2015年12月5日土曜日

鈴木光明の『もも子探偵長』


 今回取り上げるマンガは、帯に「連載から55年 初単行本化!!」とあるものです。
 マンガ史を観ると必ずと云っていいほどに出てくるマンガです。一体どんなマンガかと興味がありました。それにしても復刊ドットコムのマンガとはいえ、上下二冊で7000円(税抜)はちょっと高いかなぁと。上巻366ページで、下巻は286ページです。ページ数とハードカバーの本から見ると仕方がないのかもしれませんけれども。

 登場する女の子は、もも子のほかにキジ子とワン子で、ちゃんとタイトルどおり桃太郎のパロディーになっています。三人は中学生です。また、惹句には「こわいまんが」と書かれています。

 最初の事件は「金のオルゴール」で102ページあります。第1回が9ページ(カラーです)、第2回が11ページ、残り82ページが第3回です。今から見ると不思議な配分のようですが、月刊誌の頃は別冊付録がありました。下巻の口絵ページを見ると第3回は別冊付録だったことがわかります。
 第1回の初めに、もも子が「りぼんたんていだん」を作った事と登場人物の紹介があります。掲載誌が「りぼん」なので当然の命名でしょう。金のオルゴールの製作者・雪村五郎と、オルゴールをだまして手に入れた宝田との争いと云っては、少し単純でしょうか。
 もも子達は宝田の依頼を受けて事件に介入し、くろかげぬまのまぼろしやしきに手漕ぎの舟で渡ります。88ページで、宝田が札束の上下だけに本物を使った偽札で雪村をだました事がわかります。もも子達をもだまして舟で島を脱出しようとする宝田ですが、一緒に舟に乗った娘は父を責め舟から湖に身を投じます。宝田は泳げません、娘はもも子に助けられます。それを見て、改心する宝田です。金のオルゴールは雪村の手に戻ります。

 次の「黒い手事件」は3回で46ページです。3話の「海のはかば」は2回目が、4話の「三角やしき」は3回目が別冊付録です。
 以上で上巻は終わりで、2話以外は悪人が改心して終わっています。

 下巻は「まぼろし人形のひみつ」(48ページ)、「かっぱ沼」(96ページ)、「ゆうれい鬼」(57ページ)、「おおかみこぞう」(40ページ)、読切(18ページと16ページ)が2編です。この六つの話では「スキー場の天狗」以外では改心して終わりにはなっていません。きちんと犯人は罰せられることでしょう。「スキー場の天狗」には本当の意味での悪人はでてきていません。

 ネットで見るとこのマンガについての評価は高いようです。1958(昭和33)年から1959(昭和34)年の丸二年にわたっての連載という昔のマンガを目にできるのはありがたいことです。絵は手塚タッチというのでしょうか、丸みを帯びた線で描かれています。でも明らかに手塚の絵でないことはわかります。作者の個性が出ているのでしょう。

 このころの少年マンガを見ると『まぼろし探偵』(少年画報1957年3月号から1961年12月号)、『少年ジェット』(ぼくら1959年から三年間)などが探偵もののようですが、『もも子探偵長』とは趣が違うようです。 Wikipedia によれば二人ともオートバイに乗って現れるとありますので、16歳以上と云うことになり、もも子よりは年上です。

 今から見ると、絵は確かに古く、ストーリーとしてもどうかなと思う場面もあるのですが、面白く読めます。今の子供が読むかどうかはわかりませんが。
 「金のオルゴール」についてはあらすじを紹介しましたが、少し手を入れれば今のマンガになりそうに思えます。ただし今のマンガだと、最後は娘を見捨てて宝田は逃げそうな気がします。そして、もちろん最後は捕まりますが、反省しないとか……。これではちょっと子供向けにはならないでしょうね。
 「海のはかば」では、腑に落ちないところがあります。三十数ページに渡って海中の場面があるのですが、ごく普通に三人は会話を交わしています。アクアラングを付けての会話ができるのでしょうか。とはいえ、会話がないとストーリーが進みませんから、仕方がないのかもしれません。
 「三角やしき」はストーリーとしてはまとまっていると思います。

 下巻については割愛します。

 扉絵を見ていて気がついたのですが、もも子が右を見ている絵は二枚しかありません。日本のマンガは右綴じなのでそのせいかもしれませんが。それと、マンガを見ていて気がついたのですが、人物の正面を向いた絵がないような気がします。

 このころの少女マンガは、水野英子が『銀の花びら』(原作緑川圭子 1958年)や『星のたてごと』(1960年)を描いています。また、少し時代は下りますが、以前に取り上げた西谷祥子の『マリイ・ルウ』(1965年)があります。それらのマンガとはだいぶ違った感想を持ちました。


 書名『もも子探偵長』上巻・下巻
 出版社 復刊ドットコム
 2015年1月26日 上巻 初版発行
 2015年2月25日 下巻 初版発行


 今日から六年目になります。途中挫けたりもしましたが、何とか五年は持ちました。次は七年目を目指すことになるのでしょう。

 仙台は明日12月6日から2本目の地下鉄・東西線が走ります。南北線からの乗り継ぎですと、バスよりかなり割安なので、終点の動物公園に行ってみようかなぁなどと考えています。

2015年11月27日金曜日

阿保美代の『月街ものがたり』


 また阿保美代の作品を取り上げます。今回は『くずの葉だより』からです。この中にはもくじでは四つの物語があります。初めの『くずの葉だより』は六ページの掌編22作からできています。残りの三つ(『10とひとつの物語』、『月街ものがたり』、『ケンペン麦の帽子』)はそれぞれ16ページです。

 『10とひとつの物語』では王さまを眠らせるために時の砂のうたうたいが、月ごとの風のエピソードを語ります。12の月全部を語り終える前に王さまは眠ってしまいます。

 『ケンペン麦の帽子』は、母親を亡くした少年が、自分をかまってくれない父親に反撥するお話です。奇妙な妖精から手に入れた帽子をかぶると、ママの歌がきこえてきます。けれどその帽子を真夜中にかぶると……。終わりには少年とパパは仲良く手をつないでいます。このお話は、ちょっと怖くて、終わりに少年と父親が和解してと、印象に残っています。

 標題の作品は九つの月と一つの街の子供達のお話です。
 「その街は 運河の街」からお話は始まります。「あそこを少女が走っていく こちらには誰もいないのに……」と。水に映った街の道には少女とその後を走る犬の姿があります。これは五月の街のおはなし。以下「坂の街」(一月の街)、「百とひとつの塔の街」(九月の街)、「記憶のない街 旗の街 いつもお祭りの街」(四月の街)、「百とひとつの橋の街」(十月の街)、「百とひとつの石像とふんすいの街」(八月の街)、「おおきな樹の上の街」(十二月の街)、「夜の街」(十一月の街)、さまざまの鐘がさまざまの場所で鳴り、鐘はまあるくひとつの街をつくる「七月の街のおはなし」と続きます。

 「もういいかい まあだだよ あの子は運河のほとりの赤レンガの家の影にかくれてる あの子は塔の上 あの石像のとこ ぼくが目をつぶればみーんなみえてしまうんだから」と、目をつぶって鬼になっている男の子が。
 お話の終わりでは、「これらの街はひとつの街(中略)きょうの街はどんなふうにみえるのか(後略)」となっています。これらの街はすべて同じ街を見ている子供の目に映る街のようです、子供の想像あるいは空想の中の。

 この中で印象に残っているのは、「運河の街」の運河にだけ映っている女の子と犬のお話と「百とひとつの橋の街」です。「百一番目の橋だけはどこにつうじているのかわからない(中略)その橋をわたっていって帰ってきた人はひとりもいない」とミステリアスに綴られています。「けどその橋がどこからどうやって数えれば百とひとつめの橋になるのか だあれもしらない だからその街の橋はぜーんぶ百とひとつめの橋になるのです……」で終わっています。
 詳しいことはわからないのですが、民俗学的には橋は異界とを結ぶ象徴と聞いたことがあります。とするならどの橋も百一番目の橋になり得るわけかと納得できそうな気もします。そこまで考えてマンガにしたのかなぁ、深いなぁとも。
 でもこのエピソードを読んだ時に真っ先に思い浮かんだのは、そんなことではありませんでした。NHKのみんなのうたの「この橋の上で」の三番の歌詞です。あの子は一体どこへ行ったのでしょうか、そして四番ではこの橋の上でロンドを踊る影とあの子。原曲はチェコ民謡です。
 橋をわたって帰ってこない人は、他所の土地で元気に暮らしているのでしょうか、それとも……。


 タイトル『月街ものがたり』
 書名『くずの葉だより』
 出版社 講談社 KCフレンド 974
 昭和58年2月15日第一刷発行

2015年10月30日金曜日

鳥図明児の『夢庭園』


 五つのお話からなる短篇集です。一つずつ観ていきます。

 銀波流夜(ぎんぱるや) 25ページ

 真史は、叔母のところに下宿することになり鳩のキタローとプール付きの家に来ます。まわりにほとんど家がなくて、田舎のようです。
 そこにはすでに下宿人が一人います。真史より年嵩らしい磨伊苦(まいく)という不思議な男です。最初の夜、窓から飛び出したキタローは、翌朝、庭で猫にでも襲われたような死体になっています。
 磨伊苦には色々と変なことがあります。肉、それも肝臓が好きとか、水を異常にいやがるとか。そんなある日、鳥を絞め殺しているところを目撃され、真史に川岸に追い詰められ、川に落ちてしまいます。川の中で磨伊苦は本来の姿に戻り川へと帰っていきます。
 磨伊苦はウンディーネの男性版なのでしょうか。真史が叔母のところに来た時にはすでにいて、何がきっかけで現れたのかは一切描いてありません。叔母の「いつかは川に帰ったでしょう……」は、知っていて言った言葉とは思えません。「川にとびこんでくれたから」真史の下宿することを認めるにもつながりませんので。


 獣たちの影 32ページ

 主人公の波流馬(ハルマ)は、妹の夏目を捜しに復活島に渡ります。この島の人間は食糧の異常で変異して全滅したと云われています。島に渡った波流馬の目にするものは奇妙な生き物です。分析機で調べると、一頭の獣の体内に二種のDNAがあったりします。
 波流馬の前に毛のない小さな牝ザルが現れ、一人と一匹(チビザル)は仲良く暮らします。そんなある日、波流馬はチビザルの胸に下がっているペンダントが夏目のものだったことを知ります。その時の形相に驚いてチビザルは逃げ出してしまいます。チビザルを捜して島中を巡りますが、見つかりません。捜しながらの波流馬の心の変化が、このマンガの見所なのでしょう。
 いつもの寝場所に帰ってくるとそこにチビザルはいました。チビザルを抱きしめる波流馬、「いっしょに行こう もう離れないよ」
 終わりの齣でボートが描かれているので、島を離れたのでしょう。
 68ページの欄外に「耳飾りをしているけど男性。未来では男だって堂々と」とあります。そんなに遠くない未来を見越しているようで、妙に納得です。
 チビザルの表情も丁寧に描かれていて、素直に読めるマンガでした。


 星の群れ草の群れ 30ページ

 写真家の千葉は神秘的な青い池を見つけ、写真に撮ろうとしますが、シャッターを切る前に池が消えてしまいます。その頃近くの館では星行という少年が目を覚まします。少年は外に出て、千葉と出会います。千葉は少年の夢の中に取り込まれる(?)ことになるのですが、夢の中で撮った写真の背景は少年の夢の中のものだったというお話です。
 少年の夢の中では、少年は異形のものたちに自分の腕や脚などを食べさせるのです。ジャータカの話に通じるものがあるような気がします。違いはジャータカは他者への施しなのに、この話では自我・自意識に対して自分を与えている、なのですが。


 銀想世界で 16ページ

 わたしにはさっぱりわからないマンガです。銀想世界での、落ちている右手と、それが生きていて、主人公が手の持ち主を捜すというお話なのですが…。もっとエピソードを削らなければ、これを16ページに纏めるのは無理のように思えます。


 夢庭園 16ページ

 アビの国では人は尖った耳を持ち耳の先にそれぞれに花を咲かせます。花が咲くのはそれなりの条件を満たした時のようです。
 隣のリン国で育ち、アビ国に帰されたアビ人のビバーハの目を通してみた、リュート弾きシージュの蕾が花になるまでのお話です。
 蕾のままで終わるのではないかと悩むシージュに、ビバーハは自分の部屋での「ルートの宇宙」という曲をリクエストします。即興で曲を弾くシージュは、「こんな自由な音楽もあるんだ 心が自由になっていく」と感じたその時に花が咲きます、滅多に咲かない青い花が。
 このお話も素直に読めました。まわりの人の花の咲いた時の話も出ているのですが、共通点を捜してみると、何かに拘る心、囚われた心を捨てた時に花が咲くようです。


 本に載っている順番とは逆に書いています。
 マンガは面白いのですが、読んでいて疲れます。


 解説を佐藤史生が書いています。その中で鳥図明児は数学専攻とありました。「夢庭園」には、図形と直線の長さを表す数字が出ています。最近読んだ安田まさえの『数学女子』は、数学科出身の作者が大学時代のあれこれを脚色して描いたもので、それなりに面白いのですが、鳥図明児とは方向が全然違うものです。


 書名『夢庭園』
 出版社 奇想天外社
 1981年12月10日 初版発行

2015年10月18日日曜日

ちょっと休憩 『ヘレン・シャルフベック』展に行ってきました


 先日、表記の展覧会に行ってきました。70年にも渡って絵を描き続けた人です。観ていくと、当然のことながら絵が変化していくのが一目瞭然です。
 絵はよくわからないのですが、気づいたことを二つ三つ。

 若い頃から晩年まで、たくさんの自画像を描いたようです。若い頃の自画像は措いて、1937年から1945年の晩年の自画像には鬼気迫るものを感じました。老いていく自分を客観的に見つめようとするのですが、それができない……そんなことを感じました。

 モデルがないと描けないシャルフベックに画商が勧めたのが自作の再解釈とのことですが、再解釈の絵を観て思ったのがジョルジョ・デ・キリコでした。形而上学的絵画から古典的絵画に転じて、晩年にはまた幻想的絵画になったのですが、自作の剽窃とあまり芳しくない評判だったとか。
 再解釈の絵をどうみるのかは私にはわかりませんでした。

 以下はどうでもいいようなことです。
 「占い師」の絵を観て、山岸凉子のマンガの絵に似ているなぁと思い、その絵の一つおいた隣の絵を観ると「アップル・ガール」があり、さべあのまか高野文子の絵に似ているなぁなどと考えていました。

2015年9月29日火曜日

岡元あつこ(岡元敦子)の『ひいらぎ写真館』


 サンコミックス『ひいらぎ写真館』には、表題作を含めた七つのお話が載っています。1973年から1977年までに描かれたものです。
 くだん書房さんのホームページ http://www.kudan.jp/colum/colum02.html に~岡元敦子という星~があります。作品リストによると1986年までマンガを描いているようです。けれど、単行本としては二冊しか出ていないようです。一冊は世界名作コミックス『はつ恋』で、さすがにこれは目にしたことがありません。

 それでは作品を観ていきましょう。

 まずは『ひいらぎ写真館』ですが、話としては悪くないのですが、何かもうひとつ足りないような気がします。
 高校生の男女(柊順一郎と星野かおる子)のお話です。互いにクラス委員として、柊はかおる子に、かおる子は柊に負けたくなくてがんばっています。
 そんなある日、柊の父親のやっている写真館とは知らずに、かおる子が来て写真を撮ってくれるようにと頼みます。学校でのかおる子とはあまりにも違うので驚く柊、父の不在のために、かおる子の写真を撮る柊です。
 写真を撮り始めてから撮り終え、英語の課題を写させてくれと頼むまでの間に柊のかおる子についての回想があります。回想の最後は「ことあるごとに 彼女のことが気になってしかたが なぜだろう?」で終わっています。いっぽう、柊の英語の課題をやりながらかおる子は思います、「みんな柊順一郎くんのため ずうっとまえから大好きで」と。
 二人とも片思いだと思っているところが面白いのですが(いわゆる両片思いと云うのでしょうか)、お互いがそのことに気づくのはいつでしょうか。
 柊の撮った写真がもとで、写真館を継ぐ決心を固めるところでお話は終わっています。

 『紫色の扉』は、18ページ目まではどこにでもありそうな日常なのですが、終わりの6ページでしっかりとSFになっています。面白く読めました。
 『虹のおりる丘』は、北海道のパイロットファームでの高校生の男女のお話です。
 『不思議なタマゴ焼き』はコメディーでしょうか。タイトルをみて、「おしゃべりなたまごやき」と云う絵本を思い出しました。

 『黒い瞳のアヒルの子』はデビュー作とのことです。ニューヨークでのバレエマンガです。主人公の女の子(とは云ってもハイティーンです)と14歳の女の子、その兄と終わりのほうでわかる男の子がメインです。人種問題も出てきますが、恋愛の要素はありません。
 『17(セブンティーン)フリーダム』は、タイトルのとおり高校生のお話です。
 最後の『すずらん』は小学六年生に載ったものだそうで、ここではなにも言いません。

 40年ほど前のマンガなので、古いと言えば古いのですが、それなりに読めます。この話の中では『紫色の扉』が一番面白いと思います。40年も前のマンガなので、ネタバレも含めて少し書いてみます。
 両親は死んだと聞かされて育つ兄と妹、そしてばあやです。住んでいる家や、ばあやがいるところをみると、相当の資産はあるのかなぁなどと読んでいくと……
 紫色の扉の部屋だけは鍵がかかっていて、開けることができません。妹とかくれんぼをしていて、兄は本棚の上に八年前になくした本を見つけます。その本には銀の鍵が挟んであります。その鍵を紫色の扉の鍵穴に差し込むと扉は開きます。部屋の中には亡くなったと思っていた母がいて、兄に本当のこと…自分たちは地球人ではないこと、この部屋は星と地球を結ぶ入り口になっていることなどを教えます。そして、兄は宇宙旅行に耐える身体になったと言います。気を失っている妹はあと三年は地球にいなければならないとも言います。
 最後は、兄のロケット仲間の「ロケットだぞ」「今日はロケットの打ち上げ予定はないよ」「じゃあUFOかね…?」で終わっています。
 前半の日常風景がきちんと描かれているからこそ、後半が生きてきます。普通の子供として育ってきたのに、ある日突然そうではないと言われたらアイデンティティーは保てるのでしょうか、いろいろと考えさせられます。


 書名『ひいらぎ写真館』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス SCM-464
 昭和52年11月15日初版発行


 岡元あつこのマンガの載っている雑誌が手元に何冊かありました。その中では『絵の中の翼にのって』が面白く読めました、悲しい最後ですが。小学館プチコミック秋の号昭和52年11月1日発行に載っています。

2015年9月14日月曜日

九月姫の『ココアにおまかせ!』


 この人は『モンスターメーカー・サガ』が代表作でしょう。1~6巻が出ています。3巻までで「ディアーネの冒険」は完結しています。4巻以降のお話は6巻の終わりで、続くになっていて、未完のままです。

 表題作は、「探偵マンガを(ギャグだけど)」と袖にあるように、ギャグマンガです。中学生なのに探偵事務所を構えるココアと敵役で子供嫌いなブラック博士、モンスターメーカーシリーズの魔女ルフィーアちゃんが登場人物です。
 初めに読んだ時に、あれっ第2話で国に帰ったルフィーアちゃんが第3話で出てきているのはなぜ?と思ったのです。目次を見て納得しました、第2話だけが別の雑誌に載っていたのです。特別編として最後に入れて欲しかったなあと思います。

 第1話は探偵局の紹介と、春が来ないので何とかして欲しいという花の精(男と女がいます)がでてきます。マンションの日陰になって雪が溶けない花壇の花の精です。鏡を使って雪を溶かすアイディアはブラック博士が出すのですが、お礼はココアが受け取ります。花の精の男からのキスです。「やりすぎだって言ってるでしょっ」と花の精の女から怒られている花の精と、「次の依頼者は人間で美形がいーなお金持ちの…」とわくわく顔のココアの齣で終わっています。このマンガを読んで真っ先に思い浮かんだのは、オスカー・ワイルドの「わがままな巨人」です。もちろんマンガには大男は登場しませんし、宗教色もありません。

 第5話には、博士の優しい一面が描かれています。
 第6話では、博士に召喚された悪魔が登場して、古典的な方法でガラス瓶に閉じ込められます。「その手にはのらんぞ」と言っている悪魔ですが、お菓子のティラミスにつられて瓶に入ってしまいます。1990年にはティラミスが流行していたのがわかります。
 第9話では正月太りになったり、第10話では博士の作った薬で身体を小さくしたりしています。この薬はおいしいものを食べる時には威力を発揮しています。

 第13話と第14話では博士の作ったココアの分身ロボットが活躍(?)します。ロボットは13話では事件で忙しいココアの、「後のことは頼んだわよ」に「まかせてください」と胸を叩きます。朝、ココアが帰ってくるとぐっすり寝ていて宿題は真っ白です。「立たされちゃう~~」とのココアに、魔女は云います、「いくらでも立ってられるマホーかけてあげる」と。
 14話ではヨーロッパに出張中の両親に、夏休みに会いに行くとココアに聞いたロボットが行方不明になります。一週間後、「ココアのそっくりロボットが来てくれてパパもママもハッピー もう夏休みに来なくていーよ」との手紙と、航空運賃請求書を受け取ります。そこに、「ココアの代わりにおこってくれる」ロボットを連れて博士がやってきます。14話の扉絵は『とんでもドールあかねちゃん』の広告になっています。
 ここに登場するロボットは、役に立たないどころかココアの足をひっぱています。けれど、ココアのやりたいことを忠実に実行しているようにも見えます。

 第15話は夏休みのお話です。夏休みが始まって海に行きます。岩に挟まったイルカを助けると、竜宮城へと案内されるのですが、これがボロボロなのです。乙姫から「時給10円で清掃と土木作業を」と頼まれて、早々に帰ります。帰ってくると、もう8月31日になっているのです。慌てて終わらない宿題を始めるココア。乙姫との立ち話だけで一ヶ月以上も経ってしまうのかと。浦島太郎が見知らぬ所に帰ってくるのも納得できました。

 第18話では学園祭の企画で、学校の地下にダンジョンを掘って、学校を陥没させてしまいます。
 第20話では正月に南の島ごっこをして、ココアとルフィーアは風邪で一週間も寝込んでしまいます。1992年2月号で、まだバブルの余韻は残っているようです。

 126ページの「九月姫におまかせ!」には、2巻目は近日発売でーす とありますが、結局でませんでした。2巻と3巻は同人誌として出たようです。

 この人のマンガを買ったのは、ペンネームに惹かれたせいかもしれません。サマセット・モームの「九月姫とウグイス」は読んでいませんが。


 書名『ココアにおまかせ!』
 出版社 発行所 宙出版 オオゾラコミックス MSL-0009
     発売元 主婦と生活社
 1993年3月10日 初版第一刷発行


 このころは ここあ と云う名前はまだなかったと思います。いつの頃から出てきたのでしょうか。

2015年8月31日月曜日

夢路行の『金と銀』


 この作者はいろいろなジャンルのマンガを描いているようです。今は『あの山越えて』でしょうか。表題作はSFと云えるでしょう。

 両親の離婚で押し付け合いになった14歳のリアは、宇宙船に忍び込み密航を企てます。船が星をはなれたところで見つかり、船長のおじさんの前に連れてこられます。
 リアはおじさんに「もう決めたの 自分で自分の居場所を探すって」といいます。

 無事に許可証もとれて、リアは客として宇宙船にいることになります。宇宙船の中で不思議な猫に出会います。片方ずつの目の色が、金色と銀色のオッドアイなのです。そして夢の中でオッドアイの少年に会います。

 14ページにはおじさんと猫の会話があります。
 19ページの最後の齣には笑います。ボードには「アシスタント求む 夢路行 マイ・コミックス 謡う海」とあります。これは、仕事を探すリアが読んでいるものです。目的地まで一ヶ月あるので仕事をしようとしているのです。
 少年の夢をみた後でリアは猫に言います。「かなうはずのない夢を見たりしたら あとで泣くことになるのに」

 とある星で買い物のために降りることにします。そこでおじさんとはぐれたリアは、エアカーの不良達に追いかけられます。そこに猫が現れ、リアを助けます。
 イーディスという少年(目の色以外はオッドアイの少年にそっくりです)に本体に会わせてあげるからと連れて行かれた部屋で、初めて本体に会います。「両親のことで神経質になってる君にはすまないことを」と謝り、「何も無い惑星でね」と自分の星のことを話します。「そばにいてあげるよ」との少年に、「本当にそばにいてくれる? ずっと?」と言うリア。この会話でこの場は終わります。

 そしてまた宇宙船での場面になりますが、猫は二匹に増えています。イーディスも乗り込んだのです。
 明日は船を下りるという日に、リアと猫は話します。惑星の昔話の空から星に乗って落ちて来た「黒い髪のイエラ」のこと、「(前略)緑の夢を抱いていられた(後略)」イエラのことを。「夢で世界が変わる?」とのリアの疑問に「これが僕等の方法 欲しいのは新しいイエラ」と応えます。「君は何をくれる?(後略)」と問われてリアは答えます。「(前略)自分の夢を自分で守れる人間になるの そしてもしあなたが自分の惑星に戻った時 荒野に一人立つのがつらかったら わたしが一緒にいてあげる ずっと」

 一言で言えば、思春期の少女の成長物語です。リアはたった一ヶ月でずいぶん成長したようです。
 最初に登場する猫には名前が出てきていないようです。

 38ページから39ページにかけて、「早くて確実な通信手段」として、思念が出てきます。思念あるいは思いまたは考えが一番早いというのは、ギリシャ神話にも出てきます。それを踏まえて登場させたのでしょうか。何光年離れていようとも、思念は一瞬にして届くでしょう、思い描くだけですから。

 初めにSFと書きましたが、要素としては宇宙船が出てくること、ほかの惑星が出てくることだけです。これまでにもいくつかSFを取り上げてきましたが、その中でも抒情的なSFと云って間違いないと思われます。なにしろ、思念だけの猫に触れるのですから。と書いて、奥友志津子の『冬の惑星』では虚像…精神のみで人を殺すシーンのあったことを思い出しました。

 シリアスなマンガなのですが、最後の最後で力が抜けました。
 おじさんは父の兄弟か、母の兄弟か一切書かれていません。


 『金と銀』の次に載っているのが『金銀砂岸』です。『金と銀』よりはSF色が強い作品です。星が人を引き寄せるわけではないのですが、読み終えて、ギリシャ神話のサイレン(シレーヌ)を思い出しました。


 書名『金と銀』
 出版社 東京三世社 LE COMICS
 1992年9月30日 初版発行

2015年8月21日金曜日

今日マチ子の『cocoon』


 今回は短くなります。読んでいていろんな想いが渦巻いてしまいました。

 目次の次のページに、「この物語は、実在するテーマを題材としたフィクションです」とあります。
 沖縄の女学生の学徒隊の物語です。主人公はサンという名前で、タイトルのとおりに繭の中でいつか羽化する日を……と願うのですが……。
 15ページの蚕の話が最後の話につながります。

 ここではお話のあらすじはほとんど書きません。あまりにも悲惨な内容なので。
 でも、現実はもっと悲惨だったろうと云うことは想像できます。

 66ページの「目が見えなくなったひなちゃんは幸せだ この現実を見ないですむのだから」には、どきっとさせられました。ひなちゃんは次の章で亡くなります。

 看護隊の解散命令を受けて、サンたちはガマから追い出されます。そこからは、もっと悲惨な目に遭うことになります。手榴弾で自決する級友たちと、それができずに逃げ出すサンとマユ。マユは銃撃を受け亡くなってしまいます。
 最終章では、「繭が壊れてわたしは羽化した」「羽があっても飛ぶことはできない」「だからーー生きていくことにした」のサンの思いで終わっています。

 目次と帯は旧字体で書かれています。


 ソ連軍が満州に攻め込んだときも同様ですが、軍は国民を護るために存在するのではありません。軍が護るのは国なのです。


 書名『cocoon』
 出版社 秋田書店
 平成22年8月20日 初版発行  手元のは平成25年8月25日 五版です。

 帯に戦後65年とあります。今年は戦後70年と云うことで、いろんな事がありました。

2015年7月31日金曜日

上田としこの『ぼんこちゃん』


 村上もとかの『フイチン再見!』がかなり読まれているようで(本屋に積んであるのは知っていますが、読んだことはありません)、そのためもあってか最近『フイチンさん』が小学館から上下二巻で出ています。講談社発行の少女クラブ1957年1月から1962年3月まで連載されていたとのことです。マンガの背景を知らない子供が読んで面白がるかはわかりません。面白く読めましたが、終わりのほうが少しバタバタしていると思いました。当時のハルピンは国際都市だったことが伝わって来ます。

 『ぼんこちゃん』は1955年9月の集英社のりぼん創刊号から1961年12月までの連載ですので、『フイチンさん』とほぼ同じ頃のマンガです。
 連載は六年あまりですが、ぼんこは大きくなりません。そして、本当に男の子が間違えて女の子に生まれてきたような子供です。
 以下、昭和54年発行の集英社漫画文庫を読んで、感じたことを記します。

 マンガが描かれてから文庫で出版されるまでかなりの間があり、それに合わせたのでしょう、ところどころにセリフの改変があるようです。たとえば、一巻の6ページにはタモリが出てきたり、113ページには虫プロの幟があったりします。また、二巻の115ページには「九時間でくる昭和53年」や127ページにはピンク・レディーと云うセリフが出てきています。

 時代が昭和30年から昭和36年ですので、「もはや戦後ではない」(経済白書昭和31年7月)と「国民所得倍増計画」(実施は昭和36年から)の間と云うことになります。そういった背景を考慮しながら見ていきます。

 まず、一巻から。
 ぼんこは、最初の「キューピー」では、長いおさげを切ってキューピーのような髪型にし、次の「じょうちゃんぼっちゃん」では丸刈りになってしまいます。ある程度髪が伸びるまでおばあちゃんの家で過ごすことになります。おばあちゃんがなかなか放してくれなくて、135ページの「クリスマス・イブ」までいることになってしまいます。
 ぼんこの家とおばあちゃんの家はどのくらい離れているのでしょうか、具体的にはありませんが、隣の町内と云ったところでしょうか。
 52ページの「夢」には人工衛星が出てきます。1957年10月にスプートニク1号が打ち上げられていますので、それを取り入れたのでしょう、衛星の絵に四本のアンテナがありスプートニク1号そのものです。夢とはいえ人工衛星に乗っています。
 142ページの「食欲」からは、短くはなっていますが、ぼんこの髪は登場時の三つ編みになっています。「おおぜいでたべるとおいしくたべられる」と云うことを知ります。「若いおばあちゃん」では、フラフープをしているおばあちゃんが出てきます。その夜、腰の筋を違えて一週間寝込むことになりますが。フラフープの流行は1958年の10月から11月のわずか40日足らずとのことです(Wikipedia)。

 つづいて二巻です。
 「おみやげだよ~ん」は比較的長いマンガです。学齢前の子供がボール遊びのできる空き地があったり、カエルがいる小川があったりと今からは夢のような世界です。でもマンガのほうはそんなのんびりしたものではありません。
 「一人っ子はいいな」と「こっちにこいよ」から「おしょうがつ」まではお金持ちの一人っ子と、ぼんことその遊び友達が仲良くなるまでのお話です。女の子のお手伝いさん(たぶん女中とよばれる人)が常識を持った人なので救われます。
 「オリンピックあそび」にはローマオリンピックが出てきます。
 「しんゆうができちゃった」は年末から新年にかけてのお話です。大晦日にぼんこの家の前で出会った少し年上の女の子、父親はぼんこの家で押し売りをしていますが、ぼんこが女の子を連れて家に入ろうとすると、子供を連れてそそくさと出て行きます。よほど困ってるに違いないと、ぼんこの両親はアルバイトしてくれるよう頼みます。
 年が明けて、女の子(トンちゃん)を見習って少しは女の子らしくなるぼんこです。トンちゃんのおとっさんは小学校時代の先生の口利きで、開拓村の小学校の用務員の働き口を見つけます。トンちゃんと別れなければならなくなったぼんこは、「ぼんこのいえで」以下の三つの章でだだをこねるのですが、「いもうとになったぼんこ」の最後でトンちゃんに言われます。「おとなのいうことをきいて来月おいでよ」「またあうんだものなくのはよそうね」
 「ぼんこのだいりょこう」では、次の月にトンちゃんに会いにおばあちゃんと旅に出るぼんこから始まります。夜汽車に乗って、そこでもいろいろな騒ぎがありますが、翌朝8時10分に目的の駅に着きます。駅にはトンちゃんとおとっさんが出迎えます。馬車に揺られて三つ目の山の中腹に開拓団の村はあります。敗戦後の引き揚げ者の村です。戦争が終わってまだ16年しか経っていません。
 ぼんこは村の生活になじみますが、一週間もするとおばあちゃんはホームシックになります。おばあちゃんの帰りたい帰りたいの手紙を受け取って、おとうさんと従兄達が開拓村に来ます。おとうさんはぼんこの願いを聞いてぼんこを村に残そうとします。けれど孫を連れて帰りたいおばあちゃんと、ぼんこたち子供達との対立でお話は終わっています。

 なんだか、えっ、これで終わり? との思いが残ります。
 『フイチンさん』でも、終わりのほうがなんかなぁと思ったのですが、それ以上に取り残された感がします。あるいは続きがあるのでしょうか。

 東京の街が今の形になったのは1964年のオリンピックからとのことです。それまでは、各家の前には木製のゴミ箱があり、あちこちに小川が流れていたようです。家の前にゴミ箱があったので「しんゆうができちゃった」で、うっかりゴミ箱に落ちる場面があるのです。ゴミ出しの規則が変わり、小川もいつしか暗渠になり、かつては水が流れていたことさえ忘れさせようとしているようです。
 舞台が東京なのはわかるのですが、どの辺りを考えればいいのでしょうか、昭和30年代前半では、目黒や世田谷でも空き地はあったのでしょうか。修学旅行に行った従兄のただしを迎えに伯母と近所の友達三人で品川駅まで行っていますので。


 あまりにも時代背景が変化して、昔は面白がって小学生が読んでいたはずなのに、今の子供に見せたら「???」しか出てこないでしょう。それでも、こんな時代があったと云うことを教えてくれるマンガです。


 書名『ぼんこちゃん』1, 2
 出版社 集英社 集英社漫画文庫 083, 084
 昭和54年3月31日 初版発行(1, 2 とも)


 今はなくなってしまった私の母校の小学校ですが、分校が二つありました。その中の一つは1951年(昭和26年)にできたものです。1972年(昭和47年)に廃校になりました。小学校も2008年(平成20年)になくなりました。

2015年7月14日火曜日

近藤ようこの『心の迷宮』


 少女マンガを描かない作者の作品の中から「ビッグゴールド」に連載されたシリーズを取り上げます。「心の迷宮」とあるように読んでいて疲れます。それでも読み終わった後で考えさせられます。全部で13話あります。
 主人公は20代後半からそれよりも上の女性です。

 第一話「山に還る」は主人公から見ればハッピーエンドなのでしょう。ストーリーを簡単に要約すれば、東京に出て看護婦をしている女性が、結納まで交わした男を捨てて山に帰った男の元に行くと云うものです。と云ってしまっては身も蓋もないのですが、そこに至る女性の心の変化がこまかく描かれています。
 ところで、結納を交わしてまで捨てられた男の心情はいかばかりでしょうか。男女の立場は逆ですが、だいぶん昔にTVで観た「未完成交響楽」を思い出していました。この映画では女の一方的な想いだけだったように記憶していますが。

 第二話「逃がした魚」はハッピーエンドと云ってよいでしょう。主人公は20歳で同棲、妊娠そして結婚、大学をやめて出産(娘)と子育てをします。ところが夫は大学をやめて劇団に入ります。それがもとで結婚一年後に離婚します。30歳になる頃に主人公は会社の同僚とつきあいます。その頃、元夫はTVに出るほどに活躍するようになります。一度は会いますが、それでも元夫を許せない主人公。しばらくして、娘の「パパってどんな人?」の問いに、子供を連れてもう一度元夫に会います。
 その後、娘は父親の婚約会見をTVで見ています。「おじょうさんとはお会いになってます?」「(前略)二人(前妻と娘)にはしあわせになって欲しいです」とのやりとりを聞いて決心をするのです。
 子供も新しくお父さんになる人を気に入ってくれているようです。

 第四話「花も紅葉も」は読み終えて暖かくなれるお話です。息子より十歳も年上の嫁と姑の話です。当然、話の初めは対立しています。そこに息子が一週間の出張になります。姑にきつい事を言われ家を飛び出す嫁、嫁を捜して元の勤め先の大衆食堂に行くと、そこで仕事をしている嫁を見つけます。生き生きとしている嫁を見て、姑は家に連れ帰った嫁に言います。「あの子のために花をさかせて」と。出張から帰った息子は母と嫁が仲良くジョギングに出るのを見送ります。嫁と姑は、息子にはいえない秘密を共有することで仲良くなったように見えるのですが、話の流れからするとそうではないようです。

 第七話「楽園」は、ちょっと怖いお話です。最後のページの主人公の独白にはぞっとします。「いっしょに暮らして、いっしょに老いて、朽ち果てることはできる… この楽園でーー」
 第九話「おねえさんといっしょ」は珍しくコメディーです。当事者からは違うと文句が出そうですが。
 第十話「ピグマリオン」は創作人形を舞台回しにした読ませる作品です。三回に渡って連載されたようです。
 第11話「鳥の歌」は妻子ある男と関係を持った主人公なのですが、母の元に帰ってきます。「ママともう一度母子をやり直したいの。できるわよね?」「ええ……きっと………」

 第13話「予祝祭」は三回連載で、一年後には取り壊されるボロアパート「花園荘」に住む六人の女性のお話です。1号室はOLの有川、2号室は離婚して週末に子供が来る樋口、3号室はかなりの歳の佐野、4号室は四月から入った大学一年生の小野田、5号室は正体不明の三田、そして夫と死別して30年の管理人です。この人達の一年の話です。
 有川は、コンビニでバイトをしている加山と付き合い、加山が一年の予定でネパールに行った後で、アパートの部屋で加山の帰りを待つことにします。
 両親とうまくいっていない小野田は、髪を黄色に染め、派手に男遊びをします。超尻軽女と同級生達には言われます。そんなある日、小野田はリストカットをします。夜間部に転部して、過去を振り捨て、昼は仕出し弁当屋に勤めます。いい子が入ったと喜ぶ弁当屋での会話です。「わたし、親にもほめられたことないし……」「そりゃ親はねえ 他人のほうがストレートに言えるよねえ」 言われた小野田の表情が素敵です。この後の会話から、次のアパートも見つかることが予想できます。
 5号室の三田は小説家の卵で文学賞を取ります。TVでその様子を見ていた管理人は、その時部屋にいた佐野にそのことを教え、佐野の部屋で一緒にTVを見ます。管理人の帰った後で、新聞を見ると、宝くじで500万円が当たっています。これで何とか近くのアパートに引っ越せそうです。
 週末に来る子供を捨てて妻子ある男の元に走る樋口ですが、結局男は妻子の元に帰っていきます。前述のTVの日にすごすごとアパートに帰ってきて、管理人の前で「あの子にあわせる顔なんか、ありません!」と泣き崩れます。アパートの「三田さんの祝賀会および花園荘のお別れ会」で管理人が呼んだ息子の前で「わたしは母親失格なんです!」と言うのですが、両親とうまくいっていない小野田の「ひどい親だけど、許してやろうかと思ってる…… 子どもがそういう気になってる時は、親もちゃんと応えなきゃだめだよ」に、我が子を抱きしめます。
 お別れ会の時には管理人と樋口が行く先が決まっていないのですが、きっと何とかなるという終わりです。
 有川がマンションの灯りを眺めるシーンは、むかし似たようなことを考えたことがありました。バスに乗っていて、橋を渡るときに向こう岸にずらりと家の灯り(一軒家です)が見えたとき、あの灯りの数だけ暮らしがあるんだなぁと。
 277ページの美人が書いたとされるレポートのほうが評価が高いというのは聞いたことがあります。けれど、三田の場合は元が良かったからなのでしょう。
 このマンガは1998年に描かれたものです。ふと疑問に思ったのは1998年あるいは10年ほどさかのぼるにしても、渋谷駅から10分ほどの所にこんなアパートが存在し得たのかなあと。

 改めて読み返してみると、暗い話だけではないのですが、暗い話のほうがなぜか胸に残っているのでした。

 作者の作品はここに取り上げた『心の迷宮』のような現代を取り上げたものと、帯に「夢むすぶ中世ロマン!」の惹句のある『美しの首(いつくしのくび)』のような中世日本を舞台にした作品の二つに大別されるようです。 


 書名『心の迷宮』1~3
 出版社 小学館 ビッグゴールド・コミックス
 1巻 1995年5月20日 初版第一刷発行
 2巻 1996年10月20日 初版第一刷発行
 3巻 1998年12月20日 初版第一刷発行

 2006年にホーム社から『心の迷宮 ~わたしの居場所を求めて~』上下巻として文庫で出ているようです。第12話「居場所」は入っていないようです。

2015年6月29日月曜日

竜巻竜次の『ザ・タックスマン』と『TAKE IT EASY』


 この作者は主に1980年代に活躍したのですが、代表作と云われると何を挙げようかと考えてしまいます。

 初めてみたのは1978年6月号の「マンガ少年」に載っていた『不惑(まどわず)』です。『ザ・タックスマン』の最初に載っています。間もなく不惑という男の教師浅田が母校に赴任するところから話が始まります。普通の進学校のはずなのですが、少し様子が違います。生徒は言うに及ばず、教師までが何かのコスチュームでパフォーマンスをするのです。浅田は生徒に向かって「貴様らは学校を何とこころえとる!!」と叫ぶのですが、逆に生徒に突っ込まれてしまいます。
 夜、かつての教え子の三井先生に誘われて飲みに行きます。「実は…」と何か言いかける三井ですが、トローンとした浅田を見て「出ましょうか…」と言って店を出ます。
 次の日、朝礼のときに浅田はロックンロールの衣装を着て登場して、「浅田常男スーパースター」と決めるのですが、満場はシーンとしているだけです。浅田が三井に尋ねると「普通の進学校でして---でも時たま息抜きにシャレなんか(中略)先生の赴任とも重なったし歓迎の意もこめて…」と言われます。校庭に残される浅田と三井。「ゆうべ僕がお話しするはずだったんですが…」と言う三井。浅田は三井に音楽をかけさせ、最後のページは一齣だけ、校舎の俯瞰に豆粒ほどの大きさで Rock around the Clock を歌う浅田で終わっています。
 受験戦争を闘う生徒と教師をこのように皮肉をこめて、さらにはユーモラスに描けるとは。とても23歳が描いたマンガとは思えません。37年前のマンガなのですが、今でも十分に通用すると思います。

 1980年には『天使の日』(『ザ・タックスマン』に収載)で再デビューをして、『地球防衛論』(『福の神襲来!!』に収載)を描いています。『地球防衛論』は安永航一郎の『県立地球防衛軍』に先立つこと三年です。今回読み返してみて、たった三人の防衛軍で、他の防衛軍と渡り合う(?)そのスケールに感心しました、それも衛星軌道で。宇宙が出てくるところはすごいのですが、最後のページには笑ってしまいます、しっかりギャグマンガなのです。

 『TAKE IT EASY』は最後の単行本のようです。四ページでひとまとまりになっていますが、特にタイトルはありません。「ある中一直線」のTシャツを着た作者が主役のものだけは六ページです。飲んべえの心理を実に上手く表しています。
 以下、気に入った作の紹介を。
 15ページからの年末進行についてのお話。一月発売の本にサンタクロースの話をしつこく三回書いて、最後に大きな袋を出して、七福神を出すというオチ(実際には四人しか描かれていませんが)。これには笑ってしまいました。
 31ページに携帯電話が出てきていますが、いまのケータイから見たら考えられないほどの大きさです。携帯電話の進化がよくわかります。
 39ページから42ページには成人式が描かれています。39ページの小学生のセリフ「俺達 悪い時代に生まれたよな―」「あと十年はこーゆー状態が続くんだもんな―」には、考えさせられます。小学生が勉強勉強と追い立てられるのを嘆いているのですが、今から見ればこの時から12年経って、大学を出ても就職難でさらに大変なことになるとは、この時は誰一人として思ってもいなかったでしょう。42ページの最後のマンガは「このままで行けば選挙権のある事忘れてくれるんじゃ…」と黒塗りの男のセリフがあります。来年の参議院選挙から18歳以上の選挙権が認められますが、さて投票率はどのくらいになるのでしょうか。
 103ページからはペットのお話です。露店のひよこが大きくなってと友達に相談する男、家に帰ってから鶏にはなっていない大きくなったひよこの前で悩む男。「はいずり物(ヘビやトカゲ)がブームだと聞くが… お前んとこまではいずり物飼ってるとはなー」と言う作者(だと思います)「…うちの長男だ」とLDKのキッチンから嫌な顔をして答える父親。這っている赤ん坊が描かれています。自分に関係のない赤ん坊が可愛いかどうか、これは難しいところです。
 馬(と競馬)の話が八話もあります。父と高校教師の長男と高校生の娘が出てくる話が多いのですが、なかなかに笑わせてくれます。

 最初にも書きましたがこれはと云った作品のないのが惜しまれます。どれも水準は超えているのですが、強いて挙げるとすれば、『地球防衛論』でしょうか。「世界各国に地球防衛隊があって その数500とも600ともいわれている」もののひとつがこの「神戸垂水星ヶ丘地球防衛隊」なのですが、さまざまなことについてのギャップの大きさがギャグになっています。

 ギャグ漫画家は長持ちしないというのは一面では真実のようです。

 なお、作者はペンネームとは逆に女性です。マンガ少年の「不惑」の柱に本名が書いてあります。


 書名『ザ・タックスマン』
 出版社 東京三世社
 1982年4月10日初版発行

 書名『福の神襲来!!』
 出版社 東京三世社
 1985年11月20日初版発行

 書名『TAKE IT EASY』
 出版社 チャンネルゼロ
 1993年4月20日第一刷発行

2015年6月15日月曜日

吾妻ひでおの『不条理日記』


 ここ十年ほどは『失踪日記』や『アル中病棟』などで話題になっている作者ですが、『オリンポスのポロン』や『おしゃべりラブ』と云った少女マンガも描いています。ここでは、吾妻ひでおの代表作の『不条理日記』を取り上げます。

 このマンガは「奇想天外」の昭和53年12月別冊(下記のホームページには立志編とあります。奇想天外社からの昭和54年版には名前は付いていません)および昭和54年11月号に載ったものと、「劇画アリス」に昭和54年に載った五話とからなる物語です。「劇画アリス」については Wikipedia に項目があり、自動販売機で売られていた雑誌のようです。

 このマンガは元ネタがわからないと何だろうというのが多いのですが、知らなくても笑えます。ネットで探してみると TomePage の http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/unreason.html (『不条理日記』元ネタ一覧)と
青年人外協力隊の http://www.asahi-net.or.jp/~ft1t-ocai/jgk/Misc/azuma.html (吾妻ひでお、不条理日記の謎)がありました。
 また、『不条理日記』元ネタ一覧の参考文献に挙げられている「むしゅーせー影穴編「新不条理解析」、奇想天外臨時増刊号・吾妻ひでお大全集、pp.103-120、昭和56 年5月15日発行」にはより詳しく載っています。

 まずは立志編(双葉社の『Hideo Collection 4 天界の宴』にある『不条理日記』に立志編とあります)から
 「酒を飲む」最初の齣は自分の将来を予見しているようで、現在からみると怖いし悲しくもなります。
 「健忘症になる」最初の齣の「ヤンボーニンボーケンボー」はNHKラジオの「ヤン坊ニン坊トン坊」からとったものでしょう。1957年3月31日まで放送されているので、1950年2月生まれの作者は聞いていて記憶にあったのでしょう。
 「ヘビがちょっと通らせてくださいと言って来る」出典不明とのことですが、長いヘビの話は民話にありそうな気がします。これを読んで真っ先に思ったことは、こんなに長いヘビ(通り抜けるのにどのくらいの時間がかかっているのでしょうか)がどうやって身体をおってお礼を言ったのかなと云うことです。
 「気がつくとぼくらはとじ込められていた」一日あれば充分に汚せるとは思うんですけど、閉じこめられた系でなければ。これだけのものをどうやって手に入れたのかなぁと。

 しっぷーどとー編
 扉絵は「2001年宇宙の旅」のパロディーなのですが、ガラスを引っ掻いてキキーという音を出しています。左の人は宇宙服のヘルメットの上から耳を覆っています。なぜ媒体がないのに音が聞こえるのかはこの際どうでもいいでしょう。
 最後の齣は「うちの奥さんこの本見てないだろうな~」と言っている後ろ向きの作者の絵と出刃包丁を持った女の人の影と、畳を持ち上げて覗いているナハハ(吾妻ひでおのマンガによく出てくる人物です)で終わっています。開け放たれた縁側の向こうでは松の木でセミが鳴いています。このセミ、眼からみると作者のようにも見えるのですが……。

 回転編
 前二作とは違って、ストーリー性があります。「○月×日破滅の日が来る」から話が始まります。主役は作者です。といっても夢をみているようなあやふやな物語ですけれど。最後のページではZライトの光を浴びて巨大化した飼い猫に食べられてしまいます。胃の中で猫の餌を掠めてブクブク太る作者、そこに奥さんも食べられて入ってきますが、奥さんさえ食べてさらに大きく太ってしまうところで終わっています。
 魚や鯨に呑まれる話は旧約聖書やピノキオにもあり、世界各地の民話にもあるようですが、共通点は当然のことですが、丸呑みにされることです。猫に飲み込まれるのは、ザラザラした舌でかなり悲惨なことになりそうです。

 帰還編
 11編の掌編からなっています。印象に残るものから少し。
 「親父を殺しにいく」ふつうにSFならばタイムパラドックスになるはずなのですが、ごく当たり前に現在になっています。そして返り討ちにあって川を流れる作者。親父の声が……「また来年こいばいいからなー」
 「★★と☆☆☆☆する」星鶴にまでちょっかいを掛ける作者と星新一の「おーい、でてこーい」の結末のように空から降ってくるたくさんの星鶴、その中の一羽はおかっぱ頭です。これを見て星新一はどう思ったのでしょうか。

 この後に、「永遠編」「転生編」さらにかなり毛色の異なる「SF大会編」と続くのですが、紹介はとりあえずここまでにします。

 『不条理日記』はマンガ史に残る作品ですが、その後の吾妻ひでおを現在から見ると、まだ若いのに燃え尽きてしまったように見えてしまいます。


 書名『不条理日記』
 出版社 奇想天外社
 昭和54年12月25日初版発行

 書名『Hideo Collection 4 天界の宴』
 出版社 双葉社
 昭和60年2月19日第一刷発行

2015年5月25日月曜日

川崎苑子の『ポテト時代』


 川崎苑子は以前に『いちご時代』を取り上げています。今回はその前の作品を取り上げてみます。作品としては『ポテト時代』の続編として『いちご時代』が来ます、

 『いちご時代』がほのぼのとしたメルヘン調なのに対して『ポテト時代』はユーモア・ギャグマンガになっています。なぜ『ポテト時代』なのかは最終話でわかります。
 就職浪人のそよ子さん(18歳)を中心にお話は進行します。長女のサラ(24歳)は小学校の先生、次女のスウ(21歳)は少女マンガ家、そして四女のふう子は幼稚園の年長さんです。

 第一話の最初の三ページ(扉絵があるので正味二ページと一齣)でかあさんが亡くなるまでの川風家の概要が書かれています。その後で、そよ子が家政婦という天職(?)に目覚めるきっかけが描かれています。道で倒れそうになっている沢くんを助けアパートに運び込み、食事を作り感謝されます。
 第三話で沢くんにおつきあいを求められ、一度は断ったそよ子ですが、女の見栄でつきあうことになります。以後のお話で沢くんはしばしば登場します。
 10話から12話では、遅いそよ子の初恋と失恋のお話です。それをはらはらしながら見つめる沢くん。
 13話では高校時代の友達に見栄からごちそうしてしまうそよ子のお話、15話では高校の同窓会のお話です。同窓会ではかっこいい男(沢くん)から何度もプロポーズされて困っているというそよ子を信じない友達と、最後に登場して酔って寝ているそよ子を抱き上げる沢くん、唖然とそれを見ている友達が描かれています。

 20話で家の狭さを嘆き、21話で沢くんの家のことを知り、22話で沢くんの実家に行きます。その家のすばらしさと掃除の行き届かなさ(沢くんのお母さんはアクセサリーの店をやっていて、かなり忙しいようです)、料理のひどさに、その場で通いの家政婦になることに決めます。
 24話では高熱を出して寝込むそよ子が、いろんな事を口走ります。そよ子らしからぬ事を、と家族は熱に浮かされたせいと思うのですが、そこにはそよ子の本音も混じっているのです。お見舞いに来ている沢くんにも普段は言わないことまで口にします。

 25話では元気のないふう子を見て、田舎のおじいちゃん・おばあちゃんからのランドセルが届かないせいと思う姉たち、そこにランドセルが届きます。早速ふう子にランドセルを背負わせ、似合っていると喜ぶみんな。けれどふう子が元気のないのは別のわけがあったのです。風邪を引いた友達が治らないと自分が「卒園生の言葉」を言わなければならない、それが嫌だったのです。
 最終話では、あいさつのけいこを無理矢理ふう子にさせようとするそよ子と、それを押しとどめる姉二人、お父さんの対立から始まります。そよ子を非難する三人に泣き出してしまうそよ子、そこに代表の子の風邪が治ったとの連絡があります。
 少し遅めの夕食にみんなは愕然とします。ジャガイモの一品料理だったのです。ケンカの後の夕食はイモばかりという習慣ができあがります。
 最後は「ちっともまいってないじゃないかとみんなは思った」「まいってたまるかとそよ子さんは思った」(以下略)で終わります。
 

 そよ子を主役にすると、このようなマンガになるのはよくわかります。
 四姉妹の性格設定がそれを物語っています。12話から見ると、サラを中心にすると、堅いお話になりそうな気もしますが、家の中での言動からするとそうともいえないのかなぁとも思ったり。
 面白可笑しくの中に、考え込ませるような場面も挟み込まれています。

 タイトルから考えると、作者はまず最終話を思いついてそれからストーリーを組み立てたと思われます。

 『いちご時代』を読み始めて『ポテト時代』との違いに初めはちょっと戸惑ったのも思い出です。


 書名『ポテト時代』
 出版社 集英社 MARGÅRET COMICS 1020
 1984年   11月30日第一刷発行

2015年5月6日水曜日

水月とーこの『がんばれ! 消えるな!! 色素薄子さん』


 今回は比較的新しいマンガを取り上げます。
 「人々は語る 彼女ほど薄い人はいない と」「それって幸が薄いってこと?」「いいえ」「これはそんな彼女の幸せな幸せな物語です」で始まり、同じ言葉で終わる物語です。
 なお、Wikipedia に「がんばれ!消えるな!!色素薄子さん」の項目があります。

 名前のとおり髪は薄い水色、肌は白い、そして一番の特徴は存在が薄い事です。そこにいるのに誰にも気がつかれない、そんな薄子の大学生活が語られています。
 ギャグの中にシリアスな話が織り込まれています。そして次第にシリアスの割合が多くなっていきます。

 主な登場人物は、兄の濃造、幼なじみの絵尾画子(名前のとおり絵が得意で何度か賞を取っている、何かにつけてピカソを連呼する)、画子の弟(薄子からは弟くんと呼ばれている)画太、小泉雲子(入学式で薄子と知り合い、以後親友になる。プロの脚本家としても活動。この名前を見たときには小泉八雲からとった名前かと思いました。本人のブログを見るとそのとおりでした)、30話から登場する烏丸撫子(一学年下です、29話までで一年経っています)、薄子のアルバイト先の紅茶専門喫茶店の甘咲薫(雲子の従姉妹で、二十代後半)、薫の中学からの友人で保育士の桐谷優子です。そうそう、もうひとつウオサダさんを忘れるところでした。生物学科で飼っている巨大な蛙で、薄子に懐いています。

 このマンガを一言で言ってしまえば、大学四年間での薄子の成長物語です。

 天才的な絵の才能を持つ画子と脚本家としての成功を夢見る雲子、その二人と比べるとなんの才能もないと思う薄子、そんな薄子がどう変わっていくのかと云ったところでしょうか。
 最初の変化の兆しは、第五話の雲子に頼まれての喫茶店のアルバイトでしょうか。けれどこのアルバイトで大きく変わるわけではありません。桐谷優子から「一日でいいから保育園を手伝って」と44話で頼まれます。そして45話で保育園に行くのです。わたわたしながらも何とか手伝いを終えて保育園を後にする薄子ですが、途中で引き返し優子に言います。「また おてつだいにきてもいいでしょうか」
 とは云っても、次に保育園が登場するのは59話です。

 48話では教務の手違いから、希望しなかったゼミに割り振られます。先生の所に変更を申し入れようと部屋をノックする薄子ですが、先生の話を聞いて、その郷土史のゼミに入る事にします。この話の最後の齣は笑い(と涙)を誘うものでした。
 53話ではフィールドワークに出た薄子と先生のお話ですが、このテーマは変わるものと変わらないものでしょう。人の想いは変わらないのでしょう……
 61話で薄子には言わずに画子はパリに絵の勉強に出発します。62話では画子の真意を知り、がんばろうとする薄子が描かれています。

 63話からは四年生になった薄子のお話になります。
 72話で優子から保育士になることを勧められますが、73話で薄子の失敗から保育士の話はなかったことにと優子に言われてしまいます。74話では今日限りで保育園をやめる決心をして保育園に出かける薄子ですが、自分の失敗の意味を知り、優子に詫びて、保育士になる決意をします。
 80話ではパリ美術コンクールで画子は入選し、84話で一時(凱旋?)帰国します。ここから最終の96話までは四人で行動をしています。
 95話では保育園の卒園式があり、薄子も先生として出席しています。

 最終話では、卒業式の二日後にパリに戻った画子と、数週間後に、パリに旅立つためにバスに乗る薄子で終わっています。そこに始まりと同じ言葉が書かれています。

 保育士になる決心をするまでの薄子と、友人の三人のお話なのですが、サイドストーリーもあり、面白いマンガです。
 33話や37話のお話が伏線になっているとは、45話になるまでわかりませんでした。33話で気になることが一つ。一緒に喫茶店甘咲に来ている撫子は途中から全然出てきません、薄子をどういうふうに見ているのかがあればもっと良かったと思うのですが。
 13話には巨大蛙の(薄子の命名の)ウオサダが出てきます。生物学科の蛙でヒトの二、三倍はあろうかという大きさです。でも小さい頃から蛙やトカゲの好きな薄子は大喜びで蛙に抱きつき、蛙も薄子が気に入ったようすです。ウオサダはこの後も何度か登場し、最終話では薄子との別れに涙さえ流しています。
 最終話での画太の想いは薄子に届いているようですが、それに対して薄子はどう答えるのでしょうか。
 57話では雲子と濃造が互いに好きだった事に気づきます。


 このマンガが初の商業誌連載とのことですが、絵はうまいし、お話にも破綻はなくとても素敵です。主人公は存在が大事と思っていたのに、それをひっくり返した着想はすばらしいものです。存在が薄いことが、逆に存在を際立たせるとは。
 見ていて疲れないことの一つとして、お話の終わりのところどころに脱力シーンがあることもあるでしょう。たとえば、74話での最終の齣はそれまでの緊張をほぐす役目もあるように思えるのです。全部の話の終わりが脱力シーンなら、面白くも何ともないのですが、いいタイミングで入っています。
 遠ノ宮のモデルはどの辺なのでしょうか。第2話では、結構な本数のバスが走っていそうな描き方なのに、時刻表にはそんなにバスはないようだし。遠ノ宮市と云うにしては風景は田舎が多いし。

 登場人物の名前なのですが、女の人は薫以外は子がついています。撫子は花の名前ですので除いても三人に子がついています。携帯電話と薄型テレビは出てきていません。もっとも、50話はケータイがあれば成り立たなくなってしまいますが。
 時代設定はいつ頃なのでしょうか。

 気になったことを一つ、大学生をつかまえて、生徒はないんじゃないのかなぁ、と。むかし、中学生・高校生は生徒で、大学生は学生と言われたものですので。


 書名『がんばれ! 消えるな!! 色素薄子さん』1~12巻
 出版社 一迅社
 2009年7月20日~2014年3月5日 初版発行

 背表紙の色が11巻だけ空色と腰巻に隠れる部分が若草色です。それ以外は白です。

2015年3月11日水曜日

地震から四年


 今日の仙台は時折雪がちらつき、気温もあまり上がらずの一日です。四年前を思わせるような日です(去年も一昨年も雪が降りました)。あの地震から四年になります。沿岸部の復興はまだまだのようです。石巻線は3月21日に復旧するようです。また、仙石線は5月30日に全線復旧との事です。この二つの路線では線路の付け替え、路盤のかさ上げ工事がありました。常磐線の浜吉田と相馬のあいだはあと二年かかるとのことです。でも、常磐線が全面開通するのはいつになるのでしょうか。ニュースでは三年後をめどにと言っていますが、できるのでしょうか。
 
 四年が過ぎても、仮設住宅で暮らしている人は八万人以上います。みなし仮設を含めると、今なお22万人以上の人たちが避難生活を送っています。阪神淡路大震災では、四年経った時点では、避難生活者はいなくなったとの事でした。
 津波被害の有無が大きいように思えます。また、それに伴う被災地の広さもあるのでしょう。

 福島県浜通りの原子力発電所の事は、いろいろとニュースになっています。このことについてはここでは触れません。長くなりそうなので。

 ほとんど被害といえるほどの被害はなかったわたしですが、こうしてみると、日常というのがいかに大切かという事を思わずにはいられません。あたりまえがあたりまえでなくなる、そんな事は、もう経験したいとは思いません。

2015年2月12日木曜日

須藤真澄の『電氣ブラン』から「晩餐」


 須藤真澄を取り上げるのは二回目になります。三年半ほど前に、『電氣ブラン』を取り上げ、その時に「晩餐」は別に取り扱うと書きました。それからずいぶん経ってしまいましたが、ここで書いてみることにします。

 登場するのは15歳の少女(清(せい))と小学生の男の子(丸刈太(まるがりーたと振り仮名が振ってあります。女の名前のはずですが…)という名前の中学年ぐらいでしょうか、名前の通りの丸刈り)です。夏休み前の7月14日からたぶん9月1日までのお話です。

 庭に穴を掘る少女と、それを手伝う男の子。
 男の子は穴を掘っていることに興味を持ち、手伝うと言うと、最初は邪慳にしている少女ですが、男の子に話します。
 なぜ穴を掘っているかというと……少女の祖父は予言者で、くず屋をしながら少女を育てていたけれど、亡くなります。亡くなる前に少女に予言します。「8月に空から恐ろしい何かが降ってくる」「それが最後の兆しだ」と。祖父の亡骸を庭に埋め、「おじいちゃんの隣りで地球のおなかの中で死にたい」と、その隣りに穴を掘っているのだと。
 数日後、男の子が行くと、駐在さんと近所の人が来ていて、少女ともめています。外で火を使っては危ないと言われています。その晩は夕食を家の中で二人で食べます。
 夏休みのあいだ男の子は毎日少女のところで穴掘りを手伝い、少女はひもの結び方を教えたりします。

 そして運命の8月31日が来ます。何事もなく夕方になります。二人は穴のそばで夕食を摂り、清は丸刈太に言います。「明日丸刈太が来る前にこの穴を全部埋める」
 翌日、穴はなくなっていて、二人は家の掃除と丸刈太の夏休みの宿題を片付けます。

 夜、祖父の庭にある墓の前で清はおじいちゃんに語りかけます。「予言が初めてはずれたね」「この世の終わりが来なかったときの方が恐ろしい…」「誰も信じないで穴の中にいた方が良かったの?」
 そして最後のページは「恐ろしい階段のてっぺんに立ちつくしているのが あんなに柔らかい人間だということを知ってしまったから……」とあります。

 少女には日常の生活が戻るだろう事でマンガは終わります。けれど9月以降の少女の内面はそれまでとは違うこともわかる終わり方になっています。
 タイトルは8月31日の夕食を指していると思われます。

 このマンガの描かれた1985年は、たぶん1999年7月が話題になり始めの頃だったような気がしますが、どうだったでしょうか。Wikipedia によれば1982年7月に「ノストラダムスの大予言 4」が出版されています。


 このマンガが描かれてからしばらく経ってから、『予言のはずれるとき』と云う本の日本語訳が出版されました(1995年12月、原典は1956年)。内容については以下のブログにかなり詳しく載っています http://newmoon555.jugem.jp/?eid=360。
 予言がはずれると人は二つの行動パターン、認識を改めるか、信念が強固になるかのどちらかを取るとあります。もちろん、信者が大勢いる場合ですが。予言者の近くにいる人ほど信念が強固になるとのことです。


以下は前と同じです。
 書名 『電氣ブラン』
 出版社 東京三世社
 1985年11月10日 初版発行
 まひるの空想掌編集 と副題が付いています。
 カラー口絵が8ページあります。
 また、カヴァーには、銀文字で電氣ブランについて以下の記述があります。
  リキュール類
  アルコール分40%
  容量162ml

 書名 『電気ブラン』
 出版社 竹書房
 1996年4月18日 初版第一刷発行
 東京三世社のものとは違うカラー口絵が1ページあります。
 初出一覧があります。

2015年1月17日土曜日

阪神淡路大震災から20年 20年の意味

 今日1月17日は1995年に阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)があった日です。20周年とのことでマスコミでも特集を組んでいるようです。
 神戸では、震災を知らない人が40%とのことです。人の移動の多い都市としては仕方のないことかもしれません。淡路島はどうなのかなあとの思いがあります。

 20年にこだわったのは、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の津波により壊れてしまった、南三陸町の防災対策庁舎のことがあったからでした。震災遺構としての保存をめぐり、県が県有化して、地震から20年後の2031年に保存の可否を判断する意向との報道です。知事は、原爆ドームの保存の決定に21年を要したことを念頭に発言したとのことです。
 広島でどのくらいの人口移動があったのか、でも原爆は広島だけの問題ではないし…などとも思います。
 一方、神戸では40%という数字があります。でも、南三陸町ではそれほどの人口移動があると思えないしなどとも考えます。

 住んでいる人にとっての20年という歳月は、人の思いが変化するのに充分なのでしょうか。見るのがつらいとの思いはどうなるのでしょうか。
 16年後、果たしてどのような結果が出るのでしょうか。


 まとまりなく、1月17日に思ったことを書いてしまいました。

2015年1月13日火曜日

みつはしちかこの『小さな恋のものがたり』


 去年の秋に本屋に行きましたところ、標題の本の43集が目に留まりました。その帯には「さよならサリー……。」とありました。ついに最終巻かとの思いで買ってきました。以前は、初夏になると買っていたのを思い出していました。
 連載の始まったのは1962年とありますので、東京オリンピックの二年前と云うことになります。長期連載と云えば『ゴルゴ13』があります。Wikipediaを見ると1968年11月(1969年1月号)から「ビッグコミック」に連載とのことですので、ゴルゴの6年先輩と云うことになります。また、少女漫画はさすがに1960年代に始まって今まで続いているものはないようです。

 さて、『小さな恋のものがたり』は最初は「美しい十代」と云う学研の雑誌に載っていたとあります。「美しい十代」と云えば三田明の歌のタイトルしか知らないのですが、ネットで「美しい十代 雑誌」で検索すると以下のページがヒットします。http://madonna-elegance.at.webry.info/201203/article_8.html このページには「美しい十代」についてかなり詳しく載っています。
 この雑誌は1966年には廃刊になったとのことです。

 43集についてはいろいろと書評が出ているようですので、こまかくは触れません。
 43集にはみつはしちかこの略歴が載っていて、1967年初の単行本化とあります。これが学研から出版されたのか、立風書房から出版されたのかは書いてありません。手元にある立風書房版を見ると(さすがに初版ではありません)、一集の奥付には1970年8月20日 立風版第1刷発行とあります。不思議なことに二集の奥付には1970年8月15日発行とあります。六集から41集までは5月か6月に出版されています。この10集でミリオンセラーを記録と43集に記載があります。

 一冊ずつ見ていてはきりがありませんので、纏めて見てみましょう。ここでは、誰が何集から登場しているかを見てみます。
 第一集ではチッチとトンコちゃん、それにサリーの三人です。チッチとサリーの関係はそんなに悪いとも思えません、チッチの片思いが強いとはいえ、サリーもそれなりに気を遣っているようです。一集の54ページにモダンジャズ喫茶が出てきています。時代を感じるのは仕方のないことでしょう。
 山下くんは三集で登場です。岸本くんは六集で出てきています。九集の終わりでチッチの失恋(?)と10集の初めでの復縁(?)があります。11集で北海道からマユミが転校してきます。
 ざっと眺めているだけなので見落としがあるかもしれませんが、12集にはバレンタインデイが出ています。
 15集からは松木さんが登場して、18集からはマリちゃんが出てきています。25集には「小さな恋」誕生三十周年とあります。そして26集からはゴータローが登場して、これでメンバーが全員そろいます。と思っていましたが、31集からミサキが出てきていました。記憶とはいい加減なようです。

 第一集の最初に身長が出てきます。132センチメートルとのことですので、最近のマンガ、東屋めめの『リコーダーとランドセル』のアツミより5センチメートル小さいことになります。さて、サリーの身長は出ているでしょうか。

 このマンガについて http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20140928/Mogumogunews_641.html に「すれ違い、想い続けることに一つの幸せの形があるからこそ、52年にもわたる“片思いマンガ”(チッチはサリーを、サリーはチッチをなので、両片思いというのが本当のところ)として『小さな恋のものがたり』は続いてきたのだろう」とあります。言い得て妙です。

 三年経ってサリーが帰ってくるとお話はどうなるのでしょうか、興味のあるところです。