2011年7月18日月曜日

北原文野の『もうひとつのハウプトン』

 この人の名前を知ったのは、「プチフラワー」の創刊号でした。それ以来7年ほどもこの雑誌に書いていたのです。「プチフラワー」に最後に書いたのは Pシリーズの『L6外を夢見て』でした。『Pシリーズ』以外の作品もあるのですが、やっぱりこのシリーズが浮かんできます。
 これほど長く描いていたのに、背表紙に名前が載ることはありませんでした。でも、これらの作品が好きだったかたは、少なくなかったはずです。

 創刊号の『ぼくは ぼくに…』がデビュー二作目とのことです。男の子の心理の変化がうまく表現されています。作者は、分身ものといっていますが。

 ここで取り上げるのはデビュー作です。この作品は1980年1月別冊少女コミック増刊号に掲載されたとのことで、リアルタイムでは読んでいません。

 母親が入院して、叔母のもとに預けられたデビィは、ハウプトンの、晴れていても灰色の空にうんざりしています。そんなデビィを叔母は美術館に連れて行きます。「絵なんか興味がない」デビィですが、一枚の絵の前で立ち止まります。その絵に描かれた太陽からの光でデビィの影が足下に落ち、その絵の中に落ちていきます。

 青い空と、緑の村に落ちたデビィは、少し年嵩の少年ジョシュア・タッカーと出会います。ジョシュアは「ここはハウプトンだよ」と言います。ジョシュアはデビィを連れて、附近の案内をします。もとのところに戻ってくると、ジョシュアのおばが現れ、その後で二人はデビィの前から消えてしまいます。
 すぐに現れたジョシュアは、こめかみに怪我をしています。ジョシュアの時間では一年が経っていたのです。

 大人になっていくかつての少年ジョシュア・タッカーを見守る(?)デビィ。
 大きな街に出て、結婚をして、それでも絵で食べていこうとするジョシュアでしたが、妻を亡くし、故郷のハウプトンに帰る決心をします。
 ところがかつての青い空を失い、街へと変わってしまったハウプトンを見てジョシュアは叫びます。「うそだ これがハウプトンなものか」と。
 そこに現れたデビィにジョシュアは言います。「デビィ デビィだね?」「変わらなかったのは… きみだけだよ」と。

 「あら あなた影が」「見まちがいよね」との叔母の声で我に返るデビィでしたが…。目の前に次々に現れる絵は、デビィがジョシュアと一緒に観た風景でした。そして最後の絵は、「変わらなかった少年」と題されたデビィの肖像でした。
 「変わらないのは… きみだけだよ」「みんな 一瞬のもの だから 一瞬のものに しがみついて 描きとどめたい」と言ったジョシュアの言葉を思い、涙を流すデビィ。

 美術館に来るときに見た、空き地の切り株を、「嘆きの木」だったかもしれないと思うデビィでした。
 デビィは絵を描く気になり、ハウプトンの街を描き始めます。「しかしひどい絵」とつぶやきながら。

 最後のページでは、デビィを驚かそうと、知らせずに退院した母親が登場します。
 最後のコマの叔母のセリフは、シリアスになりすぎたことに対しての、作者の照れ隠しなのかもしれません。

 あとがきで作者は、「絵の光が当たって影ができるシーン」からするすると話ができたと書いています。
 ストーリーとしては、タイムトリップになるのでしょうが、傍観者のはずのデビィを最初と最後でジョシュアが見るからこそ、物語が成立しているのです。
 これがデビュー作とは思えないほどに完成された作品です。

 さて、この、変わるものと変わらないものというのは、語り始めたら終わりがなくなりそうなことなのですが、絵の本質にも関わってくることなのでしょう。とてもここで取り上げることはできなさそうです。

 以下、どうでもいいような独り言です。
 美術館で開かれているのは、ジョシュア・タッカー生誕百年記念展なのですが、彼は、いくつのときにハウプトンを離れ、いくつで妻を失い、いくつのときに最後にデビィに会い、いくつで亡くなったのでしょうか。ハウプトンが、緑の多い村から、彼の知らない街に変貌するまでには、それなりの時間が必要だろうと思うのですが…。


 書名『もうひとつのハウプトン』
 発行所 SG企画
 1988年7月20日 初版発行

0 件のコメント:

コメントを投稿