2014年12月5日金曜日

KEITH(増田早苗)の『オマドーン』


 KEITHのマンガは『オマドーン』、『ラグナロクは来ない』、『シュラーナ』の三冊しか出ていません。また、Wikipedia にも著者の項目はありませんでした。ネットで評価を探しても、「佐藤知一の気まぐれ批評集」(http://www2.odn.ne.jp/scheduling/Recomic.htm)の『ラグナロクは来ない』の評に「うーむ。この人って、絵はうまい絵かきだけれど、マンガ家ではないんだよねえ、やはり。」の一行。また、SAYS SO? というページの一つ(http://www.asahi-net.or.jp/~qq4f-szk/oldtexts/keith.htm)に単行本書誌があり、そこにも「本人必死になって少女漫画したつもりだが地は隠せず、リュウより再デビュー。」とあります。

 さんざんな評価なのですが、『ラグナロクは来ない』を読み返してみると、なるほどなぁと思います。著者の中ではお話ができていてそれを描いているのでしょうけれど、読者にはそれが伝わってこないのです。ストーリーテラーとしてはどうにも具合が悪いのです。何度か読み返して、こういう事かなと思うのですが、それでいいのかと考えてしまいます。

 増田早苗名義で描いた「ふぉーるんえんじぇる」や「水辺のスケッチ」の方が好きです。このすっとぼけた方向を貫いていけば、ストーリー性のあるギャグマンガとして成功したのではないのかなぁと思えるのです。SAY SO? のかたとは逆の方向ですが。

 と云うことで、この作品を見ていくことにします。

 まずは「ふぉーるんえんじぇる」ですが、未来からのメッセージに従って、タイムマシンに乗って2000年前に医薬品を届けることを命ぜられる若い男モリオ・イセキが主人公です。このほかの登場人物は、ジェスと云う女衒のような若い男と、ジェスが売ろうとしている12歳の少女アイリーアです。この組み合わせでシリアスではなく、ギャグに仕立て上げるのはすごいと思います。最後の齣では2000年前に行ってしまったジェスが、十字架の上で「あんまりだ―」と叫んでいます。そして以下の説明文が。「彼の名は ジェス--- イエス・キリスト」

 「水辺のスケッチ」は、設定が少し違いますが、モリオとアイリーアが出てきます。タイムマシンで6500万年前に行き、アイリーアは恐竜の母親から赤ちゃん恐竜を託されます。小さかった赤ちゃんも大きくなり、立派な恐竜になりますが、相変わらずアイリーアとは仲がよく、一緒に大好きな野球をしたりしています。恐竜は外部からの侵入者のせいで凶暴化するのですが、進化促進剤を飲まされて、トカゲになり知能を得てこれ以上の迷惑はかけられないと、海に入って姿を消してしまいます。これは海から現れるゴジラの逆を行っているわけです。ストーリーだけだと笑いの要素がないようなのですが、随所に笑いが入っています。

 また、二作品ともタイムトラベルものなのですが、トラベラーはいずれも時間旅行をしたくてしたわけではないのです。後者はギャグマンガではないのかもしれません、けれど終わり方を見るとやっぱりギャグかなあと。

 『オマドーン』の後書きにはいろいろと面白いことが書いてあります。結局三冊で終わったと云うことは、絵がうまくてもマンガ家にはなれないという現実があったのでしょうか。


 書名『オマドーン』
 出版社 東京三世社
 1984年11月10日 初版発行

 書名『ラグナロクは来ない』 大陸書房 昭和62年4月12日初版発行
 書名『シュラーナ』 大陸書房 昭和62年5月11日初版発行


 今日から五年目になります。この一年は五つしか書いていませんでした。それでも読んでくださる方がいらっしゃる限りは細々とでも書き続けていこうと思います。マンガについてはもっと書けそうなので。

2014年9月7日日曜日

小田空の『空くんの手紙』


 2000年代は中国紀行マンガを描いている作者ですが、1980年代は紛れもなく少女マンガ家でした。
 「非公式ファンサイト 小田空 いかがですか」http://www.geocities.jp/kongzimi/ にいろいろと書いてあります。また、「空くんの手紙」については「視聴読のくじら時間」http://sagicojikan.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_08cf.html に載っています。さらには http://yaplog.jp/ladygoround/archive/244 にもにもあります。wikipedia には「空くんの手紙」の項目があります。そこにはレギュラーとして空くん、うさぎそしてゴジラの三人が、準レギュラーとしてうそつき虫、チップチップそれに料理長が書かれています。不思議なことにまれにゃんことまれすけは入っていませんが。

 メルヒェンマンガなのだろうとは思うのですが、なかなか深いことも描いてあります。登場人物のおとな(空くんから見ての大人です、)は二種類に分かれています。料理長はどう見てもこの世界の人です。なにしろまぼろしの味を味わうために小さくなっているのですから。3巻の「雨の日の訪問者」の先生はうさぎの策略に引っかかってしまいます。実質的な最終回に登場する新聞のお兄さんだけがもうひとつのおとなです。

 ゴジラ(もちろん、あのゴジラではありません、うさぎがそう呼んだから付いた名前です)の登場する七番目からはお話がかなり変わってきます。掲載誌の「りぼん」にはこちらのほうが合っているのかもしれません。

 それではマンガを少し見てみましょう。

 最初の二話は八ページのマンガで、この頃は長期連載になるとは考えてなかったようです。最初は丘に立つ扉を開けてやって来た男の子のお話、次がうさぎの親切で、これからの物語の基本になっているようです。

 その次が「あめあがり風景の巻」です。空くんとうさぎは森の中で男の子に会います。その頃から雨が降り始めます。三人で家に帰り雨が上がるまでまで遊ぶことにしますが、数日経っても雨はやみません。男の子が触れた花が枯れたことから、男の子は悪魔なことがわかります。男の子を突き放す空くん、男の子は裏の森の方へと走り去りますが、古井戸に落ちてしまい、なんとか枯れた蔓につかまっています。
 空くんは手を伸ばして助け上げようとしますが……以下がその時の二人のやりとりです。「ぼくなんかにさわったら君に不幸が……」「でもぼくが手を離したら君が死んじゃう その方がもっと不幸だ 君にふれるから不幸になるんじゃない 君をつきはなすから不幸になるんだ」
 この後で雨が上がり、初めて太陽を目にする悪魔、そして長い空くんの独白で物語は終わります。その中の「1回彼をつきはなした分だけぼくの方が本当の悪魔じゃないかって気がするんです………」には考えさせられます。

 「コスモス咲かないでの巻」では、季節の移り変わりをセミの鳴き声を使って寂しく描いています。

 「評論家ワトソン先生についての考察の巻」では真実についていろいろと描かれています。空くんの次の言葉は大事なことです。「かたよった情報はそれじたいがほんとうのことだったとしても真実とはいえない 冷静にききわけないと情報の奴隷になっちゃうよ」
 一面からしか見ないとたとえそれが本当だとしても、別の本当のことを見落としてしまうことへの警鐘でしょう。でも、複数の視点から物事を見るのはなんと難しいことでしょう。似たような場面はシェークスピアの戯曲にもあるとか。

 「新聞の日の巻」は、おとなになることについての空くんの葛藤が描かれています。
 ある日、新聞を持ったお兄さんがやってきます。彼の目にはうさぎやゴジラは映っていません。空くんを相手に新聞を押しつけます。
 「イツマデモ夢ノ世界デ遊ンデラレヤシマセンカラ…」と言われたのを思いつつ新聞から目を上げると、部屋の中には誰もいません。外に遊びに出たのかと、捜しに出ると、今日の新聞を持った新聞のお兄さんに会います。「きみはひとりですんでいるんだろ?」と彼に言われます。
 次のページには黒い背景の黒い丘に座り込む空くんがいます。
「うたがうことがおとなじゃない 夢を夢だとわりきることがおとなじゃない」「これじゃぼくはひとりぽっちだ」
 願いをこめて新聞紙で飛行機を折り、飛ばしてみると……現れた皆を涙で抱きしめる空くん。「どうせいつかはおとなになるんなら(中略)踏まれるタンポポの痛みがわかるようなそんなおとなになりたいです」

 どのように終わるかが気になるマンガなのですが、こんな終わり方もあるのだなあと思ったものでした。
 ナルニア国物語では、長女が、成長とともにナルニアのことを忘れる場面があったように記憶しています。作者はそれを知っていてこのような終わり方にしたのかなあとも思うのですが。


 書名『空くんの手紙』1~4巻
 出版社 集英社 RIBON MASCOT COMICS 194, 232, 277, 321
 1巻 1981年1月19日 第1刷発行 1983年2月15日 第8刷が手元のもの
 2巻 1982年5月19日 第1刷発行 1983年2月15日 第3刷が手元のもの
 3巻 1983年10月19日 第1刷発行
 4巻 1985年1月19日 第1刷発行

 発行年から見ると1~3巻をまとめて買ったようです。

 SHUEISHA GIRLS COMICS として1, 2 巻となって1992年2月10日、3月10日に発行されています。また、集英社漫画文庫として2000年にも出版されているようです。

2014年3月11日火曜日

地震から三年


 東日本大震災から三年になります。わたしの方は三年経ったのかとの思いですが、三年前から時が止まったままのかたもいらっしゃることでしょう。三年が長いのか、短いのかは人それぞれと思いますが、それでも時は過ぎていきます。

 瓦礫処理はあらかた終わったとのことですが、復旧はしても復興にはほど遠いのが実情です。災害公営住宅はほとんどが設計着手段階のようです。工事完了が100%なのは栗原市と美里町だけで、いずれも内陸です。津波被害のあったところで工事完了が多いのは山元町ですが、それでも17%にしか過ぎません。しかもこの町は人口が二割も減っているのです。工事完了は宮城県全体では3%とのことです。

 犠牲者数は地震と津波による直接の犠牲者に加えて、震災関連死による犠牲者も増えています。福島県では関連死の数が直接の死者を上回ったとのことです。これは原発の影響もあるようです。

 その原発ですが、今もって収束の様子は見えません。地下水は一日に400トン増えています。メルトダウンした燃料の様子もわかっていません。
 それでも夜ノ森公園の桜は今年も咲き、夜ノ森駅構内のツツジも咲くことでしょう。どちらも以前にその時季に見に行ったものです。

 4月6日に三陸鉄道が全線復旧するというのが明るいニュースです。

 10日の安倍首相の記者会見では、「復興は道半ば」と言っていましたが、その言葉を被災者の前で言えるのでしょうか。どうみても復興のスタートラインに付いたところではないでしょうか。


 仙台は三年前を思わせるように、午前中は雪が舞っていました。

2014年2月12日水曜日

青木庸の『ドラキュラ伯爵』シリーズ


 青木庸は、朝日ソノラマのサンコミックス・ストロベリー・シリーズからは三冊のマンガが出ています。『マンハッタンの姫君』は読んでいませんが、『ドラキュラ伯爵夏の休日』と『ハーディ・ガーディ・マン』は読みました。
 今回取り上げるのは『ドラキュラ伯爵夏の休日』に載っている四編からなるシリーズです。タイトルからは怪奇もののようですが、コメディーです。

 四編のタイトルとページ数は以下の通りです。
 ドラキュラ伯爵夏の休日 20ページ
 ドラキュラ伯爵春の訪問者 32ページ
 ドラキュラ伯爵ものおもいの秋 16ページ
 ドラキュラ伯爵スーパースター 32ページ

 『ものおもいの秋』以外は、主な登場人物はドラキュラ伯爵と僕(しもべ)の吸血鬼ハーリ、ハイミスの相沢みやこ(27歳でこの頃はハイミスと云われていたのがわかります。平成23年度の平均初婚年齢は妻が29.0歳となっています)、従弟の梅沢梅二郎(夏の休日には登場しません)です。
 以下にあらすじを書きます。

 『夏の休日』は、トランシルバニアから、美女がわんさかいるという夏の軽井沢にドラキュラがやってきます。ヨーロッパでは知られすぎて獲物が少なくなったからです。道を歩く美女の群に心ときめかせ、明日から食事だと張り切るドラキュラです。隣同士の建物になったみやことドラキュラですがその思いはすれ違っています。「チャンス!今年の夏のターゲットは決まり!」「メインストリートの若い娘たちにはちと劣るな このテは無視するに限る」と云う二人の内心の声です。
 弁当を作って張り切るみやこですが、ハイミスの友達が来ることになり、計画がパーになります。しかし兄の子供四人をしっかりとドラキュラに押しつけます。ドラキュラは子供に振りまわされて、教会の前に連れて行かれたりとさんざんな目に遭わされます。
 数日経って、ようやく気を取り直し、美女はあきらめ手近なところからと考えるのですが、みやこを襲おうとした痴漢を退治します。子供達にもすっかりと懐かれ、食事も摂らずに帰国します。
 最後の齣のみやこさんには笑わせてもらいました。
 日本に来る前に、一ページ目でドラキュラはしっかりと日本語の勉強をしているのでした。

 『春の訪問者』は、ドラキュラツアーでトランシルバニアにやって来たみやこと梅二郎それに老夫婦は、オプショナルツアーを蹴ってまでして山の中にやって来ます。そして無事に(?)ドラキュラの城に辿り着きます。色々とドタバタがありますが、みやこはドラキュラを人間と思っています。しかしおばあさんには吸血鬼と指摘され、翌日には急用ができたと、城を去るドラキュラです。
 そしてこれもまた最後の齣でしっかりとコメディーなのでした。

 『スーパースター』ではもう一組の吸血鬼の親子が登場します。息子は自家用ジェット機で世界を飛び回る音楽家で、父親はそのマネージャーです。
 日本公演の楽屋に入り込んだみやこと梅二郎は、息子が吸血鬼なのを目撃してしまいます。そのために攫われて自家用ジェット機でトランシルバニアまで連れて行かれます。
 飛行機事故に見せかけて、親子はふたりを殺そうとするのですが、そこはコメディー、パラシュートで脱出しようとする親子にしがみついてふたりは無事に地上へ。そこは、ドラキュラの城で、みやこはみたびドラキュラと会い、ドラキュラの正体を知ります。
 力を合わせて親子を撃退し(追い返すだけです)、これで晴れてドラキュラの花嫁になれると期待に胸膨らませるみやこですが、気がつくと日本に送還されています。
 最後のページのドラキュラの思いと「スーパースター」の称号にニヤリとするギャップはなかなかのものです。

 このマンガの面白さは、シリアスを決め込もうとするドラキュラと、それに気づかないみやことのギャップにあり、笑いを誘うのでしょう。みやこがドラキュラの正体に気づいてからは笑いの要素はなくなります。
 このギャップをうまく使っているからこそのマンガです。互いにシリアス劇を演じているつもりなのに、それが見事にすれ違っているからこその喜劇とでもいえるでしょう。

 『ものおもいの秋』は、南仏でのドラキュラの思い出の一コマです。

 『ドラキュラ』シリーズの後に載っているマンガは『首』というタイトルの、人形の首をめぐってのきわめてシリアスなマンガです。『ドラキュラ』とは趣が異なります。


 書名『ドラキュラ伯爵夏の休日』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス・ストロベリー・シリーズ 704
 昭和57年9月28日 初版発行