2017年2月28日火曜日

清原なつのの『なだれのイエス』


 表題作は「花岡ちゃん」シリーズの三作目で最終作です。理屈っぽいところは前二作と同じですが、全体から受ける印象が違います。また、タイトルからも想像が付きますが、これは喜劇です。とはいえ、一人の人物、花岡ちゃんにとっては悲劇として現れます。

 ではマンガを見ていきましょう。
 まず扉絵ですが、これは「ピエタ」のパロディーになっています。花岡ちゃんがマリアに、簑島さんがイエスになっています。全体から受ける印象はどう見ても悲劇の始まりを予感させるものではありません。

 ストーリーについては以下を見ていただければ幸いです。これらを読めば分かるとおり、どう見てもシリアスだろうと思うのは当然なのですが、それでもこれは喜劇なのです。
 pippupgii.blog.so-net.ne.jp/2008-01-20
 wikiwiki.jp/comic-story/ 左のタイトル別一覧から、は~ほを選択し「花岡ちゃんの夏休み」をクリックしてください。この303には「なだれのイエス」までの五作品が載っていますが、ハヤカワコミック文庫にはこの他に二つあります。

 お話が始まって七ページ目で簑島さんが生きていることが読者には分かります。簑島さんから電話を受けた映研部長の遠野は、誰とも連絡を取らないようにと簑島さんに言います。まだ携帯電話のない頃のお話です。
 簑島さんが帰省したことを知らない花岡ちゃんの獅子奮迅の戦いが始まります。詳しくは wikiwiki.jp/comic-story/ の「花岡ちゃんの夏休み」307および308を見ていただければ幸いです。

 以前に読んだときには「花岡ちゃん」シリーズの続編と思っていたし、オチのあるシリアスな話と思っていました。でも、読み返してみると、やっぱり喜劇です。
 唯一シリアスかなと思えるのは、終わりから二ページ目の遠野がみやもり坂で転んだというところでしょうか、

 前二作とは三年の間があいて描かれていますし、ハヤカワコミック文庫では前二作の次ではなく五番目になっています。
 喜劇と割り切って読めば面白いマンガです。
 と云うわけで、前に取り上げた『花岡ちゃんの夏休み』と『早春物語』とは別に書いてみました。


 タイトル『なだれのイエス』
 書名『3丁目のサテンドール』
 出版社 集英社 りぼんマスコットコミックス RMC-219
 1981年12月19日 第1刷発行

 ハヤカワコミック文庫
 『花岡ちゃんの夏休み』
 2006年3月10日 印刷
 2006年3月15日 発行

2017年2月12日日曜日

市川みさこの『ラブ・ミーくん』


 市川みさこと云えば『しあわせさん(オヨネコぶーにゃん)』なのかもしれません。Wikipedia には『オヨネコぶーにゃん』の項目はありますが、「市川みさこ」はありません。ここで取り上げるマンガは、『しあわせさん』より少し後、たぶん平行して書かれたギャグマンガです。

 男の子二人(ラブ♥ミーとムーテ)と牧師さんが毎回の登場人物です。この三人が繰り広げるドタバタマンガです。男の子の名前は最初の話では出てきません、つぎのお話で二人の名前が分かり、マリアちゃんという女の子が登場します。

 最初の「天罰なんか怖くない」では、悪戯をする二人と、それに振りまわされる牧師というマンガを貫く構図が示されています。つぎの「牧師さまとラブレター」では、マリアちゃんに書いたラブレターと、牧師から借りた本を返すために持って出たラブ・ミーが、間違えて牧師にラブレターを渡してしまうと云うお話です。悩む牧師が面白く描かれています。
 「僕のパートナー」では、秋祭りのダンスパーティーに女の子と行くのですが、二人が狙っていたマリアちゃんは風邪でパーティーに行けなくなります。あぶれた二人の考えたのは、女の子の格好のラブ・ミーとムーテのカップルなのです。
 「魔法入門」からの三話は牧師の持っている魔法の本を巡るお話です。「魔法入門」では、魔法の本を持ち出したラブ・ミーが自分の影を使って芝刈りをさせると、影は芝の影だけを刈って、役に立たなかったというオチです。次のお話では魔法の本自身が魔法を使う話で、三話目では、魔法の本が子供達を持ち出してしまいます。手足の生えた魔法の本が両脇に子供を抱え口笛を吹いています。
 「名犬ブルーマウンテン」では、牧師が友人から預かった名犬が登場します。名犬なのですが、牧師が二、三日留守にすることになります。二人に犬を預けて帰ってくると、犬の性格は、子供達にそっくりに変わってしまっています。

 ギャグマンガの難しさは、どのように終わるかにあると思うのですが、このマンガの場合はどうでしょうか。見てみましょう。
 最終話のタイトルは「恐怖のオーメン悪魔ばらい」です。子供達に悪魔が憑いているに違いないと、悪魔払いをする牧師ですが、その様子を見るためたくさんの悪魔が集まってきます。「これが有名なエクソシストか」などと集まってきた悪魔が言っています。
 「悪魔ばらいなのに悪魔をよんでしまった」と自分の修行の足りなさを嘆く牧師。「本物の悪魔になるには… 修行がたりないようだ…」と思う子供達。集まってきた悪魔が何かをしてと云うわけではないようですが。
 「というわけでみんなが修行にでるのでこのまんがは… おしまいです」で終わっています。

 いなくなるのでおしまいは、確かにそうなのでしょうけれど、なんか肩すかしを食らったような気持ちになります。とは云っても代案があるわけでもないのですが。
 それと、子供達が修行にでる理由が分かりません。素直に読むと、悪魔になるための修行にでる、になるのです。それまでは悪魔のような行いを牧師にはしているのですが、悪魔のようだと自分では思っていません、悪戯をしているだけです。それがいきなり悪魔になるというのは無理があるのでは…、と思うのです。
 それでもこのマンガは楽しく読めました。


 書名『ラブミーくん』
 出版社 東京三世社
 出版年 1983年5月10日 初版発行