2017年8月31日木曜日

こうの史代の『夕凪の街 桜の国』


 昨年末から今年(2016年~2017年)にかけて『この世界の片隅に』が劇場アニメ化され評判になった作者ですが、ここで取り上げるのはもう少し古いマンガです。腰巻にはみなもと太郎のベタ褒めの推薦文があります。

 『夕凪の街』は昭和30年(1955年)の広島の原爆スラムが、『桜の国(一)』は、昭和62年(1987年)の東京都中野区が、『桜の国(二)』は平成16年(2004年)の西東京(田無)市と広島が舞台です。
 あらすじは、『夕凪の街 桜の国』で調べると wikipedia にかなり詳しく載っています。そこに、『夕凪の街』の最終ページの次に空白のページがありますが、それについての説明もあります。その次のページには、髪を梳いている母親とうれしそうにしている子供の絵があります。母親のフジミと娘の皆実なのでしょうか。

 それでは、印象に残る場面を少し。
 まず『夕凪の街』について。皆実の14ページのフラッシュバックと、15, 16ページの銭湯でのシーンです。「ええヨメさんなるな」に頬を赧らめる(ように見える)皆実ですがその下の齣は瓦礫から突き出た腕です。いずれの齣も小さいのですが印象的です。銭湯では皆実のあのことについての思いが書かれています。「死ねばいい」と誰かに思われ、それでも生き延びていることについての。
 西平和大橋の袂で皆実は同僚の打越に思いを打ち明けられ、キスされそうになります。その時皆実の脳裏をよぎったのはあの日のことです。打越を突き放し家へ逃げ帰る皆実に思い浮かぶのは、あの日のこと、それに続く日々のことです。「しあわせだと思うたび美しいと思うたび 愛しかった都市のすべてを人のすべてを思い出し すべて失った日に引きずり戻される おまえの住む世界はここではないと誰かの声がする」には、ドキッとさせられます。
 翌日、打越に「うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい 十年前にあったことを話させて下さい」という皆実です。28ページの最後の齣と29ページの初めの齣の間には皆実の話があったのでしょう。「なんか体の力が抜けてしもうた」と言う皆実に、「生きとってくれてありがとうな」と手を絡ませる打越。
 その次の日から家で床についた皆実に会社の人たちが見舞いに来ます。しかし、日に日に弱っていく皆実、目が見えなくなります。32ページの五齣目から33ページは絵がありません、セリフだけです。「十年経ったけど原爆を落とした人はわたしを見て「やった! またひとりころせた」とちゃんとおもうてくれとる?」
 養子に出した弟の旭と伯母が水戸から着いたところで、皆実の思いがあって皆実のお話は終わります。終わりから二齣目に堤防の石段に腰を下ろす打越と、最後の齣は打越にもらったハンカチを持った皆実の左手で終わっています。「このお話はまだ終わりません 何度夕凪が終わっても終わっていません」でこのお話は終わっています。
 たった30ページでこれだけのことが描けるとは驚きしかありません。あの日のことは三ページしか描かれてないのに通奏低音としてすべてに流れています。
 戦争と災害では話が違うといわれるでしょうが、被災者が、私だけが幸せになっていいのかと思うことは多いと聞きます。「うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい」と同じ思いなのでしょう。幸せに生きることが亡くなった方の供養にもなりそうに思えるのですが……。
 皆実が亡くなったのは昭和三十年九月八日です。二十三歳でした。あの日から十年経っています。
 佐々木禎子が亡くなったのは、同年の十月二十五日でした、享年十二歳。「つるのとぶ日」を読んだのはいつ頃だったでしょうか、こちらは実際にあった話ですが。

 つぎに『桜の国(一)』は小学五年生の石川七波のお話です。七波は父の旭、弟の凪生、そして祖母の平野フジミと団地で暮らしています。七波は少年野球のショートをやっていて、野球大好きな女の子です。凪生は喘息で入院しています。団地の向かいの邸宅には七波と同学年の利根東子がいます。四月十日、七波は校庭の桜の花びらを拾い集めて、東子と凪尾の入院している病院に行って花びらを撒き散らして凪生を見舞います。検査で病院に来ていたおばあちゃんには怒られますが。
 そのおばあちゃんが亡くなるのはその夏(昭和六十二年)の八月二十七日のことです、八十歳です。秋には凪生が入院から通院に変わって病院の近くに引っ越します。
 この話はつぎの話の入り口のようで、特にあれこれはいいません。

 『桜の国(二)』は旭と七波、東子が主な登場人物です。凪生ももちろん出てきます、主役ではありませんが。
 退職した旭の様子・行動が変だと気づいた七波はある夜に散歩に出かけると出ていった父の旭の後を付けます。田無駅で17年振りに会いたいと思っていなかった東子に会います。二人で後を付けると、東京駅前から広島行きの夜行バスに乗ります。
 夜行バスでのおばあちゃんの病床シーンの七波の回想は切なくなります。
 広島に着いてからしばらく二人で後を付けます。東子と別れて七波はさらに後を付け墓地に入ります。平野家の墓を見る七波、その三駒前の七波が隠れてみている墓には、あの日とその直後に亡くなった四名の名前が刻まれています。
 70ページの川原の土手に腰を下ろす旭、71ページではそれが昭和30年代初めに変わります。以下、72ページから旭の回想シーンが5ページ半続きます。まだ小学生(たぶん六年生)の太田京花との出会いが描かれています。そして83から84ページには京花を嫁にしたい旭と「知った人が原爆で死ぬんは見とうないよ……」というフジミの言葉があります。
 京花は38歳で血を吐いて倒れ亡くなります。倒れている京花を見つけるのは学校から帰ってきた七波です(直接描かれてはいませんが小学一年生)。93ページの「生まれる前そうあの時わたしはふたりを見ていた」はジーンとくるシーンです。平和大橋の袂の旭と京花は幸せそのものです。
 東子と凪生の二人もうまくいくことでしょう。
 終わりの三ページは帰りの電車での旭と七波です。旭は今年が皆実の五十回忌で、皆実を知っている人たちに会いに行ったことを伝えます。
 最後の齣のセリフは無ければないでも良いように思えるのですが、最後まで暗さを引きずらせないためには必要なのでしょう。

 原爆の怖さはそれを浴びたものに何時影響が現れるかわからないところにもあるのでしょう。皆実の父と妹はおそらく即死に近かったのでしょう、姉は二ヶ月後に、皆実は十年後になくなっています。京花は38年後になくなっていますが、フジミは80歳まで生きています。86ページの七波の思いは当然のことのように思えます。
 子供の頃の思い出の場所は大人になってから訪れると、その小ささに驚くというのはよくあることでしょう。桜が大きくなったせいではないでしょう。


 書名『夕凪の街 桜の国』
 出版社 双葉社
 2004年10月20日第1刷発行 手元にあるのは2004年12月15日第2刷です