2013年12月30日月曜日

星野めみの『きこえますか愛!』


 書店でマンガを立ち読みすることは今はほとんどできません。広告のために冊子で20ページほどのものが置いてあって、それは読めます。そんなものの一つに『聲の形』がありました。それをぱらぱらとめくっていると、手話が出てきました。
 その時に思い出したのが、標題のマンガです。たぶん手話の出てくるマンガでは一番古いはずです。でも、内容はほとんど忘れていました。捜してみたら、ありましたので、このマンガについて少し書いてみます。

 以下にあらすじを記します。

 きこえますか 愛 ボクの声が きこえますか
 はい きこえます あなたの 愛が きこえます

 この書き出しから物語が始まります。
 主人公の生田愛は女子校のコーラス部の二年生です。夏期合宿で軽井沢に来ています。あこがれのコーラス部の中河保先生の郷里の町で、五年前までは愛の住んでいた町です。
 休憩時間に神社に出かけた愛は、そこで五年前の運命の人に出会います。その人は中河元樹と云い、先生の弟で聾唖者でした。愛は元樹と友達になります。
 種々のいきさつから手話のコーラスをやることになります。

 愛は元樹の家で見た写真で、五年前の運命の人は実は保だったことを知りますが、先生と話してもちっともときめかない愛です。
 約束の場所にずうっと遅れて行った愛の目にしたものは……、車道に飛び出した愛を追いかけた元樹は車にはねられます。幸い怪我は一週間程度の安静で済みますが、そのことで婚約者を名乗る元樹のいとこに責められる愛です。
 手話を交えたコーラスは成功の裡に終わりますが、合宿途中で逃げるように帰る愛です。後を追って元樹は駅に急ぎます。

 きこえますか 愛 ボクの声が きこえますか
 はい きこえます あなたの 愛が きこえます 一生あなたの そばに います…


 このマンガは昭和53(1978)年に描かれたものです。Wikipedia(障害を扱った作品の一覧) を見るとさすがに『聲の形』はまだありませんが、聴覚障害を扱った漫画の中では一番古いものでした。
 なお聴覚障碍者のかたの作っている「マンガの中の聴覚障害者」(http://www001.upp.so-net.ne.jp/wakan/index.html#handsign)にもこのマンガは取り上げられて、「最初の手話コーラスマンガ」とのタイトルが付いたページにあります。
 (http://www001.upp.so-net.ne.jp/wakan/HandSign/Kikoemasuka.html)
 そこにはいくつかの不満も書いてあり、なるほどと思わされます。

 このマンガのストーリーが記憶に残っていなかったのは、手話を除くとあまりにも陳腐すぎたせいかもしれません。典型的なロマコメですから。
 それでもこの本を買ったのは、手話が出てくる「最初のマンガ」に惹かれたからなのでしょう。


 書名『きこえますか愛!』
 出版社 集英社 集英社漫画文庫 152
 昭和55年12月25日 第1刷発行 手元にあるのは昭和57年8月25日 第7刷です。



 今年(2013年)は聾唖者の国際スポーツ大会デフリンピックがブルガリアのソフィアで開催されました。

2013年12月5日木曜日

柴田昌弘の『成層圏のローレライ』と『赤い仔猫は笑わない』


 この人は「ブルーソネット」を含む『紅い牙』シリーズが真っ先に思い浮かびます。ここでは別の作品を取り上げます。

 この二作品は同じテーマの連作です。成層圏を飛ぶ飛行機の外から女の声が、歌うような声が聞こえ、それを聞いたものは気を失うと云う、ドイツのローレライの伝説のようなことが大空で起こります。
 『成層圏のローレライ』では知らずにそこに飛び込んでしまった旅客機が、『赤い仔猫は笑わない』では、わざとそこに飛び込んだ旅客機が舞台になります。

 『成層圏のローレライ』は、持病の発作で気を失いローレライの歌声を聞かなかったスチュワーデスが、分離手術を受けた耳の聞こえないシャムの双子の少年と力を合わせ、地上のパイロットの望月ともう一人の双子と協力して飛行機を無事に着陸させるというものです。双子は互いの状態をテレパシーで知っています。望月は同型機のコクピットからスチュワーデスに指示を送ります。躊躇うスチュワーデスに言う次のセリフにはぐっと来ます。「きみだけが295人の命を救えるんだ」

 『赤い仔猫は笑わない』では、水爆を仕掛けられ、催眠術にかけられたスチュワーデスに乗っ取られた旅客機が舞台です。機長に殴られて気絶する望月を乗せ飛行機はローレライの領域に飛び込み、全員が気を失います。目覚めた望月は飛行機を操縦し、日本へと向かうのですが……。ここではネタバラシはしませんので、悪しからず。

 このふたつのマンガは少年誌に載っても何の違和感もありません。むしろ少年マンガと言ってもいいのかもしれません。80年代前半にはこのようなマンガさえ包み込むほどに少女マンガの懐は広かったのでしょう。舞台が飛行機というのは、珍しくないのかもしれません。スチュワーデスの物語はたくさんあります。このマンガも恋愛マンガの範疇に入るのかもしれませんが、他のマンガと一線を画しているのは、主役があくまでもローレライだからではないでしょうか。大空にはまだ禁断の空域があるのかもしれませんね。

 作者はこのあと、『紅い牙』シリーズの「ブルーソネット」を描き、少年誌に舞台を移し、最後は青年マンガを描いています。2009年以降はマンガは描いていないようです。


 書名『成層圏のローレライ』
 出版社 白泉社 花とゆめCOMICS 262
 1981年5月25日 初版発行

 今日から四年目になります。最近はあまり書かなくなりましたが、それでも読んでくださる方がいらっしゃる限りは細々とでも書き続けていこうと思います。

 昨日が東日本大震災からちょうど1000日でした。被災者の声の中には、「まだ復旧さえしていない」と言うのが印象に残っています。いつになったら傷痕が癒されるのでしょうか。

2013年10月20日日曜日

水樹和佳の『月子の不思議』


 この人は短編では『樹魔・伝説』、長編では『イティハーサ』が思い浮かびます。『樹魔・伝説』は発表当時から話題になった作品です。『月子の不思議』はそれから五年後の作品です。
 『樹魔・伝説』の遠景には1972年12月に終了となった「アポロ計画」(Wikipedia によるとその後のこともあったようですが)があるように思えます。ローマクラブが「成長の限界」を発表したのも同じ1972年でした。地球温暖化と沙漠化が話題になったのがいつのことかはわかりません。
 月の次は火星かと云われた熱狂も醒めて、七年後に描かれたのが『樹魔』です。

 さて、『月子の不思議』ですが、舞台は2020年代の初めです。

 あらすじをと思ったのですが、どうにもうまく書けません。そこでネットからの引用になりますが、以下を…。

 まずは http://onlyfavorite.seesaa.net/article/67652037.html から。
 「月子の不思議」は、「月子」という(月で出産することはご法度なのに密かに)月で生まれた少女を主人公として、地球環境に馴染むことのできない彼女がいかに地球と和合するか、というお話(強引)です。水樹和佳は、月の無機質と有機的地球をバランスとアンバランスという概念でとらえ、地球で生きるにはアンバランスを素直に受け入れることだと諭しています。

 次に http://blog.livedoor.jp/heavyduty060603/archives/51778300.html から。
砂漠を緑化する『緑の夢(植樹)計画』を推進する‥2001年生まれの伊藤理比等の日常は砂漠にある。そんな理比等が人並みに故郷.TOKYOに戻った年末。PSI(超常現象)能力者の友人が不良にカラまれていた女の子を助けた。負傷しつつ不良を追い払ったのに、件の女の子は『100mの高さから飛び降りても受け止めてくれる?』─と助け手を拒絶した。
(中略)彼女のネックレスに見つけた名前は『月子』。‥理比等の持つ'父の記憶'の中に刻まれた‥月で産まれた子供の名前。月での受胎は禁止事項だった為、彼女の存在は隠蔽され‥月で生まれた子供は「月子」だだ一人。


 サイ(超常現象・PSI)パワーがほぼ常識になっている世界です。主人公の伊藤理比等はサイ体験がありません。仕事は砂漠の緑化ですが、それなりの苦労はあるようです。

 飛行機事故で砂漠に落ちる月子と理比等、月子は無事ですが、理比等は重傷を負ってしまいます。理比等を助けようと必死の月子ですが、手の施しようがありません。そこに二人を取り囲むように樹の幽霊が現れます。同調する力も失った理比等に、月子は樹の霊を橋渡ししてやります。これが月子が地球のアンバランスを受けいれるシーンになるわけです。それが「地球は月とは違うバランスを捜しているのよ だってこんな砂漠でさえ夢見てる」との月子の言葉になるわけなのです。
 そして最後のページの理比等の思いにつながるのです。
 「せめて二人できれいなバランスを夢見よう」

 以前に取り上げた筒井百々子の『たんぽぽクレーター』は、冬になった地球を救えるものがいるとすれば……で終わっています。この話では、たんぽぽクレーターの子供達全員がダグの夢を見ること以外は不思議なことはありません。それでもそのことが話全体の鍵になっているわけです。
 一方、『月子の不思議』では、PSI が不思議ではなく、体験のない理比等が最後に不思議を体験することが鍵になっています。この話の進め方には疑問を感じます。どのように話を進めるかはわかりませんが、普通の暮らしの中で、最後に月子を通して不思議が起こった方がよかったのではないかと思うのです。

 J.O.D.E.E. と云うホームページに以下のように書かれています。
(http://www.interq.or.jp/neptune/namiheij/Books/comic00/c0025.html)
 この作品、ちょっと不思議な感じがするのだが、それは男女の役割が交替(フィクションの中の人物造形として、ね)しているからか?
 何となくのイメージだが、自分の中のバランスにしがみついて周囲との交流を拒絶する月子の行動原理は、わりと男性的なもののような気が……。対する理比等(りひと)は樹の精神と結びつき、調和を導く存在として描かれている。これが何となく「母型的」に感じられてしまった。
 「リヒト」はドイツ語で「光」のこと。あ、そうか、「太陽」と「月」の物語だったんだ。
 ーーーここまで引用

 としたならば、ドイツ語では太陽は女性名詞、月は男性名詞と云うことをいれておいてほしかったなあと思うのです。Licht は中性名詞ですが。ドイツ語以外は太陽が男性名詞で、月は女性名詞だったと思います。


 書名『月子の不思議』
 出版社 集英社
 1989年12月16日 第1刷発行

 あとがきの最初に、自分の名前について書いています。

2013年8月15日木曜日

河あきらの『山河あり』


 河あきらと云えば「いらかの波」がありますが、残念ながら読んでいません。この人の本は三冊しか持っていません。その一冊が表題の作品です。
 一年前に巴里夫の「赤いリュックサック」を取り上げたときにこの本の名前を挙げていました。一年経って、取り上げてみようと思います。

 物語は昭和17年夏から昭和20年の晩秋または初冬にかけてです。東京市城東区(翌18年からは東京都になります。それを踏まえてか作品中では東京城東区になっています)が舞台です。
 ヒロインの芙美子は16で、下町城東区の病院で住み込みで働くことになります。とは云っても看護婦としてではありません、来年国民学校に上がる女の子から、「新しい女中なの?」と言われます。
 初めの数ページはおとなしくしていますが、弟妹が多い長女の癖が出て、院長の子ども達をしかりつけたりします。同じ歳の弓子も先輩として働いています。二人で買い物に出かけ、道端で千人針をやっているのを見かけ、芙美はひと目さしてきますが、その間に弓はさっさと帰り、歩いている青年に道を尋ねて家まで帰ります。この青年は近くの人らしく、たまに道で出会ったりします。
 院長の奥さんのところに戸川さんという人が、よく来ます。夏には芙美のセミ採りのこと、冬には綿入れ半纏のことなどのエピソードがあります。

 病院の長男秀一は中学生で、親は医者になるようにと言っていますが、新聞の戦争の切り抜きを集めています。そして芙美にこう言います。「だれもが 立ちあがって 鬼畜米英と 戦わなければ いけないんだ ぼくは 軍人になる!」
 弓のあこがれの新井先生にも赤紙が来ます。それに涙する弓、自分も早く戦場に行きたいという秀一。

 昭和18年の夏、芙美に縁談が来ます。相手は戸川さんの長男です。あの気むづかしいおばさんのと焦る芙美ですが、院長の奥さんの薦めでは断ることもできません、お見合いをすることになります。
 相手の家で待つ芙美の前に現れたのは、道を尋ねその後ときどき出会う青年でした。勝平(しょうへい)と云う名前で、鉄鋼関係の会社に……。式は11月25日になり、無事に終わります。
 12月には防空訓練があり、夜には義妹光子のために自分の古い着物を縫い直しながら思う芙美でした。「去年の暮れも同じことを考えていたっけ…… 来年こそは前のような暮らしにもどるだろうか… (略) かえって去年よりも今年の方が悪くなっている…」

 ある日、「息子をかえせ…」と泣く母を見かけて家に帰ると、勝平のもとに赤紙が来ています。その夜、三つ星を見上げながら勝平は「家族を守って… どんなことがあっても強く生きてくれ」と言います。
 出征当日、勝平は芙美に言います。「ぜったい死なずにもどってくる」と。見送りに来るなと言われ「かならず生きて帰ってきて」と家で一人涙する芙美。

 昭和19年夏に病院を訪ねた芙美は、新井先生が南方に送られる途中の輸送船が沈められて亡くなったことを知らされます。また秀一は中学をやめて陸軍幼年学校に入ったことも知ります。
 昭和20年2月、面会許可の下りた勝平に会いに滋賀県彦根に向かう芙美と母親は、列車で空襲に遭いますが、どうにか彦根に辿り着き勝平に面会できました。

 何度か空襲がありますが、なんとか無事でいるところに千葉の田舎から芙美の父が訪ねてきます。芙美の父は家族ごとの疎開を提案しますが、戸川の奥さんにここは生まれ育ったところだからと断られます。
 そして3月9日から10日にかけての描写になります。鳴らなかった空襲警報以下のおよそ10ページは空襲に逃げ惑う人たちです。
 焼け跡で家族を捜す勝平の姿が三ページ続きます。
 避難所で芙美は瀕死の秀一に声をかけられます。防空壕に焼夷弾の直撃を受け、外にいた秀一以外はみんな死んだことを知らされます。秀一は芙美の腕の中で息を引き取ります。
 居場所を書いた焼けぼっくいの立て札を見た勝平は、家族と再会します。勝平は所沢に移動になっていたのです。
 勝平の「芙美子の実家に疎開させてもらう」という提案に気丈な母もついに首を縦に振ります。

 夏に勝平は九州に移動になります。九州に広島に落ちたのと同じ爆弾が落とされたと聞き、それでもあの人は生きて帰ると信じ込もうとする芙美。
 8月15日を迎えます。98ページには敗戦に対しての芙美の思いが吐露されています。
 次のページは勝平の母と芙美の短い会話です。「なにもかも失ってしまったけれど わたしたちは生きていかなくちゃね……」に「ええ…」と答える芙美です。

 落ち葉の散る中、帰ってきた勝平と抱き合う芙美でマンガは終わります。


 さて、あらすじが長くなってしまいましたが、以下に感じたことを書いてみます。

 まずは小さな事から。50ページ二コマ目に瓶の口の部分(一升瓶かビール瓶かわからないのですが)と、そこに差し込まれた棒で精米しているのが描かれています。これでどの程度米が白くなるのかわかりませんが、戦時中には必要なものだったようです。
 22ページの秀一の「早く戦地へいって敵をやっつけたい」と、芙美の「そんなことになったら奥さまたちも悲しむ」に対する「だから女と話すのはいやなんだ」のやりとり。思春期の男の子のまっすぐな思いが伝わって来ます。けれどそれは、まっすぐなだけに周りが見えないことにもつながり得ることなのです。でも、と思うのです、周囲を気にしている若者を見ると、自分の信念に従えと言ってしまいそうな自分のいることにも。
 46ページの勝平が千人針を断ると、芙美が「迷信でも持っていってください」と言います。何かしらの縋るものがほしい残されるものの心情が伝わって来ます。
 69ページから91ページまでの空襲とその直後のことは何も言えません。
 昨年取り上げた「疎開っ子数え唄」には3月10日の場面は出てきませんが、このマンガでは重要な場面として出てきています。
 96ページから98ページの玉音放送の場面が印象に残ります。98ページの芙美の思いの場面は圧巻です。一体あの戦争は何だったのでしょうか。その答えは出ているのでしょうか。
 このマンガが描かれてから35年になります。その35年前は昭和18年、芙美に縁談が来て、結婚した年です。

 作者の母親の物語とのことです。
 時代が違うとはいえ、16歳から19歳までの女性の生き方としては立派としか言いようがありません。新婚生活はほんの一ヶ月で、その後の義両親と義弟妹を抱えての生活、それも戦時下の東京での。本当に頭が下がります。

 書名『山河あり』
 出版社 集英社 MARGARET COMICS 601
 1981年8月30日 第一刷発行

 昭和53年別冊マーガレット8月号掲載 と記されています。


 このような戦争物の本やマンガを読むと相当以前に読んだ『いのちの炎は燃えて---抵抗者たちの最後の手紙』の中の次の言葉を思い出します。「生き残った人たちは考えてはくれまい、僕たちがどんなに生きていたかったかを」


 杜甫の『春望』の最初は「国破山河在」となっています。

2013年3月31日日曜日

双見酔の『空の下屋根の中』


 比較的新しいマンガを取り上げてみます。

 主人公香奈絵は高校卒業後、ニート(無職)になります。
 「高校を卒業して 大学に行くでもなく 就職をするでもなく 特にやりたいことの ない私は 世間でいうところの ニートになりました」から始まる連続の4齣マンガです。2巻の始まりのカラーページ(これは4齣ではありません)ではもっと切実に描かれています。

 主人公は一人娘で、父親は単身赴任で母親との暮らしです。おとうさんは二巻の三番目の章に登場するだけですが、常識人のようです。
 このマンガで、一番強いのはどうやらおかあさんのようです。時には辛辣なことも言いますが、広い心で主人公を見ているようです。
 同級生だった友だちが登場していますが、休みが平日で、普通の友だちとは休みが合わなくて主人公のところによく顔を出すようです。

 ある種の成長物語です。アルバイトをしながら職探しをして、普通に就職してマンガは終わっていますが、このマンガを読みながら、いろんな事が脳裏をよぎりました。

 なお、一巻の巻頭のカラー6ページとところどころに2ページずつ3ヶ所、そして二巻の巻末7ページには、ニートの男が主人公の別のストーリーのマンガが載っています。こちらのほうはある意味もっと重いマンガです。


 このマンガの描かれたのは。失われた20年も終わりに近づくころです。今は失われた30年の入り口とも言われています。バブルの崩壊後、「いざなみ景気」と呼ばれる73か月の景気拡大があったとはいえ、それは庶民には実感に乏しいものでした。なにしろ、収入がちっとも増えないのですから。というよりも、景気がいいって、どこの国のこと? というのが普通の反応でした。
 少し前に、(高度)成長期を知らない層が働いている人の半分を超えたというニュースがありました。今の状態が普通になってしまったのでしょうか。一方、今の状況の日本を、多少の皮肉をこめて "happy depression" と呼ぶアメリカの金融関係者もいます。

 わたしには、今の状況はわかりませんが、そんな状況さえもマンガにしてしまえるところが、日本の強みなのかもしれません。


 書名 空の下屋根の中 1巻 2巻
 出版社 芳文社
 1巻 2009年8月11日 題1刷発行  手元にあるのは2010年5月25日 第5刷
 2巻 2010年6月11日 第1刷発行

 1巻と2巻をまとめて買ったようです。

2013年3月10日日曜日

地震から二年



 あの日から二年になります。震災で亡くなられた・行方不明となられた18,548人と、震災関連死の2,303人のかたに哀悼の意を捧げます。

 高田松原の奇跡の一本杉の復元がニュースになったのはつい先日のことです。枝の出方が違っていて、それもニュースで流れていました。

 これまでに、震災の復旧はそれなりに進んでいるようですが、復興にはほど遠いのが現実のようです。災害復興住宅の建設も遅々として進んでいないようです。
 また、地震の被害というと、津波・原発の福島県と津波の宮城県と岩手県の東北三県が主に取り上げられて、茨城、千葉の両県が忘れられることが多いように思えます。

 津波による被害が多かったのがこの地震の特徴でしたが、昭和三陸大津波、明治三陸大津波が襲った地方なのにとの思いは拭えません。浪分神社を始め仙台近郊には津波の伝承を持った神社がいくつもあり、このたびの津波の被害もなかったとのことです。
 今回の津波被害を最後として、いつまでも津波のことが語り継がれればと思うのですが。

 原発のことはまた別の問題です。
 除染と言えば、普通は何らかの方法で汚れを落とし無害化することを意味することが多いと思いますが、放射性物質による汚染は、取り除いた放射性物質を保管しなければなりません。半減期をどうこうできるものではありませんので、相当長い期間が必要になります。また、広くばらまかれたものを集めるわけですから、どうしても放射線の密度は高くなってしまいます。
 そういったことを考えると、いつになったら終わりが見えてくるのだろうかと不安になってしまいます。



 追記

 今朝(3月11日)の仙台は薄く雪が積もっていました。日中も5.1℃にしかならず二年前を思い出してしまいました。
 犠牲者の数を訂正しました。

2013年2月12日火曜日

中村昭子の『峰子さんのメランコリー』


 この人のマンガは一冊しか出ていないようです。それが表題作です。
 『峰子さんのメランコリー』には六つの短編が載っています。1976年から1981年のものです。後書きが四ページあり、そのうちの一ページは、ますむらひろしが描いています。ますむらひろしのホームページ(http://www.tiara.cc/~goronao/kudoi.htm)には1977年秋に結婚とありますので、この前後の作品と云うことになります。

 まずは『ぼくの眠り姫』です。
 朝の電車の中で主人公(懸)に寄りかかって眠っている女の子(まち子、マーチと呼ばれています)、同じ高校の制服を着ています。電車に乗るとすぐに眠くなってしまうという習性だそうです。
 その娘が番長(今のマンガにもこんなキャラクターが登場するのでしょうか)から交際を迫られて、主人公とつきあっていることにして断ります。番長とその取り巻きとの間でいろんな事が起こりますが、それを撃退するときにマーチは「大好きよ」と叫びます。帰りの電車で懸は、「ぼくもマーチのこと好きなんだ」と言いますが、すでにマーチは懸に寄りかかって眠っています。懸の言葉はマーチに届いたのでしょうか。
 マーチは「懸くん」と呼んでいますが、学年が上の男の子をこう呼ぶものなのでしょうか。
 あとがき(思ひ出)でこのマンガについては「何も思い出せん」と書いています。

 次は『センチメンタルのっぽ』について。
 ヒロインの三木村乃里は170 cmの背があり外見が女の子っぽくないのが悩みです。けれど、それは奥に秘めているようで、男の子のように振る舞っています。そんな彼女が思いを寄せている男の子の小城と、文化祭で「変身フォーク・ダンス」を踊ることになります。その名の通り、女が男装し、男が女装してフォーク・ダンスを踊るのです。
 文化祭では、クラスごとに作った菊の品評会があり、三木村のクラスの菊が見事に最優秀賞になります。菊の面倒を小城が見ていることを知っている三木村はそのことを小城に伝えます。三木村は小城に好きだと言おうとしますが、「変身フォーク・ダンス」開始の放送があり言えずじまいになります。
 フォーク・ダンスの後で別の男の子から告白されますが、小城が好きな三木村は、断ります。
 その後、小城の告白を受けます。

 最後になりましたが、『峰子さんのメランコリー』です。
 主人公森宮志郎は、女の子から爆笑されるような理想の女性像を持っています。
 そんなある日、理想に近いセーラー服の女の子野坂峰子が転校してきます。峰子に一目惚れの志郎と、志郎に気のありそうな峰子、そんな峰子は、同級生の桜井とみもあなたが好きなんだと言います。
 峰子は志郎に、学校の裏手の雑木林を掘ることを依頼します。何日かで志郎の掘り当てたのは人骨でした。峰子は言います、「この白骨 わたしなんです」と。50年前に、事故で凍死したわたし、パリで死んだという恋仲の彼の死を確かめるために、パリに行くと言って家を出たので、こんなところで死んでいるとは誰も考えなかった、と。死んだわたしが握りしめている、彼からもらった形見のくしを、パリの彼の墓に埋めてくれと頼むのです。志郎の前に現れたのは、志郎が彼の遠縁にあたるからと話します。
 気を失った志郎ですが、温かい手にはっとすると、それは桜井の手です。桜井に峰子のことを尋ねると、誰? と言われます。峰子は志郎にしか見えなかったのです。
 峰子のおもかげを追うたび、桜井の温かい手に行き着く志郎。
 パリに行くための旅費稼ぎにアルバイトに精を出すところで終わります。
 きっとパリには桜井と二人で行くのだろうと思わされます。

 以下、蛇足です。
 この学校には、制服がないようです。みんな思い思いの服装です。
 最初のページで主人公の名前が間違っています。
 14ページに太宰の格好をした主人公が登場するのですが、そのセリフの日本語が変です。


 六つの話とも、高校生をテーマにしたものです。『峰子さんのメランコリー』は、話としては面白いのですが、桜井さんがもうひとつピンときません。32ページにまとめるのは難しいのかもしれません。マンガとしては、『センチメンタルのっぽ』のほうが、まとまっているように思えます。


 書名『峰子さんのメランコリー』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス・ストロベリー・シリーズ 717
 昭和57年12月15日 初版発行

2013年1月30日水曜日

青木光恵の『女の子が好き♥』


 この人の描くマンガは、ほとんどが少女マンガではありません。レディースコミックになるのでしょう。絵だけを見るとかわいい女の子が大勢登場します。その一方で「ぱそこんのみつえちゃん」をファミ通に連載していたりもします。

 どのマンガでも、登場する女の子は健康美というと古いイメージがありますが、風が吹けば飛んでしまいそうな女の子ではありません。

 最初の短篇集の『えっちもの』の出版は1995年5月です。初出を見ると、「OL天国」「結婚なんてラララ」「イケ!! イケ?  m&m」が、1992年で、「富樫さんとこの娘さん」が1993年から1995年、「オガタくんとその妻君」が1994年です。
 この本は、カヴァーの上に八割ぐらいの面積を占めるいわゆる腰巻が巻いてあります。

 さて『女の子が好き♥』ですが、1995年12月の出版です。「女の子が好き」が2/3ほどで、短編4つで残り1/3を占めています。「おわりに(自作解題)」が1ページで全部で139ページです。
 腰巻の惹句には「男のようにエッチな女」とあります。22歳のOL 森高由美の日常(?)4コマ漫画です。好きなものは、女の子、それも巨乳が好きという、オヤジがはいっています。普通のマンガだったら伏せ字になりそうな単語もそのまま出てきます。そんなマンガなのですが、いわゆるエロマンガのような卑猥さは不思議と感じられません。あっけらかんとしてるとでも云えばいいのでしょうか、お日さまの下での出来事のようです。

 このマンガは1992年末から1995年半ばに掛けて雑誌に掲載されたものですが、この頃と云えば、ちょうどバブルがはじけて失われた10年の始まる頃です。Wikipedia によれば失われた10年は1991年3月から始まるとのことですが、92年末までバブルの余韻はあったとのことです。また、ワンレン・ボディコンで思い起こされるジュリアナ東京は1991年5月15日から1994年8月31日とのことです。「富樫さんとこの娘さん」には、ボディコンという言葉が出てきています。

 このような社会的背景があるのですが、とりあえず面白ければいいという見方からすれば、今観ても面白いと思えます。


 書名『女の子が好き♥』
 出版社 ぶんか社
 1995年12月25日 初版第1刷発行

 『えっちもの』は、ぶんか社から1995年5月15日に出ています。