2015年1月17日土曜日

阪神淡路大震災から20年 20年の意味

 今日1月17日は1995年に阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)があった日です。20周年とのことでマスコミでも特集を組んでいるようです。
 神戸では、震災を知らない人が40%とのことです。人の移動の多い都市としては仕方のないことかもしれません。淡路島はどうなのかなあとの思いがあります。

 20年にこだわったのは、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の津波により壊れてしまった、南三陸町の防災対策庁舎のことがあったからでした。震災遺構としての保存をめぐり、県が県有化して、地震から20年後の2031年に保存の可否を判断する意向との報道です。知事は、原爆ドームの保存の決定に21年を要したことを念頭に発言したとのことです。
 広島でどのくらいの人口移動があったのか、でも原爆は広島だけの問題ではないし…などとも思います。
 一方、神戸では40%という数字があります。でも、南三陸町ではそれほどの人口移動があると思えないしなどとも考えます。

 住んでいる人にとっての20年という歳月は、人の思いが変化するのに充分なのでしょうか。見るのがつらいとの思いはどうなるのでしょうか。
 16年後、果たしてどのような結果が出るのでしょうか。


 まとまりなく、1月17日に思ったことを書いてしまいました。

0 件のコメント:

コメントを投稿