2010年12月28日火曜日

すえつぐなおとの『ゆるして!!ねえちゃん』

 このマンガは表紙を見て、ギャグマンガも悪くはないかなぁと買ったものです。タイトルもそれらしいし、と。

 一話目と二話目以降では登場人物の顔が違います。二話以降の方が安心してみられます。一話ではどこかで見たような顔なのですが、二話からは個性的な顔になっています。でも絵のことはよくわからないのでこれくらいにします。
 ギャグマンガには珍しく時間は普通に流れます。最後にはモモねえちゃんは高校生になって終わっています。はじめは確かにギャグマンガなのです。笑いあり、たまには涙(?)あり、そしてボクちゃんがモモねえちゃんに一矢報いるシーンありなのです。
 たとえば、「ひとの虫歯は痛くない!」では、虫歯になったボクちゃんを歯医者に連れて行くモモが、なんとか歯医者にボクちゃんの歯の治療をさせて、うちに帰ってきます、そして今日のおやつはせんべいだといっておやつを独り占め、じつはマシュマロだったとのオチ。
 また、「ボクちゃん、殊勲賞!」では、野球をやっているところにきたモモが、無理矢理バッターになり三振してももう一度打たせろと無理を言います、ピッチャーを引き受けたボクちゃんが、みごと一球でモモをのばして仲間から胴上げされるのです。

 ところが、モモが中学三年生になったところからマンガががらりと変わるのです。ところどころギャグは残っているものの恋愛マンガになるのです、それもほのぼの恋愛マンガに。可愛くんという同級生が登場して、モモの恋人になり、高校一年の夏休みでマンガは終わります。
 もちろんギャグはちゃんと残っています。「ジョギングできたえよう!」「ふたりの写真撮って!」はギャグマンガです。でも、それは薬味のようなものでしかないように思えるのです。えっ、このふたつは連続して載ってるよ、というのは置いておいてください。

 ギャグマンガで始まったのにシリアスマンガで終わるというのは珍しくないことです。たとえば、ここで例に挙げるとたたかれそうですが、『めぞん一刻』は始まりはどう見てもギャグマンガではないでしょうか。

 なるほどこんなマンガもあるのか、悪くはないなあと思ったのですが、すえつぐなおとはこの一作で消えてしまいます。そんなに評判がよかったわけではなさそうでした。
 でも、なにが幸いするかわからないものですねえ、ここで少女マンガ家として成功していたら、のちに流行語にまでなった『オバタリアン』にお目にかかることはなかったわけですから。

 書名 『ゆるして!!ねえちゃん』
 出版社 創美社
 1980年11月30日第1刷発行

(参考)
 オバタリアン 竹書房 昭和63年7月20日初版発行

2010年12月13日月曜日

竹宮恵子の『ジルベスターの星から』

 このマンガについてはネットで検索するといろいろなマンガ評が出てきます。屋上屋を架すことになりますが、それでもこの作品は、はずすことができません。
 遠い未来、人類はワープ航法を知り、三万光年離れたトルメリウスCD五太陽系第七惑星ジルベスターにも植民をします。そのジルベスターからテレパシー映像で主人公トニオに語りかけてくるジル。
 ジルに、『地球(テラ)は今美しい?』と訊かれてぎくっとする主人公。さらに『空は!? 空は見える!?』と訊かれて『ここは地下都市だもん』と答えざるを得ないトニオ。
 紆余曲折がありながら、宇宙飛行士になり、すぐにもジルベスターに飛んでいきたいトニオ。しかし美しく若い女性科学者ヴェガの説得で天王星への調査に向かいますが、数ヶ月後にジルベスターへの移民が失敗したとの知らせが入ります。

 それから二年後、すべてから手を引き単身ジルベスターに向かうトニオ。そこに待っていたのは、枯渇しきった灰色の大地…、そして現れたジルの幻影は、緑ではないジルベスターの現実を知り、消え去ります。
 そのあとコンピューターから吐き出されたジルの日記を読み、ジルの真実、心情を知るのです。そして白いプラネット合金の墓碑に刻まれたリルケの詩
 『だれがわたしにいえるだろう
  わたしのいのちが
  どこへまで届くかを?』

 これで話が終わっても何の不思議もないのですが、でもジルベスターの荒廃したありさまだけではこれほど印象に残らなかったはずです。このマンガが見るものを引きつけてやまないのは、最後の一ページがあるからではないでしょうか。

 最後のページでヴェガは三万光年を超えてジルのもとへと向かってくるのです! ジルベスターの現実を知りながら、いいえ、知っているからこそ来るのです。『わたしは、なん人なん人も、あなたにジルを、あげようと、決心しました (中略) ひとりがだめなら、そのつぎのジルを たくさん、たくさん、ジルの兄弟を、つくりましょう……』

 実はこの最後の一ページを描きたくてこの物語を作ったのではないのか、それほど衝撃的でした。この最後のページは男には描けないのではないかと思わされたものでした。

 書名 『ジルベスターの星から』
 出版社 朝日ソノラマ
 昭和51年6月30日初版発行

 マンガ少年別冊 地球へ… 第一部総集編(昭和52年9月1日発行) 171ページ以降にもあります


 (蛇足)
 さて、このマンガでは男が他の星に行ってしまったのを女が後を追うという構図になっています。それから26年経って、『ふたつのスピカ』では、男女問わず宇宙に出ようとします。そして『ほしのこえ』では地球に残るのが男になるのです。

2010年12月7日火曜日

やぶうち優の『水色時代』

 『「青春」というにはまだ早い、青に染まる途中ということで「水色」のとき』という出だしで始まる『水色時代』、小学校編が三話、中学校編が32話からなる比較的長い物語。

 第一話を読んだときに、女の子の物語だからこんな始まり方なのかなあと思いました。これがメインのお話はどこかで読んだなあと思い、ちょっと考えました。吉田としの『あした真奈は』でした(1963年に少女フレンドに連載された読み物で同年に東都書房から、1977年に朝日ソノラマから文庫で出ていました。ネットは便利ですね、いつ出た本かがすぐにわかりますから)。少女フレンドに載ったときには問題作として話題になったようです。
 それから30年近くたち、似たようなテーマもどうということもなくなったようです。けれど、この第一話があったからこの長い物語を読もうという気になったのです。でも、このブログを書くために引っ張り出してみたら、みごとに中学時代のことが記憶から抜けていたのでした。それだけ印象に残る始まり方だったようです。

 ということで、本当に申し訳ないのですが、もう一度時間を見つけて読み返してから改めて書こうと思います。

 書名 『水色時代』第一巻
 出版社 小学館
 1991年12月20日初版発行

2010年12月5日日曜日

最初は伊東愛子の『たんたんたかゆき』

 今の少女マンガを見慣れた人が見たら、つまらないと思うかもしれないけど、味わい深いマンガだと思います。
 三歳の甥っ子の日常を描いたマンガで、事件が起こることもない、どこにでもある一コマ一コマ、もちろんそれだけではマンガになりません。その甥を眺める作者の心理が実によいのです。

 『大人が子供と同じエネルギーで走りまわったら死んでしまうそうだよ』と母親からいわれより大きなこたえに気づく著者。
 それは『おとなになったなら…』『からだでは走れなくなるけれど』『よりたしかな未来へと夢を追って』『心で走るようになる』ということでした。
 これを読んだときの驚き、それはまだ若かったころは、心で走るのは若さの特権だと思っていたのが、こんなにも見事にひっくり返されたことによるものでした。

 それからだいぶすぎて、旧ソ連の女流画家(名前を忘れてしまいました)の展覧会が県立美術館であったときに観に行ったのですが、若いころの絵は暗いのが多かったのだけど、晩年の絵を観てあっと思いました。明るい絵だったのです、まさに未来を見るような。
 そのときこのマンガを思い出したのです。そうか、こういう事なのかと。

 このマンガは昭和51年1月号に掲載されていますので、マンガに出てくるオイルショックは1973年のものですね、トイレットペーパーが店先から消えたという。

 書名『たんたんたかゆき』
 出版社 朝日ソノラマ
 昭和54年3月5日初版発行
 
 

はじめまして


'70年代から '90年代にかけての印象に残っているマンガについて少し書いてみたくこのようなタイトルにしました。おもに '80年代になるかとは思いますが。
'70年代といえば少女マンガでは花の24年組が頭角を現した時期であり、少年マンガでは週刊少年ジャンプやチャンピオンが一時代を築いたように記憶しています。
でも、リアルタイムで見ていたマンガは多くはなくてサンリオの『リリカ』と小学館で出していた『プチフラワー』ぐらいでした。それ以外は単行本になってから見ていました。そのマンガもずいぶんと偏りがあり、とても(少女)マンガファンと呼べるようなものではありませんでした。それでもあの頃のマンガを思い出すとなんとなくほっとするのです。
萩尾望都の『ポーの一族』に引き込まれ、山岸凉子の『アラベスク』『日出処の天子』にどきどきしたものです。また、樹村みのりの『菜の花畑』シリーズにも心惹かれました。残念なことにいわゆるロマコメは見ていません、くらもちふさこや岩館真理子は名前しか知りませんでした。

そんなとてもマンガファンともいえないのですが、心に残っているマンガについてあれこれ書いていきたいと思っています。