2022年12月5日月曜日

北原文野の『瞳に映るは銀の月』

  同じ作者の『夢の果て』の続編です。Pとはperplexer(混乱させる者)で超能力者のことを指します。

 「妖精計画(PROJECT FAIRY)」と「地上の園(MESSAGE)」の二部からなり、「妖精計画」ではヒロインのミリアム・シュレールの10歳の誕生日から始まって、15歳までのお話です。「地上の園」はミリアムが26歳の6月6日までです。

 まずは「妖精計画」です。ミリアムの夢〜三日月と夜空の星々、そして木の十字架のお墓の夢〜からお話は始まります。一章では10歳の誕生日に自分が他人の心を読む(テレパス)Pである事に気付いたミリアムですが、警察のP科の、自身もテレパスPのリー・カールセンに捕まります。ミリアムは特別秘密警察(SSP)の一員になる事で命は助かります。その場にはゲオルグIII世も現れます。ゲオルグIII世が街で見かけたミリアムはIII世の亡くなった妹イリィにそっくりで、III世は気にしていたのです。

 二章・三章では学校を転々として、Pを捜すミリアムですが、転校生としての存在を記憶処理で在校生からは消されているはずなのに、元の学校に転校すると同級生だったリュシアンから声を掛けられます。リュシアンの家に行った時に、リュシアンの姉が念動力(サイコキネシス)Pなのを知ります。四章でリュシアンの前で歩道橋から飛び降り自殺しようとするミリアム、その時リュシアンの念動力が発現してミリアムは助かります。リュシアンはP科に捕まり、その念動力の強さでSSPになることを強制されます。拒むリュシアンですが、ミリアムの説得で生き延びます。その時にミリアムはリーが自分を助けるためにSSPになることを説得した事に気付きます。五章では遂に地上に脱出する二人が描かれています。

 「妖精計画」の妖精とは、姿を現しては記憶に残らず姿を消すもののことです。三章で妖精ではなく幽霊だと言うミリアムです。

 次に「地上の園」です。一章の初めは地上で暮らすミリアムたちの平和な様子ですが、Pの探索を進めるゲオルグIII世によって見つかってしまいます。たまたま不在だった五人を除いて、皆、殺されてしまいます。ミリアムはIII世によって地下に連れ戻されます。二章の終わりにミリアムは赤ん坊を産み、女帝になります。その子キアラの父が誰なのかミリアムにはわかりませんが、キアラのために生きる決意を固めます。III世が不要とみなしたテレパシー増幅装置を使って、リーや他のPに次のP狩の予定を連絡するミリアムです。地上との接触を試みると、リュシアンとミリアムとの子供アティカとのコンタクトに成功します。III世とミリアムは月に一度のテレビ放送「今日のお言葉」を自宅イリィ・ヴィラ(水晶宮)から生放送をする事になります。この放送でP科の実態と自分とIII世がPであることを暴露します。そしてP科の廃止を宣言します。放送終了後、怒り狂ったIII世はミリアムを殺そうとしますが、イリィのテープを燃やされて慌てふためき、現れたイリィの幻影を助けようとして倒れてきた柱の下敷きになります。キアラがリュシアンとの子であることを伝えてIII世は息絶えます。最後の三ページは何か付け足しのような気がして‥‥。


 このお話のテーマは人間と人間でないものとの共存なのですが、なかなかに重いものです。生まれ落ちたときにPであるならば分けるのは簡単でしょう。人間とそうでないものとを別々にすれば良いだけです。お話を読むと、厄介なことにPは後天的なもののようです。とすれば、どうすれば良いのでしょうか。Pになった時点で殺してしまうか、別のところに追いやるか(地上の園はPが自分で作ったものですが)、共存するかになるのですが。

 これを読んだときには、理想は共存だけれど、それが無理なら互いに接触しないで暮らすのかなぁと考えていました。「地上の園」の183ページのIII世の「人間は自分と少しでも異なる者を嫌うからな」とのセリフがあります。確かにそれはわからないではないです。

 196ページのIII世のイリィへの思いもわかります。だからこそIII世はミリアムを抱くことができなかったのでしょう。

 今年のノーベル賞受賞者のスファンテ・ペーボが、DNA分析からホモ・サピエンスはネアンデルタール人やデニソワ人との交雑がみられるとの発表のニュースを聞いたときに(この話は10年ほど前に読んだ記憶があります)、このマンガが思い浮かびました。同じDNAを持った者同士のはずだから、うまくいかないはずがないのではと思ったのです。本当にPのようなものが現れたら、どうするのか自分では分からないのですが。


書名 『瞳に映るは銀の月』

出版社 秋田書店

出版年 「妖精計画」2004年10月10日初版発行 「地上の園」2005年6月15日初版発行


 この一年はほとんど更新していませんでした。今度こそは、と思っています。

2022年3月11日金曜日

地震から11年

 11年前の3月11日は今年と同じ金曜日でした。あの日は雪が降り、停電の中、寒い夜を過ごしたものです。
 今年はコロナウイルスの影響もあり、また十年が過ぎたためか、仙台では市主催の慰霊祭は行われず、献花式のみでした。こうして記憶は風化して行くのかもしれません。
 それでもあの日を記憶に留めるための色々なことがありました、またこれからもあるようです。若い人たちの活動もあるようです。テレビ・ラジオでの特集番組もありました。

 東日本大震災では津波で亡くなった方・行方不明者が多数にのぼり、津波の恐ろしさを再認識させられました。しかし、と思わされることがありました。今年一月のトンガの海底火山の噴火の際に津波注意報が出された(一部では津波警報)のに避難した人はあまりいなかったとの事でした。潮位変化で海面は一メートル以上上昇したところもありました。結果として、避難の際の転倒で怪我をした人と漁船の転覆沈没が数件あっただけのようでした。大きな津波がなかったことは幸いでした。この警報・注意報が地震に伴ってのものなら避難をする人が多かったのでしょうか。

 福島県は未だ立ち入り禁止のところがあります。また、処理水の問題も風評被害などは解決されていないようです。

 震災をテーマにした本(ルポルタージュや小説)もたくさん出版されました。マンガも出ましたが、先日本屋で じんのあい の『月の輝き、星の影』と云うマンガを見かけ、思わず購入しました。この作品はフィクションですとありますが、気楽に読み進められるようなものではありませんでした。この後どのようにお話が展開して行くのでしょうか、気になります。
 余計なことですが、このタイトルを見たときに思い浮かんだのが小野不由美の「月の影 影の海」でした。
 十年一昔という言葉があります。あの日から11年ということで、十年は忘れて新たに一年経ったと思えればいいのですが‥‥‥。

 福島の原発事故は天災というよりも人災なのでしょう。しかしそのきっかけは天災でした。けれど今ウクライナで起こっていることはどうでしょうか。ウクライナの原発に何事も起こらないことを願います。
 ウクライナで亡くなられた方の御冥福をお祈りいたします。

2022年2月12日土曜日

みなもと太郎の『ホモホモセブン』

 みなもと太郎さんは昨年死去されました。未完の「風雲児たち 幕末編」を残したままで。 「風雲児たち」は「大乱戦関ヶ原」に始まっていて、竜馬の旅立ちまでは潮出版で出ています。第一巻は昭和57年(1982年)第29巻は平成九年(1997年)です。第30巻は外伝として出版されています。幕末編は29巻を受けて始まります。と云っても第24巻のおイネの話の続きから幕末編第一巻は始まっています。

 この人の書いたもので、マンガではありませんが、「お楽しみはこれものなのじゃ みなもと太郎のパロディ笑劇場」と云うのがあります。マンガ評といったものでしょうか、面白いものです。これは朝日ソノラマの「マンガ少年」の創刊号(1976年9月)から三年間(1979年8月号)に渡って載ったもので、その後河出文庫から「お楽しみはこれものなのじゃ」で出ているようです。手塚治虫に始まって最後は西谷祥子で終わっています。

 さて表題のマンガですが昭和45年(1970年)から昭和46年の少年マガジンに連載されたものです。今はネットで読めるようです。

 始まりは劇画調のシリアスな絵と場面からです。さながら「ゴルゴ13」の始まりのような、今の少年雑誌には載せられないだろうと思われる始まりです。五ページ目の最後のコマに主人公がギャグマンガの絵で登場します。主人公ホモホモセブンとレスレスブロックとの戦いのマンガなのですが、内容が破天荒なのです。(ギャグ)マンガの常として、どんな目に遭っても主人公は死ぬことはありません。また、始まりにホモホモ2号がレスレス11に殺される以外に味方が死ぬような事はないようです。しかしこのマンガではずいぶん大勢が死んでいっています。それもレスレスブロックの女の人が。

 「レスレス7喜々一発」にはレスボス島が地図と共に出てきます。サッフォーの出身地で、レズビアンの語源ともなった島ですが、このマンガではとんでもない形で出てきています。この話には大阪万博の後始末が出てきます。ばんぱくやつわものどもがゆめのあとで終わっています。その後が一ページ程ありますが、ギャグマンガの決まりでしょう。

 連載開始が1970年と云う事で、サイケデリック調の絵が出てたり、映画の健さんシリーズのパロディーがあったり、谷岡ヤスジのムジドリや楳図かずおの絵が出てきたりと賑やかです。この頃は学生運動の盛んな頃です。1970年3月にはよど号ハイジャック事件が起こっています。前年には東京大学に機動隊が入っています。「片手にゲバ棒、片手にマガジン」と言われていたのもこの頃でしょう、半世紀も前の出来事です。しかしこのマンガには学生運動を思わせるものはありません。だからこそネットで読めるのかもしれません。今読み返しても面白く読めます。

 第3話に登場するセブリーヌですが、ホモホモセブンの思い女(びと)として最終話の最後のコマでセブンと抱き合って微笑んでいます。ドストエフスキーの「罪と罰」のソーニャが思い浮かんだのは何故なのでしょうか。


書名『ホモホモセブンシリーズ』 1巻 COMIC MATE 43 2巻 COMIC MATE 47

出版社 若木書房

1, 2 巻とも昭和52年12月24日 第6刷発行 初版はいつ出たのでしょうか


 HOMO で LUMO が思い浮かぶのは私だけではないでしょう。

2022年1月10日月曜日

ちょっと休憩 『NHKみんなのうた60を聴きながら』

 NHKFM放送でみんなのうた60を聴きながら、昔の歌を思い出していました。そしてこの歌は今の時勢では放送不可だろうなぁと云う歌を思い出しました。「あだなのうた」です。1968年に放送されたものです。あだ名を禁止している学校もあるとかで、この曲はそういった意味で放送禁止曲になりそうです。

 もうひとつ、今の世の中では幼稚園や保育所は迷惑施設になっていると云うことを聞きます。また、学校にも煩いとクレームが来るとのこともあるようです。 そんな話題を聞いたときに思い出したのが「街」と云う曲でした。この歌の三番の歌詞の終わりが「いつでもこどもの声がする」で終わっているのです。この曲は1967年に放送されたものでした。小学生の頃にこの歌を聴いた人たちは今は60代です。この人たちにはこどもの声はどう響いているのでしょうか。

 この放送で流れていた「さとうきび畑」はちあきなおみの歌でした。この人のものが好きです。淡々とした歌い方で、揺すぶられます。