2016年2月29日月曜日

神坂智子の『シルクロード』シリーズから「イシククル天の幻影」


 神坂智子と云えば真っ先に思い浮かぶのは『シルクロード』シリーズです。花とゆめCOMICS から11冊でています。
 ここで取り上げる「イシククル天の幻影」は「少年/少女 SFマンガ競作大全集」PART 15 に掲載され、花とゆめCOMICS 『風とビードロ』に載っているものです。あまのげんえいと振り仮名があります。wikipedia によるとシリーズ外のSF作品となっています。しかし、シリーズの登場人物は出てこなくとも、シルクロードのひとつと思われます。

 イシククル湖の伝説に着想を得たものでしょう。湖の伝説については以下をご覧ください。井上靖の「西域物語」は、わたしは読んでいません。
 http://ww5.enjoy.ne.jp/~s-mattsun/essei/esseibk12.htm および
 http://ethnos.exblog.jp/5437634/ (最後のほうで大きさは琵琶湖ぐらいとありますが、イシククル湖は琵琶湖の9倍ぐらいとのことです)

 何年も沙漠をさすらう一行は、泉と樹と、その傍らに一人の女のいる土地にたどり着きます。水を飲もうとする男たちに女は言います。「水は一日一人に一杓」と。
 小麦を播き、葡萄の種を植えと男たちは水の要求を増していきます。
 そんなある日、樹の葉が落ち、泉が枯れてしまいます。泉の底に大石があります。その石を動かそうと手をかけると突然水が噴き出し、辺り一面が湖になります。

 一人一口の水で生きられたおまえ等が 一日一杓の水をほしがり次には畑の水さえいるという さあ おのみ あきるまで おぼれて死ぬまでのむがよい

 上記は湖底から水が噴き出している時に、女の言う言葉です。素直に読めば欲を張るなと云うことなのでしょう。
 でもと、つむじ曲がりのわたしは思うのです。昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日が続くとしたら、堪らないのではないでしょうか。何の変哲もない同じことの繰り返しよりは、何らかの変化を求めるのが人間の性なのではないでしょうか。その結果としての今があるのではないのかと。
 一口の水よりは、一杓の水を、そしてより多くを求めるのも仕方がないのかなぁと。しかし、だからこそ水戦争も起こるのかなぁとも。どちらにしても極端に走るなと云うことなのでしょう。

 少年/少女SFマンガ競作大全集には「漫画家 Free Talk シルクロードは面白いのです…」と神坂智子が一ページ書いていて、その中に伝説のひとつが載っています。
 「この湖は神様が守っていて、ある日やって来た遊牧民の仕様に怒りを覚え、民も町も湖の底に飲みこんでしまったそうだ。」

 タイトル『イシククル天の幻影』
 書名 少年/少女SFマンガ競作大全集PART 15 p.125
 出版社 東京三世社
 昭和57年7月1日発行

 タイトル『イシククル天の幻影』
 書名『風とビードロ』 HC-341
 出版社 白泉社
 1982年10月25日 第1刷発行

 少年/少女SFマンガ競作大全集の誤字が『風とビードロ』では直っています。

2016年2月12日金曜日

一ノ関圭の『らんぷの下』と『裸のお百』


 この二冊は1980年(昭和55年)に出たものです。作者については『らんぷの下』の解説に副田義也が書いています。また、次の五点で才能が読み取れるとしています。(1)ストーリーが巧みに作られている。(2)心理描写が緻密である。(3)ひとを駆りたてる巨大な暗い情念が、正確にとらえられている。(4)絵が旨い。(5)時代考証が綿密におこなわれていて、正確である。
 それはそのとおりと思うのですが、それだけでは何かが足りないような気がするのです。

 ここでは『らんぷの下』の一編「女傑往来」と、『裸のお百』の「女傑走る」をとりあげます。女傑とは日本で三番目に女医になった高橋瑞子のことで、医者になるまで(女傑往来)を新聞記者の野路の目を通して見たものと、医者になってからの活躍(女傑走る)を描いています。

 まず「女傑往来」ですが、野路の後輩の手紙から話が始まります。「(略)彼女(玉緒)はぼくといい線をいっているんです。 女といえばここにはもう一人変わった女がいますね。 先輩のことをとても懐かしがっておりましたよ。(略)」
 下宿屋桂林館が舞台で、主な人物は瑞子と下宿屋の娘玉緒、そして野路です。
 友人の山口の出て行くのを待たずに予定より一月早く桂林館に来た野路ですが、同室の相手が瑞子です。山口は「たいがいの男より気を使わなくてすむ」と云います。
 野路には瑞子がわかりません。瑞子は下宿にいる時は勉強をしていて、朝早くに学校へと出かけていきます。また、学費のために妾にもなります。そのために、瑞子に逃げられた亭主の車夫と、旦那(そこらの豆腐屋の親父)の女房に踏み込まれたりします。
 野路は玉緒が気になっていますが、玉緒は下宿人の一人と駆け落ちをします。瑞子から玉緒が駆け落ちするのは初めてではないと聞かされます。
 明治18年3月20日、女の医者が現れたことが新聞に載り、下宿の連中は大騒ぎをしています。その日、野路は引っ越しをします。荷物運びを手伝ってくれた瑞子に「医術開業試験、前期合格おめでとう」と云います。同じ日に玉緒は桂林館に戻ってきます。
 二年後、瑞子は試験に合格して医者になり、羽織袴姿で人力車に乗っています。車夫は亭主だった男です。
 この時に瑞子は35歳です。話の中で野路が瑞子と会ったのは瑞子33歳と云うことになります。詳細については On Line Journal ライフビジョンの日本科学技術の旅をみてくだされば幸です(http://www.lifev.com/mag/search.php)。
 マンガの中で瑞子は「二十九の時これから金持ちになるには何の仕事がいいか考えたんです」と言っています。

 次に「女傑走る」です。
 医療推理と云っていいのかもしれません。
 呉服屋井筒屋のお婆さんがだんだんにやつれて、ついには亡くなってしまうのですが、その原因を突き止めると云うものです。他殺に見せかけた自殺で、塩断ちをして、救荒作物を食べるという方法です。「飢饉考」と云う本がお婆さんの本棚にあり、その本には救荒作物が載っています。それを見て瑞子は真相を知ります。
 なお、犬でこの症状が発見されたのは1872年(インターネットで見たのですが、確認しようとしても見つかりませんでした)とのことですので、それをヒトに適用してこの病状に名前が付いたのがいつかわかりません。マンガには低ナトリウム血症と高カリウム血症という単語は出ていません。

 前者を読んでいて感じたことは、ある種の出世物語なのはわかるのです。けれど、なんか、こういう苦労をして女医になった人がいたよ、で終わってしまうような、消化不良というか、何かが足りないように思えるのです。子供のころに親に買ってもらった学習マンガを読んでいるようなイメージが近いような……。
 「女傑走る」は、推理小説のようで面白く読めます。

 「らんぷの下」は、夭折した画家青木繁と柘植、そして津田すなほの三角関係が主題になっています。と云っても柘植とつきあっている時にはすなほと青木の関係は終わっています。どうしても青木には勝てない柘植、そしてたった一度だけで燃焼し尽くしたすなほの自画像を見て、絵筆を捨てる柘植です。
 ビッグコミック大賞受賞作です。副田義也の評はこの作品についてのものです。面白い話ではあるのですが、読み終えたあと疲れます。漱石の「坊っちゃん」と「吾輩は猫である」以外の作品を読んだあとのような……。

 「裸のお百」は明治時代の裸体モデルを題材にした物語です。

 この二作品は東京芸術大学美術学部絵画科出身者らしい題材と云えます。

 「だんぶりの家」は、昭和東北大飢饉が背景にあります。この二冊の中では一番素直に読めました。


 書名 『らんぷの下』
 出版社 小学館 BC261
 昭和55年6月1日初版第1刷発行

 書名 『裸のお百』
 出版社 小学館 BC262
 昭和55年7月1日初版第1刷発行

 「女傑往来」に女医第一号として登場している人の名前が間違っています。萩野吟子ではなく荻野吟子です。今はインターネットですぐに調べられるのはありがたいことです。この本が文庫になった時に直されたのかはわかりません。以下のホームページに荻野吟子と楠本イネについて載っています。
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2008/06/post_585b.html