2012年3月21日水曜日

紺野キタの『ひみつの階段』

紺野キタは、今は「Webスピカ」で『つづきはまた明日』を描いています。この人のマンガを初めて見たのは、コミックFantasy に載っていた作品です。たぶん『白日夢』が最初だと思いますが、ここでは表題作を取り上げます。『ひみつの階段』シリーズの第一作で、シリーズ名にもなっている作品です。

 マンガで、階段というとまず思い浮かぶのは、くらもちふさこの『おしゃべり階段』なのですが、これは読んだことはありません。

 『ひみつの階段』は、女子校の寄宿舎が舞台です。一ページ目で主人公の夏は、三段しかないはずの階段を踏み外し、転げ落ちてしまいます。下には、夏が知っているような知らないような女の子がいます。足を挫いたという子に肩を貸し、階段を登り扉を開けるとそこはいつもの光景で、女の子は消えています。振り返ると、そこには三段しかない階段があります。
 階段と怪談がかけてあるのですが、怖いというところはありません。夏が唯一悲鳴を上げるのは、夜、自分の部屋でマンガ(Fantasyコミックという雑誌です)を読んでいるときに、手にページをめくられて、振り向くと誰もいないときだけです。

 あるとき、夏は不思議なお茶会に入り込んでしまい、「知らない子ばかりなのに(中略)懐かしい友だちといるみたいな」感じになります。その中の一人が「みんな帰る時間(ばしょ)はてんでばらばら」と教えてくれます。「それぞれの場所に戻れば すれ違うこともないけど 現在(いま)ここではみんな16・7歳(じゅうろくしち)の女の子で 同じ時を共有してる」
 年を経ると物(この場合は寄宿舎でしょう)にも魂が宿るという日本的な設定なのでしょうか、「さみしいとか かなしいとか そういった感情を ひきよせる」場所なのだそうで、夏は、ホームシックになったことをずばり言われて、うろたえます。

 終わりのほうで古典の先生が階段で転ける場面があります。この学校の OG で、お茶会の時に「古典のサカイ」と名前の出た先生です。「昔っからそそっかしくて よく階段をふみはずす」と聞いて、はっとする夏です。何かを訊ねようとしますが、結局「階段…気をつけて…下さい」としか言えませんでした。
 何を訊ねたかったかは、痛いほどわかります。でも、それは訊いてはいけないことなのでしょう。

 時を超えて集う女の子たちの心情はどんなものなのでしょう。「さみしいとか かなしいとか そういった感情」で引き寄せられたのが発端だとしても、その場での女の子は決してそういった感情を表には出しません、というより負の感情を忘れるために引き寄せられるのでしょう。
 寄宿舎に棲みついている座敷童のようなものというのが、シリーズ三作目の『春の珍客』にありますが、寄宿舎が生み出す夢なのでしょう。


 エフヤマダというかたが OTAPHYSICA というホームページで「紺野キタ『ひみつの階段』の時間論」を書いています。
 http://www.ne.jp/asahi/otaphysica/on/column19.htm
 おおむね同意しますが、「視点が徹底的に過去形である」は、どうでしょうか。シリーズ二作目の『印度の花嫁』の花田毬絵が中学生の時に見たのは、未来の夏ちゃんだったのではないでしょうか。確かに、それを思い出すのは高校生の毬絵なのですが。しかし、未来の夏ちゃんが、中学生の毬絵を変えたのではないでしょうか。

 時間物のファンタジーというと、真っ先に思い浮かぶのは、『トムは真夜中の庭で』でしょうか。マンガとはいえ、それに匹敵する物だと思います。


 書名『ひみつの階段』1
 出版社 偕成社
 1997年2月 初版第1刷

 書名『ひみつの階段』1, 2
 出版社 ポプラ社 PIANISSIMO COMICS
 2009年8月5日 初版発行
 帯には、「完全版!!」との表記があります。

 2002年4月にポプラ社から三分冊で出版されたようですが、持っていません。

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