2015年11月27日金曜日

阿保美代の『月街ものがたり』


 また阿保美代の作品を取り上げます。今回は『くずの葉だより』からです。この中にはもくじでは四つの物語があります。初めの『くずの葉だより』は六ページの掌編22作からできています。残りの三つ(『10とひとつの物語』、『月街ものがたり』、『ケンペン麦の帽子』)はそれぞれ16ページです。

 『10とひとつの物語』では王さまを眠らせるために時の砂のうたうたいが、月ごとの風のエピソードを語ります。12の月全部を語り終える前に王さまは眠ってしまいます。

 『ケンペン麦の帽子』は、母親を亡くした少年が、自分をかまってくれない父親に反撥するお話です。奇妙な妖精から手に入れた帽子をかぶると、ママの歌がきこえてきます。けれどその帽子を真夜中にかぶると……。終わりには少年とパパは仲良く手をつないでいます。このお話は、ちょっと怖くて、終わりに少年と父親が和解してと、印象に残っています。

 標題の作品は九つの月と一つの街の子供達のお話です。
 「その街は 運河の街」からお話は始まります。「あそこを少女が走っていく こちらには誰もいないのに……」と。水に映った街の道には少女とその後を走る犬の姿があります。これは五月の街のおはなし。以下「坂の街」(一月の街)、「百とひとつの塔の街」(九月の街)、「記憶のない街 旗の街 いつもお祭りの街」(四月の街)、「百とひとつの橋の街」(十月の街)、「百とひとつの石像とふんすいの街」(八月の街)、「おおきな樹の上の街」(十二月の街)、「夜の街」(十一月の街)、さまざまの鐘がさまざまの場所で鳴り、鐘はまあるくひとつの街をつくる「七月の街のおはなし」と続きます。

 「もういいかい まあだだよ あの子は運河のほとりの赤レンガの家の影にかくれてる あの子は塔の上 あの石像のとこ ぼくが目をつぶればみーんなみえてしまうんだから」と、目をつぶって鬼になっている男の子が。
 お話の終わりでは、「これらの街はひとつの街(中略)きょうの街はどんなふうにみえるのか(後略)」となっています。これらの街はすべて同じ街を見ている子供の目に映る街のようです、子供の想像あるいは空想の中の。

 この中で印象に残っているのは、「運河の街」の運河にだけ映っている女の子と犬のお話と「百とひとつの橋の街」です。「百一番目の橋だけはどこにつうじているのかわからない(中略)その橋をわたっていって帰ってきた人はひとりもいない」とミステリアスに綴られています。「けどその橋がどこからどうやって数えれば百とひとつめの橋になるのか だあれもしらない だからその街の橋はぜーんぶ百とひとつめの橋になるのです……」で終わっています。
 詳しいことはわからないのですが、民俗学的には橋は異界とを結ぶ象徴と聞いたことがあります。とするならどの橋も百一番目の橋になり得るわけかと納得できそうな気もします。そこまで考えてマンガにしたのかなぁ、深いなぁとも。
 でもこのエピソードを読んだ時に真っ先に思い浮かんだのは、そんなことではありませんでした。NHKのみんなのうたの「この橋の上で」の三番の歌詞です。あの子は一体どこへ行ったのでしょうか、そして四番ではこの橋の上でロンドを踊る影とあの子。原曲はチェコ民謡です。
 橋をわたって帰ってこない人は、他所の土地で元気に暮らしているのでしょうか、それとも……。


 タイトル『月街ものがたり』
 書名『くずの葉だより』
 出版社 講談社 KCフレンド 974
 昭和58年2月15日第一刷発行