2011年5月29日日曜日

佐々木淳子の『セピア色したみかづき形の…』

 10ページのSFマンガです。まさにアイディアがものをいっています。

 宇宙船は地球から二億キロのところを、地球に向かって飛んでいます。実はこの距離には単位がありません。少なくともメートルではないようです。二億キロメートルなら太陽-火星間よりも短くなりますから。

 宇宙船から見える地球は、ほとんど時間が流れていません。宇宙船の中では、時間は普通に流れています。逆ウラシマ効果によってだとのことです。
 相対性理論では、宇宙には絶対基準がありません。絶対基準があるとして、この作品は生まれました。8〜9ページの見開きに、その理屈に気がついた主人公テルルの独白があります。その独白の最後にひときわ大きな文字で書かれています。「ぼくらは 宇宙に本当の意味で〝静止〟してしまったんだ!」

 宇宙船から見える地球ですが、テルルが眺めているのは、とある街の夕暮れです。ほとんど動かないその街で、ロードウェイを逆に走る少女、走るといってもほとんど静止画を見ているような感じなのでしょう。
 いつしか少女に心惹かれるテルル。「地球についてから あの子を捜すのは そう難しいことじゃ ないよね」「ぼくは 十六年間も あの子を見てきたんだから」

 このマンガに対して、相対性理論では云々、と批判の手紙が来たと作者は言っていました。理論だけではSFにならない、と書いていたように記憶していますが、それが書いてあったものを見つけられませんでした。

 絶対静止というアイディアにうならされたので、それは気にも留めませんでした。ある意味では、ニュートンの時代に戻ったと言っていいでしょう。
 気になったのは一つだけでした。地球からどのくらい遠いところから見ているのかわかりません、この状態はあと五年はつづくとあるので、相当に遠くから地球を眺めているはずです。それなのに、太陽に邪魔されずに地球が見える、しかも街の中の少女の表情までわかるとは、なんとすばらしい望遠鏡なんだろうと。

 ものすごく抒情的なSFといえばそうかもしれません。けれど、それだけに心に残るのです。果たして地球に帰ったテルルは、あの少女に会えたのでしょうか、などと…。
 と、書いて気づきました、テルルは地球に帰るのではありませんでした。テルルはここで、宇宙船の中で生まれたのでした。


 タイトル『セピア色したみかづき形の…』
 書名『那由他』三巻
 出版社 小学館
 昭和58年1月20日初版第1刷発行

 手元のは昭和58年3月25日第3刷でした。予想外の売れ行きだったのでしょうか。

 少年/少女SFマンガ競作大全集PART 13 東京三世社 昭和57年1月1日発行 にも載っています。ただし、表紙と目次には「セピア色した三日月形の…」とあります。こちらはマンガの後に、佐々木淳子と作家の新井素子の対談があります。このときには新井素子はまだ大学生でした。

 何とか今月二度目ができあがりました。少し短いのは、これ以上長くすると、ストーリーを全部書かなければならなくなるから、ということで。

2011年5月22日日曜日

山岸凉子の『学園のムフフフ』

 山岸凉子は実に多くのマンガを描いています。今なら『舞姫 テレプシコーラ』が浮かびます。古くは『アラベスク』、『日出処の天子』などの長編、『天人唐草』や『ゆうれい談』などの短編があります。その中から少し毛色の変わった表題のマンガを取り上げてみたく思います。

 タイトルどおりの学園マンガです。ネットでの評判を見るとあまり芳しくないようですが、なかなか面白いと思って読みました。
 高校の入学の日からお話が始まります。主役は平岡伸江と南妙子です。伸江の目から見ての物語として進行します。
 伸江は新入生代表として挨拶をするほど成績優秀です。妙子は保健委員に選ばれ成績はそれなりに良いようです。伸江に「ふーん 美人だよね こういうのが アイドルに なるんだよね」と思わせるほど目立ちます。
 伸江は視力0.1なのにハンサムはしっかり見えるという特技がありました。そのめがねにかなったのが自治会長で三年生の村淳一でした。
 入学の日の夜に伸江の見た夢は、小さい頃にいじっめっこにいじめられたというものでした。「あんな男の子は いまどき どうなっているんだろう」と思います。

 いつしか伸江についた呼び名は「女史」「平岡女史」になります。
 そんなある日、伸江の下駄箱にラブレターが入っているということが起こります。ところが封を切ってガクゼンとします。妙子宛の手紙が隣の伸江の下駄箱に間違えて入っていたのでした。翌日、そのラブレターを妙子に渡すと、意外な反応が返ってきます。手紙の中のひどい間違いに大笑いしながら、「はじめて もらった ラブレターが これでは あんまりよ」というのです。
 一人静かに本を読む妙子、けれど読んでいたのは『天才バカボン』。
 そんなこんなで伸江と妙子のつきあいが始まります。
 そして、妙子の先輩から妙子が中学時代に「学園のプリンス」と呼ばれていたと聞かされます。伸江の頭の中はクエスチョンマークだらけ。

 夏休みのキャンプで、思わぬことから、おしとやかだと思っていた妙子の積極的な面を知る伸江でした。
 そしてキャンプの最後の夜、伸江は自治会長の村淳一から「これ… 南くんに わたしてくれる」と手紙を託されます。「男が女に わたす手紙を 女にたのむ ばかがいるか」と、涙をぬぐう伸江。ところが、妙子は、翌日の帰りのバスの車中でも、手紙のことは伸江には何も言いません。
 結局、夏休み中、伸江は妙子と会おうとはしません。

 二学期の始まりの日、伸江は妙子の変貌(?)に驚きます。肩まで掛かるほどの髪をプッツリと切っていたのです、「ワカメちゃん じゃないのよ あんまりだ」と言わせるほどに短く。訊くと、「ザルかぶって 母に切って もらったの」との返事。
 妙子は、村淳一の手紙に返事を書いていませんでした。「自分を下げて あいてに きらわれる 方法をとった」ことに伸江は気づきます。

 二人はまた一学期と同じようにつきあいます。
 そんなある日、レポートを書くために妙子の家に行くと、ハンサムな兄がいます。普段は東京の大学に行っていて、家にいないとのことです。
 「ねえ アルバム 見る」とわたされたアルバムには、伸江を幼い頃にいじめたいじっめこが写っています。てっきり妙子の兄にいじめられたと思い訊くと、「それ あたしよ」と答える妙子。「昔は 男女(おとこおんな)なんて いわれてたのよ」と続きます。学園のプリンスのいわれについてはこう答えます。「男子と 賭をして 勝ったの」 その内容を聞いてガクゼンとする伸江。「校舎の2階から とびおりるの 負けたほうが ラーメン おごろうって」
 「外見と中身が ちがいすぎるのよ」と伸江は叫びます。

 外見と中身の違いは誰でも多少は経験することですが、これほどギャップがあると大変でしょう。本人はそのことに何も感じてなければなおさらに。
 直接に関係はないのですが、「外面似菩薩(げめんじぼさつ)、内心如夜叉」という言葉を思い出していました。妙子の内心はもちろん夜叉ではありません、そこには何の悪意もありませんから。しかし、だからこそ周りは振り回されるのでしょう。

 『赤い髪の少年』の中にあっては、このマンガは異質です。これだけがコメディーなのです。もっとも、伸江にとってはコメディーでは済まないのでしょうが。


 タイトル『学園のムフフフ』
 書名『赤い髪の少年』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス(SCM-388)
 昭和51年7月1日初版発行

 ブルー・ロージス 自選作品集 (文春文庫 ビジュアル版) 1999年11月発行 にも載っています。