2016年6月30日木曜日

山田ミネコの『最終戦争』シリーズから「誕生日がこない」


 表題作は「冬の円盤」の続編です。花とゆめコミックスの『西の22』に収められています。この巻から「最終戦争シリーズ」と副題が付いています。
 「冬の円盤」の七年後、あと二ヶ月で笑(えみ)は16歳になります。そしてその日を、セイヤに再び会える日を心から待ち望んでいる笑です。

 あと2か月で16歳になる笑はセイヤに会うことだけが願いです。けれどまた血を吐いてしまいます。「あなたが来るまで生きていられるかしら?」と不安になるのです。
 それでもいつもと変わらず学校に出かける笑です。次の番長と噂の沢渡が笑に気があるようなのですが、誕生日が待ち遠しい笑には通じません。そんな笑を30年後のおまえを見せてやると、自宅に連れて行って母親を見せます。母親は息子の存在を見えていて無視しています。

 笑は沢渡の前で吐血します。沢渡の父親は医者で沢渡に、笑は肺ガンで1か月持つかどうかと言います。悩む沢渡の前にセイヤが現れて言います、「笑はやさしい、どうすれば人が幸せになるかということばかり思っている」と。
 数日後、待ち伏せていた沢渡に笑は捕まり、逃げようとしますが、倒れて死んでしまいます。セイヤは笑を生き返らせます。そして、沢渡には笑の生き返ったことを忘れさせます。

 セイヤは笑に真砂流が急性白血病で洗面器いっぱいの鼻血を出したこと、今は元気でいることを伝えます。死ぬ運命にある人達だけしかつれていけないことも言います。
 セイヤは、原子分解光線で自殺した者以外は、蘇生措置を施されて冷凍睡眠装置に入れられ、冬眠カプセルが無数に並んでいると言います。「生きている人々のほとんどは過去からやって来た人々ばかり、あなたといっしょに住む家は…もうない」と。「それでも笑 私といっしょに来ますか?」

 「少し散歩してゆきましょう 今日でこの世界は見おさめなのですから」「もう夕方の風ね おかしいわね私幽霊なのね」

 「冬の円盤」と「誕生日がこない」では直接は出てこない未来(セイヤの現在)の、暗い様子が分かるように具体的に描かれています。それでも未来に行くことを選んだ笑の行く末が気になります。
 これほどくらい未来を描いていながら、それでもこの後さらに多くの続編が描かれている、恋愛要素はあるもののそれが主ではない、そんな少女マンガとしては異質のマンガがあったのです。如何に少女マンガの懐が広かったかが分かります。
 このあらすじではほとんど触れませんでしたが、恋の話が底にあって、その流れから沢渡と笑の話につながるのですが、最終戦争とは関係がないので割愛しています。笑の普通の学園生活も出てきています。

 この巻の終わりに1969年から1977年の作品リストが載っています。「冬の円盤」と「誕生日がこない」の間に「遙かなり我が故郷」(『冬の円盤』所収)があります。


 タイトル『誕生日がこない』
 書名『西の22』
 出版社 白泉社 花とゆめコミックス HC-113
 出版年 1978年2月20日 初版発行

2016年6月28日火曜日

山田ミネコの『最終戦争』シリーズから「冬の円盤」


 『最終戦争』シリーズは様々の作品があってどれも面白いのですが、今回は表題作を取り上げます。未来からきた星野(せいや)が、大槻真砂流(まさる)と笑(えみ)の兄妹と出会い真砂流を連れて未来に帰ります。次回に取り上げる「誕生日がこない」は、それから七年後、再び現れた星野が笑と逢うお話です。

 ある冬の日、真砂流と笑が車に乗っていると、笑は空を見て言います。「兄さま円盤よ」「何も見えないじゃないか」このあと兄妹のやりとりがあり、真砂流は思うのです。「(略)どこかへ行って思うさま冒険ができたらどんなにいいだろう…」と。
 急ブレーキがかかって車が止まります。隣の高利貸しのばあさんの乗った車とぶつかりそうになって止まったのです。その時に人と接触します。診察室で、ほとんどたいした怪我のないことを告げられます。診察の時には兄妹と高利貸しのばあさんがいます。
 はねられた人(星野)は、行く当てがないというので真砂流は家にくるように言います。ばあさんに謝る笑に、「あんたはいい子だね」と頭を撫でます。
 家に帰ると継母の比沙絵と真砂流が衝突します。父親は会社の社長で、ほとんど家にいません。

 星野は警官(パトロール)であることを真砂流に言います。真砂流は星野に比沙絵と秘書の真崎との逢瀬を覗かせます。父に知られずに継母を追い出したいと考える真砂流、そんな真砂流に「あなたは父上を愛しておられる」と星野は言います。亡き母の思い出を話す笑に、「あなたは幸せですね」と言う星野、星野には家のないことに気づき、「あなたかわいそう」と笑。

 手に手を取って(?)逃げようとする比沙絵と真崎、最後の仕上げとばかり会社に行きます。後を付ける真砂流と星野ですが、さらに後を付けてきた笑が積んである荷物に躓き音を立ててしまいます。二人に気づかれて、真崎を取り押さえようとする真砂流ですが、背後から比沙絵が大きな花瓶を振り上げます。星野が投げた小さな箱が比沙絵の額に当たり、比沙絵はバランスを崩し積み上げてある荷物にぶつかり、荷物が崩れて比沙絵の上に落ちてきます。慌てて原子分解光線(この名前は「誕生日がこない」まで出てきません)銃で荷物を撃つ比沙絵ですが、星野はこの時を待っていたのです。
 「本当に愛されてみたかった」と言う比沙絵ですが、「本当に愛されるには自分がまず愛さねばならない」と星野は言います。比沙絵に原子分解光線銃を向ける星野ですが、兄妹はそれを止めようとします。「好きじゃなきゃ結婚なんかするわけない」との真砂流の言葉に驚き微笑み涙する比沙絵、そして原子分解光線銃を自分に向けて撃つのです。

 星野は円盤を二人に見せて、時間飛行機(タイムマシン)だと言います。そして次のように言います。「私たちの世界は病んでいるんです」 以下四ページに渡って未来の世界(星野にとっての現実世界)の話が続きます。「人間は未来に希望を持つことをやめてしまったのです」「勇気のある人をさがしもとめている(中略)いっしょに来て下さい」と。それに対して真砂流は父親を一人ぽっちにはできないと言います。

 家に帰ると、事業に失敗した父親は自殺しています。葬儀の席で親戚達は兄妹の押し付け合いをします。そこに隣の金貸しのばあさんが来て、笑を引き取ると言います。立腹した真砂流は「クソババアの世話なんかになるもんか」「人の親切のわからんやつはとっととどこへでもおゆき!」とばあさんとのやり取りの後、星野のところに行きます。後を追って笑もやって来ますが、星野は言います。「16歳になったらきっとむかえにきます」と。
 円盤が去った後で、ばあさんが来て泣いている笑を慰めて家に帰るシーンで終わっています。この場面はセリフはありません。

 以上、ストーリーの紹介が長くなってしまいました。
 さて、気づいたことを少し。

 この作品は「最終戦争」シリーズの実質的な最初のものです。この時に作者がどの程度に作品群の構想を考えていたのかわからないのですが、以降の作品の基礎はしっかりと描かれています。「最終戦争」後の希望を失ってしまった人間はここでは星野の話の中にしか出てきませんが、それが決して明るいものではないのは分かります。だからこそ過去に来て、未来を開けそうな人を捜しているのです。
 ストーリーはシリアスなのに、画面にはときどきわけのわからないネコが出てきます。このネコには名前があったはずなのに忘れました(ヨロネコと云う名前?)。また作者の自画像のウサギも顔を出しています。このネコとウサギはシリアスな画面にもさりげなく小さくではありますが出てきています。手塚治虫のヒョウタンツギのようなものかと思いましたが、違うようです。手塚はシリアスな場面にヒョウタンツギやブクユツギを出すことで、ある種の息抜きのようなことをさせているのに対して、山田ミネコのネコやウサギはストーリーを遮ることなく出てくるのです。
 バックに花のとんでいる場面が四箇所あるのですが、その最初のシーンで場違いのところで花がとんでいます。ロクでもない花でキョーシュクでありますとの小さな手書きの文字があります。

 二台の車が出てくる場面で気づいたことがあります。一台はフェンダーミラー(ボンネットにバックミラーがある)で、もう一台がドアミラーなのです。でも、wikipedia で確認すると日本でドアミラーが認められたのは1983年とあります。ひょっとして輸入車を違法に改造したのかななど本筋に関係ない事を思ってみました。


 書名『冬の円盤』 HC-87
 出版社 白泉社 花とゆめコミックス
 出版年 1977年5月20日 初版発行