2012年4月30日月曜日

ぬまじりよしみの『ひがみちゃん・Jam』

この人の少女マンガは「ちょっとだけESP」と表題作しか単行本になっていないようです。あとは全部レディースコミックです。

 このマンガは作者のデビュー作です。大学生のキャンパスライフを描いたものですが、いわゆる青春マンガではありません。
 舞台は私立小田巻大学です。そこに通う市毛ひがみと数人が主な登場人物です。ひがみは一見すると小学生のように小さな女の子です。学生証や定期券をなくしたところからお話が始まります。

 70年代から80年代というと、大学が都心から郊外へと移転していた時期なのでしょうか、ただし、この大学は新設大学です。資金がなくて、田舎に大学を作ったようです。
 いったいどこら辺りを作者は考えていたのでしょうか。このマンガを読んでいて、初めは東京の西部かと思っていたのですが、「海辺の人々」で、間違いに気づいたのです。第三巻の57ページを見ると神奈川県のようです。

 追記:小田巻なら鎌倉だと気づきました。簡単なことなのに。(2015/12/27)


 終わりから二番目の「小田巻大学の崩壊」で、資金繰りが付かなくなって大学は倒産してしまいます。最後の「小田巻にお越しの節は」で、このマンガには何度も登場している大地主の与作が、再建資金を都合してくれて、与作ちゃん立小田巻大学として大学は復活します。ただし、農作業が必修としてですが。

 このマンガを読み返してみて、三巻の穴埋めページのてぃー・たいむが、こんなに面白いことが描いてあることをすっかり忘れていました。
 その後の登場人物と作者との茶飲み話なのですが、これがなかなかのものです。自分で作った登場人物とはいえ、性格がうまく描かれています。


 書名 『ひがみちゃん・Jam』1〜3巻
 出版社 白泉社 花とゆめCOMICS 301, 422, 423
 1982年1月25日第1刷発行 第1巻
 1982年9月25日第1刷発行 第2巻
 1983年7月24日第1刷発行 第3巻


 第1巻の巻末にはパタリロの第10巻、第3巻の巻末には第18巻の広告が載っていました。

2012年4月22日日曜日

あとり硅子の『これらすべて不確かなもの』

登場するのは生活破綻者(?)の父親・史緒と、三人の息子・葵、遠志、珠生、そして死んでしまった母親・颯子です。父親は一人では何もできず、息子達はそんな父を反面教師として、颯子の墓の近くに引っ越した父とは離れて暮らしています。
 母親の命日に、父親の家に集まる次男・遠志と三男・珠生、そこで目にするのは、どうしようもない父親の姿です。

 暴風雨の中、盛装で墓参りに出かける父親と、あとを追う遠志。母親の墓前で思わぬ事を聞かされます。「きみたちを キライだとか いらないとかは 思っていないが」、さらにきっぱりと「愛情はない」と言われます。
 雨で崩れた道から滑り落ち、病院に運ばれる遠志ですが、そこに長男・葵が駆けつけます。
 葵とのやりとりで、遠志は思い出します、母親に言われたことを。「史緒の仕事は 母さんだけを愛すること」と。

 史緒はさらに付け加えます。「約束したんだねえ……颯子と ずっと颯子だけを愛すると」 颯子のポリシーは「愛だって分ければ減る」だったのです。そして、史緒はその約束を忠実に守っているのでした。

 わたしには、この考え方は驚きでしたし、新鮮なものでした。広大無辺な愛は、普通の人には無理なのはわかります。しかし、身内に対しての愛さえも分ければ減ってしまうものなのでしょうか?
 息子達の母親の思い出からみると、颯子は、子ども達にはそれなりの愛情を注いでいたように見えるのですが。

 巻末のおまけは、笑いながら読めました。


 書名『これらすべて不確かなもの』
 出版社 新書館 WINGS COMICS
 1998年9月10日 初版発行


 あとり硅子は、本屋で『夏待ち』を見て買ったのです。なぜかというと、名前のせいなのでした。硅子の「硅」と言う字に引きつけられたのです。日本語では硅素以外には使われない字だとのことです。

 あとり硅子さんが逝ってもうすぐ八年になります。多くはない作品は今も輝いていると思いますが、手に入りにくいのは仕方ないのでしょうか。