2019年4月29日月曜日

杉本啓子の『夢幻宮』


 作者は貸本でのデビューが1964年とあります。'66年から別冊と週刊の少女フレンドに作品を描いています。しかし私がこのマンガ家を知ったのはずっと後のことです。'79年の『空中庭園』で初めて単行本を買いました。'75年が最初の単行本が出た年とありますので、本屋で見かけた『ジニの魔法つかい』(これはさすがに手は出しませんでした)の出た年です。

 さて『夢幻宮』ですが、八つの短編からなる作品集です。副題が「幻想ロマン自薦異色短篇集」とあります。その中から読み返してみて面白かったものを取り上げます。

 まず、「溶けていく風景」から始めます。
 Ⅰ. ファンタスティック 不仲な両親と四、五歳くらいの女の子、身体の1/4くらいの毬に上手に乗ります。「見て見て」と言っても両親は子供のほうを見ません。「見て見て いるのは あたしだけ」との視線の先にはサーカスで玉乗りをしている自分の姿。
 Ⅱ. サディスティック 砂場でいじめられる女の子、いじめる大きな男の子は画面にはほとんど出てきません。「しばらくして…… その子病気で死んだけど あれはぜったいに病気なんかじゃない あたしをいじめたからだ 当然のことだ」
 Ⅲ. ロマンティック 中学生になった女の子は、一葉の写真をアルバムで見つけます。「これだれ? 新人歌手?」との問いに、昔、女の子をいじめてた男の子と聞かされます。自分の記憶では鬼のような顔だったからです。その子はとても苦しんで死んだことを思い出します。女の子は教室で倒れます。「A子ちゃん!」と級友達が呼びかけます。となりの席のB子ちゃん、いまのとこ大好きなCくん、そしてパパもママもみんなみんなテレビの中に入ってしまって、きこえてくるひとつの音
 Ⅳ. フィナーレ 激しい砂嵐の中にいる女の子、身体があるから痛みを感じるんだ、きえてしまえわたし、砂になれ! 風になれ! 消えてしまったわたし、空気のように生きたいよ、と最後のページは砂漠と満月で終わります。

 フィナーレの独白は思春期の女の子の思いなのでしょう。Ⅲ章でのパパとママはⅠ章のパパとママと同じです。両親の愛情の中で育ったとは思えません。だからこそ、きえてしまえになるのかなぁと。でも、救いがあるとすれば、「いたみも いとしさも かなしみも そのままに 空気のように 生きたいよ」にあると思えるのです。そのままにと云うところがひっかかります。かなしみもなくなれでないところに光明を見るのは考えすぎでしょうか。

 つぎに「夢幻宮」です。
 15ページと一番短い掌編です。見開きのタイトルページを除くと13ページです。
 最初の六ページは水族館です。迷子のお知らせから始まります。今日は迷子が多いなとつぶやく青年、その時その青年の迷子呼び出しがかかり、次に一緒の女の子の迷子放送がありと、次々に館内の人の迷子放送があります。右往左往する人々、一瞬の静止の次のページには十数匹の泳ぐ魚。
 ページをめくるとデパートの屋上です(昔はデパートの屋上には小さな子供のための遊園地があり、遊具がありました)。ボロの服をまとった老婆が一人椅子に座っています。もうすぐ閉店ですよと声をかける青年。老婆は語ります、「むかしむかし まいごになりましてね もう長いこと歩きまわっているんですが ちっとも家につかなくて とうとうこんなになってしまいました」 そして新幹線を模した乗り物を指さし、それに乗せてもらい、「これに乗りたくてここに来て 母親とはぐれてしまったんですよ ありがとう もう思いのこすことはありません」と言います。そこで乗り物の動きが止まります。すると老婆は「あの…… おそれいりますが……」 黒い齣に白の文字で「今度は観覧車に」
 その下の齣には「ガンガンガンガン ゴーオッ」の手書きの文字が。次のページにはガードを通過する電車が変則横割り四齣で描かれています。そして最終ページはビル群と夕日の齣で終わっています。

 水族館の話はまだわかります。迷子の呼び出しで次々に呼ばれるのは迷惑かもしれませんが、たぶん館内の全員が呼び出されるのだろうと云うことと、騒然とする中での一瞬の静止というのは。
 デパートの屋上の話のほうはわからなくもないのですが、ちょっと無理かなあと。
 新幹線を模した乗り物ではなくて、自動車かバスだったらまだ何とかなりそうですが(新幹線の開業はいつでしょうか。マンガの描かれた時期はいつでしょうか)。それにしても、時間の経過を表すために老婆を持ってくるというのはちょっと安易すぎるような気もするのです。これとは別の話になってしまうと思いますが、小さな子供のままで時間が経ってしまう、衣服のボロさで時の経過を示すというのはどうなのかなぁとも。

 「夢幻宮」は描き下ろしの作品のようです。


 書名『夢幻宮』
 出版社 東京三世社
 1980年9月10日初版発行