2018年3月11日日曜日

地震から七年


 今年も3.11になります。あの日から七年です。海岸には慰霊碑などがありますが、仙台の街の中は地震のあったことを思わせるものは捜さなければありません。
 今日の仙台は春の日差しが降り注ぎ、あの日と違って春なのだなあという一日です。

 先日の発表では、福島原発の凍土壁は一定の効果はあるものの、予想よりその効果はかなり小さいようです。廃炉作業の準備も予定通りには進んでないようですし。四十年から五十年はかかるという作業は、果たして終わりがくるのでしょうか。
 また、双葉町や大熊町はどうなるのでしょうか。自治体としてやっていけるのでしょうか。浪江町と富岡町は人口の三パーセント前後しか戻ってきていないとのことです。

 一週間前のTVで河川津波のことをやっていました。確かに海の見えない十キロ以上も河口から離れたところに津波が押し寄せるとは誰も思っていなかったことでしょう。これが予想されている東南海地震への教訓になれば、命を落とされた方々も浮かばれるのでしょうか。

 避難している人は七万人以上いて、福島県だけで六割以上とか。まだ仮設住宅に住んでいる方も多いとのことです。災害公営住宅の建設もまだのところがあるようです。被災面積に大きな違いがあり、阪神淡路の時と比べてはいけないのでしょうが、遅すぎるのではないでしょうか。阪神淡路では、津波の被害がなかったためにすぐに復旧できたとのことです。津波のことを考えると、色々と大変なことはわかりますが。
 七年ということは、被災者は七つ年をとるということなのです、あと三年で十、年をとるのかと考えると……。

 被災地での、小さくて地震を覚えていないはずの、または震災後に生まれた子供の行動に異常が見られるとの話には考えさせられます。被災した人たちの震災後の不安やいらだちの影響とのことですが、この子達の将来は、と思うと……。
 ハード面での復旧・復興は時間と金さえあれば何とかなるのでしょうが、心の問題はそうではないので、時間がかかるのでしょう。

 あれこれととりとめなく書いてきましたが、七年が、まだなのかもうなのかわかりません。


 震災の二年後に出版されたマンガ、『3.11 あの日を忘れない』1~5巻をずっと積ん読の状態でした。あの日から七年が過ぎた今、ようやく読んでみようと考えています。