2021年12月5日日曜日

山岸凉子の『白い部屋のふたり』

 山岸凉子の表題作を読み返してみました。終わりまで読んで、そうかこう云うお話だったのかと改めて思いました。 
 そして昔読んだ時とは違う思いを抱きました。では、お話を読みながら考えてみたいと思います。 

  お金持ちの両親を交通事故で亡くしたレシーヌはお嬢様学校の寄宿舎に入ります。あらすじについては https://blog.goo.ne.jp/my-yoshimura/e/614c74e8ee282ce81269f0154289a032 などを見てくだされば有難いです。そこで同室になるシモーンとのお話です。上記のあらすじには書いてありませんが40から41ページには、シモーンと母親の確執があります。昔読んだ時には、最終的にはシモーンに惹かれて行くレシーヌに思いを寄せたのですが……。
  「いまはもう死ぬこともあたわぬわたし 石の心をいだいて生きるこのむくい」で終わっています。この救いのない終わりかた、余りにも悲惨です。最初に読んだ時には、それも含めて面白いと思って読みました。

  何十年かぶりに読み返してみて、レシーヌは救われようと思えば救われるのではと思いました。この年齢になると、悲劇にも何とかして救いを求めたくなるのでしょうか。
 まず第一に思ったのは、レシーヌはシモーンの死の現場にはいなかった事です。マンガでは5ページに渡って描かれていてクライマックスなのですが、それはレシーヌにとっては単なる伝聞なのです。直接の体験ではないので、PTSD(読んだ当時にはこんな言葉は知りませんでした)にはなりにくいのではないかと思うのです。その次に思ったのは、レシーヌはシモーンから物理的に離れることができたことです。心理的にはシモーンにまだ縛り付けられていますが、去る者は日々に疎しとも言いますから。読み直してみて「ストックホルム症候群」が思い浮かびました。レシーヌはシモーンに監禁されているわけではありませんし、そこから逃げ出しているわけですから、条件には当てはまらないでしょうが。なお、ストックホルム症候群のきっかけの事件はこのマンガの二年半以上も後の出来事です。
 何年か経って、そんな事もあったとレシーヌの記憶の中にだけ残っていればいいのですが。
 このマンガは、少女マンガでは初めての女の子同士のキスシーンが描かれたと話題になったようです。


 山岸凉子はこのマンガの五ヶ月前に『ラグリマ』と云う作品を描いています。これは徹底した悲劇で救いがありません。「死の寸前に彼女の耳にとどいたラグリマの曲は 幸うすい彼女に与えられた神よりのただひとつの贈りものだったのかもしれません……」と終わっています。女の子は15か16で亡くなるのです。
 なお「ラグリマ」は「アルハンブラの思い出」で知られる、タレガの作曲したものです。マンガの価値には無関係ですが、年代が合いません。ネットで検索できるのは良いのですが。



書名 『白い部屋のふたり』 山岸凉子傑作集3 RIBON MASCOT COMICS 50
出版社 集英社
出版年 1973年9月10日初版発行

書名 『ラグリマ』 山岸凉子傑作集2 RIBON MASCOT COMICS 15
出版社 集英社
出版年 1971年3 月10日初版発行 手元のものは1973年1月10日の第4版です。


 この一年、前の一年以上に更新ができませんでした。12年目はもう少し頑張りたいと考えています。