2017年1月25日水曜日

曽祢まさこの『死霊教室』


 何か禍々しいタイトルのマンガです。ストーリーは以下の通りです。

 中学三年生の藤本広子は、親の期待に添える成績がとれなくて、塾もサボってしまう。そんな広子を父親は叱る、「パパたちが子どものころは戦争で ろくに勉強どころじゃなかった」と。
 その翌日、また塾をサボりひとり街をうろつく広子ですが、家に帰りづらく足はいつの間にか学校へと向かっています。誰もいない教室であれこれ考えているうちにいつしか眠ってしまう広子です。
 ふと目を覚ますともう暗くなっています。そこに先生が来て、授業はもう始まっていると言います。言われた教室に行くと、すでに大勢の人がいます。その人たちを見ていて、広子は違和感を覚えます。知らない人がいる、お父さんのアルバムで見た戦争中の服装をした人がいる。そして気づきます、ここは死人の教室なのだと。
 隣の学生服の高校生が広子に言います。「きみはここにきてはいけない人だよ(中略)コートは方そでだけとおしていくんだ」と。そっと抜け出す広子ですが、教室を出るときにくしゃみをしてしまい、みんなに気づかれます。死人に襲われる広子、コートに群がりそれを引き裂いている間に逃げ出す広子、ところが廊下の先のドアには鍵がかかっています。襲いかかる死人たち、もうダメかと思われたその時、死人たちは消えていきます。一番鶏の鳴き声を聞いたように広子は思います。
 学生服の男は、広子が子どものころいじめっ子からかばってくれた、五つ六つ年上の男の子だったことを思い出します。
 広子は自分にあった高校を自分で選ぶことにして、勉強をするようになります。

 以前に読んだときはなかなか面白い話と思っていました。なんのために勉強するのか悩む女の子しか見ていなかったのでしょう。結末も上手くまとまっているし、さすがだなあと。

 けれど、読み返してみてちょっと、と考えたことがあります。
 父親の「子どものころは戦争で勉強どころじゃなかった」が、伏線になって死人の教室に繋がるのですが、ここに引っかかりました。
 勉学半ばで戦禍で亡くなった人たちは、広子を羨ましがることはあっても、恨むことはないのでは、と思ったからです。確かに恨まないことにはストーリーが成り立たないのはわかるのです。ですが、志半ばで死んでいった人たちを、このようなところに引っ張り出していいのかと考えたのです。
 このマンガが描かれたのは戦後30年です。わたしが読んだのはその五年あとです。意識して読み返したのは去年2016年です。この35年でわたしも変わったのでしょうか……。


 タイトル『死霊教室』
 書名『海にしずんだ伝説』
 出版社 講談社 KCなかよし KCN250
 出版年 昭和51年9月5日第1刷発行 手元のものは昭和56年6月19日第17刷です。