2011年3月25日金曜日

中森清子の『東京マグニチュード8.2』

 倒れた本棚の本を片付けているときに一冊のマンガが目にとまりました。それが表題のマンガです。
 昭和57年(1982年)ザ・マーガレット1号掲載とありますから、1981年12月発売なのでしょうか、およそ30年前の作品です。

 地震の描かれたマンガを買ったのは憶えていましたが、内容はすっかり忘れていました。読み返してみると、いろいろと突っ込みどころの多いマンガですが、いまは措いておきます。

 このマンガが描かれたころの事情をみてみましょう。
 1974年5月に伊豆半島沖地震があり、静岡県南伊豆町で30人が亡くなっています。この地震は M(マグニチュード) 6.9 でした。1978年には1月に伊豆大島近海地震(M 7)があり、伊豆半島の東側で25人が亡くなり、6月には宮城県沖地震(M 7.4)が起こり28人が亡くなっています。この1978年宮城県沖地震は、津波は非常に小さいものしか発生せず津波被害はありませんでした。しかし、倒壊家屋が多かったことから、建築基準法が改正され、1981年に施行されました。

 作者は静岡県出身とありますので、東海地震の心配があったのでしょう、それで舞台を東京に置き換えてこのマンガを描いたのかもしれません。

 このマンガの後の、1983年5月には日本海中部地震があり、104人が亡くなっていますが、そのうちの100人が津波の犠牲者です。

 1995年1月には兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)があり、その犠牲者の多さに驚かされたのですが、津波はありませんでした。

 そして東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)では、死者・行方不明者は27,000人を超えて、その多くが津波の犠牲者なのです。

 東京が地震に襲われるマンガとしては、古屋兎丸の『彼女を守る51の方法』があります。こちらのマンガはまだ現実味を帯びています。

 なんか、とりとめもなく書いてしまいました。
 次回からは、もっとましに書こうと思っています。


 書名『東京マグニチュード8.2』
 出版社 集英社  集英社漫画文庫 195
 昭和58年2月25日 第1刷発行

2011年3月17日木曜日

地震から一週間

 東北関東大震災からもう一週間になります。幸い、わたしは無事でしたが、今日現在で16,000名の死者・行方不明者が出ています。亡くなられたかたの御冥福をお祈りいたします。

 緊急地震速報の終わらないうちに揺れ始めたと思います。必死でパソコンが机から落ちないように押さえていました。わたしの職場は、二階建ての一階なので揺れの割には被害は少なくて済みました。
 職場の避難場所で全員の無事が確認されそこで散会になりました。そのときはラジオで大津波警報が出たことは知っていました。帰宅した後は、停電でラジオもなく、何があったのかさえわかりませんでした。

 翌日、ラジオを手に入れスイッチを入れて愕然としました。それでもそのときはまだ死者・行方不明者は2,000人に満たなかったと思います。その数は日に日に増えて、とうとう今日は16,000名とのことです。

 日曜日の午後に電気は回復しましたが、ケーブルテレビの会社までは通電されていなくて、テレビは映りませんでした。
 月曜日に職場に行きましたが、棟続きの本屋(八階建て)は、惨憺たるものでした。上の階ほど被害が酷く、こんなものがというものまでが動いていました。
 余震も回数が多く、結構揺れも大きなものがあったりしています。

 きょうで一週間ですが、街はまだ生きていません、店は開いているところも売り切れたらおしまいです。行列があればとりあえず並んでみるという状況です。地震前のあふれているような物は、現実だったのでしょうか、そんなことも考えてしまいます。

 東京電力は計画停電を行っていて、その地域のかたは大変とは思いますが、どうか被災地のことを思いやってください。

 なお、このたびの震災を東日本大震災と報じているところもありますが、賛成できません。JR東日本や東日本高速道路に引きずられるのかもしれませんが、東北は北日本に分類されています。

 わたしのところは、食器棚が倒れ、食器のほとんどが割れたのと、本棚がめちゃくちゃになり、おそらく使い物にならなくなったことぐらいでしょう。怖くてまだ全部は見ていません。机から落ちた iMac はこうして無事に blog の更新に使えています。

 一週間後に更新する元気があるかどうか……

2011年3月6日日曜日

沖倉利津子の『卯子そのぐんじょう色の青春』

 沖倉利津子といえば「セッチとカッチ」のシリーズを取り上げるべきなのかもしれません。なぜこのマンガかといいますと、最初に手にしたのがこのマンガだったからです。タイトルと、少し上を向いた女の子の横顔に惹かれたのかもしれません。こぼれ落ちそうな目はいかにも少女マンガですが。

 小学校の図画の時間に、空を群青色に塗り続けクラスメイトから馬鹿にされ、暗い小・中学校時代を過ごした卯子。誰も知っている人のいない高校に進学して、明るい人間に生まれ変わろうとするのですが…。

 ひょんなきっかけから卯子は、クラス委員長田畑君のやっている自転車同好会に入ることになります。ところが、卯子には自転車に乗れないという特技(?)がありました。委員長の助けを借り、卯子は必死に練習をするのですが、いっこうに乗れそうにありません。
 卯子は、副委員長の笹野さん、田畑君の幼なじみで他クラスの額田君と友だちになります。この二人も自転車同好会に入っています。ところが、同じ一年生の何気なく友だちと話しているのを聞いて、卯子はまた落ち込んでしまいます。
 中間テストの結果を見て、さらに落ち込む卯子。退部を言って逃げ出します。

 次の日曜日、することのない卯子は弟の自転車を借りて練習をします。
 「乗れない自転車 明るくなりえない 人生ー そんなの イヤだ!」と、何度も転んでは起き上がってを繰り返します。「負けるもんか〜」と、大声を出して体の力が抜けて、何とか走り出せました。実は最初だけ田畑君が支えていたのですが、乗れたことにはかわりありませんでした。
 田畑君は前の日のことを謝るために、自転車で卯子のところに来たのでした、2時間近くを掛けて。

 夏休みになり、自転車同好会は本格的サイクリングを行います。脇を通った車に気をとられ道路脇に倒れ落ちた卯子は、幸い怪我はしませんでしたが、自転車がゆがんでしまいます。自転車の修理をする田畑君の傍らで、空を見上げた卯子は「うあー 群青色ー」と言いました。
 その後しばし、卯子と田畑君の空の色談議が続きます。それがタイトルになっている訳です。

 本当の空の色はどんな色かは人それぞれでしょう。でも、確かにどこまでも青い空は、深い深い青、群青なのでしょう。そしてその色は、小学生の使う絵の具ではとても出せなかったのでしょう。
 カヴァーの群青色は、もっと深い色のほうがよかったような気がするのは、わがままでしょうか。

 自転車について自分のことを考えてみると、乗れるようになったのは小学生のいつのことか憶えてはいませんが、何度も何度も転んだことは憶えています。自転車はいとこから借りました。

 このマンガを読んで、沖倉利津子の他のマンガも読んでみようと思ったので、このマンガに出合えたことは幸せでした。

 最後に、卯月は陰暦四月なのですが……


 書名『卯子そのぐんじょう色の青春』
 出版社 集英社 マーガレットコミックス 736
 1983年2月28日 第1刷発行