2015年7月31日金曜日

上田としこの『ぼんこちゃん』


 村上もとかの『フイチン再見!』がかなり読まれているようで(本屋に積んであるのは知っていますが、読んだことはありません)、そのためもあってか最近『フイチンさん』が小学館から上下二巻で出ています。講談社発行の少女クラブ1957年1月から1962年3月まで連載されていたとのことです。マンガの背景を知らない子供が読んで面白がるかはわかりません。面白く読めましたが、終わりのほうが少しバタバタしていると思いました。当時のハルピンは国際都市だったことが伝わって来ます。

 『ぼんこちゃん』は1955年9月の集英社のりぼん創刊号から1961年12月までの連載ですので、『フイチンさん』とほぼ同じ頃のマンガです。
 連載は六年あまりですが、ぼんこは大きくなりません。そして、本当に男の子が間違えて女の子に生まれてきたような子供です。
 以下、昭和54年発行の集英社漫画文庫を読んで、感じたことを記します。

 マンガが描かれてから文庫で出版されるまでかなりの間があり、それに合わせたのでしょう、ところどころにセリフの改変があるようです。たとえば、一巻の6ページにはタモリが出てきたり、113ページには虫プロの幟があったりします。また、二巻の115ページには「九時間でくる昭和53年」や127ページにはピンク・レディーと云うセリフが出てきています。

 時代が昭和30年から昭和36年ですので、「もはや戦後ではない」(経済白書昭和31年7月)と「国民所得倍増計画」(実施は昭和36年から)の間と云うことになります。そういった背景を考慮しながら見ていきます。

 まず、一巻から。
 ぼんこは、最初の「キューピー」では、長いおさげを切ってキューピーのような髪型にし、次の「じょうちゃんぼっちゃん」では丸刈りになってしまいます。ある程度髪が伸びるまでおばあちゃんの家で過ごすことになります。おばあちゃんがなかなか放してくれなくて、135ページの「クリスマス・イブ」までいることになってしまいます。
 ぼんこの家とおばあちゃんの家はどのくらい離れているのでしょうか、具体的にはありませんが、隣の町内と云ったところでしょうか。
 52ページの「夢」には人工衛星が出てきます。1957年10月にスプートニク1号が打ち上げられていますので、それを取り入れたのでしょう、衛星の絵に四本のアンテナがありスプートニク1号そのものです。夢とはいえ人工衛星に乗っています。
 142ページの「食欲」からは、短くはなっていますが、ぼんこの髪は登場時の三つ編みになっています。「おおぜいでたべるとおいしくたべられる」と云うことを知ります。「若いおばあちゃん」では、フラフープをしているおばあちゃんが出てきます。その夜、腰の筋を違えて一週間寝込むことになりますが。フラフープの流行は1958年の10月から11月のわずか40日足らずとのことです(Wikipedia)。

 つづいて二巻です。
 「おみやげだよ~ん」は比較的長いマンガです。学齢前の子供がボール遊びのできる空き地があったり、カエルがいる小川があったりと今からは夢のような世界です。でもマンガのほうはそんなのんびりしたものではありません。
 「一人っ子はいいな」と「こっちにこいよ」から「おしょうがつ」まではお金持ちの一人っ子と、ぼんことその遊び友達が仲良くなるまでのお話です。女の子のお手伝いさん(たぶん女中とよばれる人)が常識を持った人なので救われます。
 「オリンピックあそび」にはローマオリンピックが出てきます。
 「しんゆうができちゃった」は年末から新年にかけてのお話です。大晦日にぼんこの家の前で出会った少し年上の女の子、父親はぼんこの家で押し売りをしていますが、ぼんこが女の子を連れて家に入ろうとすると、子供を連れてそそくさと出て行きます。よほど困ってるに違いないと、ぼんこの両親はアルバイトしてくれるよう頼みます。
 年が明けて、女の子(トンちゃん)を見習って少しは女の子らしくなるぼんこです。トンちゃんのおとっさんは小学校時代の先生の口利きで、開拓村の小学校の用務員の働き口を見つけます。トンちゃんと別れなければならなくなったぼんこは、「ぼんこのいえで」以下の三つの章でだだをこねるのですが、「いもうとになったぼんこ」の最後でトンちゃんに言われます。「おとなのいうことをきいて来月おいでよ」「またあうんだものなくのはよそうね」
 「ぼんこのだいりょこう」では、次の月にトンちゃんに会いにおばあちゃんと旅に出るぼんこから始まります。夜汽車に乗って、そこでもいろいろな騒ぎがありますが、翌朝8時10分に目的の駅に着きます。駅にはトンちゃんとおとっさんが出迎えます。馬車に揺られて三つ目の山の中腹に開拓団の村はあります。敗戦後の引き揚げ者の村です。戦争が終わってまだ16年しか経っていません。
 ぼんこは村の生活になじみますが、一週間もするとおばあちゃんはホームシックになります。おばあちゃんの帰りたい帰りたいの手紙を受け取って、おとうさんと従兄達が開拓村に来ます。おとうさんはぼんこの願いを聞いてぼんこを村に残そうとします。けれど孫を連れて帰りたいおばあちゃんと、ぼんこたち子供達との対立でお話は終わっています。

 なんだか、えっ、これで終わり? との思いが残ります。
 『フイチンさん』でも、終わりのほうがなんかなぁと思ったのですが、それ以上に取り残された感がします。あるいは続きがあるのでしょうか。

 東京の街が今の形になったのは1964年のオリンピックからとのことです。それまでは、各家の前には木製のゴミ箱があり、あちこちに小川が流れていたようです。家の前にゴミ箱があったので「しんゆうができちゃった」で、うっかりゴミ箱に落ちる場面があるのです。ゴミ出しの規則が変わり、小川もいつしか暗渠になり、かつては水が流れていたことさえ忘れさせようとしているようです。
 舞台が東京なのはわかるのですが、どの辺りを考えればいいのでしょうか、昭和30年代前半では、目黒や世田谷でも空き地はあったのでしょうか。修学旅行に行った従兄のただしを迎えに伯母と近所の友達三人で品川駅まで行っていますので。


 あまりにも時代背景が変化して、昔は面白がって小学生が読んでいたはずなのに、今の子供に見せたら「???」しか出てこないでしょう。それでも、こんな時代があったと云うことを教えてくれるマンガです。


 書名『ぼんこちゃん』1, 2
 出版社 集英社 集英社漫画文庫 083, 084
 昭和54年3月31日 初版発行(1, 2 とも)


 今はなくなってしまった私の母校の小学校ですが、分校が二つありました。その中の一つは1951年(昭和26年)にできたものです。1972年(昭和47年)に廃校になりました。小学校も2008年(平成20年)になくなりました。

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