2016年12月5日月曜日

清原なつのの『花岡ちゃんの夏休み』


 以前に清原なつのを取り上げた時に、「タイムトラベル」シリーズと「花図鑑」シリーズに惹かれたと書きましたが、今回取り上げるのは私が作者に惹かれたきっかけになったマンガです。

 ネットを見ると書評がたくさんありすぎて困ってしまいます。面白いマンガなのですがその面白さが、拙い文章で伝わるものなのか悩みます。
 『花岡ちゃんの夏休み』には、五つの短編が入っていて、表題作と、次の『早春物語』が続き物です。カヴァー袖の作品かいせつによるとこの間が七ヶ月あり、途中にもうひとつの作品が入っています。

 以下のホームページにあらすじがあります。
 ストーリーを教えてもらうスレ まとめ Wiki* (http://wikiwiki.jp/comic-story/?%B2%D6%B2%AC%A4%C1%A4%E3%A4%F3%A4%CE%B2%C6%B5%D9%A4%DF) 
 また以下にも興味深いことが書いてあります。http://meganekkokyodan.org/iincho/この眼鏡っ娘マンガがすごい!/この眼鏡っ娘マンガがすごい!第92回:清原なつの/
 
 では、作品を見ていくことにしましょう。

 まず表題作『花岡ちゃんの夏休み』から。花岡数子と簑島さんの物語です。いちおう恋物語なのかもしれませんが、ちょっと変わっています。
 簑島さんは大学三回生、花岡ちゃんは何年生なのかは直接は描いてありませんが、一回生か二回生です。話の中でお見合いをする場面があります。金沢が舞台のお話なのですが、40年前には二十歳前のお見合いは普通だったのでしょうか。
 ストーリーについてはここではあまり触れません。本屋で一冊の本(ロバートブラウン物語)を花岡ちゃんと簑島さんが取り合うところから始まります。喫茶店で二人は百本の線を引いたあみだくじで本の決着を付けます。その喫茶店の壁に貼ってあるメニュー(?)はかなりこまかくて読むのに苦労するのですが、面白いものです。そして本を手に入れた花岡ちゃんが「ばいばーい」と去っていく壁には「おみやげコーヒー」の貼り紙が。これにはクスリとさせられます。

 なんだかんだがあって、毎日公園に出かけて簑島さんと話をする花岡ちゃんです。しかしまわりからきこえる簑島さんについての話は以下のようです。「天才級の IQ、ありあまる才能、総ハゲといううわさ、吸血鬼だとも言われている」などです。「吸血鬼はかまわないけど、ハゲだけは」と花岡ちゃん。
 お見合いの席で、「ちょっと御不浄へ」と云って抜け出し、いつもの公園に行く花岡ちゃん。できあがった童話を読み聞かせる簑島さん。その時強風が吹いてきて、簑島さんの帽子が飛び、カツラが飛び、簑島さんのツルっパゲが顕わになり、「さようなら」と帰ってしまう花岡ちゃん。
 親友の美登利から「簑島さんのどこにひかれたのか…」考えろと云われます。
 次の日、公園に行き「きのうのつづき……」と云う花岡ちゃん。

 こうして書いてみると、一体何に惹かれたのかなぁと思います。きっと花岡ちゃんの悩み苦しむところに共感したのだと思います。読み返してみると、今は花岡ちゃんの悩みよりも、ストーリーの喜劇的なところに惹かれます。
 若い頃に読んだ倉橋由美子の初期の小説ほどではありませんが、ある種の観念をマンガにしたのかなあとも思えます。

 つぎに『早春物語』です。つきあい始めた花岡ちゃんと簑島さんですが、そこに美人で才女の笹川華子さんが登場します。笹川さんは花岡ちゃん同学年なのですが、考え方はどう見ても大人です。笹川さんは簑島さんとつきあおうとするのですが、振られてしまいます。「いつもきれいな笹川華子さん どうせわき役ふられ役」と一人やけ酒の華子さん。
 花岡ちゃんが簑島さんの胸に飛び込んでお話は終わります。

 八重子おばさんの花岡ちゃんの部屋でのシーンで、背景の本棚の本にはしっかりと「ロバートブラウン物語」があります。つぎのページには「花岡ちゃんの……」のタイトルの本が三冊あります。70ページの二齣目の貼り紙には BBT, TNT, EDTA, EBT とありますが、最初の BBT は BT ではないのかなぁなどと余計なことを。でもそれなら EBT と同じだしなぁとも。
 手元の本は第4刷なので、78ページの下から二番目の齣の「ボクガイルジャナイ」は、ありました。ハヤカワコミック文庫にはありません。以下にこのセリフが消えたことについて色々あります。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1986&id=6710508
 最後の齣に「GOOD BYE HANAOKA CHAN」とあります。これで終わらせるつもりだったのでしょう。しかし三年後の『なだれのイエス』で本当に終わりになっています。

 当然と云えば当然なのですが、ハヤカワコミック文庫の後書きマンガとは絵の余りの違いに時の流れを感じたり……。

 この二つのマンガを今初めて読んだとしたなら、あの頃と同じように面白いと思えるのかはわかりません。それでも、どこかに引っかかるものがあるのだと思います。

 書名『花岡ちゃんの夏休み』
 出版社 集英社 りぼんマスコットコミックス RMC-140
 1979年1月10日 第1刷発行 手元のものは1979年7月15日の第4刷です

 ハヤカワコミック文庫
 『花岡ちゃんの夏休み』
 2006年3月10日 印刷
 2006年3月15日 発行


 今日から7年目になります。この一年は7月に書いてから四ヶ月も放置してしまい、もっとコンスタントに書けたらなぁと思っています。
 細々とではございますが、もう少し続けようと考えております。 

2016年7月31日日曜日

川崎苑子の『タンポポとりでにあつまれ』


 小学六年生になる春休みに、パパの海外勤務で母方の田舎に預けられる事になったマキのお話です。初めてやってきたママの実家での、従兄弟達とのあれこれ、薔薇を作っている祖父とのことなどがあります。そんなある日、パパがやってきて、マキを抱きしめてくれます。ママはマキを産んでなくなっています。
 と、纏めると身も蓋もなくなってしまいます。タイトルの「タンポポとりで」はどこにとなってしまいますので、少し詳しく見ていきましょう。

 お話は田舎で従兄弟達がマキを待っているところから始まります。バラ作りをしているおじいさんはマキを抱きしめます。マキを歓迎する従兄弟達ですが、一人田舎に追いやられたマキにはそれすらもうっとうしく感じられます。
 マキと従兄弟達との諍いがしばらく続きます。

 タンポポの野原の中にある大きな木の上の秘密の小屋にようやくマキは気づきます。もちろん従兄弟達が作ったものです。従兄弟達がサイクリングに出かけた時を狙ってマキは秘密の小屋の偵察をします。小屋の中でついうとうとしていると、激しい風に目を覚まさせられます。ロープで何とか小屋を木に縛り付けるマキですが、最後に足を滑らせ、タンポポの中に落ちて気を失います。気がつくと心配そうに取り囲んでいる従兄弟達。「ぶじだったよ とりで」と言われます。それからは従兄弟達とも仲良くなります。

 マキの自転車の練習や、恋のさや当てなどがありますが、マキは田舎の暮らしになじんでいきます。
 そんなある日、マキは偶然パパからの航空便を見つけます。ここで第一巻は終わっています。

 手紙の束を持っておばさんのところに行くマキですが、おばさんに手紙の宛名を見るように言われます。宛名は全部おばさん宛です。
 以下の12ページで多くのことが明らかになります。おばさんはおじいさんに内緒でパパとマキについての手紙のやり取りをしていたこと、おじいさんはパパがマキに手紙を出さないことを条件にマキを受けいれたこと、ママは一人寂しくマキを産んでなくなったこと(これは事実とは少し違うことが後に分かります)、そして今はパパが重い病気で入院していることなどです。
 一人ででもアメリカに行きたいと思うマキですが、そこに電話がかかってきます、パパが完全に持ち直したとの国際電話です。

 従兄弟達の中で一番年嵩の隆史のエピソードを挟んで、「タンポポとりで」のお話が30ページ余りに渡って描かれています。近くにできた団地の子供達との秘密の小屋(タンポポとりで)を巡る攻防があり、そのことが大人達に知られて、小屋ののっかている木を切り倒されそうになります。木を切り倒そうとしている時に、大勢の子供達が押しかけてとりでを壊さないようにと頼みます。土地の持ち主のおじいさんは子供の頃のことを思い出し、木を切るのをやめます。

 おじいさんは白バラ作りに励んでいます。温室に入ったことをとがめられ、おじいさんとケンカするマキですが、おじいさんが白バラに自分の母親の名前で呼びかけるのを聞いてしまいます。そのすぐ後で、温室の屋根を従兄弟の蹴ったサッカーボールが壊します。
 次の日、おじいさんはバラ展の打ち合わせで町に出かけます。その夜、眠っていたマキは雨音で目を覚まします。白バラは雨に弱いとおじいさんから聞かされていたマキは、傘とビニールを持って温室の屋根に登ります。おじいさんが帰ってきて、そんなマキを見つけて叫びます。「(バラよりも)おまえのほうがずっとだいじだ!」
 朝、バラを見に行くと、風雨にさらされたのにきれいな白い花を咲かせています。「この花はもろくない おまえもそうだったのか?」と、亡き娘に思いを馳せるおじいさん。
 バラ展で白バラは特別賞を取ります。その喜びの中でおじいさんは倒れてしまいます。バラ展に来ていた医者が自分の病院におじいさんを運び込みます。その病室はマキの母が亡くなった部屋で、医者はマキを取り上げた医者でした。医者から話を聞き、ママが幸せだったことを知るマキです。

 ある雨の日、家では親戚が集まって何か忙しそうです。でもマキはなぜかわけを知らされません。雨が上がり、とりでにボタンを取りに行った帰り、マキは思いがけない人に出くわします。おじいさんに呼ばれて田舎にやってきたパパです。
 「はしりだしたマキ(中略) たんぽぽの季節にやってきた女の子の声がこだまする」でマンガは終わります。

 笑いあり、涙ありと少女マンガの王道を行くマンガです。読んでいて飽きません、面白いのですが、うまく言えませんが、この作者ならもう少しストーリーを作れなかったかなあと思うのです。不満の一つが、タイトルにあると思えるのです。もちろん、最初にとりでを作り、そこを遊びの拠点にしていたのはわかります。しかしその後の、タンポポとりでを巡る大人と子供の対立は一つのエピソードとしか思えないのです。お話の底流は、マキとパパと亡くなったママ、そしておじいさんにあるのですが、タイトルからはそのことには思いあたりません。ではどうすればと言われると代案もないのですが。
 バラ展に来ていた医者は一体何が看板の医者なのでしょうか、産婦人科であっても緊急だからとおじいさんを受けいれたのでしょうか。
 
 このマンガからすでに40年以上の時が流れています。だからといって50歳を過ぎたマキにあって見たいかと云われると……。
 このマンガが描かれた頃の年表を見ると、1973年の第一次オイルショックに始まる大変な時代だったんだなぁと。でもこのマンガはそんな暗さは感じさせません。


 書名『タンポポとりでにあつまれ』
   一巻二巻とも副題が付いています。
   一巻 マキの初恋の巻  二巻 バラ展はてんやわんやの巻
 出版社 発行所 創美社 MARGARET RAINBOW COMICS 
     発売元 集英社
 発行年 一巻1976年11月25日初版発行  二巻1977年1月15日初版発行

2016年6月30日木曜日

山田ミネコの『最終戦争』シリーズから「誕生日がこない」


 表題作は「冬の円盤」の続編です。花とゆめコミックスの『西の22』に収められています。この巻から「最終戦争シリーズ」と副題が付いています。
 「冬の円盤」の七年後、あと二ヶ月で笑(えみ)は16歳になります。そしてその日を、セイヤに再び会える日を心から待ち望んでいる笑です。

 あと2か月で16歳になる笑はセイヤに会うことだけが願いです。けれどまた血を吐いてしまいます。「あなたが来るまで生きていられるかしら?」と不安になるのです。
 それでもいつもと変わらず学校に出かける笑です。次の番長と噂の沢渡が笑に気があるようなのですが、誕生日が待ち遠しい笑には通じません。そんな笑を30年後のおまえを見せてやると、自宅に連れて行って母親を見せます。母親は息子の存在を見えていて無視しています。

 笑は沢渡の前で吐血します。沢渡の父親は医者で沢渡に、笑は肺ガンで1か月持つかどうかと言います。悩む沢渡の前にセイヤが現れて言います、「笑はやさしい、どうすれば人が幸せになるかということばかり思っている」と。
 数日後、待ち伏せていた沢渡に笑は捕まり、逃げようとしますが、倒れて死んでしまいます。セイヤは笑を生き返らせます。そして、沢渡には笑の生き返ったことを忘れさせます。

 セイヤは笑に真砂流が急性白血病で洗面器いっぱいの鼻血を出したこと、今は元気でいることを伝えます。死ぬ運命にある人達だけしかつれていけないことも言います。
 セイヤは、原子分解光線で自殺した者以外は、蘇生措置を施されて冷凍睡眠装置に入れられ、冬眠カプセルが無数に並んでいると言います。「生きている人々のほとんどは過去からやって来た人々ばかり、あなたといっしょに住む家は…もうない」と。「それでも笑 私といっしょに来ますか?」

 「少し散歩してゆきましょう 今日でこの世界は見おさめなのですから」「もう夕方の風ね おかしいわね私幽霊なのね」

 「冬の円盤」と「誕生日がこない」では直接は出てこない未来(セイヤの現在)の、暗い様子が分かるように具体的に描かれています。それでも未来に行くことを選んだ笑の行く末が気になります。
 これほどくらい未来を描いていながら、それでもこの後さらに多くの続編が描かれている、恋愛要素はあるもののそれが主ではない、そんな少女マンガとしては異質のマンガがあったのです。如何に少女マンガの懐が広かったかが分かります。
 このあらすじではほとんど触れませんでしたが、恋の話が底にあって、その流れから沢渡と笑の話につながるのですが、最終戦争とは関係がないので割愛しています。笑の普通の学園生活も出てきています。

 この巻の終わりに1969年から1977年の作品リストが載っています。「冬の円盤」と「誕生日がこない」の間に「遙かなり我が故郷」(『冬の円盤』所収)があります。


 タイトル『誕生日がこない』
 書名『西の22』
 出版社 白泉社 花とゆめコミックス HC-113
 出版年 1978年2月20日 初版発行

2016年6月28日火曜日

山田ミネコの『最終戦争』シリーズから「冬の円盤」


 『最終戦争』シリーズは様々の作品があってどれも面白いのですが、今回は表題作を取り上げます。未来からきた星野(せいや)が、大槻真砂流(まさる)と笑(えみ)の兄妹と出会い真砂流を連れて未来に帰ります。次回に取り上げる「誕生日がこない」は、それから七年後、再び現れた星野が笑と逢うお話です。

 ある冬の日、真砂流と笑が車に乗っていると、笑は空を見て言います。「兄さま円盤よ」「何も見えないじゃないか」このあと兄妹のやりとりがあり、真砂流は思うのです。「(略)どこかへ行って思うさま冒険ができたらどんなにいいだろう…」と。
 急ブレーキがかかって車が止まります。隣の高利貸しのばあさんの乗った車とぶつかりそうになって止まったのです。その時に人と接触します。診察室で、ほとんどたいした怪我のないことを告げられます。診察の時には兄妹と高利貸しのばあさんがいます。
 はねられた人(星野)は、行く当てがないというので真砂流は家にくるように言います。ばあさんに謝る笑に、「あんたはいい子だね」と頭を撫でます。
 家に帰ると継母の比沙絵と真砂流が衝突します。父親は会社の社長で、ほとんど家にいません。

 星野は警官(パトロール)であることを真砂流に言います。真砂流は星野に比沙絵と秘書の真崎との逢瀬を覗かせます。父に知られずに継母を追い出したいと考える真砂流、そんな真砂流に「あなたは父上を愛しておられる」と星野は言います。亡き母の思い出を話す笑に、「あなたは幸せですね」と言う星野、星野には家のないことに気づき、「あなたかわいそう」と笑。

 手に手を取って(?)逃げようとする比沙絵と真崎、最後の仕上げとばかり会社に行きます。後を付ける真砂流と星野ですが、さらに後を付けてきた笑が積んである荷物に躓き音を立ててしまいます。二人に気づかれて、真崎を取り押さえようとする真砂流ですが、背後から比沙絵が大きな花瓶を振り上げます。星野が投げた小さな箱が比沙絵の額に当たり、比沙絵はバランスを崩し積み上げてある荷物にぶつかり、荷物が崩れて比沙絵の上に落ちてきます。慌てて原子分解光線(この名前は「誕生日がこない」まで出てきません)銃で荷物を撃つ比沙絵ですが、星野はこの時を待っていたのです。
 「本当に愛されてみたかった」と言う比沙絵ですが、「本当に愛されるには自分がまず愛さねばならない」と星野は言います。比沙絵に原子分解光線銃を向ける星野ですが、兄妹はそれを止めようとします。「好きじゃなきゃ結婚なんかするわけない」との真砂流の言葉に驚き微笑み涙する比沙絵、そして原子分解光線銃を自分に向けて撃つのです。

 星野は円盤を二人に見せて、時間飛行機(タイムマシン)だと言います。そして次のように言います。「私たちの世界は病んでいるんです」 以下四ページに渡って未来の世界(星野にとっての現実世界)の話が続きます。「人間は未来に希望を持つことをやめてしまったのです」「勇気のある人をさがしもとめている(中略)いっしょに来て下さい」と。それに対して真砂流は父親を一人ぽっちにはできないと言います。

 家に帰ると、事業に失敗した父親は自殺しています。葬儀の席で親戚達は兄妹の押し付け合いをします。そこに隣の金貸しのばあさんが来て、笑を引き取ると言います。立腹した真砂流は「クソババアの世話なんかになるもんか」「人の親切のわからんやつはとっととどこへでもおゆき!」とばあさんとのやり取りの後、星野のところに行きます。後を追って笑もやって来ますが、星野は言います。「16歳になったらきっとむかえにきます」と。
 円盤が去った後で、ばあさんが来て泣いている笑を慰めて家に帰るシーンで終わっています。この場面はセリフはありません。

 以上、ストーリーの紹介が長くなってしまいました。
 さて、気づいたことを少し。

 この作品は「最終戦争」シリーズの実質的な最初のものです。この時に作者がどの程度に作品群の構想を考えていたのかわからないのですが、以降の作品の基礎はしっかりと描かれています。「最終戦争」後の希望を失ってしまった人間はここでは星野の話の中にしか出てきませんが、それが決して明るいものではないのは分かります。だからこそ過去に来て、未来を開けそうな人を捜しているのです。
 ストーリーはシリアスなのに、画面にはときどきわけのわからないネコが出てきます。このネコには名前があったはずなのに忘れました(ヨロネコと云う名前?)。また作者の自画像のウサギも顔を出しています。このネコとウサギはシリアスな画面にもさりげなく小さくではありますが出てきています。手塚治虫のヒョウタンツギのようなものかと思いましたが、違うようです。手塚はシリアスな場面にヒョウタンツギやブクユツギを出すことで、ある種の息抜きのようなことをさせているのに対して、山田ミネコのネコやウサギはストーリーを遮ることなく出てくるのです。
 バックに花のとんでいる場面が四箇所あるのですが、その最初のシーンで場違いのところで花がとんでいます。ロクでもない花でキョーシュクでありますとの小さな手書きの文字があります。

 二台の車が出てくる場面で気づいたことがあります。一台はフェンダーミラー(ボンネットにバックミラーがある)で、もう一台がドアミラーなのです。でも、wikipedia で確認すると日本でドアミラーが認められたのは1983年とあります。ひょっとして輸入車を違法に改造したのかななど本筋に関係ない事を思ってみました。


 書名『冬の円盤』 HC-87
 出版社 白泉社 花とゆめコミックス
 出版年 1977年5月20日 初版発行 

2016年5月31日火曜日

沖倉利津子の『日曜日はげんき!!』


 作者のマーガレットコミックスで最初に出版された本です。「セッチシリーズ」が四作品とその他が三作品入っています。

 セッチシリーズにはタイトルに曜日が入っていて、「日曜日はげんき!!」、「水曜日にウェンズディがやってきた!!」、「月曜日ハンパ者の乱」、「土曜日はなんの日!?」となっています。
 それではセッチシリーズを見ていくことにしましょう。

 中学一年生のある日曜日からお話が始まります。

 『日曜日はげんき!!』はシリーズの最初の作品で主な登場人物がほとんどでてきています。主人公のセッチ(武田世津子)、親友のえみちゃん(上杉栄美)、おにいちゃん(セッチの隣家の大学生でセッチの家庭教師、小林鉄)、そしてセッチのクラスメイトで委員長の川中島弘です。
 勉強がキライで、長いスカートが我慢できないセッチには、授業も制服もカンケーない日曜日は天国なのです。
 野球で川中島に見事に三振を喫したセッチは、川中島が気になります。けれどえみちゃんも川中島に気があることを知ります。その川中島からえみちゃんの誕生日を訊かれて、身を引くセッチ、それを見守るおにいちゃんです。

 うじうじしないであっさりと身を引くセッチは、悩んでもしょうがないと割り切ったのでしょうか。おにいちゃんの心の内はまだ知らないようです。12ページにおにいちゃんの内心が書いてあるのですが、ふと疑問に思ったこと……6つちがいのおいらの妹とあります。小林鉄は19歳です。中学一年のセッチは12歳か13歳ですが、12月24日が誕生日で二十歳になる鉄とは学齢では七つ違いなのです。えみちゃんとの交換日記が6月5日 Sun なので、セッチが4月か5月生まれならば6つ違いもわからないではないですが。
 ここまで書いて、舞台の1977年が今年2016年と三月以降が同じ曜日配列なのに気がつきました。

 『水曜日にウェンズディがやってきた!!』 火曜日におにいちゃんから逃げ出し野球をするセッチ、野球を観ている(セッチに云わせると感じの悪い)金髪の少女がいます。次の日、都内の中学校からアメリカ人の兄妹が転校してきます。兄ディビー・ダーリングは三年生、妹ウェンズディは前日の少女でセッチのクラスです。
 その行動でクラスの女の子から孤立するウェンズディですが、セッチとえみちゃんの力で何とかクラスに溶け込みます。セッチとウェンズディとの壮絶なとっくみあいの末なのですが。「案ずるより産むがやすし 似たもの同士のいいコンビよネ」とのえみちゃんの思いが書かれています。
 最後の齣はしっかりとギャグになっていますが、セッチが鉄への想いを初めて表したシーンでしょう。

 『月曜日ハンパ者の乱』は生徒会選挙を巡る話です。
 近所の低学年の小学生と飛行機飛びの競争をして、セッチは右手を骨折して入院します。入院中にさまざまな理由で入院している人の事情を見聞きします。たとえば、インターハイまで行ったのにアキレス腱断裂で短距離走ができなくなって落ち込んだけど、まんが家になることに生き甲斐を見出した高校生とか。
 さて、生徒会選挙なのですが、この中学校は三つの小学校からの生徒の集まりなのですが、生徒会の主導権を握るために争うような状況です。今回の選挙にも三組が立候補します。その過程でセッチは今の生徒会の制度を作ったのは鉄だったことを知るのです。
 ところが、新たに四番目の立候補グループが現れます。現副会長が小学校の枠を取り払い、川中島を副会長候補として立候補します。立候補登録はされますが、各グループからは嫌な顔をされます。「やだってしょうがない これからいそがしくなるぞ」と張り切る第四グループの生徒たち。
 セッチは「なんでだろう… なんでやなことなのにがんばれるんだろう… あたしってなんにもわかってない……」と思うのです。
 投票前の最後の応援演説を頼まれたセッチは、入院中のことを話し、「……健康なのにこんなおしのけあい…してケンカしてたんじゃ申し訳ない」と最後は涙をこぼします。
 選挙の場面でマンガは終わっていて、結果はありませんが、タイトルからすると自ずとわかるでしょうとなります。

 生徒会選挙なのにセッチの入院から話が始まるのにはちょっと驚きますが、それが応援演説の伏線になっているのです。
 四つの中では中学生らしいテーマで、これが一番面白く読めました。
 しかし揚げ足を取るようですが、10月31日に生徒会選挙をする学校があるのでしょうか、任期はいつまでなのでしょうか、二年生が会長候補なので、11月から次の年の10月までなのでしょうか、などとの疑問が湧いてきます。
 いつセッチが骨折したのかは描かれていませんが、手首(終わりのほうの齣から見ると)の骨折かひびが入ったのなら、そんなに長く入院とも思えないのですが。

 『土曜日はなんの日!?』 12月24日土曜日は鉄の二十歳の誕生日です。プレゼントのマフラーを編み始めるセッチですが、いろんな事があってなかなか進みません。鉄には三人の姉がいて、二人は学校の先生、一人は教授夫人です。鉄は高校の国語の先生になりたいと云います。
 ある日、鉄の車の運転席側がめちゃくちゃになっています。止まっている時に横から突っ込まれたとのことで、本人も同乗者も幸い軽い怪我で済みます。
 「おとなになると考えがかわる」と鉄の姉の勝三(かつみ)に言われてセッチは思うのです。「おとなになれば考えかわるかしれない でもいまのあたしがキライなおとなには絶対なりたくない」
 徹夜で何とかマフラーを編み上げるセッチなのでした。

 小学校の先生の要はいつも煙草が手放せないようです。まぁ、40年も前のマンガだから良しとしますか。最後の齣に教授も登場しているのですが、若くして教授になったようで、その人をつかまえた姉の馨も優秀なのでしょう。
 あれほど車がひどいことになっているのに軽傷とは運が良かったのでしょう。大学の前で車をぶつけられて、その車で家まで帰ってくるとは思えませんが、どうなのでしょう。
 大学生になったら酒も煙草もかまわないというのは、このころは当たり前だったのでしょう。今の少女マンガでは無理でしょうね。
 「土曜日はなんの日!?」の最初のページに鉄が車を買い換える話が出てきますが、車種にはちょっと考えさせられました。セリカ、マークII、フェアレディZ、コスモが候補として出てきています。一体誰がお金を出すのだろうかと思わずにはいられませんでした。

 デビュー作の『ふたりの場合は…』が、セッチシリーズの次に載っていますがここでは触れません。


 書名『日曜日はげんき!!』
 出版社 集英社 マーガレットコミックス MC 338
 1978年4月20日 第1刷発行  手元のものは1983年3月15日 第16刷

2016年5月16日月曜日

ちょっと休憩 『美の祝典 I -やまと絵の四季』


 東京の出光美術館に表記の展覧会を見に行ってきました。
 顔料の数が少ないのに、着色の作品はそれなりに観られるし、飽きませんでした。

 『伴大納言絵巻』に触れないわけにはいかないと思いますので、少し。
 展示されているのは上巻なのですが、駆けつける検非違使たちから始まって、風下で炎上する応天門を見る庶民と、風上からのんびりと(?)見る貴族たち、場面変わって、天皇を諫め申し上げる藤原良房で終わっています。
 続きが気になるところは、「つづく」で終わるマンガみたいですが。

 風下の庶民の多くの烏帽子が渦を巻くように描かれているのは、火災旋風を表しているとのことで、なるほどなぁと感心してしまいました。関東大震災や東京大空襲の時のことは本で読んで知っていましたが、平安時代にも知られていたんですねぇ。
 炎上する応天門では、炎の描き方に引き込まれました。赤と朱の二色しか使われていないはずなのにもっと色数が多いように感じました。

 応天門炎上は貞観8年(866年)で、絵の描かれたのはそれからおよそ300年後とのことで、赤穂浪士の討ち入りを現代の人が描いたのと似たようなものかと思いました。
 貞観と云えば、6年には富士山が噴火し、11年には大地震が起こってと、その間の時期に都ではこんな事があったのですかとの感想を抱きました。


 東京都美術館にも行ってみたのですが、行列の長さに挫けてしまいました。国立西洋美術館で『カラヴァジョ展』を観て帰ってきました。

2016年5月2日月曜日

岡田あーみんの『お父さんは心配症』


 このマンガを読んだのは最近です。作者もタイトルも知ってはいましたが、読んでいませんでした。

 お父さんと16歳の高校生の娘・典子のお話です。母は他界しています。
 父は娘のことが心配でたまりません。どんな些細なことでも典子のことになると見境がなくなります。と云うわけで、同級生でボーイフレンドの北野くんは父親の目の敵です。

 ギャグマンガを説明することは野暮だと思いますので、そこは略させてもらいます。

 第21話からはお父さんの見合い相手の安井千恵子と息子の守がでてきます。典子は「守くんみたいなやさしい子大好きだもん」と言っています。
 第47話で交通事故でなくなったお父さんですが、そこはギャグマンガ、生き返り安井さんにプロポーズして、つぎの最終回は結婚式で終わります。が、最後のページはしっかりとギャグマンガです。

 ギャグマンガなのですが、それだけでは終わりません。
 読んでいて感じたことを一言(ではないかもしれません)でいうと、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」です(「おもしろうてやがて寂しき花火かな」と鵜舟がごちゃ混ぜになって最初に「おもしろうてやがて悲しき花火かな」が浮かんだのは内緒)。
 チャップリンの映画のような趣もあります。映画は終わりがしんみりが多いのですが、このマンガは中間でしんみりが多いように思えます。

 もっと早くこのマンガを読んでいれば良かったと云うのが偽らざるところです。

 書名『お父さんは心配症』 1~6巻
 出版社 集英社 RIBON MASCOT COMICS 351, 381, 405, 431, 463, 490
 1巻 1985年11月20日 第1刷発行 2014年 6 月 7 日 第73刷発行
 2巻 1986年 9 月17日 第1刷発行 2014年 6 月 7 日 第61刷発行
 3巻 1987年 5 月20日 第1刷発行 2014年 6 月 7 日 第47刷発行
 4巻 1988年 1 月19日 第1刷発行 2015年 8 月10日 第39刷発行
 5巻 1988年11月20日 第1刷発行 2015年 2 月11日 第30刷発行
 6巻 1989年 7 月19日 第1刷発行 2014年10月11日 第31刷発行
 右側が手元にあるものです。りぼん創刊60周年記念特別企画と帯にあります。


 同時に『こいつら100%伝説』と『ルナティック雑技団』も出ています。
 『ルナティック雑技団』は三作品の中では、ギャグマンガですが一番少女マンガかもしれません。けれども、タイトルの意味がわかりません。本質がギャグマンガなので変な登場人物が多いのですが、主人公の森夜の母親以外はそれほどルナティックな人物はいないようです。また、雑技団は何を意味するのでしょうか、人生はサーカスだよと云われれば、そうかなぁと思わないでもないのですが。

2016年3月30日水曜日

私屋カヲルの『めがねーちゃん』


 『こどものじかん』が話題になった作者ですが、ここでは別のマンガを取り上げます。

 ちょっとHなほのぼのコメディーとあるとおりの内容です。
 コンビニでアルバイトをしている巨乳で眼鏡の姉(二十歳過ぎ)・こがねと貧乳の高校生の妹・あかね、姉の同僚のイケメンの男・風太が主な登場人物です。もう一人、コンビニの店長がいます、風太の叔母で、歳は具体的にはでてきませんが、若い頃にはヤンキーだったとあります。

 こがねは天然ボケで妄想力たくましく、風太は下のあかねの評になります。
 61ページのあかねによると、「片想いで自己完結型のお姉ちゃんと 自分から手を出しそうにないマジメすぎる男」と云うことになります。この二人をくっつけようとあかねも同じコンビニでアルバイトをすることにします。
 最終話で、こがねは店長から見合いを勧められて、嫌々ながら見合いをします。店長に連れられた相手が現れる前にこがねは平身低頭して、風太への思いをぶちまけます。顔を上げると店長と、男が一人います。彼が誰かは言うまでもありませんね。

 ネットの読書メーター http://bookmeter.com/b/475753471X にいろいろな書評があります。
 確かに品の良いマンガではありません。下ネタ満載と云ったところでしょう。

 でも、下ネタだけではない言葉遊びがたくさんあります。合コン→合唱コンクール、ブラパン問題(これはちょっとHかな)、めがねーちゃん→ギガねーちゃん→テラねーちゃん(このためにタイトルを考えたのかと)、これはよくある志●うしろー、「懐が柔らかい」と書いて「懐柔」(この場面ではそうでしょうけど)があります。
 テラねーちゃんになって、しまう時はマトリョーシカになるは妙に印象に残りました。さすがにテラの上はこのマンガには出せなかったでしょう、ペタですから。

 第5話ではこがねとあかねの子供時代の回想が少しでてきます。同じ場面なのですが、こがねとあかねの受け止め方は違っています。それが今の二人の違いになっているのでしょうか。

 『こどものじかん』は、けっこう疲れるのですが、このマンガはばからしさが前面に出ていて、それでうまくいっているのでしょう。でもマンガを描くほうとしては大変なのではないのかなぁと。


 書名『めがねーちゃん』
 出版社 スクウェア・エニックス ヤングガンガンコミックス
 2012年1月12日 初版発行

2016年3月11日金曜日

地震から五年


 あの日から、もう五年なのかまだ五年なのか、経ちました。
 今日3月11日はあの日と同じ金曜日です。雪こそ降っていませんが、平年よりは冷たい一日になっています。

 五年経って国の「集中復興期間」は間もなく終わります。でも今も17万人以上のかたが避難生活を送っています。
 「住」を巡っては福島とその他は大きな違いがあるようです。福島以外では遅れているのはどこにどのように造るからしいのですが、福島では7万人は避難指示の続くところに住んでいた人たちなのです。
 そういえば、住宅建設の値段が高騰していると云うことも聞きました。材料費のほかに、人件費も高くなっているのだとか。

 先日のTVで観たのですが、放射線のホットスポットがあちこちにあるようで、目に見えないだけに怖いなあと思ったことを憶えています。
 飛散した放射性物質の扱いもまだ解決していません。各県で一ヶ所に集めるとの方針なのですが、どこに集めるのかを巡ってもめています。原発立地箇所に集めることになっている福島県でさえ地主との交渉は遅々として進んでいないようです。

 被災地にとってはまだ五年なのですが、それ以外ではもう五年で、記憶もだんだんと薄れていくのでしょうか……

 常磐線の浜吉田と相馬間は今年中に開通するようで、仙台と小高間は線路でつながるようです。

2016年2月29日月曜日

神坂智子の『シルクロード』シリーズから「イシククル天の幻影」


 神坂智子と云えば真っ先に思い浮かぶのは『シルクロード』シリーズです。花とゆめCOMICS から11冊でています。
 ここで取り上げる「イシククル天の幻影」は「少年/少女 SFマンガ競作大全集」PART 15 に掲載され、花とゆめCOMICS 『風とビードロ』に載っているものです。あまのげんえいと振り仮名があります。wikipedia によるとシリーズ外のSF作品となっています。しかし、シリーズの登場人物は出てこなくとも、シルクロードのひとつと思われます。

 イシククル湖の伝説に着想を得たものでしょう。湖の伝説については以下をご覧ください。井上靖の「西域物語」は、わたしは読んでいません。
 http://ww5.enjoy.ne.jp/~s-mattsun/essei/esseibk12.htm および
 http://ethnos.exblog.jp/5437634/ (最後のほうで大きさは琵琶湖ぐらいとありますが、イシククル湖は琵琶湖の9倍ぐらいとのことです)

 何年も沙漠をさすらう一行は、泉と樹と、その傍らに一人の女のいる土地にたどり着きます。水を飲もうとする男たちに女は言います。「水は一日一人に一杓」と。
 小麦を播き、葡萄の種を植えと男たちは水の要求を増していきます。
 そんなある日、樹の葉が落ち、泉が枯れてしまいます。泉の底に大石があります。その石を動かそうと手をかけると突然水が噴き出し、辺り一面が湖になります。

 一人一口の水で生きられたおまえ等が 一日一杓の水をほしがり次には畑の水さえいるという さあ おのみ あきるまで おぼれて死ぬまでのむがよい

 上記は湖底から水が噴き出している時に、女の言う言葉です。素直に読めば欲を張るなと云うことなのでしょう。
 でもと、つむじ曲がりのわたしは思うのです。昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日が続くとしたら、堪らないのではないでしょうか。何の変哲もない同じことの繰り返しよりは、何らかの変化を求めるのが人間の性なのではないでしょうか。その結果としての今があるのではないのかと。
 一口の水よりは、一杓の水を、そしてより多くを求めるのも仕方がないのかなぁと。しかし、だからこそ水戦争も起こるのかなぁとも。どちらにしても極端に走るなと云うことなのでしょう。

 少年/少女SFマンガ競作大全集には「漫画家 Free Talk シルクロードは面白いのです…」と神坂智子が一ページ書いていて、その中に伝説のひとつが載っています。
 「この湖は神様が守っていて、ある日やって来た遊牧民の仕様に怒りを覚え、民も町も湖の底に飲みこんでしまったそうだ。」

 タイトル『イシククル天の幻影』
 書名 少年/少女SFマンガ競作大全集PART 15 p.125
 出版社 東京三世社
 昭和57年7月1日発行

 タイトル『イシククル天の幻影』
 書名『風とビードロ』 HC-341
 出版社 白泉社
 1982年10月25日 第1刷発行

 少年/少女SFマンガ競作大全集の誤字が『風とビードロ』では直っています。

2016年2月12日金曜日

一ノ関圭の『らんぷの下』と『裸のお百』


 この二冊は1980年(昭和55年)に出たものです。作者については『らんぷの下』の解説に副田義也が書いています。また、次の五点で才能が読み取れるとしています。(1)ストーリーが巧みに作られている。(2)心理描写が緻密である。(3)ひとを駆りたてる巨大な暗い情念が、正確にとらえられている。(4)絵が旨い。(5)時代考証が綿密におこなわれていて、正確である。
 それはそのとおりと思うのですが、それだけでは何かが足りないような気がするのです。

 ここでは『らんぷの下』の一編「女傑往来」と、『裸のお百』の「女傑走る」をとりあげます。女傑とは日本で三番目に女医になった高橋瑞子のことで、医者になるまで(女傑往来)を新聞記者の野路の目を通して見たものと、医者になってからの活躍(女傑走る)を描いています。

 まず「女傑往来」ですが、野路の後輩の手紙から話が始まります。「(略)彼女(玉緒)はぼくといい線をいっているんです。 女といえばここにはもう一人変わった女がいますね。 先輩のことをとても懐かしがっておりましたよ。(略)」
 下宿屋桂林館が舞台で、主な人物は瑞子と下宿屋の娘玉緒、そして野路です。
 友人の山口の出て行くのを待たずに予定より一月早く桂林館に来た野路ですが、同室の相手が瑞子です。山口は「たいがいの男より気を使わなくてすむ」と云います。
 野路には瑞子がわかりません。瑞子は下宿にいる時は勉強をしていて、朝早くに学校へと出かけていきます。また、学費のために妾にもなります。そのために、瑞子に逃げられた亭主の車夫と、旦那(そこらの豆腐屋の親父)の女房に踏み込まれたりします。
 野路は玉緒が気になっていますが、玉緒は下宿人の一人と駆け落ちをします。瑞子から玉緒が駆け落ちするのは初めてではないと聞かされます。
 明治18年3月20日、女の医者が現れたことが新聞に載り、下宿の連中は大騒ぎをしています。その日、野路は引っ越しをします。荷物運びを手伝ってくれた瑞子に「医術開業試験、前期合格おめでとう」と云います。同じ日に玉緒は桂林館に戻ってきます。
 二年後、瑞子は試験に合格して医者になり、羽織袴姿で人力車に乗っています。車夫は亭主だった男です。
 この時に瑞子は35歳です。話の中で野路が瑞子と会ったのは瑞子33歳と云うことになります。詳細については On Line Journal ライフビジョンの日本科学技術の旅をみてくだされば幸です(http://www.lifev.com/mag/search.php)。
 マンガの中で瑞子は「二十九の時これから金持ちになるには何の仕事がいいか考えたんです」と言っています。

 次に「女傑走る」です。
 医療推理と云っていいのかもしれません。
 呉服屋井筒屋のお婆さんがだんだんにやつれて、ついには亡くなってしまうのですが、その原因を突き止めると云うものです。他殺に見せかけた自殺で、塩断ちをして、救荒作物を食べるという方法です。「飢饉考」と云う本がお婆さんの本棚にあり、その本には救荒作物が載っています。それを見て瑞子は真相を知ります。
 なお、犬でこの症状が発見されたのは1872年(インターネットで見たのですが、確認しようとしても見つかりませんでした)とのことですので、それをヒトに適用してこの病状に名前が付いたのがいつかわかりません。マンガには低ナトリウム血症と高カリウム血症という単語は出ていません。

 前者を読んでいて感じたことは、ある種の出世物語なのはわかるのです。けれど、なんか、こういう苦労をして女医になった人がいたよ、で終わってしまうような、消化不良というか、何かが足りないように思えるのです。子供のころに親に買ってもらった学習マンガを読んでいるようなイメージが近いような……。
 「女傑走る」は、推理小説のようで面白く読めます。

 「らんぷの下」は、夭折した画家青木繁と柘植、そして津田すなほの三角関係が主題になっています。と云っても柘植とつきあっている時にはすなほと青木の関係は終わっています。どうしても青木には勝てない柘植、そしてたった一度だけで燃焼し尽くしたすなほの自画像を見て、絵筆を捨てる柘植です。
 ビッグコミック大賞受賞作です。副田義也の評はこの作品についてのものです。面白い話ではあるのですが、読み終えたあと疲れます。漱石の「坊っちゃん」と「吾輩は猫である」以外の作品を読んだあとのような……。

 「裸のお百」は明治時代の裸体モデルを題材にした物語です。

 この二作品は東京芸術大学美術学部絵画科出身者らしい題材と云えます。

 「だんぶりの家」は、昭和東北大飢饉が背景にあります。この二冊の中では一番素直に読めました。


 書名 『らんぷの下』
 出版社 小学館 BC261
 昭和55年6月1日初版第1刷発行

 書名 『裸のお百』
 出版社 小学館 BC262
 昭和55年7月1日初版第1刷発行

 「女傑往来」に女医第一号として登場している人の名前が間違っています。萩野吟子ではなく荻野吟子です。今はインターネットですぐに調べられるのはありがたいことです。この本が文庫になった時に直されたのかはわかりません。以下のホームページに荻野吟子と楠本イネについて載っています。
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2008/06/post_585b.html