2015年2月12日木曜日

須藤真澄の『電氣ブラン』から「晩餐」


 須藤真澄を取り上げるのは二回目になります。三年半ほど前に、『電氣ブラン』を取り上げ、その時に「晩餐」は別に取り扱うと書きました。それからずいぶん経ってしまいましたが、ここで書いてみることにします。

 登場するのは15歳の少女(清(せい))と小学生の男の子(丸刈太(まるがりーたと振り仮名が振ってあります。女の名前のはずですが…)という名前の中学年ぐらいでしょうか、名前の通りの丸刈り)です。夏休み前の7月14日からたぶん9月1日までのお話です。

 庭に穴を掘る少女と、それを手伝う男の子。
 男の子は穴を掘っていることに興味を持ち、手伝うと言うと、最初は邪慳にしている少女ですが、男の子に話します。
 なぜ穴を掘っているかというと……少女の祖父は予言者で、くず屋をしながら少女を育てていたけれど、亡くなります。亡くなる前に少女に予言します。「8月に空から恐ろしい何かが降ってくる」「それが最後の兆しだ」と。祖父の亡骸を庭に埋め、「おじいちゃんの隣りで地球のおなかの中で死にたい」と、その隣りに穴を掘っているのだと。
 数日後、男の子が行くと、駐在さんと近所の人が来ていて、少女ともめています。外で火を使っては危ないと言われています。その晩は夕食を家の中で二人で食べます。
 夏休みのあいだ男の子は毎日少女のところで穴掘りを手伝い、少女はひもの結び方を教えたりします。

 そして運命の8月31日が来ます。何事もなく夕方になります。二人は穴のそばで夕食を摂り、清は丸刈太に言います。「明日丸刈太が来る前にこの穴を全部埋める」
 翌日、穴はなくなっていて、二人は家の掃除と丸刈太の夏休みの宿題を片付けます。

 夜、祖父の庭にある墓の前で清はおじいちゃんに語りかけます。「予言が初めてはずれたね」「この世の終わりが来なかったときの方が恐ろしい…」「誰も信じないで穴の中にいた方が良かったの?」
 そして最後のページは「恐ろしい階段のてっぺんに立ちつくしているのが あんなに柔らかい人間だということを知ってしまったから……」とあります。

 少女には日常の生活が戻るだろう事でマンガは終わります。けれど9月以降の少女の内面はそれまでとは違うこともわかる終わり方になっています。
 タイトルは8月31日の夕食を指していると思われます。

 このマンガの描かれた1985年は、たぶん1999年7月が話題になり始めの頃だったような気がしますが、どうだったでしょうか。Wikipedia によれば1982年7月に「ノストラダムスの大予言 4」が出版されています。


 このマンガが描かれてからしばらく経ってから、『予言のはずれるとき』と云う本の日本語訳が出版されました(1995年12月、原典は1956年)。内容については以下のブログにかなり詳しく載っています http://newmoon555.jugem.jp/?eid=360。
 予言がはずれると人は二つの行動パターン、認識を改めるか、信念が強固になるかのどちらかを取るとあります。もちろん、信者が大勢いる場合ですが。予言者の近くにいる人ほど信念が強固になるとのことです。


以下は前と同じです。
 書名 『電氣ブラン』
 出版社 東京三世社
 1985年11月10日 初版発行
 まひるの空想掌編集 と副題が付いています。
 カラー口絵が8ページあります。
 また、カヴァーには、銀文字で電氣ブランについて以下の記述があります。
  リキュール類
  アルコール分40%
  容量162ml

 書名 『電気ブラン』
 出版社 竹書房
 1996年4月18日 初版第一刷発行
 東京三世社のものとは違うカラー口絵が1ページあります。
 初出一覧があります。