2011年1月28日金曜日

川崎苑子の『いちご時代』

 川崎苑子は大好きなマンガ家ですが、なにを取り上げたらいいのか悩みます。前回取り上げた柳沢きみおの『月とスッポン』では、最終回をすっかり忘れてしまっていたのですが、今回は印象的な最終回の川崎苑子、『いちご時代』を持ってきてみました。

 前作の『ポテト時代』(yonemasu.blogspot.com/2015/05/blog-post_25.html に書きました)の続編として描かれたマンガで、『ポテト時代』では三女のそよ子がヒロインでしたけれど、このマンガは四女の川風ふう子がヒロインです。ふう子の小学校入学の前日から、二年生になった四月まで丸一年のお話です。
 三人の姉と父親が家族です。母親は亡くなっています。
 以下のページにタイトルとあらすじが載っていました。
 http://manpara.sakura.ne.jp/sub-doyobi.htm#top

 他人より少しスローな子供のふう子、そよ子さんに言わせると(No.9 いちご狩りの前の日)「トロくたって ぬけてたって」となってしまいます。それなのに No.39 つむぎちゃんは思う では、ほとんどすべてで勝っているはずのつむぎちゃんはこう思うのです。
 「あたしはほとんど 勝ってるのにさ 時たま最後の ひとつで負けてる ような気分に なっちゃうのよっ」

 それではこれから、印象に残ったお話を取り上げていきます。

 まず「No.1 3月の最後の日」です。明日から小学校という日、ふう子は幼稚園にもどりたいと思う。そよ子に言われるままに長い髪を切った後で、「髪の毛 きりたくない」と言い、「母さんと おんなじ髪に もどりたい」と思うのです。
 眠らなければ四月はこないのでは、と思いつつ眠ってしまうふう子なのでした。

 四月になりいろんな事がありながらも、友だちのつむぎちゃんもでき何とか学校生活を送るのですが……
 このつむぎちゃんはなかなかの切れ者なのですが、なぜかトロいふう子と友だちになります。この二人に共通することが出てくるのが、「 No.9 いちご狩りの前の日」です。楽しいことの前には、それを力一杯待ってしまい熱を出してしまうのでした。

 肉を食べられなくなったり、女子高生をおばさんと呼んでみたり(別れるときは、おねえちゃんと言っています)といろいろあります。
 「No.15 つゆの草」では、「ゆっくりかくのは いけないことなの?」「どうして いつも いそがなくちゃ いけないの?」と先生に尋ねて、答えをもらえませんでした。先生にだって答えはわからなかったのです。

 「No.21 真夏の夢から」は高原のペンションにやってきたのはよかったのですが、ひとりほったらかしにされたふう子が、初めて会った少年(?)と丘のぼりをするお話です。「いちばん楽し かった時代に もどりたくて たまらなく なった時 ここの ことも 思いだせる といいね」と、真昼の夢からさめた会社の経営者は、ふう子に言います。
 「No. 27 銀のすすきの国」は、町の中では唯一すすきの生えている庭のある家に住んでいる、町一番のお金持ちのおじいさんのお話です。その庭でおじいさんの子どものころの話を聞き、おじいさんと遊ぶふう子とつむぎちゃん、てまりちゃん。最後は、見開きですすきの野原を駆ける少年と、「そちらの 銀のすすきの国は すてきですか?」の問いかけで終わります。
 この二つのお話は大人が主人公です。子どもが読んでも面白がるとは思いますが、本当の意味を知るのはもっと大きくなってからでしょう。
 「No.40 冬の連想」は、父さんが、雪の朝に思い出す昔のことが描かれています。もしあの日雪が降らなかったなら、自分はどんな人生を歩いていたのだろうかと。この手の話は暗くしようとすればいくらでも暗くなるのですが、それを感傷に留めているのは、終わりのほうに出てくるふう子ではないでしょうか。

 「No.24 にげる少女」「No.25 まちがい」は続きになっています。なにかから逃げるふう子、先生の言葉からそれに気づきふう子に「あんたは3つもまちがいをおかしている!」と説教をするそよ子。さて、ふう子はいくらお小遣いをもらえることになったのでしょう。

 涙なしに読めなかったのが「No.45 2月の雨」でした。車にはねられて亡くなった女の子のお話です。「即死だったので(中略)あの子の眼にやきついたものは 一面にゆれる 色とりどりの 大好きなアネモネの花だったのに ちがいない」

 「No.46 路上にて」「No.47 すこしとおい瞳」自分より小さな子のチョコアイスをとったに違いないと、ふう子を叱るそよ子でしたが…「あの人たちは お母さん じゃない」と泣き続けるふう子。姉たちは「どんな時でも(中略)子どもの味方をする母親とは違う」ことに気づいてしまったふう子でした。そしてそよ子は「妹が 前とはすこし 違った目つきで 自分をみている」のを感じるのでした。

 さて、いよいよ最後「No.52 それはパンツではじまった」です。ふう子は、そよ子の不注意で膝小僧に擦り傷を作ってしまいます。田舎の祖父母に会いに行くのに余計な心配はさせられないと、いつものスカートをパンツに替えられてしまいます。それもあってか普段とは違う生き生きとした行動に出るふう子でした。
 でも駅に向かう途中でみんなとはぐれてしまいます。うちに帰って待つか、わからないなりに右の道を通って駅に向かうか、少し逡巡するふう子ですが、「冒険にむかう少年のような足どりでふう子は右にむかって走り出した」ところで物語は終わります。

 本当の物語はここから始まるのでしょう。新しい冒険に出た後のふう子は本当に変わったのでしょうか? それとも…といろいろなことを考えてしまいます。
 終わったぁ、と、本を閉じたそのときから始まる新たな物語、その余韻がいつまでも響くそんなお話です。

 書名『いちご時代』1〜3巻
 出版社 集英社
 1985年 9月30日第一刷発行 1巻
 1985年10月30日第一刷発行 2巻
 1986年 1月30日第一刷発行 3巻

2011年1月19日水曜日

柳沢きみおの『月とスッポン』

 このマンガは1976年半ばから1982年初めまで5年半にわたって週刊少年チャンピオンに連載されたマンガです。この頃は少年チャンピオンの全盛期で以下のマンガが載っていました。水島新司の『ドカベン』、山上たつひこの『がきデカ』、手塚治虫の『ブラックジャック』、石井いさみの『750ライダー』、萩尾望都の『百億の昼と千億の夜』などです。このコーナーでは萩尾望都を取り上げるのがふさわしいのかもしれませんが、ここでは柳沢きみおを取り上げます。

 手塚治虫が、少年マンガの手法を少女マンガに取り入れ成功を収めたのは『リボンの騎士』でした。「少女クラブ」版が昭和28年(1953年)1月号から昭和31年(1956年)1月号まででした。このことについては、手塚自身が講談社の「手塚治虫漫画全集」MT86のあとがきに「これは断言できますが、この「少女クラブ」にのった「リボンの騎士」は、日本のストーリー少女漫画の第一号です。」と書いてあります。
 手塚による「なかよし」版は1963年1月号から1966年10月号まででした。

 では、逆に少年マンガに少女マンガの手法を取り入れたのは誰で、何というマンガだったのでしょうか。
 それは柳沢きみおで、『月とスッポン』だと言われています。確かに始まりはギャグマンガでした。でもいつの間にかラブコメへと変化していくのです。花岡世界と土田新一、それを取り巻くクラスメイト、親、弟が繰り広げる人間模様が受け入れられたのでしょう、ずいぶんと長い連載でした。
 同じ頃(1974年秋から1980年いっぱい)に連載されていた『がきデカ』は、登場人物は年をとりませんでしたが、このマンガの登場人物はちゃんと年齢を重ねていきます。連載のあいだに新一と世界は中学生から高校生になります。

 連載途中のことはわりと覚えていたのですが、最終回は全然覚えていませんでした。
 最終回の前の話で、それまでは転勤はいつも土田(父)と花岡(父)が同じところで社宅も隣同士だったのですが、このときは花岡だけが転勤になってしまいます。最終回では、悩んだ末に世界と一緒に引っ越すことに新一は決めるのでした。
 出発の日、誰にも告げず立ったふたり(と、たぶん登場はしてないけれど、世界の父親もいるのだろうなぁと思いますが)を思う藤波のコマでマンガは終わっています。

 柳沢きみおは『翔んだカップル』を1978年春から、『朱に赤』を1981年から連載しています。これらのマンガは読んだはずなのですが、全然覚えていません。『翔んだカップル』で唯一記憶しているのは、不動産屋が名前だけで山葉圭を男と思い、圭が主人公と同じ屋根の下で暮らすことになるシーンだけです。

 少女マンガの手法を取り入れた少年マンガで柳沢きみお以上に人気を得たのは、柳沢きみおのアシスタントをしていた村生ミオとのことですが、この人のマンガは残念なことに読んだことがありません。

 書名『月とスッポン』
 出版社 秋田書店
 昭和52年1月20日(1巻)〜昭和57年4月10日(23巻)初版発行

2011年1月8日土曜日

ちょっと休憩 カナダ映画『ソナチネ』

 カナダ映画と知らずに観ていて、最初はフランス映画かと思ってしまいました。途中で気づきましたが。

 思春期のふたりの女の子のお話です。

 ストーリーについてはネット上にいろいろ書かれていますので割愛します。
 終わりのほうで次のように書いたプラカードを持ってふたりは地下鉄に乗り込みます。
 「誰かが止めない限り、わたしたちは自殺します」
 でも、薬を飲んで眠るふたりを車内に残し、ストライキに突入した職員たちは持ち場を離れます。車内のふたりを撮して映画は終わります(だったような気がするんですが、20年以上も前に観たので記憶が曖昧です、すみません)。

 ネットの映画評に、ウォークマンに触れているものがあります。しかしそれは単なる道具としてしか触れられていないようです。けれど、ウォークマンとプラカードが象徴するものがこの映画の要のように思えるのです。
 すなわち、アンビヴァレントな少女の心の象徴としてウォークマンとプラカードが出ていると思ったのです。内向的なものを表すウォークマンと、それでも外界とのつながりを持ちたいとの表れのプラカード。
 でも、少女たちはプラカードを持っているだけ、しっかりとイアフォンをして、自分からは外に向かって話しかけようとはしない……。


 それから20年、街をゆく人たちはかなりの人が iPhone などを当然のように聴いています。映画が作られ公開されたのはウォークマン発売から5年後、まだウォークマンに意味があったように思えるのですが……。

 制作年 1984年
 公開年 1986年11月

2011年1月6日木曜日

曽祢まさこの『わたしが死んだ夜』

 サイコドラマとしては傑作の一つだと思います。たった100ページなのに長編を見せられたようなそんなマンガです。

 ストーリーは双子の姉妹の物語なのですが、どちらも勝ち気で互いに相手を憎み合っているというものです。あらすじは以下のページに詳しく載っていました。
http://malon.my.land.to/watasigasindayoru.htm
 これはまたずいぶん詳しくて、あらすじというよりほとんどそのままのストーリーでした。これに7ページの「女の子だねえ 鏡にしっと してるんだよ」とのおばあさまの一言が入れば完璧でしょう。

 曽祢まさこの作品を見たのはこれが最初でした。カヴァー絵は少女マンガそのものでしたがタイトルに惹かれて買ったのでした。で、ぐいぐいと引きずり込まれたのでした。
 読後感は、面白いけど怖いでした。なぜ怖いと思ったのかを考えてみると…

 心の闇を突きつけられたからが大きいのでしょう。双子の姉妹の心の動きを見せられて、自分ならどうするかを考えると、いいえ、考えられないというか、考えることを拒否するような気持ちになるのです、双子の片割れでなくてよかったというような。
 「あなたはきょうから死んだもおなじ (中略) 少女がそのことばで葬ったのはかの女自身の心だった……」と終わる物語。
 でも、それだけにこのマンガは魅力的なのです。ストーリーテラーとして最上の部類に入る人ではないのかと。

 さて、このマンガが描かれてから30年以上経ちました。その後、エバは、「事実を認めて強くなって(中略)クレアの分までしあわせをつかまなくては」とエドウィンに言われたように幸せを掴んだのでしょうか、クレアはまだエバのままなのでしょうか、気になるところです。

 なお、同時収録の『緋色のマドモアゼル』も面白い作品でした。

 曽祢まさこの、このマンガを最初に読んだのは幸いでした。もし、『妖精旅行』を読んでいたら、このマンガも、『幽霊がり』も『不思議の国の千一夜』も読まなかったでしょうから。

 書名『わたしが死んだ夜』
 出版社 講談社
 昭和54年11月5日第1刷発行