2013年8月15日木曜日

河あきらの『山河あり』


 河あきらと云えば「いらかの波」がありますが、残念ながら読んでいません。この人の本は三冊しか持っていません。その一冊が表題の作品です。
 一年前に巴里夫の「赤いリュックサック」を取り上げたときにこの本の名前を挙げていました。一年経って、取り上げてみようと思います。

 物語は昭和17年夏から昭和20年の晩秋または初冬にかけてです。東京市城東区(翌18年からは東京都になります。それを踏まえてか作品中では東京城東区になっています)が舞台です。
 ヒロインの芙美子は16で、下町城東区の病院で住み込みで働くことになります。とは云っても看護婦としてではありません、来年国民学校に上がる女の子から、「新しい女中なの?」と言われます。
 初めの数ページはおとなしくしていますが、弟妹が多い長女の癖が出て、院長の子ども達をしかりつけたりします。同じ歳の弓子も先輩として働いています。二人で買い物に出かけ、道端で千人針をやっているのを見かけ、芙美はひと目さしてきますが、その間に弓はさっさと帰り、歩いている青年に道を尋ねて家まで帰ります。この青年は近くの人らしく、たまに道で出会ったりします。
 院長の奥さんのところに戸川さんという人が、よく来ます。夏には芙美のセミ採りのこと、冬には綿入れ半纏のことなどのエピソードがあります。

 病院の長男秀一は中学生で、親は医者になるようにと言っていますが、新聞の戦争の切り抜きを集めています。そして芙美にこう言います。「だれもが 立ちあがって 鬼畜米英と 戦わなければ いけないんだ ぼくは 軍人になる!」
 弓のあこがれの新井先生にも赤紙が来ます。それに涙する弓、自分も早く戦場に行きたいという秀一。

 昭和18年の夏、芙美に縁談が来ます。相手は戸川さんの長男です。あの気むづかしいおばさんのと焦る芙美ですが、院長の奥さんの薦めでは断ることもできません、お見合いをすることになります。
 相手の家で待つ芙美の前に現れたのは、道を尋ねその後ときどき出会う青年でした。勝平(しょうへい)と云う名前で、鉄鋼関係の会社に……。式は11月25日になり、無事に終わります。
 12月には防空訓練があり、夜には義妹光子のために自分の古い着物を縫い直しながら思う芙美でした。「去年の暮れも同じことを考えていたっけ…… 来年こそは前のような暮らしにもどるだろうか… (略) かえって去年よりも今年の方が悪くなっている…」

 ある日、「息子をかえせ…」と泣く母を見かけて家に帰ると、勝平のもとに赤紙が来ています。その夜、三つ星を見上げながら勝平は「家族を守って… どんなことがあっても強く生きてくれ」と言います。
 出征当日、勝平は芙美に言います。「ぜったい死なずにもどってくる」と。見送りに来るなと言われ「かならず生きて帰ってきて」と家で一人涙する芙美。

 昭和19年夏に病院を訪ねた芙美は、新井先生が南方に送られる途中の輸送船が沈められて亡くなったことを知らされます。また秀一は中学をやめて陸軍幼年学校に入ったことも知ります。
 昭和20年2月、面会許可の下りた勝平に会いに滋賀県彦根に向かう芙美と母親は、列車で空襲に遭いますが、どうにか彦根に辿り着き勝平に面会できました。

 何度か空襲がありますが、なんとか無事でいるところに千葉の田舎から芙美の父が訪ねてきます。芙美の父は家族ごとの疎開を提案しますが、戸川の奥さんにここは生まれ育ったところだからと断られます。
 そして3月9日から10日にかけての描写になります。鳴らなかった空襲警報以下のおよそ10ページは空襲に逃げ惑う人たちです。
 焼け跡で家族を捜す勝平の姿が三ページ続きます。
 避難所で芙美は瀕死の秀一に声をかけられます。防空壕に焼夷弾の直撃を受け、外にいた秀一以外はみんな死んだことを知らされます。秀一は芙美の腕の中で息を引き取ります。
 居場所を書いた焼けぼっくいの立て札を見た勝平は、家族と再会します。勝平は所沢に移動になっていたのです。
 勝平の「芙美子の実家に疎開させてもらう」という提案に気丈な母もついに首を縦に振ります。

 夏に勝平は九州に移動になります。九州に広島に落ちたのと同じ爆弾が落とされたと聞き、それでもあの人は生きて帰ると信じ込もうとする芙美。
 8月15日を迎えます。98ページには敗戦に対しての芙美の思いが吐露されています。
 次のページは勝平の母と芙美の短い会話です。「なにもかも失ってしまったけれど わたしたちは生きていかなくちゃね……」に「ええ…」と答える芙美です。

 落ち葉の散る中、帰ってきた勝平と抱き合う芙美でマンガは終わります。


 さて、あらすじが長くなってしまいましたが、以下に感じたことを書いてみます。

 まずは小さな事から。50ページ二コマ目に瓶の口の部分(一升瓶かビール瓶かわからないのですが)と、そこに差し込まれた棒で精米しているのが描かれています。これでどの程度米が白くなるのかわかりませんが、戦時中には必要なものだったようです。
 22ページの秀一の「早く戦地へいって敵をやっつけたい」と、芙美の「そんなことになったら奥さまたちも悲しむ」に対する「だから女と話すのはいやなんだ」のやりとり。思春期の男の子のまっすぐな思いが伝わって来ます。けれどそれは、まっすぐなだけに周りが見えないことにもつながり得ることなのです。でも、と思うのです、周囲を気にしている若者を見ると、自分の信念に従えと言ってしまいそうな自分のいることにも。
 46ページの勝平が千人針を断ると、芙美が「迷信でも持っていってください」と言います。何かしらの縋るものがほしい残されるものの心情が伝わって来ます。
 69ページから91ページまでの空襲とその直後のことは何も言えません。
 昨年取り上げた「疎開っ子数え唄」には3月10日の場面は出てきませんが、このマンガでは重要な場面として出てきています。
 96ページから98ページの玉音放送の場面が印象に残ります。98ページの芙美の思いの場面は圧巻です。一体あの戦争は何だったのでしょうか。その答えは出ているのでしょうか。
 このマンガが描かれてから35年になります。その35年前は昭和18年、芙美に縁談が来て、結婚した年です。

 作者の母親の物語とのことです。
 時代が違うとはいえ、16歳から19歳までの女性の生き方としては立派としか言いようがありません。新婚生活はほんの一ヶ月で、その後の義両親と義弟妹を抱えての生活、それも戦時下の東京での。本当に頭が下がります。

 書名『山河あり』
 出版社 集英社 MARGARET COMICS 601
 1981年8月30日 第一刷発行

 昭和53年別冊マーガレット8月号掲載 と記されています。


 このような戦争物の本やマンガを読むと相当以前に読んだ『いのちの炎は燃えて---抵抗者たちの最後の手紙』の中の次の言葉を思い出します。「生き残った人たちは考えてはくれまい、僕たちがどんなに生きていたかったかを」


 杜甫の『春望』の最初は「国破山河在」となっています。