の号
 出版社 小学館
 昭和53年3月1日発行

2011年1月28日金曜日

川崎苑子の『いちご時代』

 川崎苑子は大好きなマンガ家ですが、なにを取り上げたらいいのか悩みます。前回取り上げた柳沢きみおの『月とスッポン』では、最終回をすっかり忘れてしまっていたのですが、今回は印象的な最終回の川崎苑子、『いちご時代』を持ってきてみました。

 前作の『ポテト時代』(yonemasu.blogspot.com/2015/05/blog-post_25.html に書きました)の続編として描かれたマンガで、『ポテト時代』では三女のそよ子がヒロインでしたけれど、このマンガは四女の川風ふう子がヒロインです。ふう子の小学校入学の前日から、二年生になった四月まで丸一年のお話です。
 三人の姉と父親が家族です。母親は亡くなっています。
 以下のページにタイトルとあらすじが載っていました。
 http://manpara.sakura.ne.jp/sub-doyobi.htm#top

 他人より少しスローな子供のふう子、そよ子さんに言わせると(No.9 いちご狩りの前の日)「トロくたって ぬけてたって」となってしまいます。それなのに No.39 つむぎちゃんは思う では、ほとんどすべてで勝っているはずのつむぎちゃんはこう思うのです。
 「あたしはほとんど 勝ってるのにさ 時たま最後の ひとつで負けてる ような気分に なっちゃうのよっ」

 それではこれから、印象に残ったお話を取り上げていきます。

 まず「No.1 3月の最後の日」です。明日から小学校という日、ふう子は幼稚園にもどりたいと思う。そよ子に言われるままに長い髪を切った後で、「髪の毛 きりたくない」と言い、「母さんと おんなじ髪に もどりたい」と思うのです。
 眠らなければ四月はこないのでは、と思いつつ眠ってしまうふう子なのでした。

 四月になりいろんな事がありながらも、友だちのつむぎちゃんもでき何とか学校生活を送るのですが……
 このつむぎちゃんはなかなかの切れ者なのですが、なぜかトロいふう子と友だちになります。この二人に共通することが出てくるのが、「 No.9 いちご狩りの前の日」です。楽しいことの前には、それを力一杯待ってしまい熱を出してしまうのでした。

 肉を食べられなくなったり、女子高生をおばさんと呼んでみたり(別れるときは、おねえちゃんと言っています)といろいろあります。
 「No.15 つゆの草」では、「ゆっくりかくのは いけないことなの?」「どうして いつも いそがなくちゃ いけないの?」と先生に尋ねて、答えをもらえませんでした。先生にだって答えはわからなかったのです。

 「No.21 真夏の夢から」は高原のペンションにやってきたのはよかったのですが、ひとりほったらかしにされたふう子が、初めて会った少年(?)と丘のぼりをするお話です。「いちばん楽し かった時代に もどりたくて たまらなく なった時 ここの ことも 思いだせる といいね」と、真昼の夢からさめた会社の経営者は、ふう子に言います。
 「No. 27 銀のすすきの国」は、町の中では唯一すすきの生えている庭のある家に住んでいる、町一番のお金持ちのおじいさんのお話です。その庭でおじいさんの子どものころの話を聞き、おじいさんと遊ぶふう子とつむぎちゃん、てまりちゃん。最後は、見開きですすきの野原を駆ける少年と、「そちらの 銀のすすきの国は すてきですか?」の問いかけで終わります。
 この二つのお話は大人が主人公です。子どもが読んでも面白がるとは思いますが、本当の意味を知るのはもっと大きくなってからでしょう。
 「No.40 冬の連想」は、父さんが、雪の朝に思い出す昔のことが描かれています。もしあの日雪が降らなかったなら、自分はどんな人生を歩いていたのだろうかと。この手の話は暗くしようとすればいくらでも暗くなるのですが、それを感傷に留めているのは、終わりのほうに出てくるふう子ではないでしょうか。

 「No.24 にげる少女」「No.25 まちがい」は続きになっています。なにかから逃げるふう子、先生の言葉からそれに気づきふう子に「あんたは3つもまちがいをおかしている!」と説教をするそよ子。さて、ふう子はいくらお小遣いをもらえることになったのでしょう。

 涙なしに読めなかったのが「No.45 2月の雨」でした。車にはねられて亡くなった女の子のお話です。「即死だったので(中略)あの子の眼にやきついたものは 一面にゆれる 色とりどりの 大好きなアネモネの花だったのに ちがいない」

 「No.46 路上にて」「No.47 すこしとおい瞳」自分より小さな子のチョコアイスをとったに違いないと、ふう子を叱るそよ子でしたが…「あの人たちは お母さん じゃない」と泣き続けるふう子。姉たちは「どんな時でも(中略)子どもの味方をする母親とは違う」ことに気づいてしまったふう子でした。そしてそよ子は「妹が 前とはすこし 違った目つきで 自分をみている」のを感じるのでした。

 さて、いよいよ最後「No.52 それはパンツではじまった」です。ふう子は、そよ子の不注意で膝小僧に擦り傷を作ってしまいます。田舎の祖父母に会いに行くのに余計な心配はさせられないと、いつものスカートをパンツに替えられてしまいます。それもあってか普段とは違う生き生きとした行動に出るふう子でした。
 でも駅に向かう途中でみんなとはぐれてしまいます。うちに帰って待つか、わからないなりに右の道を通って駅に向かうか、少し逡巡するふう子ですが、「冒険にむかう少年のような足どりでふう子は右にむかって走り出した」ところで物語は終わります。

 本当の物語はここから始まるのでしょう。新しい冒険に出た後のふう子は本当に変わったのでしょうか? それとも…といろいろなことを考えてしまいます。
 終わったぁ、と、本を閉じたそのときから始まる新たな物語、その余韻がいつまでも響くそんなお話です。

 書名『いちご時代』1〜3巻
 出版社 集英社
 1985年 9月30日第一刷発行 1巻
 1985年10月30日第一刷発行 2巻
 1986年 1月30日第一刷発行 3巻

2011年1月19日水曜日

柳沢きみおの『月とスッポン』

 このマンガは1976年半ばから1982年初めまで5年半にわたって週刊少年チャンピオンに連載されたマンガです。この頃は少年チャンピオンの全盛期で以下のマンガが載っていました。水島新司の『ドカベン』、山上たつひこの『がきデカ』、手塚治虫の『ブラックジャック』、石井いさみの『750ライダー』、萩尾望都の『百億の昼と千億の夜』などです。このコーナーでは萩尾望都を取り上げるのがふさわしいのかもしれませんが、ここでは柳沢きみおを取り上げます。

 手塚治虫が、少年マンガの手法を少女マンガに取り入れ成功を収めたのは『リボンの騎士』でした。「少女クラブ」版が昭和28年(1953年)1月号から昭和31年(1956年)1月号まででした。このことについては、手塚自身が講談社の「手塚治虫漫画全集」MT86のあとがきに「これは断言できますが、この「少女クラブ」にのった「リボンの騎士」は、日本のストーリー少女漫画の第一号です。」と書いてあります。
 手塚による「なかよし」版は1963年1月号から1966年10月号まででした。

 では、逆に少年マンガに少女マンガの手法を取り入れたのは誰で、何というマンガだったのでしょうか。
 それは柳沢きみおで、『月とスッポン』だと言われています。確かに始まりはギャグマンガでした。でもいつの間にかラブコメへと変化していくのです。花岡世界と土田新一、それを取り巻くクラスメイト、親、弟が繰り広げる人間模様が受け入れられたのでしょう、ずいぶんと長い連載でした。
 同じ頃(1974年秋から1980年いっぱい)に連載されていた『がきデカ』は、登場人物は年をとりませんでしたが、このマンガの登場人物はちゃんと年齢を重ねていきます。連載のあいだに新一と世界は中学生から高校生になります。

 連載途中のことはわりと覚えていたのですが、最終回は全然覚えていませんでした。
 最終回の前の話で、それまでは転勤はいつも土田(父)と花岡(父)が同じところで社宅も隣同士だったのですが、このときは花岡だけが転勤になってしまいます。最終回では、悩んだ末に世界と一緒に引っ越すことに新一は決めるのでした。
 出発の日、誰にも告げず立ったふたり(と、たぶん登場はしてないけれど、世界の父親もいるのだろうなぁと思いますが)を思う藤波のコマでマンガは終わっています。

 柳沢きみおは『翔んだカップル』を1978年春から、『朱に赤』を1981年から連載しています。これらのマンガは読んだはずなのですが、全然覚えていません。『翔んだカップル』で唯一記憶しているのは、不動産屋が名前だけで山葉圭を男と思い、圭が主人公と同じ屋根の下で暮らすことになるシーンだけです。

 少女マンガの手法を取り入れた少年マンガで柳沢きみお以上に人気を得たのは、柳沢きみおのアシスタントをしていた村生ミオとのことですが、この人のマンガは残念なことに読んだことがありません。

 書名『月とスッポン』
 出版社 秋田書店
 昭和52年1月20日(1巻)〜昭和57年4月10日(23巻)初版発行

2011年1月8日土曜日

ちょっと休憩 カナダ映画『ソナチネ』

 カナダ映画と知らずに観ていて、最初はフランス映画かと思ってしまいました。途中で気づきましたが。

 思春期のふたりの女の子のお話です。

 ストーリーについてはネット上にいろいろ書かれていますので割愛します。
 終わりのほうで次のように書いたプラカードを持ってふたりは地下鉄に乗り込みます。
 「誰かが止めない限り、わたしたちは自殺します」
 でも、薬を飲んで眠るふたりを車内に残し、ストライキに突入した職員たちは持ち場を離れます。車内のふたりを撮して映画は終わります(だったような気がするんですが、20年以上も前に観たので記憶が曖昧です、すみません)。

 ネットの映画評に、ウォークマンに触れているものがあります。しかしそれは単なる道具としてしか触れられていないようです。けれど、ウォークマンとプラカードが象徴するものがこの映画の要のように思えるのです。
 すなわち、アンビヴァレントな少女の心の象徴としてウォークマンとプラカードが出ていると思ったのです。内向的なものを表すウォークマンと、それでも外界とのつながりを持ちたいとの表れのプラカード。
 でも、少女たちはプラカードを持っているだけ、しっかりとイアフォンをして、自分からは外に向かって話しかけようとはしない……。


 それから20年、街をゆく人たちはかなりの人が iPhone などを当然のように聴いています。映画が作られ公開されたのはウォークマン発売から5年後、まだウォークマンに意味があったように思えるのですが……。

 制作年 1984年
 公開年 1986年11月

2011年1月6日木曜日

曽祢まさこの『わたしが死んだ夜』

 サイコドラマとしては傑作の一つだと思います。たった100ページなのに長編を見せられたようなそんなマンガです。

 ストーリーは双子の姉妹の物語なのですが、どちらも勝ち気で互いに相手を憎み合っているというものです。あらすじは以下のページに詳しく載っていました。
http://malon.my.land.to/watasigasindayoru.htm
 これはまたずいぶん詳しくて、あらすじというよりほとんどそのままのストーリーでした。これに7ページの「女の子だねえ 鏡にしっと してるんだよ」とのおばあさまの一言が入れば完璧でしょう。

 曽祢まさこの作品を見たのはこれが最初でした。カヴァー絵は少女マンガそのものでしたがタイトルに惹かれて買ったのでした。で、ぐいぐいと引きずり込まれたのでした。
 読後感は、面白いけど怖いでした。なぜ怖いと思ったのかを考えてみると…

 心の闇を突きつけられたからが大きいのでしょう。双子の姉妹の心の動きを見せられて、自分ならどうするかを考えると、いいえ、考えられないというか、考えることを拒否するような気持ちになるのです、双子の片割れでなくてよかったというような。
 「あなたはきょうから死んだもおなじ (中略) 少女がそのことばで葬ったのはかの女自身の心だった……」と終わる物語。
 でも、それだけにこのマンガは魅力的なのです。ストーリーテラーとして最上の部類に入る人ではないのかと。

 さて、このマンガが描かれてから30年以上経ちました。その後、エバは、「事実を認めて強くなって(中略)クレアの分までしあわせをつかまなくては」とエドウィンに言われたように幸せを掴んだのでしょうか、クレアはまだエバのままなのでしょうか、気になるところです。

 なお、同時収録の『緋色のマドモアゼル』も面白い作品でした。

 曽祢まさこの、このマンガを最初に読んだのは幸いでした。もし、『妖精旅行』を読んでいたら、このマンガも、『幽霊がり』も『不思議の国の千一夜』も読まなかったでしょうから。

 書名『わたしが死んだ夜』
 出版社 講談社
 昭和54年11月5日第1刷発行