2012年3月31日土曜日

佐藤史生の『金星樹』

この人のマンガを初めて見たのはプチフラワー創刊号の「夢見る惑星より 竜の谷」です。その時はあまり気にも留めませんでした。大きな物語の始まりとは気がつかなかったせいでしょう。

 表題の作品は1978年とのことですので、相当初期の作品です。「金星樹」と云うタイトルの本は何度か出版されたようですが、手元にあるのは、1992年出版のものです。奇想天外社からの1979年出版に「青い犬」を追加したものです。

 最初が「星の丘より」で、カヴァーの女の子の絵は、鼻と口元が、山田ミネコを思わせます。顔の輪郭は山田ミネコの少女は、もっと丸いのですが。奇想天外社版ではこれが最後になっています。
 話としては、SF ではよくある話なのですが、なかなかに面白く作ってあります。6ページ目でここが火星だとわかるシーンがあります。

 「金星樹」は、一種のタイムマシンものというか、タイムパラドックスものというか、アイディアがものをいっています。
 以下にあらすじが載っています。
 http://www.chatran.net/dispfw.php?A=_manga/_sato
 ここには、『金星樹』のなかの、「一角獣の森で」と「星の丘より」のあらすじも載っています。

 時間がゆっくり流れる現象というと、遠くからブラックホールに落ちていくのを見るというのが思い起こされます。金星樹はブラックホールに近い現象を引き起こす何かなのでしょうか。こちらから行くことができるのも似ているように思えます。

 登場する三人のそれぞれに揺れ動く心の内が、うまく描けています。特に後半のネネとアーシーの会話、そして45年後のアーシーの言葉が胸を打ちます。
 けれど、ほとんど動かないネネとマッキーをずうっと見つめてきたアーシーの内心は、神への感謝だけだったのでしょうか……。

 前に取り上げた佐々木淳子の「セピア色したみかづき形の…」とは違った意味での、抒情的SFといえるでしょう。ブラッドベリを読んだような気になります。


 書名『金星樹』
 出版社 新潮社 Alice's Book
 1992年12月15日

 奇想天外社奇想天外コミックスは、1979年7月5日初版発行


 間もなく佐藤史生さんの三回忌になります。4月4日が命日です。
 長生きして、もっと作品を描いてほしかった人です。

2012年3月21日水曜日

紺野キタの『ひみつの階段』

紺野キタは、今は「Webスピカ」で『つづきはまた明日』を描いています。この人のマンガを初めて見たのは、コミックFantasy に載っていた作品です。たぶん『白日夢』が最初だと思いますが、ここでは表題作を取り上げます。『ひみつの階段』シリーズの第一作で、シリーズ名にもなっている作品です。

 マンガで、階段というとまず思い浮かぶのは、くらもちふさこの『おしゃべり階段』なのですが、これは読んだことはありません。

 『ひみつの階段』は、女子校の寄宿舎が舞台です。一ページ目で主人公の夏は、三段しかないはずの階段を踏み外し、転げ落ちてしまいます。下には、夏が知っているような知らないような女の子がいます。足を挫いたという子に肩を貸し、階段を登り扉を開けるとそこはいつもの光景で、女の子は消えています。振り返ると、そこには三段しかない階段があります。
 階段と怪談がかけてあるのですが、怖いというところはありません。夏が唯一悲鳴を上げるのは、夜、自分の部屋でマンガ(Fantasyコミックという雑誌です)を読んでいるときに、手にページをめくられて、振り向くと誰もいないときだけです。

 あるとき、夏は不思議なお茶会に入り込んでしまい、「知らない子ばかりなのに(中略)懐かしい友だちといるみたいな」感じになります。その中の一人が「みんな帰る時間(ばしょ)はてんでばらばら」と教えてくれます。「それぞれの場所に戻れば すれ違うこともないけど 現在(いま)ここではみんな16・7歳(じゅうろくしち)の女の子で 同じ時を共有してる」
 年を経ると物(この場合は寄宿舎でしょう)にも魂が宿るという日本的な設定なのでしょうか、「さみしいとか かなしいとか そういった感情を ひきよせる」場所なのだそうで、夏は、ホームシックになったことをずばり言われて、うろたえます。

 終わりのほうで古典の先生が階段で転ける場面があります。この学校の OG で、お茶会の時に「古典のサカイ」と名前の出た先生です。「昔っからそそっかしくて よく階段をふみはずす」と聞いて、はっとする夏です。何かを訊ねようとしますが、結局「階段…気をつけて…下さい」としか言えませんでした。
 何を訊ねたかったかは、痛いほどわかります。でも、それは訊いてはいけないことなのでしょう。

 時を超えて集う女の子たちの心情はどんなものなのでしょう。「さみしいとか かなしいとか そういった感情」で引き寄せられたのが発端だとしても、その場での女の子は決してそういった感情を表には出しません、というより負の感情を忘れるために引き寄せられるのでしょう。
 寄宿舎に棲みついている座敷童のようなものというのが、シリーズ三作目の『春の珍客』にありますが、寄宿舎が生み出す夢なのでしょう。


 エフヤマダというかたが OTAPHYSICA というホームページで「紺野キタ『ひみつの階段』の時間論」を書いています。
 http://www.ne.jp/asahi/otaphysica/on/column19.htm
 おおむね同意しますが、「視点が徹底的に過去形である」は、どうでしょうか。シリーズ二作目の『印度の花嫁』の花田毬絵が中学生の時に見たのは、未来の夏ちゃんだったのではないでしょうか。確かに、それを思い出すのは高校生の毬絵なのですが。しかし、未来の夏ちゃんが、中学生の毬絵を変えたのではないでしょうか。

 時間物のファンタジーというと、真っ先に思い浮かぶのは、『トムは真夜中の庭で』でしょうか。マンガとはいえ、それに匹敵する物だと思います。


 書名『ひみつの階段』1
 出版社 偕成社
 1997年2月 初版第1刷

 書名『ひみつの階段』1, 2
 出版社 ポプラ社 PIANISSIMO COMICS
 2009年8月5日 初版発行
 帯には、「完全版!!」との表記があります。

 2002年4月にポプラ社から三分冊で出版されたようですが、持っていません。

2012年3月10日土曜日

地震から一年

もうなのかまだなのかわかりませんが、一年になります。
 揺れによる被害しかなかったわたしの身の回りですが、津波に遭われたかた、原子力発電所の爆発で避難されているかたは、本当につらい一年だったことと思います。いつになったら普通の暮らしに戻れるのでしょうか。

 今も原発は毎日のようにニュースに登場しています。一度飛び散った放射性物質を集めるのは大変なことです。それに、集められたとしても、その保管は並大抵のことではありません。だからこそ、中間貯蔵施設の設置場所がニュースにもなるのでしょう。
 また、放射線被曝から逃れるために、あちこち移動せざるを得なくて、そのために亡くなったかたも大勢いるようです。

 一方、津波被害を受けた沿岸部のことは、原発に比べてあまりニュースにはなってきませんでした。一年が経つということで、ここ数日は大きく取り上げられていますが。
 瓦礫の撤去も進まず、その量は普段のゴミの20年分以上です。ときどき自然発火もあるようです。被災地にとっては、新たなスタートをしようにもどうしようもないところもあるようです。

 このようなことを考えても、どうしようもないのかもしれません。それでも、生きて行かなくてはならないのです。

 亡くなられた二万人のかたに哀悼の意を表します。


 萩尾望都の『なのはな』を読みました。よくこれだけのことを調べて、マンガにしたものと感心しました。19ページに土壌の汚染除去のために植物を植える話があります。そこからこの本のタイトルが来ているのですが。でも、放射性物質の濃縮された植物はどうするのでしょうか。結局は、防塵装置の付いた焼却炉で燃やし、煙から回収された放射性物質と焼却灰を、どこかに保管しなければならないのでしょう(ひまわりは効果がなかったとか)。
 「サロメ20××」でプルトニウムの半減期は2万4千年、毒が消えるまで10万年は、とあります。これは、初めのプルトニウムの量がわからないと何とも言えないのではないでしょうか? およそ 1/16 弱にはなりますが。
 「かたっぽのふるぐつ」では、公害に対しての揺れ動く心があったのですが、ここでは作者の考えは明快です。

 書名『なのはな』
 出版社 小学館
 出版年 2012年3月12日初版第1刷