2012年4月30日月曜日

ぬまじりよしみの『ひがみちゃん・Jam』

この人の少女マンガは「ちょっとだけESP」と表題作しか単行本になっていないようです。あとは全部レディースコミックです。

 このマンガは作者のデビュー作です。大学生のキャンパスライフを描いたものですが、いわゆる青春マンガではありません。
 舞台は私立小田巻大学です。そこに通う市毛ひがみと数人が主な登場人物です。ひがみは一見すると小学生のように小さな女の子です。学生証や定期券をなくしたところからお話が始まります。

 70年代から80年代というと、大学が都心から郊外へと移転していた時期なのでしょうか、ただし、この大学は新設大学です。資金がなくて、田舎に大学を作ったようです。
 いったいどこら辺りを作者は考えていたのでしょうか。このマンガを読んでいて、初めは東京の西部かと思っていたのですが、「海辺の人々」で、間違いに気づいたのです。第三巻の57ページを見ると神奈川県のようです。

 追記:小田巻なら鎌倉だと気づきました。簡単なことなのに。(2015/12/27)


 終わりから二番目の「小田巻大学の崩壊」で、資金繰りが付かなくなって大学は倒産してしまいます。最後の「小田巻にお越しの節は」で、このマンガには何度も登場している大地主の与作が、再建資金を都合してくれて、与作ちゃん立小田巻大学として大学は復活します。ただし、農作業が必修としてですが。

 このマンガを読み返してみて、三巻の穴埋めページのてぃー・たいむが、こんなに面白いことが描いてあることをすっかり忘れていました。
 その後の登場人物と作者との茶飲み話なのですが、これがなかなかのものです。自分で作った登場人物とはいえ、性格がうまく描かれています。


 書名 『ひがみちゃん・Jam』1〜3巻
 出版社 白泉社 花とゆめCOMICS 301, 422, 423
 1982年1月25日第1刷発行 第1巻
 1982年9月25日第1刷発行 第2巻
 1983年7月24日第1刷発行 第3巻


 第1巻の巻末にはパタリロの第10巻、第3巻の巻末には第18巻の広告が載っていました。

2012年4月22日日曜日

あとり硅子の『これらすべて不確かなもの』

登場するのは生活破綻者(?)の父親・史緒と、三人の息子・葵、遠志、珠生、そして死んでしまった母親・颯子です。父親は一人では何もできず、息子達はそんな父を反面教師として、颯子の墓の近くに引っ越した父とは離れて暮らしています。
 母親の命日に、父親の家に集まる次男・遠志と三男・珠生、そこで目にするのは、どうしようもない父親の姿です。

 暴風雨の中、盛装で墓参りに出かける父親と、あとを追う遠志。母親の墓前で思わぬ事を聞かされます。「きみたちを キライだとか いらないとかは 思っていないが」、さらにきっぱりと「愛情はない」と言われます。
 雨で崩れた道から滑り落ち、病院に運ばれる遠志ですが、そこに長男・葵が駆けつけます。
 葵とのやりとりで、遠志は思い出します、母親に言われたことを。「史緒の仕事は 母さんだけを愛すること」と。

 史緒はさらに付け加えます。「約束したんだねえ……颯子と ずっと颯子だけを愛すると」 颯子のポリシーは「愛だって分ければ減る」だったのです。そして、史緒はその約束を忠実に守っているのでした。

 わたしには、この考え方は驚きでしたし、新鮮なものでした。広大無辺な愛は、普通の人には無理なのはわかります。しかし、身内に対しての愛さえも分ければ減ってしまうものなのでしょうか?
 息子達の母親の思い出からみると、颯子は、子ども達にはそれなりの愛情を注いでいたように見えるのですが。

 巻末のおまけは、笑いながら読めました。


 書名『これらすべて不確かなもの』
 出版社 新書館 WINGS COMICS
 1998年9月10日 初版発行


 あとり硅子は、本屋で『夏待ち』を見て買ったのです。なぜかというと、名前のせいなのでした。硅子の「硅」と言う字に引きつけられたのです。日本語では硅素以外には使われない字だとのことです。

 あとり硅子さんが逝ってもうすぐ八年になります。多くはない作品は今も輝いていると思いますが、手に入りにくいのは仕方ないのでしょうか。

2012年3月31日土曜日

佐藤史生の『金星樹』

この人のマンガを初めて見たのはプチフラワー創刊号の「夢見る惑星より 竜の谷」です。その時はあまり気にも留めませんでした。大きな物語の始まりとは気がつかなかったせいでしょう。

 表題の作品は1978年とのことですので、相当初期の作品です。「金星樹」と云うタイトルの本は何度か出版されたようですが、手元にあるのは、1992年出版のものです。奇想天外社からの1979年出版に「青い犬」を追加したものです。

 最初が「星の丘より」で、カヴァーの女の子の絵は、鼻と口元が、山田ミネコを思わせます。顔の輪郭は山田ミネコの少女は、もっと丸いのですが。奇想天外社版ではこれが最後になっています。
 話としては、SF ではよくある話なのですが、なかなかに面白く作ってあります。6ページ目でここが火星だとわかるシーンがあります。

 「金星樹」は、一種のタイムマシンものというか、タイムパラドックスものというか、アイディアがものをいっています。
 以下にあらすじが載っています。
 http://www.chatran.net/dispfw.php?A=_manga/_sato
 ここには、『金星樹』のなかの、「一角獣の森で」と「星の丘より」のあらすじも載っています。

 時間がゆっくり流れる現象というと、遠くからブラックホールに落ちていくのを見るというのが思い起こされます。金星樹はブラックホールに近い現象を引き起こす何かなのでしょうか。こちらから行くことができるのも似ているように思えます。

 登場する三人のそれぞれに揺れ動く心の内が、うまく描けています。特に後半のネネとアーシーの会話、そして45年後のアーシーの言葉が胸を打ちます。
 けれど、ほとんど動かないネネとマッキーをずうっと見つめてきたアーシーの内心は、神への感謝だけだったのでしょうか……。

 前に取り上げた佐々木淳子の「セピア色したみかづき形の…」とは違った意味での、抒情的SFといえるでしょう。ブラッドベリを読んだような気になります。


 書名『金星樹』
 出版社 新潮社 Alice's Book
 1992年12月15日

 奇想天外社奇想天外コミックスは、1979年7月5日初版発行


 間もなく佐藤史生さんの三回忌になります。4月4日が命日です。
 長生きして、もっと作品を描いてほしかった人です。

2012年3月21日水曜日

紺野キタの『ひみつの階段』

紺野キタは、今は「Webスピカ」で『つづきはまた明日』を描いています。この人のマンガを初めて見たのは、コミックFantasy に載っていた作品です。たぶん『白日夢』が最初だと思いますが、ここでは表題作を取り上げます。『ひみつの階段』シリーズの第一作で、シリーズ名にもなっている作品です。

 マンガで、階段というとまず思い浮かぶのは、くらもちふさこの『おしゃべり階段』なのですが、これは読んだことはありません。

 『ひみつの階段』は、女子校の寄宿舎が舞台です。一ページ目で主人公の夏は、三段しかないはずの階段を踏み外し、転げ落ちてしまいます。下には、夏が知っているような知らないような女の子がいます。足を挫いたという子に肩を貸し、階段を登り扉を開けるとそこはいつもの光景で、女の子は消えています。振り返ると、そこには三段しかない階段があります。
 階段と怪談がかけてあるのですが、怖いというところはありません。夏が唯一悲鳴を上げるのは、夜、自分の部屋でマンガ(Fantasyコミックという雑誌です)を読んでいるときに、手にページをめくられて、振り向くと誰もいないときだけです。

 あるとき、夏は不思議なお茶会に入り込んでしまい、「知らない子ばかりなのに(中略)懐かしい友だちといるみたいな」感じになります。その中の一人が「みんな帰る時間(ばしょ)はてんでばらばら」と教えてくれます。「それぞれの場所に戻れば すれ違うこともないけど 現在(いま)ここではみんな16・7歳(じゅうろくしち)の女の子で 同じ時を共有してる」
 年を経ると物(この場合は寄宿舎でしょう)にも魂が宿るという日本的な設定なのでしょうか、「さみしいとか かなしいとか そういった感情を ひきよせる」場所なのだそうで、夏は、ホームシックになったことをずばり言われて、うろたえます。

 終わりのほうで古典の先生が階段で転ける場面があります。この学校の OG で、お茶会の時に「古典のサカイ」と名前の出た先生です。「昔っからそそっかしくて よく階段をふみはずす」と聞いて、はっとする夏です。何かを訊ねようとしますが、結局「階段…気をつけて…下さい」としか言えませんでした。
 何を訊ねたかったかは、痛いほどわかります。でも、それは訊いてはいけないことなのでしょう。

 時を超えて集う女の子たちの心情はどんなものなのでしょう。「さみしいとか かなしいとか そういった感情」で引き寄せられたのが発端だとしても、その場での女の子は決してそういった感情を表には出しません、というより負の感情を忘れるために引き寄せられるのでしょう。
 寄宿舎に棲みついている座敷童のようなものというのが、シリーズ三作目の『春の珍客』にありますが、寄宿舎が生み出す夢なのでしょう。


 エフヤマダというかたが OTAPHYSICA というホームページで「紺野キタ『ひみつの階段』の時間論」を書いています。
 http://www.ne.jp/asahi/otaphysica/on/column19.htm
 おおむね同意しますが、「視点が徹底的に過去形である」は、どうでしょうか。シリーズ二作目の『印度の花嫁』の花田毬絵が中学生の時に見たのは、未来の夏ちゃんだったのではないでしょうか。確かに、それを思い出すのは高校生の毬絵なのですが。しかし、未来の夏ちゃんが、中学生の毬絵を変えたのではないでしょうか。

 時間物のファンタジーというと、真っ先に思い浮かぶのは、『トムは真夜中の庭で』でしょうか。マンガとはいえ、それに匹敵する物だと思います。


 書名『ひみつの階段』1
 出版社 偕成社
 1997年2月 初版第1刷

 書名『ひみつの階段』1, 2
 出版社 ポプラ社 PIANISSIMO COMICS
 2009年8月5日 初版発行
 帯には、「完全版!!」との表記があります。

 2002年4月にポプラ社から三分冊で出版されたようですが、持っていません。

2012年3月10日土曜日

地震から一年

もうなのかまだなのかわかりませんが、一年になります。
 揺れによる被害しかなかったわたしの身の回りですが、津波に遭われたかた、原子力発電所の爆発で避難されているかたは、本当につらい一年だったことと思います。いつになったら普通の暮らしに戻れるのでしょうか。

 今も原発は毎日のようにニュースに登場しています。一度飛び散った放射性物質を集めるのは大変なことです。それに、集められたとしても、その保管は並大抵のことではありません。だからこそ、中間貯蔵施設の設置場所がニュースにもなるのでしょう。
 また、放射線被曝から逃れるために、あちこち移動せざるを得なくて、そのために亡くなったかたも大勢いるようです。

 一方、津波被害を受けた沿岸部のことは、原発に比べてあまりニュースにはなってきませんでした。一年が経つということで、ここ数日は大きく取り上げられていますが。
 瓦礫の撤去も進まず、その量は普段のゴミの20年分以上です。ときどき自然発火もあるようです。被災地にとっては、新たなスタートをしようにもどうしようもないところもあるようです。

 このようなことを考えても、どうしようもないのかもしれません。それでも、生きて行かなくてはならないのです。

 亡くなられた二万人のかたに哀悼の意を表します。


 萩尾望都の『なのはな』を読みました。よくこれだけのことを調べて、マンガにしたものと感心しました。19ページに土壌の汚染除去のために植物を植える話があります。そこからこの本のタイトルが来ているのですが。でも、放射性物質の濃縮された植物はどうするのでしょうか。結局は、防塵装置の付いた焼却炉で燃やし、煙から回収された放射性物質と焼却灰を、どこかに保管しなければならないのでしょう(ひまわりは効果がなかったとか)。
 「サロメ20××」でプルトニウムの半減期は2万4千年、毒が消えるまで10万年は、とあります。これは、初めのプルトニウムの量がわからないと何とも言えないのではないでしょうか? およそ 1/16 弱にはなりますが。
 「かたっぽのふるぐつ」では、公害に対しての揺れ動く心があったのですが、ここでは作者の考えは明快です。

 書名『なのはな』
 出版社 小学館
 出版年 2012年3月12日初版第1刷

2012年2月28日火曜日

遠野一生の『ラプンツェル』

遠野一生は、いまは“一実”名で描いていて、ぶんか社コミックス(B6判)から出ている「ラプンツェル」は新しい名前になっているようです。

 ラプンツェルはご存知のとおり、グリム童話の中のお話です。魔女を親に置き換えると、このマンガの始まりの前に書いてある、「親の束縛から 異性愛をバネに逃れようとする 思春期の娘の心を象徴した民話 と解釈される」になります。
 ところで、このマンガでは、童話と共通するのは、ヒロインの長い(とは云っても身長ぐらいですが)金色の髪だけでしょうか、父親に監禁されているわけでもありません。

 主人公の海(カイ)は8歳の時、ヒロインの鹿乃子に会います。その時の鹿乃子は素っ裸で二十歳前でしょうか、もちろん海は名前さえ知らずにそれっきりになります。
 それから十年、バイオメカニズムを学ぶべく大学に入った海の前に鹿乃子が現れます、十年前と同じ姿で。海は、十年前の人の娘か妹と思います。鹿乃子はバイオメカニズムの沢辺教授を「お父さん」と呼んでいます。

 いろんな事がありますが、海と鹿乃子は普通につきあうことになります。
 海の知らないところでは、教授と鹿乃子の会話で鹿乃子は教授に作られたことが明らかになっています。また、教授は、亡き恋人に似せて鹿乃子を作ったことも明かされています。
 海はバイク乗りが趣味で、鹿乃子を後ろに乗せて海(うみ)を見に行きます。その帰り、飛び出してきた子供を避けようとして、事故を起こします。壊れた鹿乃子の左腕を見て、義手と思う海ですが……。
 教授から鹿乃子は、自分が作った事を聞かされますが、それを聞いても鹿乃子には「全然 嫌悪感を感じなかった(中略) 思い出の女(ひと)が彼女だとわかって なぜかうれしかった」と思う海でした。

 半ば脅されて、教授はアンドロイドを作ることにしますが、海と鹿乃子は設計図の入ったフロッピーディスクを持って、逃げ出します。
 船に乗った二人ですが、鹿乃子は輪廻転生の話をします。そして海が船内の席の空きを見に行った隙に、席にフロッピーディスクとペンダントを残し海に消えてしまいます。
 「機械として生きるよりも人間として死ぬことを選んだのだ」との海の思いがモノローグとして書かれています。

 ペンダントの中に膨大なデーターが入っているのを知り、新たな鹿乃子を作り上げたところでマンガは終わります。

 最後の20ページは、連載時のものとは違っています。こちらの方がスリリングで、終わり方もスマートです。

 疑問に思ったことを書いてみます。
 タイトルが何故「ラプンツェル」なのか。グリム童話(初版)では、塔に閉じ込められたラプンツェルとそこに通ってくる王子が主役です。むしろタイトルとしては「ピュグマリオーン」か、ピュグマリオーンによって作られたという「ガラテイア」の方がふさわしく思えたのです。最初のピュグマリオーンが教授で、二番目が海です。恋人を失った教授が作った鹿乃子、鹿乃子を失い新たな鹿乃子を作る海。そう思ったのです。

 ところが、読み直してみて、「ラプンツェル」の意味がわかったような気がしました。鹿乃子は自分の意志を持っていて、それに基づいて行動をしているわけです。それが「機械として生きるよりも人間として死ぬことを選んだのだ」になるわけなのです。
 自分の意志で王子を塔に招き入れたラプンツェルと、自分の意志で死を選んだ鹿乃子が重なったのでした。そして、この本の最初に書いてあった「親の束縛から 異性愛をバネに逃れようとする 思春期の娘の心を象徴した民話 と解釈される」の意味も納得できたのでした。
 とするなら、最後のページの海が少し寂しそうに見えるのもわかります。


 書名『ラプンツェル』
 出版社 偕成社
 1992年9月 初版第1刷発行

 連載は
 コミックモエ No.9〜No.11(1991年7月〜1992年4月)

2012年2月12日日曜日

倉多江美の『ぼさつ日記』

短編から長編までを手掛ける倉多江美ですが、表題のマンガは39話からなる作品で、作者唯一の週刊誌連載作品とのことです。

 主な登場人物は、中学生の地獄寺ぼさつ、火山灰裾野、留目(とどめ)トメオ、浅梨(せんり)ちゃんで、四人は同じ学年です。ぼさつはお寺の娘で、父は娘からは往生住職と呼ばれて、とーちゃんと呼びなさいといわれています。
 タイトルと登場人物が中学生と云うことから、ラブコメかと思うとさにあらず、シュールなギャグマンガです。カヴァー絵を見ればわかることなのですが。

 第一話は、朝目覚めたぼさつが面倒くさがって、最終回にしようとするところから始まります。とーちゃんに起こされて学校に行くと、美形の転校生・留目が現れます(この頃はイケメンという言い方はなかったのがわかります)。ぼさつはこの転校生に「だめ……ほれちまった」と恋心を抱くのですが……。

 第三話で裾野と浅梨ちゃんが登場します。
 この人の描く人物は極端に言えば、ジャコメッティの彫刻の身体に服を着せたようなものが多いのですが、裾野だけは違います。「どうせあたしはドラムかんよ」と本人が言う体型で描かれています。

 ぼさつと裾野は恋敵になるのですが、迷惑をかけられるのが留目なのです。
 会えばいがみ合うぼさつと裾野ですが、考えが一致すれば手を組むこともあります。それが第十話です。嫌みな女の飼い犬のリードを車に結んでしまうのです。
 12話から15話はぼさつの地獄巡りのお話です。最後は地獄から追い出され生き返るのですが、針山の針を土産に持って帰るのでした。

 23話に登場するのが「ひとりぼっちの悪魔くん」です。ぼさつと友達になり一人ぼっちではなくなります。以後、ほとんどのお話に登場し、ほかの登場人物とも仲良くなります。

 30話のお話が一番印象に残っています。「旅に出た太陽さん」と云うタイトルで、「なぜ毎日ここにいるのだろう」「真理をみきわめるために旅に出よう」と、太陽がいなくなってしまうというものです。みんな困っているところに太陽は戻ってくるのですが。
 一瞬にして太陽が無くなったら、物理学的にどうなるかなどということは、置いておきましょう、ナンセンスマンガですから。

 最終話は登場人物五人の挨拶だけなのですが、最後に全話に登場している太陽さんが挨拶に来るところで終わります。

 このようなギャグマンガあるいはナンセンスマンガが少女マンガ誌に載っていたのは、それだけ少女マンガの懐が広がったからなのでしょう。
 このマンガと同じ頃、『ポーの一族』があったのが、16話からわかります。


 書名 『ぼさつ日記』 倉多江美傑作集2
 出版社 小学館 フラワーコミックス FC-352
 出版年 昭和53年4月20日初版第1刷発行


 別に項目を立てた方がいいのかもしれませんが、気になっていることを少しだけ。

 この頃は少女マンガ誌にも、週刊誌があり、マンガの量としては、少年マンガを凌ぐほどだったかもしれません。思い出すままにあげてみると、「週刊マーガレット」「週刊少女コミック」「週刊少女フレンド」がありました。
 以下、Wikipedia によるとマーガレットは1963年の創刊から1987年、少女コミックは1970年から1977年、少女フレンドは1962年の創刊からから1973年までは週刊誌でした。一番古かった少女フレンドは1991年に月2回から月刊になり1996年の10月号で廃刊になっています。
 なぜ週刊少女マンガ誌がなくなったのか、ネットを見てもよくわかりませんでした。
 マンガの描き手の側からと、読み手の側の双方から考えてみる必要があるのはわかります。
 たとえば次のように書かれています。
 少女漫画は少年漫画よりも絵に重点を置くので、どうしても書き込みや仕上げ処理に時間がかかる。これは描き手の側から見た場合と思います。
 “BOY MEETS GIRL で始まりライバルや障害を乗り越えて両思いになってエンディングという黄金パターンは4コマ漫画以上に固定化されています”については、反論が出されています。恋愛沙汰だけが少女マンガではないので、反論の方がもっともだと思います。
 読み手の側が気が長いというのもありましたが、週刊少年マンガ誌を読む女の子が多いのも事実のようです。
 これについての答えがあるのかもわかりません。ときどき、何故かなぁと思ってみるのがいいのかもしれません。

2012年1月31日火曜日

大島弓子の『詩子とよんでもういちど』

この人のマンガで最初に読んだのは、「綿の国星」です。面白いマンガだなぁ、もっとほかにはないのかなぁと思いました。恥ずかしながら大島弓子を知らなかったのです。
 朝日ソノラマのサンコミックスから何冊か出ているのを見て、買いました。ページをめくって愕然としました。絵が、少女マンガだったからです。綿の国星とは全然違う絵に、本当に同じ人なのかと思ったものです。
 改めて見直してみると、年代が下るにつれて、次第に綿の国星の絵に近づいているのがわかります。

 表題の作品はサンコミックス「誕生!」に入っている作品です。

 「誕生!」は、女子高校生の妊娠を扱ったもので、重いテーマの作品です。母子ともに助かるのかどうか、というところで話は終わっていて余韻が残ります。

 「詩子とよんでもういちど」は、はっきりした年代は書いてありませんが、おそらく第二次世界大戦の前の話のようです。
 詩子の祖父は、病院長です。詩子はおてんばな少女ですが、いとこ政子の婚約者寺内文彦が訪ねてきた日に倒れてしまいます。文彦は院長から詩子は白血病だと聞かされます。
 詩子が気にかかる文彦は、政子との婚約指輪の交換の後で、婚約を破棄してくれといいます。病院を追い出された文彦は、武蔵野のサナトリウムで医者をしています。
 雨の中、詩子はサナトリウムに行きます。文彦にあって倒れた詩子はそのままサナトリウムに入所します。
 サナトリウムには白血病の小さな男の子がいて、詩子と仲良くなります。しかし男の子はしばらくして亡くなります。
 祖父がサナトリウムに来て、ドイツで白血病の治療剤ができたと知らせます。それを学ぶために三年間の留学を文彦に勧めます。しかし詩子を置いていくわけにはいかないと、断る文彦。
 詩子は、文彦が行かなければ一緒にいられるけれど、多くの白血病の患者はどうなると祖父に言われて、文彦をドイツに送り出します。
 しばらく経って(一ヶ月以上)、詩子の病状は悪化します。ドイツで電報を受け取った文彦はすぐに日本に帰ります。しかし船旅なので二週間もかかります。横浜からタクシーで駆けつけて、何とか臨終には間に合います。
 そしてマンガは次の文彦の独白で終わります。
 ぼくの青春は…おわった(中略)ぼくのすべては終わった…

 読んでいて、笑いと最後には涙の、少女マンガの王道を行く作品です。
 ただ、うまくは言えませんが、ありふれた少女マンガとは違う何かがあるからこそ、読んだときから30年経った今になっても引っかかるものがあるように思えるのです。

 なお、白血病が治るようになり始めるのは1960年代後半からとの記述が Wikipedia にあります。


 タイトル 『詩子とよんでもういちど』
 書名 『誕生!』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス(SCM-310)
 出版年 昭和50年1月25日 初版発行 
  (昭和55年7月30日14版が手元にあるものです)

2012年1月21日土曜日

ちょっと休憩 『リカの想い出 永遠の少女たちへ』

表題の本は、リカちゃん人形の発売20周年を記念して出版された、マンガとエッセイ集です。リカちゃんの発売が昭和42年(1967年)で、本の出版は1986年です。

 目次の代わりにプログラムが載っています。

 ご挨拶と祝辞ーーマンガ家二人(大島弓子とまつざきあけみ)とその他五人(谷山浩子、岡安由美子、群ようこ、美保純、伊藤比呂美)が書いています。
 記念撮影・アルバム・オブ・リカーー1967〜1970 1972〜1974 1977〜1986 リカちゃん人形の写真が載っています。
 談話室ーー第一部から第四部まであり、18名のマンガ家のマンガが載っています。
 もうひとつの同窓会ーー高橋源一郎、日比野克彦、秋山道男、野田秀樹の四人が書いています。
 インフォメーションーー牧美也子ほか二人が書いています。

 牧美也子はある意味ではリカの生みの親です。二ページのエッセイでそのことを書いています。
 挨拶と祝辞のマンガ家二人は、当然のことながらリカちゃん世代ではありません。岡安と美保はリカちゃんで遊んだと書いてあります。

 談話室のマンガ家は、何とか、人形(いろいろな人形があって、それはそれで面白いのですが)に話を持って行こうと苦心しています。実際にリカちゃんと遊んだ人もいるのですが、それはほんの少数です。
 木原敏江は「私の子供時代」のタイトルで二ページを描いていますが、人形は出てきません。坂田靖子は「わたしの博物学的子ども時代」で十ページ描いていて、これにも人形は出てきません。このマンガは印象に残っていて、いかにも彼女らしいと思います。
 子供のころは、うちのまわりは一面のたんぼで、から始まる子供のころの想い出です。川で釣りをしたり、木登りが好きだったり、と外でよく遊んでいたようです。外で遊んでいないときは、うちで本をよく読んでいたとか。幼稚園の時に父親からもらった理科図鑑を、今も持っていると描いてあって、感心したりもしました。最後の大きな齣は、「ときどきうちの前でそら一面の夕焼けを見ると 世界は なかなか広かったのであります」との言葉で終わっています。画面の八割が空で、残光と三日月とねぐらに帰る鳥、そしてたたずむ子供のころの作者が印象的です。

 本のタイトルが「リカの想い出」なのに、人形が全然出てこないマンガを載せたことにも驚きました。編集の香山リカと土肥睦子の度量の大きさに感謝です。

 リカちゃん人形で、リカちゃんハウスで遊ぶことを「ハウスしよう」と言っているのを聞いたときは、気に留めませんでしたが、play house の意味を考えれば、納得のいく言い方です。


 書名『リカの想い出』
 発行所 ネスコ
 発売元 文藝春秋
 1986年7月30日 第1刷

2012年1月11日水曜日

樹村みのりの『菜の花畑のこちら側』

この人のマンガは何から読んだのか記憶にありません。1949年生まれとのことなのでいわゆる24年組のように思えるのです。ですが、デビューを見ると1964年、14歳の時とのことなので、直接には関係がないようです。
 個性的な絵を描く人で、一度見たら忘れることはないでしょう。

 さて、表題の作品は 1〜3 の三つから構成されていて、別冊少女コミックの1975年11月号から1976年1月号までに連載されたとの記載がありました。
 ストーリーは以下の通りです。

 幼稚園の年長さんの女の子、まあちゃん、お母さんとおばちゃん(お母さんのお姉さん)の三人は菜の花畑にある少し広めのおうちに住んでいます。近くには、お母さんの妹のあきおばちゃんが住んでいます。近いこともあって、赤ちゃんを連れてよく遊びに来ます。
 二階に手を入れ、回転の早いことを考慮して学生を下宿させることにします(このマンガが描かれたのは、食事付きの下宿がまだまだ多い頃でした)。男の学生がいいだろうと張り紙をします。
 そこに押しかけてきたのは寮を追い出された(本人に言わせると自主退寮した)四人の女子大学生(モトコ、森ちゃん、ネコちゃん、スガちゃん)です。いろいろとなんだかんだがありまして、四人はまあちゃんのお家の二階に下宿することになります。ここまでが、その1です。季節は春の終わりから夏の初めにかけてでしょうか…。

 まあちゃんがドングリを拾う場面からお話が始まるのが、その2です。森ちゃんとネコちゃんも一緒です。途中でお向かいの水谷さんに会ったりして、お家まで帰ってくると、まあちゃんより少し大きい知らない男の子がいます。
 たけちゃんという子で、あきおばちゃんが預かった、義兄の子とのことです。義兄夫婦の間で、離婚についての話し合いがされることになって、預かったのです。カギッ子で、この機会に人の多い家庭の雰囲気を味わわせたいと思って、連れてきたとのことです。
 なかなか手に負えない子だったのですが、次第に打ち解けていき、遊園地にもまあちゃんと一緒に、四人の大学生のお姉さんに連れて行ってもらいます。遊園地から帰ってくると、家の前にたけちゃんの家の車が止まっています。
 義兄夫婦はもう一度やり直すと言うことで、たけちゃんを連れて戻ります。車が出るまでの間の、まあちゃんの家族および女子大生とたけちゃんの会話がクライマックスなのでしょう。動き始めた車の窓越しに、最後の憎まれ口を叩くたけちゃんです。
 車が去った後の空からは雪が降ってきます。

 その3は、年末から始まります。下宿に残る森ちゃんとネコちゃんは、まあちゃんと一緒に、帰省する二人を見送り、お家に帰ってきます。お母さんとおばさんは、出産の手伝いで親戚の家に出かけるところです。二、三日中には帰ると言って出かけます。
 広い家の中に三人で、まあちゃんは八時半には寝てしまいます。雨が降ってきて、二人は寮の時の怪談話を思い出しています。その時玄関をノックする音がして、浜口つとむという青年が訪ねてきます。おばさんからの電話で、女三人だと心配だろうからと来たと言います。二人は自分の部屋に戻ります。
 次の朝、まあちゃんは一人で寝かされたことに文句を言います。
 つとむ君は一葉の写真を二人に見せて、この人の消息を知らないかと尋ねます。つとむ君と、隣にはきれいな女の人が写っています。たきちゃんと言ってつとむ君は好きだったのですが、「聞き取りにくい声は耳に手をあてて、いく度も聞くので、はずかしくなって心を打ち明ける機会を逃がした」と言います。
 お母さんたちが帰ってくると、青年の姿は消えています。二人の写った写真を見ておばさんは言うのです。つとむ君は二年前の今頃亡くなったこと、たきちゃんは大きな農家に嫁いで、今は幸せに暮らしていると。そして、小さいときの病気がもとで片方の耳が聞こえなかったことを。そのことはつとむ君は知らなかったのでした。
 最後の齣で除夜の鐘が鳴ります。

 以上があらすじなのですが、その1に登場する女子大学生四人の一人ひとりがおのおの個性を十分に発揮して、存在感にあふれています。さらには、目的のためには手段を選ばず(?)、男子学生が下宿するのを阻止しようとする、そのヴァイタリティーには驚かされます。現実にこんな事をする人がいるかどうかは措いておきますが。
 その2では、向かいの水谷さんとはここで初めて会ったことになっていますが、半年以上も経って初めてというのは、なんか変な感じがしました。
 たけちゃんが次第次第に変わっていく様子は、実によく描かれていると思いました。子どもは親の背中を見て育つと言いますけど…。
 その3では、つとむ君はまあちゃんには見えない設定になっていること、お母さんたちが帰ってきたときには姿が消えていることから、たきちゃんを直接に知っている人とは、会えないくらい恥ずかしがりなのかなあと思ったものでした。

 『こちら側』を読み返してみて、あれ、解放区の場面がないと思ったら、『むこうとこちら』でした。まあ、ネコちゃんのノーブラのエピソードなんですけど。

 『菜の花畑のむこうとこちら』の141ページのコラムに四人の名前は?とあります。わたしなりに考えたのですが、森ちゃんとネコちゃんはこの名前でしか登場しません。『むこうとこちら』の125ページから見ると、ネコはミネコの省略なのでしょう。森ちゃんは森絵なのかなあと考えます。伊東愛子のマンガに登場する女の子です。山田ミネコも伊東愛子も、樹村みのりと同じ年の生まれです。


 タイトル『菜の花畑のこちら側』
 書名『ポケットの中の季節2』
 出版社 小学館 フラワーコミックス FC-92
 出版年 昭和52年8月20日初版第1刷発行

 なお、以下の本には続編を含めて載っています。
 書名『菜の花畑のむこうとこちら』
 出版社 ブロンズ社
 昭和55年3月25日初版発行

 デビュー作を含む初期作品集は
 書名『ピクニック』
 出版社 朝日ソノラマ
 昭和54年9月25日初版発行
 として出版されています。1964年から1967年の作品が入っています。


 今日で10ヶ月になります。

2011年12月5日月曜日

山田ミネコの『最終戦争』シリーズから「ペレランドラに帰りたい」

山田ミネコといえば、すぐに思い浮かぶのは「最終戦争」シリーズです。このシリーズを始める10年も前からマンガを描いています。貸本マンガとのことですが、さすがにそれは見ていません。
 1995年にオウム真理教の事件があり、この人も間接的に非常に大きな被害(?)を受けています。シリーズの「最終戦争」にはハルマゲドンのルビが振ってありましたので。

 表題作は白泉社の『冬の円盤』に載っているものでシリーズ初期のものです。
 扉絵は内容には関係のない絵で、ひとりの男と人間ではないもの(胸に山田の名前があります)との次の会話が載っています。「おまえ 気は不確かか?」「だいじょうぶ ちゃんと狂っているよ」
 東京三世社の少女SFマンガ競作大全集版ではタイトルの下には次の言葉があります。
 SFは応々(ママ)にして嘘とも真実(まこと)とも判別し難い物語がある。

 ストーリーは以下のようになっています。

 金星に夢中の男と切手が趣味の男がキャベツ畑の真ん中の家に下宿しています。ある夜に、畑のはずれに何かが落下します。ふたりが駆けつけると若い女が倒れています。
 ふたりは若い女を下宿に運びます。気がついた女は自分はペレランドラの第一女王リマだと言います。大臣の反乱で父も母も殺されて、自身も命を狙われているというのです。
 三人は下宿の一室で暮らすことになります。
 リマは言います、「ペレランドラに帰ったら 女王になる たいかん式の日は 山々から花火が打ち上げられて 地球からはふん火のように見える」と。
 数日経ったある日、怪しい三人組が現れて、あっさりとリマを攫われてしまいます。ふたりが気がつくと、部屋は荒らされ切手帳もなくなっています。
 一か月ほど過ぎて、TV のニュースで「金星の表面に火山の爆発が現れ」とやっています。続いてニュースは、非常に珍しい切手で、4万ポンド、約3千万円の値が付いたとして、切手マニアの持っていた切手が紹介されます。
 このニュースで金星に夢中だった男の世界は崩れ去り、以後、切手集めに夢中になります。一方、切手が趣味の男は金星の火山の爆発から、リマの言ったことを思い出します。そして、「やっぱり彼女は本当の金星人だったのかもしれない」と思い、天体望遠鏡を覗くようになるのです。
 最後に趣味の入れ替わりになるというところでお話は終わります。

 キャベツ畑の中といえば、練馬の24年組のことなのでしょう、作者自身にも関係するようですが。
 このマンガの面白さの第一は、扉絵の会話にあると思うのですが、どうでしょうか。この頃には金星の素顔も知られていたのに、敢えて金星を持ってきた作者には感服します。これが、太陽系外の星からだったなら、最終戦争シリーズは生まれなかったろうと思うからなのですが。

 果たしてリマは無事にペレランドラに帰れたのでしょうか。

 間もなく東北地方太平洋沖地震から九ヶ月です。ペレランドラよりもはるかに近い被災地なのですが、そこに帰れない人たちはまだ大勢います。いったいいつになったら帰れるのでしょうか。あるいは、ペレランドラより遠いのでしょうか……。


 タイトル『ペレランドラに帰りたい』
 書名『冬の円盤』
 出版社 白泉社 花とゆめコミックス
 出版年 1977年5月20日 第1刷発行

 『ナルニア国物語』で知られる C. S. ルイスの『金星への旅』を読んだのはこの4年ほど後です。原題を "PERELANDRA" といいます。奇想天外社で出版されたものです。


 今日でこのブログを始めて一年です。
 拙い文章を読んでくださった方に感謝いたします。

2011年11月30日水曜日

萩尾望都の『かたっぽのふるぐつ』

公害を扱った40年前の作品です。以下のページに内容が載っています。
 http://www.hagiomoto.net/works/013.html
 なお、これにはネタバレはありませんが、以下にはそれも記しています。

 「ぼくたちのY市は 石油コンビナートの町だ(中略)みんな スモッグとガスの中にある」そんな町にある小学校の5年B組はさよなら会で「ふるぐつホテル」と云う劇をやることになります。ヨーコによると「旅人にすてられたぼろぼろのふるぐつがアリたちに励まされ、希望を失わずひばり一家の巣になるまで」のお話です。吉田志郎と渡辺悠は古靴の役をやることになります。

 公害についての授業でクラスでは侃々諤々の議論をします。終業のベルが鳴り、先生は言います。「きみたちは公害に 勝つために 強いからだを つくることだ かんぷまさつや うがいを かかさずやって 体力をつける」
 志郎との帰り道で悠は言います。「かんぷまさつじゃ 公害に 勝てないよ!」

 志郎は家に帰って父親に公害のことを訊きます。すると父親は言います。「何億円もかけて公害防止機械を買いいれ設備をよくしてる 公害なんか出してやしない」
 それを聞いて安心する志郎ですが…。
 翌朝、学校への途中で出会ったヨーコは言います。以下にそれを要約します。
 “現実に公害はある、そんな公害防止機械なんてない。父さんたちは会社ではたらいて、わたしたちに食べさせたり教育をうけさせたりしている。町の発展のためにはコンビナートは必要だ、人間は石油からはなれて生きていけない。公害はいや! でも公害は必要悪だ。”

 その日休んだ悠に会うために、帰りに悠の家に寄った志郎に悠は見た夢の話をします。
 “第三次世界大戦さ 石油コンビナート対人間の 煙はまるまって 世界中の空にちった 悪臭は風をつかまえて 世界の空気の中にひろがった ロケットで わずかの人びとが 月へ逃げた 石油コンビナートはますます大きくなって…… 地球の爆発と一緒に宇宙へ飛び散り 宇宙中の全部の星が 腐ってとけて消えてしまった”
 その話を聞いてぽかんとする志郎でした。

 次の日の朝、志郎とヨーコは悠を迎えに行きます。
 放課後、劇の練習中に悠は発作を起こし、救急車で病院に運ばれますが、その夜に喘息で吐いたものが気管に詰まり、死んでしまいます。

 さよなら会は中止になります。通知表を渡されるとき、志郎は先生に尋ねます。吉田の次は渡辺だったのです。「それ…… 中味 書いて あるんですか?」「今日 わたす つもりだった ……からな 渡辺は公害に 勝てなかった なあ」
 自分の席に戻りかけて志郎は叫びます。「ユウは かんぷまさつじゃ 公害に勝てないって 言ってました」「亜硫酸ガスには プロレスラーだって 勝てない……負ける!」

 終わりまでのおよそ5ページは志郎の思いなのでしょう、ある意味で、社会問題(公害)に対する思いです。
 石油コンビナートの町----- 人びとの幸福と未来を約束された町に------ あしたをもたない少年たちがいる…… との言葉でマンガは終わります。

 このような社会派のテーマは悪を想定して、それを叩くという形になりやすいのですが、このマンガにはそういったものがほとんどありません。もちろん、公害を認めているのではありません。公害は悪であるが、それを全面否定もできない、そんな宙ぶらりんの状態をどうすればいいのかに重点があるような……。

 このマンガの頃は、公害問題が日本中に蔓延していました。このマンガの舞台のY市についても、Wikipedia に詳しく載っています。これが描かれた頃は公害の後期にあたるようです。
 また、松尾鉱山の閉山は 1969 年とのことですので、脱硫装置はこの頃までにほぼできあがっていたようです。

 このマンガを読んだのは 1977 年なので、公害問題はほとんど終わった頃でした。それでも読み手の胸に響くものはありました。
 このようなマンガは、今も公害に悩まされている国では、どのように受け取られるのでしょうか。


 タイトル『かたっぽのふるぐつ』
 書名 萩尾望都作品集2『塔のある家』
 出版社 小学館
 昭和52年4月10日初版第1刷発行


 11月25日に出た雑誌「暮しの手帖」に萩尾望都のエッセイが載っていて、両親のことを書いています。

2011年11月13日日曜日

ちょっと休憩 『七ツ森』

仙台の北に大和町という町があります。そこに七ツ森と呼ばれる七つの小さな山があります。大和町のホームページに「七ツ森のできたわけ」と云うお話が載っています。
 https://www.town.taiwa.miyagi.jp/soshiki/soumu/7tsumori.html
 七ツ森は、地名で、七つ森ではありません、念のため。

 仙台に住んでしばらく経った頃、わたしはどうにもこの七つの小さな山が気になって仕方ありませんでした。もちろんまだホームページなんか無い頃のことです。そこで自分でこの山のいわれを考えてみたのでした。
 以下、少し恥ずかしいのですが、それを書いてみます。

 ずうっとずうっとむかしのこと、七ツ森の辺りは一面の田圃だった。
 ある日、男があぜ道で大きなたまごを拾った。そのたまごときたら、にわとりのたまごを十(とお)集めたものを十(とお)集めたよりも大きかった。男は村のものを呼び集めた。「はて、なんのたまごだべぇ」「さて、こんなたまごなんぞ見たこともねぇ」「食えるべぇか」などと話していると、堅い木を叩くような音がした。見る間にたまごが割れて中からヤモリのようなもんが出てきた。その大きさときたら、大きなネコよりも大きかった。わっと、みんなは逃げ出した。
 それからが大変だった。この生きもんは初めは人の家に入り込んで飯を平らげていた。そして、食えば食った分だけ大きくなった。飯を食い尽くすと、秋の田圃に入り込んで、刈り取り間近の稲を食いだした。辺り一面の田圃を食い尽くす頃には小山のような大きなもんになっていた。とても鍬や鎌で殺せるような代物ではなかった。
 ばけもんは稲を食い尽くすと、ぐっと頭を上げ鼻をひくひくさせて、北へ向かってのそのそと歩き出した。どうやら大崎の方へ向かうらしい。百姓たちは智慧を絞った。「毒を盛るしかあんめえなぁ」「けど、あいつは米しか食わんぞ」「その米に毒を盛ればいい」ということで、みんなは毒草を集めに集めた。なにしろあんなでかい身体だ、少しぐらいでは効くまい。毒草から搾った汁を炊きあげた飯に混ぜて、大きな握り飯をいくつもいくつも作った。それをばけもんの前に置いて、遠くから様子を見た。
 ばけもんは飯の匂いを嗅ぎつけると、のそのそとやってきて、握り飯を食いだした。その間にも、食った分だけさらにばけもんは大きくなった。「もうすぐみんな食っちまうぞ」「いっこうに弱ったふうには見えんなぁ」と、みんなは不安げに見ていた。
 そのうち、さすがのばけもんにも毒が回ってきて、のたうち回り始めた。その時、ばたばたさせていたしっぽが泉ヶ岳にあたった。その頃の泉ヶ岳は、今よりもずっと高くて、富士山のような形だったのが、しっぽがあたって頂が二つに割れた。こうして北泉ヶ岳と泉ヶ岳ができた。
 しばらくすると、ばけもんはぴくりともしなくなった。おそるおそる近寄ってみると、ばけもんは死んでいた。大きすぎて動かせなかったのでそのまま放っておいたら、いつの間にか、ばけもんは山になっていた。ばけもんの頭や背骨が今の七ツ森だということだ。

 おしまい


 どこかで聞いたことのあるようなお話かと思います。でも、民話とはそうしたものなのではないでしょうか。
 こんな話をあとふたつ作ってみたのでした。三つの中でこれが面白いと言ってくれた人のいたのが、このお話です。

2011年10月25日火曜日

COCO の『異形たちによると世界は…』

 今回は、今年発行された新しいマンガを取り上げます。この人はブログでマンガを描いていますが、初めて読んだのは出版された『今日の早川さん』です。SFの博覧強記には驚かされました。

 表題のマンガは、H.P.ラヴクラフトのクトゥルー神話を換骨奪胎した4コママンガと、3〜7ページの短編で作られています。帯には、「もしも、怖ろしいクトゥルーの邪神たちが実はかわいい女の子だったとしたら?」との惹句があります。

 ラヴクラフトは文庫本で1, 2冊読んだだけで、それもずいぶん前のことでした。それほどの興味も湧かずにそれでおしまいになってしまいました。著者後書きに、登場する者の発音は指定されていないというようなことが書いてあったような気がします。Cthulhuをどう発音するかですが、その本にはクトゥルフとあったように思います。
 ラヴクラフトに興味がなかったにしては、諸星大二郎のマンガはずいぶん読みましたけれど。

 短編はシリアスが主ですが、4コママンガは基本的にはギャグマンガと言っていいと思います。
 4コマは続き物が多いのですが、クトゥルーのキャラクターが作者なりの解釈で登場します。妙に怖い(?)のが15ページ目の「重ね合わせの猫」でした。シュレディンガーの猫の話ですが、4コマ目で、顔中に冷や汗をかきながら、ナイアルラトホテップとティンダロスは何を見たのでしょうか、気になります。

 短編では「庭の片隅で眠るもの」を面白く読みました。珠恵が庭で見つけた、カエルに似た生き物ツァトゥグァの話です。ツァトゥグァは人から見たら長命の生き物です。珠恵は成長するにつれて、ツァトゥグァを忘れます。家を出て行った珠恵ですが、出戻ってきます、ツァトゥグァに初めて出会ったときぐらいの女の子を連れて。
 その子がツァトゥグァに気づきます。「おかーさん、変なカエルがいるよ」「そういえばお母さんが小さい頃にも、いつもここにこんなカエルがいたのよ。懐かしいなあ」
 最後のコマは「きみきみ、あのときの カエルくんじゃないよね?」と云う珠恵の呼びかけと 「…もうしばらく、ここにいるとするか」と云うツァトゥグァの心のつぶやきです。
 最後のコマの珠恵は、少し前のコマとは違って、生き生きとして見えます。娘と同じ歳のようにも見えます。きっとここではよい生活を送れそうに思えてきます。

 このマンガは面白く読みましたが、もう一度ラヴクラフトを読もうとは思いませんでした。ラヴクラフトが高い山か深い池かわかりませんが、その周辺をうろうろしているのがわたしには似合っているのでしょう。


 書名『異形たちによると世界は…』
 出版社 早川書房
 2011年7月20日 初版印刷
 2011年7月25日 初版発行

2011年10月13日木曜日

矢代まさこの『シークレット・ラブ』

 これは41年前のマンガです。1970年に描かれたものです。ですけれども、単行本の出版年から見ると、このマンガを読んだのは早くても1978年だと思います。

 「きいてください わたしの初恋の物語 けれどききおえたあとで あなたの健康なほおを さげすみの笑いでゆがめないでください」と始まる物語、まさに「秘められた恋」の物語です。デラックス・マーガレットに載ったものですが、この当時、このようなマンガを載せたことには敬服します。

 以下にストーリーを簡単に記します。

 登場するのは、わたし敦(敦子)、冬子、そして冬子のいとこの牧夫です。わたしと冬子は高校一年生です。
 わたしは冬子を親友だと思っています。冬子のことは、何だってわかっているのですから。わたしは、プレゼントしたショールに包まれた冬子を絵に描こうとします。
 体の弱いわたしは、病院で手に怪我をした男の人から、外科の診療室の場所を訊ねられます。数日経って、その男の人に街で出会います。内田牧夫と名乗り、カメラマンの卵で、イメージにぴったりだからわたしを撮りたいと言いますが、きっぱり断ります。

 冬子のところで、冬子をモデルに絵を描いているところに、牧夫さんが来ます。牧夫さんは冬子のいとこだったのです。冬子を撮ると言って、わたしも撮っているのに気づいたわたしは、興奮して、貧血を起こして倒れてしまいます。
 「ほかの男の子は らんぼうで 子供っぽくて うすぎたない けどね 牧夫さんは ちがうわ」と冬子に言われます。その時から自分の冬子への友情をうたがいはじめます。
 翌日、病院で牧夫さんに会ったわたしは公園で牧夫さんと話します。話していて気づきます、ほんの少し深い友情だと思っていた冬子への感情は、実は恋なのではなかったのかと。

 冬休み中には冬子に会うことを避けますが、休みが明けて再び冬子を描くために冬子のもとに行きます。しばらく来なかったことを気遣う冬子。
 冬子から牧夫さんの気持ちを訊いてほしいと頼まれて、わたしは自分に云いきかせます。「牧夫さんに やきもち やいたり しないわ 気の弱い 冬子の気持ちを 彼に伝えて あげるわ それが ふつうの 友情なん だわ」と。

 牧夫さんに会って冬子の想いを伝えますが、牧夫さんが好きなのはわたしだと言うのです。冬子を牧夫さんに取られるのでは、との恐れはなくなりましたが…。
 化学室の掃除当番の冬子に、どのように伝えようかと悩むわたしですが、冬子は牧夫さんからの電話で牧夫さんの気持ちを知っていました。わたしは自分の気持ちを冬子に伝えられません。
 二人の間で硫酸の瓶が割れて、わたしは足に硫酸を浴びます。

 それから一週間、冬子は訪ねてきません、ふと窓を見ると手紙が挟んであります。冬子からの手紙です。それを読んで、わたしはすぐに牧夫さんに電話をします、「冬子は…… 死ぬかもしれない!」と。
 海辺で冬子を見つけますが、ふたりの前で冬子は岩から海に身を投げます。慌てて海に飛び込み冬子を助ける牧夫さん。その様子を見つめながらわたしは考えます。
 「冬子に恋したりしなければ(中略)あんな誤解は……こんな事件はおこらなかったんだわ」「冬子のそばから去らなければ…」と。

 最後の齣はショールに包まれ微笑む冬子の絵と、「病的に潔癖な少女の異性をいみきらう 感情がうらがえしにされつくられたエピソード それがわたしの初恋だったのかもしれません 冬子は今もキャンバスの中で愛らしく ほほえんでいますけれど……」との敦子のモノローグで終わります。

 このマンガについて作者は“エス”の世界を描きたかったんだけど…と言っているようですが、なんか違うような気がしました。吉屋信子は読んだことはありませんが、エスで真っ先に思い浮かぶのは、ペギー葉山の学生時代の三番の歌詞です。吉屋信子の世界は、そんなにきれいじゃないよと言われれば、なにも言えませんが。
 このマンガでは、登場する三人の想いが、見事に三角形を描いています。そして、矢印は常に一方方向なのです。冬子と牧夫の想いは敦子にはわかっています。でも、自分の想いは誰にも知られてはいけない、と敦子自身は思っています。そのために敦子は街を離れることになるのですが。
 16歳で初恋は遅いと思いましたが、恋だと気づいたのがその時で、そのずうっと前から恋していたのならと、納得できました。
 今のマンガなら、敦子の葛藤はほとんど描かなくても成り立つのかもしれません、それがいいことなのかどうかはわかりませんけれども。

 このマンガを冬子の眼から見た物語として描けば、どんな話になるのでしょうか、興味のあるところです。


 書名『シークレット・ラブ』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス SCM-473
 出版年 昭和53年4月20日初版発行

 矢代まさこを扱った blog では
 http://blog.goo.ne.jp/luca401/e/92ef3476d56e5447ced8ab3ade35bcef
を面白く読ませてもらいました。

2011年9月24日土曜日

柴門ふみの『反逆天使の墜落』

 読んだ後で背筋がぞうっとするマンガです。

 柴門ふみは高橋留美子と双璧をなすマンガ家です、少女マンガを描かない女性マンガ家として。どちらも少年マンガや青年マンガを描いて人気を得ています。

 表題のマンガは1980年の「マンガ奇想天外」No.1 に載ったもので、ほとんど間を置かずに単行本に収録されています。

 以下にあらすじを載せます。

 幼い頃に、八畳間で一人寝る私は、薄明かりの中で「クリスマス・ツリー」と名付けたものを見ながら眠ります。それは、人や車や建物などの飾りをぶら下げ、回転しながら飾りをらせん状に吸い込んでいきます。手を伸ばせば届きそうで届かない、そのうちに眠ってしまいます。
 成長とともにクリスマス・ツリーは現れなくなります。

 ホテルで一瞬クリスマス・ツリーが見えます。「渦の中に 吸い込まれ そうで 吸い込まれ なくて」
 男は言います、「吸い込まれない方法(中略)うんと食べて うんと太って 樽の様に なるのだ」「ポーの短編に あるだろう 円筒状のものが 渦にまき込まれる速度が 一番遅い」「落ち着いて 太るには 家庭に入るのが(後略)」

 男と結婚して赤ん坊が生まれますが、「もはやクリスマス・ツリーは 断片すら見えなくなって しまったのですが、 失なわれてしまったものに対する 執着も又、私の内で どんどん膨んでいったのでした。」
 泣いている赤ん坊の傍らで、灯りもつけずにクリスマス・ツリーの現れるのを待つ私。「息子が かわいく ないのか!」と夫に言われ、「ぶよぶよして 生温かくて 気持ち悪い」と答えます。
 街に逃げ出した私の目には、遠近感を失った人びとしか見えません。
 「(前略)墜落の感覚をおぼえました」「おちた私の足元には 眠り続ける私がいました」「頭上では 街と人びとが回転を続けていました」「本当の私は、実はまだ あの八畳間で、眠り続けているのだ」と私は気づきます。

 暑い日に、夫は赤ん坊を連れてパンダを見に動物園に行こうとします。上り坂は夫がベビーカーを押します。私は、下り坂は楽だからと夫からベビーカーを受け取ります。頭上でクリスマス・ツリーの鳴る音を聞いて、私はベビーカーのハンドルから手を離します。坂を下り落ちるベビーカーと追いかける夫、追いついたところに大型トラックが…。

 坂の上で私は眠っているあたしに言います。”ほら あたし 目が醒めたでしょ” ”クリスマス・ツリーが 見えるでしょう” ”立ち上がって 腕を差しのべるのよ”と。
 「まだ円筒形でない おもりもない あたしはまっすぐに吸い込まれてゆく 渦をつっ切り 加速をあげて 回転する間もなく」
 最後のページは、「光の点をめざして……」と、両手を挙げた子どもの私が吸い込まれていきます。
 でもこれは吸い込まれると云うよりは、上に向かって落ちていくというほうがいいのかもしれません。

 このマンガを読んだのは、30年前です。そのときは、なんか怖いなぁ、と思ったものでした。たぶん、母性本能はどこに行ってしまったのかとの思いがあったのでしょう。
 最後のページでは、中学生の時に読んだ詩を思い出していました。作者もタイトルも忘れてしまったのですが、寝転んで青空を見ていると、空に落ちそうになって草をぎゅっと掴むと言う詩です。
 また、このマンガのタイトルの意味がよくわかりませんでした。
 しばらく経ってから読み返したときに、読み終えて最後のページで涙がこぼれました。誰も救われないその寂しさかもしれません。

 さて、改めて読んでみて、主人公の私はそれなりに救われるのかなぁとか考えつつ、初めて読んだ頃とは全然別のことが頭をよぎりました。
 裁判になったときに、心神耗弱が認められるのだろうかとか、未必の故意なのだろうかなどという大事かもしれないけれど、作品の本質とは無関係のことですが。


 タイトル『反逆天使の墜落』
 書名『ライミン・フーミン』
 出版社 奇想天外社 奇想天外コミックス
 昭和55年6月15日初版発行

 帯には、柴門ふみ処女短篇集とあり、吾妻ひでおの推薦文があります。


 167ページの最後の齣に"ポーズの短編"とありますが、これは"ポーの短編"です。このような誰でも気づく誤りは訂正しないのでしょうか。「マンガ奇想天外」での誤りがそのままになっているものですので。

2011年9月12日月曜日

地震から半年

 大地震から半年が経ちました。海沿いの地域は、まだまだ復興にはほど遠いのが実情のようです。また、地震の被害を被った内陸部の復旧もまだのようです。
 それでも希望の明かりを灯すために、仙台では恒例の「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が先日の土曜・日曜に行われました。人出もそれなりだったようです。

 海から離れたところに住み、海から離れたところに職場がありで、津波の被害は幸いありませんでした。私の勤務場所はほとんど被害はありませんでしたが、地震の被害はまだ復旧からほど遠い職場です。

 この半年は、まだ半年なのか、もう半年なのかよくわかりません。なんか、気がつけば半年と言ったところでしょうか。今から半年後には、一年経ってなどと書いてるのでしょうか、なってみなければわかりませんが。

 地震と津波と、そして原発と三重苦を負った人から見たら、幸せなのだからと、前を向いていくしかないと思います。

 まぁ、りきまずに、ぼちぼちと行こうと、思うこの頃です。


 死者・行方不明者が二万人を切ったことが救いと言えるのでしょうか……。

2011年9月7日水曜日

須藤真澄の『電氣ブラン』

 表題は作者の最初の単行本のタイトルで、この名前の作品はありません。九つの短編と MASUMI'S スーパーマーケットと題する一ページのイラストというか、身近なもの(たとえばいろいろな時計)を描いたものが数ページです。
 電氣ブランというのは浅草にある神谷バーのアルコール飲料の名前です。

 9編中6編が1985年の作品です。うち、一編は同人誌に描かれたものです。ただし、初出一覧は、東京三世社版には載っていません、竹書房版にはあります。
 初出一覧でみると『告知』が一番古い作品です。ただし、五年後に(原稿サイズ直しのためリライト)とあります。

 『月守(つきもり)』は、星を作るのが仕事のおじいさんと孫娘のお話です。孫娘は初めは高校生として登場しています。最後のページは、右・左・下と三齣しかありませんが、面白い齣です。

 『黄金虫(おうごんちゅう)』は、錬金術学校に進もうとしている高校生・木乃枝が主人公です。自分の心の中が、金の光沢になって現れるというプレッシャーに耐えながら、受験に励みます。錬金術材料との看板の店に入ると、おばあさんと赤ちゃんがいます。ふたりとも名前は木乃枝でした。おばあさんのアドバイスを受け、合格する木乃枝です。最後のページがこれも素敵でした。

 『スウィング』は、拾ったタコのおもちゃの足が折れるたびにタイム・スリップが起こり、そのときのエネルギーで地震が、それも大きな地震が起こってと云うお話です。タコさんはいったい何なんでしょうか、誰が作ったのでしょうか、と言うことは一切でてきません。

 『帝都は燃えておりまする』は、初代ゴジラのパロディーです。登場するのは帝都を焼き尽くそうとする大火災です。ファイヤー・デストロイヤーを持った博士がヘリコプターから火の中に飛び込み火災を終わらせます。
 このマンガは1985年に発表されたのですが、1989年のジョークに一酸化二水素 (Dihydrogen Monoxide) があります。1997年には、アイダホ州の14歳の中学生が "How Gullible Are We?" と云う調査に用いて、世界中に広まったのですが、このジョークがもう少し早くにできてたら、きっと作者はこれを取り入れていたに違いないと、今は思うのです。

 ばかばかしいのが『大回転焼小路』で、笑わせてもらいました。

 『告知』は1980年、『創造』は1981年の作品ですが、高校 1, 2 年生の時の作品とは思えないほどに完成されています。

 『告知』は、子どものない夫婦の前に、それぞれに現れた中学生ぐらいの女の子「麻憂(まゆ)」のお話です。ある日、別々に行動していた夫婦はそれぞれに麻憂を連れて出会います。ふたりの麻憂は消えてしまいます。そしてしばらくして夫婦に子どもができます。と、書けばそれほど面白くないかもしれませんが、読んでみると、絵とお話がマッチして面白いのです。「麻憂(まゆ)」は、子宮を見立てて、繭に掛けてあるのでしょうか。

 『創造』は、植物で少女タイプの生物を作り、それをクローンにして増やすというお話です。植物少女・草子(カヤコ)は順調に増えていくのですが、ある朝、すべてのカヤコは花にもっどてしまいます。最後の一ページは示唆に富むセリフで終わっています。「僕らが宇宙のちりに 一握りの土くれに 戻ってしまうことなど無いと 言い切れるだろうか」「歩いて来た このはるかな道が どこかでゆがんでいた ものとしたら—」

 『晩餐』は、この短篇集では一番長くて、30ページあります。この短篇集の中では一番読み応えがあります。そんなわけで、これはそのうちに別に取り上げようと考えています。(yonemasu.blogspot.com/2015/02/blog-post.html に書きました)

 作品後記「川のほとりに」は、面白く読ませてもらいました。文才もあるようです。


 書名 『電氣ブラン』
 出版社 東京三世社
 1985年11月10日 初版発行
 まひるの空想掌編集 と副題が付いています。
 カラー口絵が8ページあります。
 また、カヴァーには、銀文字で電氣ブランについて以下の記述があります。
  リキュール類
  アルコール分40%
  容量162ml

 書名 『電気ブラン』
 出版社 竹書房
 1996年4月18日 初版第一刷発行
 東京三世社のものとは違うカラー口絵が1ページあります。
 初出一覧があります。

2011年8月30日火曜日

いしかわじゅんの『至福の街』

 作者は一応少女マンガ(らしきもの)も描いているのですが、それは措いておきます。どんなマンガだったのか全然印象がないのです。『うえぽん』と云うタイトルで、白泉社から全三巻ででています。今は、電子書籍で読めるようです。

 さて、表題作ですが、1980年の「マンガ奇想天外」No.1 に載ったもので、翌年に単行本になっています、また、1985年に別の出版社からでています。
 この本には11編の短編が載っていて、一番長いのが表題作で48ページあります。巻末に自註があります。その中で作者は、「さる高名な漫画家が、今にどんでん返しがあってギャグになるだろうと、最後まで読んで、結局シリアスのままだったんで驚いた、と言う話が伝わって来た位に、コレはシリアスなのだ」と書いています。別のところで手塚治虫が、と書いている人がありましたので、高名な漫画家は手塚なのでしょう。

 マンガ家菱川は、あるときから自分の周りの人たちが、遠い目をするようになったのに気づきます。初めは恋人の由以、その由以に振られ、由以がつきあいだした筒井と…。
 そしてその頃にブームになったUFO、先輩マンガ家の恩田もそのことに気づき、話し込むふたりでしたが。
 道を歩いていて、菱川は人にぶつかってしまいます。「あ… 失礼!」「いいえ」「あの目だ…!!」菱川はその男の頭上に一瞬「ピンク色の………肉」を見た、と思います。

 アシスタントは「むこうの方が給料がいい」とやめたり、あるいは独立していきます、遠くを見る目をして。ついに連載も次々に打ち切られ、連載無しになります。
 この頃には「あの眼は既に 街の過半を 覆って居た」「遠くを見る様な ……そう 至福とでも 言ったらいいか」「我利と秩序とが 奇妙な調和を 成して居る風景だ」と言う状態になっているのでした。
 「最後の 頼みの綱」と、菱川は恩田のもとを訪ねます。その恩田は「一人ひとりが 幸福になる 事によって全体も 幸福になるんだ そうだろう?」と、サングラスを外して拭きます。その眼は遠くを見る眼だったのです。

 菱川は部屋に閉じ籠もります。今日が何日なのかもわからなくなり、真冬なのに暖かい日々です。
 「受け容れちまやいいんだ…」などと考えているところに、それは現れます。なにが現れたかはここには書きません。答えは扉絵ですが…。
 大勢の集まった道場で、由以は菱川に絹の袱紗を渡そうとします。「さあ……」「宇宙とひとつに なるのよ…」
 受け取ろうとして手を伸ばす菱川ですが、あと少しのところで拳を握りそこから逃げ出します。すると街中の人たちが追いかけてきます。逃げる途中で、街全体が大きなドームに覆われているのを知ります。ドームの果て、押し寄せる人、先頭には由以。
 絶望から両手をドームに付くと、すっと手首から先だけがドームの壁を突き抜けます。

 「オレの指の間を 真冬の風が ゴウと鳴って 走り抜けた」

 宗教と SF がある意味で融合したような、奇妙なマンガです。また、絵がいしかわじゅんのマンガの絵なのも、ミスマッチのようでいて味があるような気にもなります。

 恩田の「一人ひとりが云々」は、ある種の合成の誤謬だと、今ならすぐに言えるのですが、このマンガを初めて読んだときには、そんな言葉は知りませんでした。
 マンガのタイトルの『至福の街』とは、言い得て妙です。信じてしまえば幸福なのですが、信じられない者にはこれほどのディストピアはないでしょう。
 大勢(たいせい)に流されやすい自分は、きっと、菱川を追いかけるほうになるんだろうなぁ、などと思いながら読みました。


 書名『至福の街』異色短篇集
 発行所 奇想天外社 奇想天外コミックス
 昭和56年11月25日 初版発行


 1985年12月に双葉社から ACTION COMICS の一冊として出されています。カヴァー絵は扉絵を描き直したもののようです。こちらは、持っていません。

2011年8月19日金曜日

さべあのまの『地球の午后三時』

 この人も「プチフラワー」で知った一人です。創刊号から描いていますが、『フリフリCAT』は、印象に残っていません。その次の『三時の子守唄』からは、面白い絵を描く人だなぁと、思いました。

 絵については、できるだけ書かないようにしようと思っているのですが、この人については一言書きますと、アメリカンコミックを取り入れたような絵です。とは云っても、マンガにアメコミの薫りを入れたような感じです。その絵が受けたのだろうと思います。一度見たら忘れられない絵といえるでしょう。

 表題作は朝日ソノラマで出していたマンガ雑誌「デュオ」に載ったものです。
 主人公の男の子リッキー、リッキーと仲良くしたいマリィ・ルー(たぶん二人とも小学校の高学年でしょうか)、リッキーの両親、リッキーの家庭教師のバド、そして一年前になくなった鍛冶屋のユッカ大将が主な登場人物です。

 リッキーは、バドがママにちょっかいを掛けようとしていて、ママも悪い気ではないようだと思っています。
 そんな夕方に、ママはパパの好物のマッシュ・ポテトを作りますが、それはインスタントです。まずくてイヤになったリッキーは、皿の上に山を作ろうとしてママに叱られますが、新聞を取り上げられたパパも新聞の蔭で同じことをしています。
 その後で、できあがったばかりの模型の船を持ってリッキーの部屋に来たパパは、次の日曜に島の入り江でリッキーの船と一緒に進水式を行おうと言います。
 「なんでも知ってるボク この家庭の平和なんて ボクによって保たれているようなもんさ」とリッキーは思います。

 土曜日にリッキーはマリィ・ルーと庭でピクニックをします。絵はありません。
 天気予報は明日の日曜は雨と云っています。

 まだ暗いうちに雨音でリッキーは目を覚まします。メモ帳を破り雨を受けて、雨を燃やすためにバケツの上でマッチで火をつけると、雨は蒸気となってリッキーを雲の上へと運んでいきます。以下10ページが雲の上でのリッキーとユッカの話になります。
 ユッカは雲の上の天気を作る鍛冶場で働いています。

 ここでの二人の会話がこのマンガの言いたいことで、この会話を通してリッキーの考え方に少しずつ幅ができていくのです。「早くおとなに なりたいと 思うけど いいかげんに なるのは イヤだし」「ずっと このままで いたいと思ったり」と言うリッキーに、ユッカは笑いながら答えます。「完璧な おとなや 永遠の こどもなんて いるもんか!」と。
 ママについては「キミ達 男同士(リッキーとパパ)が 仲良くすれば するほど 女のママは さみしいことも あるのさ」「女はいくつに なっても チヤホヤして もらいたい もんなのさ」と言います。
 雲の上から自分の家を見ると、台所でママが本物のマッシュ・ポテトを作っています。「ママは キミとパパのことを ちゃんと思っているのさ」と、ユッカは言います。リッキーはユッカに「今日だけは 雨に しないでよー!」と、お願いして、午后の三時までは雨を降らせないことにしてもらいます。

 日曜の朝、まだ眠っているリッキーに「早く起きないと おいてっちゃうぞー」とパパが声を掛けます。外はいい天気です。
 朝食の席で、ママに弁当のバスケットを渡され、少し考えてから「ママも いっしょに 行こーよ!」とリッキーは誘います。「でも…」とためらうママに言います。「進水式には シャンペンを 割ってくれる ご婦人って 必要なんだ!」

 進水式を終えて、うれしそうにパパに寄り添うママを見てリッキーは心の中でつぶやきます。「ユッカ ありがとう……」

 男の子の成長物語です。この後で、リッキーはマリィ・ルーに優しくできるのでしょうか、気になるところです。
 季節は違いますが、このマンガを読み終えたときに思い浮かんだのは、イギリスの詩人ブラウニングの "春の朝(あした)" でした。特に、あの最後の一節、「すべて世は事も無し(All's right with the world!)」を思ったのでした。

 この本のカヴァー絵は雲に乗ったリッキーとマリィ・ルーそれに犬のクラ・ビス、それを遠くの雲の上から手を振って見ているユッカです。実際の物語ではリッキーとユッカだけしか雲の上ではでてきませんが。


 書名『地球の午后三時』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス 713・ストロベリー・シリーズ
 昭和57年11月26日初版発行

2011年8月11日木曜日

筒井百々子の『たんぽぽクレーター』

 プチフラワーに連載されたマンガで、のちに小学館から単行本二冊で出ています。
 各パートごとにサブタイトルがあり、単行本の目次には、いつの出来事かが示されています。以下、単行本をもとに書いていきます。

 双子の兄弟ダグとレミイは、12歳の夏に、原子炉を積んだ衛星の落下事故に巻き込まれ、ダグは被曝してしまいます。このままでは秋を越せないと知って、父親は月にある WHO の病院にも電話をするのですが、どうしようもないと言われてしまいます。
 そこに助け船が現れます。たんぽぽクレーターにある病院の院長は、この病院でなら、治療方法が見つかるまで、コールド・スリープで眠らせておけるというのです。
 レミイは院長に言います、「ダグが 月で死んだら 許さない」と。

 PART2 からが月面のたんぽぽクレーターでの話になります。

 たんぽぽクレーターとは、民間の月面総合医療都市で小児医療を行っています。まもなく18歳になるジョイは、18になったら医師国家試験を受けることになっています。受かるだけの実力はとっくにあるのですが、院長の方針で18まで待たされています。奥さんをアメリカに残して月にきているデイバイン医師と、ジョイから見るといろいろとわけのわからないところの多いマックギルベリー院長が副主人公です。

 患者の小さな女の子・ジルを誘拐しようと入り込んだ男・パチョーレクは院長に取り押さえられます。院長の右手は義手でした。パチョーレクは、護送の途中で下記のような騒ぎのどさくさで逃げ出して、月にとどまり、さまざまの場面に味方として登場します。
 ハローウィンの夜に地球との連絡が取れなくなります。傍受した地球の放送から、以前から寒冷化していた地球は、中緯度地方までが氷河に覆われたことがわかります。それを聴いて多くの職員は持ち場を離れ地球へ帰ろうとします。
 その混乱の中で夢遊病のジルは、壊れていたエレベーターの穴に落ちて死んでしまいます。そこにジルの父親が現れます。彼は「地球は 環境破壊と 大気汚染で 寒冷化していた(中略)6月の各国の 宇宙兵器実験は 致命傷でした」と説明します。1巻123ページの「季節は 大切な 地球の娘 冷たくなった少女 帰らない夏」は印象的です。

 暴徒に襲われ、地下に避難するジョイたち、その中でジョイはコールド・スリープ中のダグを見つけます。
 発電所の故障で病院中が停電してしまいます。眠っているダグの装置はどうなってしまうのか? と気遣うジョイで、1巻は終わります。

 ジョイの働きで、何とか間に合わせの発電機で電力は供給できました。そして、ジョイは、二度とダグのところには来ないことにします。
 捨てられた太陽発電車を見つけて、それをばらして新しい発電車を作ろうとするジョイですが…、修理班の人からたんぽぽクレーターが年内に閉鎖されることを知らされます。
 その頃院長はデイバインに「患者の亡命や 引き渡し拒否(中略)職権濫用の ワンマン院長」として「月面での 医療活動禁止 追放」となったことを伝えます。たんぽぽクレーターは、患者の引っ越しのためにクリスマスイブまでは存続されます。
 閉鎖のことを確かめようと、ジョイは院長のもとに急ぎますが、途中で倒れてしまいます。急性白血病でした。スクラップ置き場から、危険レベルの放射性廃棄物が見つかります。

 それでもダグのことを心配するジョイは、クリスマスイブまではたんぽぽクレーターに残ることにします。さまざまのことがあり、院長は月から追放、アメリカに帰るはずだったデイバインは妻が死んだことを知らされ、診療所に規模を縮小してのたんぽぽクレーターに残り、ダグを守ることにします。
 クリスマスイブに、デイバインは車いすでジョイを外に連れ出し、ジョイが作っていた発電車を見せます。それを見て喜ぶジョイ。ベッドに戻ってジョイに小さな紙袋を渡します。袋の中には小さなスイッチが入っています。そのスイッチを入れると、窓の外に発電車からの電気を取り入れて、大きなツリーに灯りが点ります。

 以上が PART9 までです。PART10から12は、それから3年半後の話になります。

 たんぽぽクレーターからの子どもたちは同じ夢を見ます。男の子と夏の夢です。その謎を解こうとするうちに、クリスマスイブにジョイが亡くなったことを知ります。謎の答えを捜すとしたらまずあそこだと、たんぽぽクレーターに向かう子どもたち。
 一方、放射線障害の特効薬「黒」を完成させた院長は、ラグランジェポイントのコロニーにレミイを訪ね、そのことを伝え、月にくるように言います。
 月に密入国した院長ですが、宇宙空港で原子力船の墜落に巻き込まれます。気がつくと心配そうに見ているレミイがいます。院長はダグの分の「黒」をレミイに託して、けが人の手当に駆けつけます。

 子どもたちは夢に登場した男の子がダグだったことを知ります。
 何とかたんぽぽクレーターにたどり着いたレミイは、「黒」を投与された小さなダグの手を取って眠ります。
 ダグが目覚めたら地球に帰るはずだったデイバインは、診療所を続けることになります。
 デイバインは院長に「信じますか? あの子たちが ダグの夢を見たこと」と言うと院長は答えます。「子どもは どんな夢だって 見るものだよ(中略)地球に 夏を呼ぶものがいるなら あのたんぽぽクレーターの 子どもたちかもしれない」と。

 作者はいろんなSFや小説からこのストーリーのヒントを得ているようです。
 1巻18ページと2巻238ページには「星の王子様」の挿絵も登場しています。それがまた実にいいところにです。


 書名『たんぽぽクレーター』1巻 (PART1 から PART5 まで)
 発行所 小学館 PFC-491
 昭和59年10月20日 初版第1刷発行

 書名『たんぽぽクレーター』2巻 (PART6 から PART12 まで)
 発行所 小学館 PFC-492
 昭和60年3月20日 初版第1刷発行


 東日本大震災から5ヶ月です。死者・行方不明者が2万500人と最初の頃より少なくはなっていますが。
 余震でしょうか、いま22時32分ですが、揺れています。

2011年7月31日日曜日

室山まゆみの『ハッピー・タンポポ』

 室山まゆみと云えばまずは『あさりちゃん』なのかもしれません。おそらく女の子向けのマンガとしては、一番巻数の多いマンガでしょう。30年以上も描かれています。
 ここで取り上げるのは、それよりも古いマンガです。

 ウィキペディアに『ハッピー・タンポポ』と云う項目があります。それによると、1977年から約四年間連載されたとのことです。作品の特徴や登場人物については詳しく載っています。野々タンポポと藪小路いばらの二人が主役です。

 単行本には収録されていなかったのですが、『あさりちゃん』94巻に一部の7話分が収録されました。あとがきマンガによると、小学五年生と六年生に連載されたとありました。さすがに学年誌は見ていませんが、昭和50年代に小学館で出していた、ティーンコミックというA5版の雑誌があり、その「室山まゆみ あさりちゃん」に収録されています。これが全部なのかわかりませんが。また、ウィキペディアには「コロコロコミック」で総集編が刊行されたとありますが、こちらは見ていません。

 このマンガで印象に残っている場面があります。94巻にもある「さらば短足ズン胴」の、二ページ目、ずらりとハンガーに掛けられた11着(見えるところだけで)のオーバーオールです。すべて同じデザインですが、母親は「タンポポ だって、 毎日 かえてる でしょ。」と言います。
 これを見たときに思い出したのが、"江戸の粋"でした。
 いろいろと禁制があったから、表は飾れないけれど、見えないところに凝るというあれです。そこまで作者が考えたかはわかりませんが、そんなことまで思いを馳せらされました。そして、ニヤリとしてしまったのでした。
 もちろん、ギャグマンガですので、きちんとその作法にのっとって、笑わせるところあり、オチはきっちりついています。

 「初デートはムフフのフ」では二人のあこがれのカケスくんから、別々に、同時刻、同じ場所にきてくれるように言われ、舞い上がります。その場所に行って、にらみ合う二人でしたが、たのまれたのは合宿の炊事当番でした。
 二人ともうまく料理ができず、最後の手段と、店屋物をとってしまい、二人で料理屋で皿洗いをするというオチになります。

 このほかにも面白い作品が多いのですが、いまは手に入れるのが難しいのが残念です。


 タイトル『ハッピータンポポ』
 書名『あさりちゃん』94巻
 出版社 小学館 てんとう虫コミックスTC-1206
 2010年12月29日 初版第1刷発行
 
 ティーンコミック第4号 昭和54年11月15日発行 
 ティーンコミック第6号 昭和57年2月20日発行 デビュー作が載っています
 ティーンコミック第8号 昭和58年4月19日発行

 デビュー作の『がんばれ姉子』は、4ページの小品です。これもいわゆる少女マンガと言うよりは、ギャグマンガでしょう。

2011年7月18日月曜日

北原文野の『もうひとつのハウプトン』

 この人の名前を知ったのは、「プチフラワー」の創刊号でした。それ以来7年ほどもこの雑誌に書いていたのです。「プチフラワー」に最後に書いたのは Pシリーズの『L6外を夢見て』でした。『Pシリーズ』以外の作品もあるのですが、やっぱりこのシリーズが浮かんできます。
 これほど長く描いていたのに、背表紙に名前が載ることはありませんでした。でも、これらの作品が好きだったかたは、少なくなかったはずです。

 創刊号の『ぼくは ぼくに…』がデビュー二作目とのことです。男の子の心理の変化がうまく表現されています。作者は、分身ものといっていますが。

 ここで取り上げるのはデビュー作です。この作品は1980年1月別冊少女コミック増刊号に掲載されたとのことで、リアルタイムでは読んでいません。

 母親が入院して、叔母のもとに預けられたデビィは、ハウプトンの、晴れていても灰色の空にうんざりしています。そんなデビィを叔母は美術館に連れて行きます。「絵なんか興味がない」デビィですが、一枚の絵の前で立ち止まります。その絵に描かれた太陽からの光でデビィの影が足下に落ち、その絵の中に落ちていきます。

 青い空と、緑の村に落ちたデビィは、少し年嵩の少年ジョシュア・タッカーと出会います。ジョシュアは「ここはハウプトンだよ」と言います。ジョシュアはデビィを連れて、附近の案内をします。もとのところに戻ってくると、ジョシュアのおばが現れ、その後で二人はデビィの前から消えてしまいます。
 すぐに現れたジョシュアは、こめかみに怪我をしています。ジョシュアの時間では一年が経っていたのです。

 大人になっていくかつての少年ジョシュア・タッカーを見守る(?)デビィ。
 大きな街に出て、結婚をして、それでも絵で食べていこうとするジョシュアでしたが、妻を亡くし、故郷のハウプトンに帰る決心をします。
 ところがかつての青い空を失い、街へと変わってしまったハウプトンを見てジョシュアは叫びます。「うそだ これがハウプトンなものか」と。
 そこに現れたデビィにジョシュアは言います。「デビィ デビィだね?」「変わらなかったのは… きみだけだよ」と。

 「あら あなた影が」「見まちがいよね」との叔母の声で我に返るデビィでしたが…。目の前に次々に現れる絵は、デビィがジョシュアと一緒に観た風景でした。そして最後の絵は、「変わらなかった少年」と題されたデビィの肖像でした。
 「変わらないのは… きみだけだよ」「みんな 一瞬のもの だから 一瞬のものに しがみついて 描きとどめたい」と言ったジョシュアの言葉を思い、涙を流すデビィ。

 美術館に来るときに見た、空き地の切り株を、「嘆きの木」だったかもしれないと思うデビィでした。
 デビィは絵を描く気になり、ハウプトンの街を描き始めます。「しかしひどい絵」とつぶやきながら。

 最後のページでは、デビィを驚かそうと、知らせずに退院した母親が登場します。
 最後のコマの叔母のセリフは、シリアスになりすぎたことに対しての、作者の照れ隠しなのかもしれません。

 あとがきで作者は、「絵の光が当たって影ができるシーン」からするすると話ができたと書いています。
 ストーリーとしては、タイムトリップになるのでしょうが、傍観者のはずのデビィを最初と最後でジョシュアが見るからこそ、物語が成立しているのです。
 これがデビュー作とは思えないほどに完成された作品です。

 さて、この、変わるものと変わらないものというのは、語り始めたら終わりがなくなりそうなことなのですが、絵の本質にも関わってくることなのでしょう。とてもここで取り上げることはできなさそうです。

 以下、どうでもいいような独り言です。
 美術館で開かれているのは、ジョシュア・タッカー生誕百年記念展なのですが、彼は、いくつのときにハウプトンを離れ、いくつで妻を失い、いくつのときに最後にデビィに会い、いくつで亡くなったのでしょうか。ハウプトンが、緑の多い村から、彼の知らない街に変貌するまでには、それなりの時間が必要だろうと思うのですが…。


 書名『もうひとつのハウプトン』
 発行所 SG企画
 1988年7月20日 初版発行

2011年7月11日月曜日

清原なつのの『ゴジラサンド日和』

 この人のマンガには、はまるものがありました。特にタイムトラベルのシリーズには。また、『花図鑑』シリーズも面白く読みました。でも、まずは、表題のマンガから取り上げます。

 N市H山動物園(もちろん名古屋市東山動物園です)のセメントの恐竜のところからお話が始まります。
 春三月、四月から高校三年生になる久里子は、失恋したばかりです。その回想の中に手話をするチンパンジーがでてきます。利口な馬ハンスでないのは、久里子が高校生なので、そのほうが話として作りやすいからでしょうか。
 京都大学霊長類研究所のアイ・プロジェクトは1978年から始まっているとのことですが、このマンガの頃はまだ一般に広く知られてはいなかったはずです。

 久里子に声を掛けたのは、70歳を過ぎたおじいさん、落ち込んでいる久里子を元気づけようとします。その久里子の回想の場面で、自分では会話をしているつもりで、相手の顔色しか見ていなかったことに気づきます。
 おじいさんは若い頃に、「相手の心を 読み取る能力が あれば」と、旧制四高の学生の頃の初恋の話をします。背景には旧制四高の「南下軍の歌」が流れています。
 30年ぶりにあった初恋の人と見た映画が1954年の「ゴジラ」だったのでした。

 久里子に「チンパンジーは どこですか?」と声を掛ける青年が現れ、説明をする久里子。そんな久里子を見て、おじいさんは言います。「当たりは ひとつだけじゃない 前後賞も 組みちがいもある」と。「新説 赤い糸の伝説」には、絵を観て、吹き出しそうになりました。
 チンパンジーのところに行くと、青年はまだいました! 青年にチンパンジーの話をする久里子、青年は久里子に言います、「チンパンジーと いっしょに サーカスに 転職するよ」「いじらしい じゃないか」と。

 久里子は、四月からこちらの大学生になるという青年と、つきあうことになります。

 陽気のよくなった頃におじいさんが倒れたときいて、二人はお見舞いに行きます。病気で倒れたのではなくて、通信販売で買ったゲートボール養成ギプスのせいだったのですが。
 おじいさんから見せられた初恋の人の写真を見て、びっくりする二人。なんと、息子さんの嫁さんにそっくりなのでした。

 おじいさんは、自殺さえしかねないように見えた久里子が気になって、声を掛けたのかもしれません。でも、清原なつのの手にかかると、そんな気配はどこかにいってしまうようです。気持ちの切り替えを久里子は学んだように思えます。

 さて、清原なつののマンガといえば、落書きにその魅力を感じるのはわたしだけでしょうか。このマンガにはそれほどありませんが、10(196)ページ3齣目はCMそのままですし、32(218)ページ4齣目は面白いことが書いてあります。また、31(217)ページ5齣目の背景には人に紛れ込んでいる4種類の動物がいたりします。()内は、ハヤカワ文庫版のページです。

 この本の三番目には、『思い出のトロピカル・パラダイス』が載っています。読み終えて、ハインラインの『夏への扉』が思い浮かびました。気が向いたら、改めて書いてみようと思います。


 書名『ゴジラサンド日和』
 出版社 集英社 りぼんマスコットコミックス RMC-303
 1984年7月18日 第1刷発行

 ハヤカワ文庫
 タイトル『ゴジラサンド日和』
 書名『私の保健室へおいで・・・』
 2002年6月10日印刷
 2002年6月15日発行

2011年6月26日日曜日

寺島令子の『チルドレンプレイ』

 今まで四コママンガを取り上げていませんでした。ここで初めて触れてみたく思います。
 以前の(いつから前なのでしょうか、その辺はよくわからないのですが)四コママンガは必ず「起承転結」からなっていて、などと言われていたものですが、いつの頃からか、それがかなりユルくなってきたようです。

 『チルドレンプレイ』は、寺島のデビュー作です。手元にある決定版では、181ページ以降だと思われます。どなたか、ご存じのかたはお知らせくだされば幸いです。
 保育園を舞台にした、園児たちとそれに振りまわされる保母さんの四コマです。

 いかにもありそうな日常の一コマをマンガにしています。しかしその多くは、実際には起こりえないようなことです。だからこそ、そこに笑いが生まれるのでしょう。
 それにしても、こんなにたくさんの四コマを描けたものだと感心してしまいます。もっとたくさん描けるよと、作者なら言いそうですけれど。

 いま読み返してみて、子どもの足がずいぶん大きいのに気づきました。保母さんよりも足が太くて、大きいのでした。
 タドンおめめでも、ちゃんと表情は出せるのだなぁと思ったことを思い出しました。
 デビュー作とのことで、絵は決してうまくはありませんが、発想はすばらしいものがあると思い、これ以後の寺島作品はほとんど見ています。

 ところで、このマンガは講談社の「ヤングマガジン」に載っていたものなので、いわゆる「少女マンガ」ではないのかもしれませんね。

 この本には、巻末に4ページの別の作品が二つ載っています。


 書名『チルドレンプレイ』
 発行所 講談社 ヤンマガKCスペシャル 43
 昭和61年4月18日 第一刷発行

2011年6月10日金曜日

ちょっと休憩 地震から三か月 星新一の『感謝の日々』

 6月11日で地震から丸三か月になります。地震のときには、普段は何の意識もしなかったことやものが、こんなにもありがたかったのかと思いました。
 その代表が、水と電気でした。水の入ったペットボトルをぶら下げて、階段を登りながら思い出したのが、星新一の表題のショートショートでした。

 「ひとにぎりの未来」に載っている作品です。

 すべてが満たされた未来、人びとにそのありがたみを知ってもらうために設けられたのが「○○の日」です。「休電日」には、24時間電気が完全に止まります。「保険の日」には、何があっても保険金は支払われません。
 なにかを完全に止めることで、その止められたもののありがたみを知らしめるのです。

 電気はスイッチを入れれば、水は栓をひねれば使える、この当たり前のことがこれほどまでに大事なことだったとは。いつの間にか、空気のような存在になっていたものの価値を、改めて認識させられました。
 しかし、いつの間にか、そのような思いは薄れてきているのに気づいて、少し情けなく思っています。

 三か月が過ぎました。まだまだ余震への心配はありますが、とりあえず前を向いていこうと思っています。

2011年5月29日日曜日

佐々木淳子の『セピア色したみかづき形の…』

 10ページのSFマンガです。まさにアイディアがものをいっています。

 宇宙船は地球から二億キロのところを、地球に向かって飛んでいます。実はこの距離には単位がありません。少なくともメートルではないようです。二億キロメートルなら太陽-火星間よりも短くなりますから。

 宇宙船から見える地球は、ほとんど時間が流れていません。宇宙船の中では、時間は普通に流れています。逆ウラシマ効果によってだとのことです。
 相対性理論では、宇宙には絶対基準がありません。絶対基準があるとして、この作品は生まれました。8〜9ページの見開きに、その理屈に気がついた主人公テルルの独白があります。その独白の最後にひときわ大きな文字で書かれています。「ぼくらは 宇宙に本当の意味で〝静止〟してしまったんだ!」

 宇宙船から見える地球ですが、テルルが眺めているのは、とある街の夕暮れです。ほとんど動かないその街で、ロードウェイを逆に走る少女、走るといってもほとんど静止画を見ているような感じなのでしょう。
 いつしか少女に心惹かれるテルル。「地球についてから あの子を捜すのは そう難しいことじゃ ないよね」「ぼくは 十六年間も あの子を見てきたんだから」

 このマンガに対して、相対性理論では云々、と批判の手紙が来たと作者は言っていました。理論だけではSFにならない、と書いていたように記憶していますが、それが書いてあったものを見つけられませんでした。

 絶対静止というアイディアにうならされたので、それは気にも留めませんでした。ある意味では、ニュートンの時代に戻ったと言っていいでしょう。
 気になったのは一つだけでした。地球からどのくらい遠いところから見ているのかわかりません、この状態はあと五年はつづくとあるので、相当に遠くから地球を眺めているはずです。それなのに、太陽に邪魔されずに地球が見える、しかも街の中の少女の表情までわかるとは、なんとすばらしい望遠鏡なんだろうと。

 ものすごく抒情的なSFといえばそうかもしれません。けれど、それだけに心に残るのです。果たして地球に帰ったテルルは、あの少女に会えたのでしょうか、などと…。
 と、書いて気づきました、テルルは地球に帰るのではありませんでした。テルルはここで、宇宙船の中で生まれたのでした。


 タイトル『セピア色したみかづき形の…』
 書名『那由他』三巻
 出版社 小学館
 昭和58年1月20日初版第1刷発行

 手元のは昭和58年3月25日第3刷でした。予想外の売れ行きだったのでしょうか。

 少年/少女SFマンガ競作大全集PART 13 東京三世社 昭和57年1月1日発行 にも載っています。ただし、表紙と目次には「セピア色した三日月形の…」とあります。こちらはマンガの後に、佐々木淳子と作家の新井素子の対談があります。このときには新井素子はまだ大学生でした。

 何とか今月二度目ができあがりました。少し短いのは、これ以上長くすると、ストーリーを全部書かなければならなくなるから、ということで。

2011年5月22日日曜日

山岸凉子の『学園のムフフフ』

 山岸凉子は実に多くのマンガを描いています。今なら『舞姫 テレプシコーラ』が浮かびます。古くは『アラベスク』、『日出処の天子』などの長編、『天人唐草』や『ゆうれい談』などの短編があります。その中から少し毛色の変わった表題のマンガを取り上げてみたく思います。

 タイトルどおりの学園マンガです。ネットでの評判を見るとあまり芳しくないようですが、なかなか面白いと思って読みました。
 高校の入学の日からお話が始まります。主役は平岡伸江と南妙子です。伸江の目から見ての物語として進行します。
 伸江は新入生代表として挨拶をするほど成績優秀です。妙子は保健委員に選ばれ成績はそれなりに良いようです。伸江に「ふーん 美人だよね こういうのが アイドルに なるんだよね」と思わせるほど目立ちます。
 伸江は視力0.1なのにハンサムはしっかり見えるという特技がありました。そのめがねにかなったのが自治会長で三年生の村淳一でした。
 入学の日の夜に伸江の見た夢は、小さい頃にいじっめっこにいじめられたというものでした。「あんな男の子は いまどき どうなっているんだろう」と思います。

 いつしか伸江についた呼び名は「女史」「平岡女史」になります。
 そんなある日、伸江の下駄箱にラブレターが入っているということが起こります。ところが封を切ってガクゼンとします。妙子宛の手紙が隣の伸江の下駄箱に間違えて入っていたのでした。翌日、そのラブレターを妙子に渡すと、意外な反応が返ってきます。手紙の中のひどい間違いに大笑いしながら、「はじめて もらった ラブレターが これでは あんまりよ」というのです。
 一人静かに本を読む妙子、けれど読んでいたのは『天才バカボン』。
 そんなこんなで伸江と妙子のつきあいが始まります。
 そして、妙子の先輩から妙子が中学時代に「学園のプリンス」と呼ばれていたと聞かされます。伸江の頭の中はクエスチョンマークだらけ。

 夏休みのキャンプで、思わぬことから、おしとやかだと思っていた妙子の積極的な面を知る伸江でした。
 そしてキャンプの最後の夜、伸江は自治会長の村淳一から「これ… 南くんに わたしてくれる」と手紙を託されます。「男が女に わたす手紙を 女にたのむ ばかがいるか」と、涙をぬぐう伸江。ところが、妙子は、翌日の帰りのバスの車中でも、手紙のことは伸江には何も言いません。
 結局、夏休み中、伸江は妙子と会おうとはしません。

 二学期の始まりの日、伸江は妙子の変貌(?)に驚きます。肩まで掛かるほどの髪をプッツリと切っていたのです、「ワカメちゃん じゃないのよ あんまりだ」と言わせるほどに短く。訊くと、「ザルかぶって 母に切って もらったの」との返事。
 妙子は、村淳一の手紙に返事を書いていませんでした。「自分を下げて あいてに きらわれる 方法をとった」ことに伸江は気づきます。

 二人はまた一学期と同じようにつきあいます。
 そんなある日、レポートを書くために妙子の家に行くと、ハンサムな兄がいます。普段は東京の大学に行っていて、家にいないとのことです。
 「ねえ アルバム 見る」とわたされたアルバムには、伸江を幼い頃にいじめたいじっめこが写っています。てっきり妙子の兄にいじめられたと思い訊くと、「それ あたしよ」と答える妙子。「昔は 男女(おとこおんな)なんて いわれてたのよ」と続きます。学園のプリンスのいわれについてはこう答えます。「男子と 賭をして 勝ったの」 その内容を聞いてガクゼンとする伸江。「校舎の2階から とびおりるの 負けたほうが ラーメン おごろうって」
 「外見と中身が ちがいすぎるのよ」と伸江は叫びます。

 外見と中身の違いは誰でも多少は経験することですが、これほどギャップがあると大変でしょう。本人はそのことに何も感じてなければなおさらに。
 直接に関係はないのですが、「外面似菩薩(げめんじぼさつ)、内心如夜叉」という言葉を思い出していました。妙子の内心はもちろん夜叉ではありません、そこには何の悪意もありませんから。しかし、だからこそ周りは振り回されるのでしょう。

 『赤い髪の少年』の中にあっては、このマンガは異質です。これだけがコメディーなのです。もっとも、伸江にとってはコメディーでは済まないのでしょうが。


 タイトル『学園のムフフフ』
 書名『赤い髪の少年』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス(SCM-388)
 昭和51年7月1日初版発行

 ブルー・ロージス 自選作品集 (文春文庫 ビジュアル版) 1999年11月発行 にも載っています。

2011年4月29日金曜日

コンタロウの『東京の青い空』

 コンタロウといえば『1・2のアッホ!!』や『いっしょけんめいハジメくん』などのギャグマンガが知られています。この『東京の青い空』は唯一のSFマンガとのことです。

 正味44ページで、PART 1 失踪(11ページ) PART 2 抜け穴(11ページ) PART 3 動機(11ページ半) PART 4 真相(10ページ半) となっています。このページ割りをみると、起承転結を、同じページ数に割り振ったように見えます。

 ふたりの少年(俊一と圭太)とひとりの少女(ルミちゃん、白血病で余命幾ばくもない)を縦糸に、横糸には神田警部と水野(身分は出てきません、刑事でしょうか)のふたりでしょう。
 最初にネタバレを書きます。第三次世界大戦後の地下都市東京の物語です。
 では、ストーリーを。

 最初のページは爆破事件の発生と、そのニュースをカーラジオで聞いているトラック運転手です。次のページでそのトラックを停める少年たち、銃で運転手を脅して、Z地点に行くように言います。
 この辺で舞台が現在ではないらしいことがわかります。
 この三人がいた孤児院の院長が自殺したようだということで、神田警部と水野が登場してきます。少女が読んでいたらしい本を、警部は水野に手渡します。古めかしい本で百年以上も前のもので、タイトルは「東京の青い空」です。

 Z地点でエレベーターで地上に出ようとする三人ですが、着いたところは、荒れ果てた(三人にはそれが何かわからないのですが)地下鉄の駅でした。駅にも、傾いた電車の中にも白骨死体がありました。帰ろうとするのですが、ルミちゃんの気分が悪くなり、たくさんの骸骨のある電車の中のシートにルミちゃんを横にします。
 水野はZ地点のことを調べ、忘れられた抜け穴だったことを知ります。そして、地上に向かった三人のことが臨時ニュースで流されます。

 なぜ、どのようにして三人は地上へと向かったのかに疑問を抱いた水野は、それを調べようとします。
 一方、電車内の三人は大ネズミの大群に襲われますが、銃で撃退します。そしてつぶやきます。「ボクらに銃を くれるなんて (中略) あのタヌキみたいな顔のおじさんは」と。
 神田警部が失踪事件についての調査報告を発表します、青い空を見るために地上に出たのではないかと。
 水野は盗まれた銃がないことを知ります。喫茶店であれこれ考えている水野ですが、そのときテレビで失踪事件のことが流れます。女性評論家は言います、「(少女が)つぶやいた、死ぬ前に ひと目 青い空が 見たいわ…と(中略) 少女の願いを かなえてやるために 危険を 承知で 地上へ…」
 「いつも ピリピリ してる この辺の 連中が 涙を?」これで水野は真相に気づきます。
 大ネズミが出てこないことを確かめて三人は戻ろうとしますが、フタが開きません。内側から鍵をかけられてしまったのです。

 このマンガはeBookで出版されているようなので、最終章を細かく書くのはやめておきます。
 この芝居の脚本をかいたのは政府でした。
 「この地下でたえなければならんのだ! いつの日か 地上が 浄化され 東京の 青い空の下でくらせる日まで!!」と、神田警部は言います。
 三人は地上へと向かい、青い空ではなくオーロラの輝くきれいな色の空を目にします。
 「2112年現在の磁極は東京をつらぬいている」との放送でマンガは終わります。

 小学生がこのマンガを読むと、おとなは汚いというのでしょうか、あるいは水野さんは子どもの味方というのでしょうか、それはわかりません。けれど、このマンガはさまざまの視点から読めるのがいいのではないでしょうか。
 地下都市を維持していかなければならない立場からすれば、三人の命以上のものが得られるならば……というのもわからないではないのです。でも、もっと別の解決法がなかったのかとの思いも残ります。
 三人を縦糸に、警部と水野を横糸にと書きましたが、この物語は、織物ではなく、編み物なのかもしれないなあと今は思います。一本の糸から紡がれる物語なのかなあと。


 書名『東京の青い空』
 発行所 創美社 ジャンプスーパーコミックス74
 1980年9月15日


 四月は、先月の地震もあり、最初と終わりのほうだけにしか書けませんでした。来月はどうなることでしょうか。 

2011年4月1日金曜日

中森清子の『東京マグニチュード8.2』と古屋兎丸の『彼女を守る51の方法』

 『東京マグニチュード8.2』が意外に多くのかたの目に留まったようなので、その内容を書いて、古屋兎丸の『彼女を守る51の方法』についても少し触れておきます。

 今の地震への標語は「グラッときたら身の安全」が第一で、第二が脱出口の確保、次に火の始末になっています。揺れの時間はせいぜい一分間と考えられているようです。ところが、今回の大地震は揺れが五分間ほども続いたのです、揺れが収まったかと思うとまた揺れを繰り返したのです。後で知ったのですが、この地震は3つの連動した地震だったとのことです。ですから揺れの時間が長かったのです。

 『東京マグニチュード8.2』はおよそ30年前の作品です。マグニチュード(M) 9.0 の地震が実際に起こってしまった今からみれば、いろいろと変なところもみられるのですが、あらすじを追ってみましょう。なお、以下のページは集英社漫画文庫のものです。

 主人公の香川緑は高校生で、化学の実験中に大きな地震が起こります。スカートに火がついて慌ててそれを消す緑、しかし周りでは、火だるまになっている級友が数人。階段から逃げようとしますが、階段は火の海です。窓から、下のプールに飛び降り、何とか校舎からは脱出します。以下、29ページから40ページまで校庭での出来事になり、校庭に地割れができ、落ちた教師を閉じ込めて、地割れはまた閉じてしまいます。M 8.2 ではこのようなことが起こるとは思えません、このシーンは誇張でしょう。
 町営グラウンドに逃げようとするのですが、余震でビルからガラスが降ってきて倒れる級友も。53ページまでがグラウンドに着くまでの描写です。
 グラウンドに着いたのはよかったのですが、水道の水は出ません、そこに雨が降り出し喜んだのですが、灰や砂を含んだ雨で、飲めたものではありません。疲れ果てて座り込む主人公たち、そこを、動物園を逃げ出したライオンに襲われます。作者の頭には1979年の千葉県君津市にある神野寺のトラ騒動があったのではと、想像してしまいます。
 何とかトラから逃れ、84ページからは地下鉄のトンネルを通っての逃避行です。ようやく地上に出た4人(委員長の脇坂、山下、親友の関マコ、主人公)の目の前には、99ページに描かれた、飴のようにねじ曲がった東京タワーがありました。
 この後、コンビニから勝手に持ち出した食べ物を巡るトラブルがあり、脇坂が別行動をとります。三人になったところに、警官ひとりとふたりの男のグループが現れ、警官がピストルで山下を脅し、動きを封じて、残りのふたりが緑とマコを襲おうとします。この危機は何とか切り抜けますが、山下は、警官に撃たれて太ももに怪我をします。銃声を聞きつけた脇坂が戻ってきて、また四人で行動します。病院をみつけますが、人影はなく、そこにあった消毒薬を使い、包帯を巻きます。137ページに「たった1日で」とありますので、ここまでで夜が一回あったことになります。

 以下は、ネタバレというか、いくら何でもそれはないんじゃないのというシーンが続くのですが…。
 池袋の主人公の家にたどり着くためにタバコ屋の角を曲がるのが143ページですが、そこで見たものは、一面の水浸しの光景でした。
 さらに襲ってくる津波に追われ、サンシャインビルの屋上に逃げる四人ですが、途中でマコが津波にさらわれ、三人は何とか屋上にたどり着きます。屋上から見渡すと遠くのビルで、誰かが火をたいているようです。泳ぎに自信のある脇坂は海に飛び込みますが、すぐにサメに襲われてしまいます。
 瀕死の山下は緑に「おれ… きみが… ずっと 好きだったんだ」と言い、「救助隊が くるまで ……」「がん…… ばろうな」とほほえんで目を閉じます。
 アメリカ軍のヘリコプターに発見され、救助される緑。
 兵士たちは、「生存者モ 数エルホドシカ イナインダロウナ……」と話しています。
 水に沈んだ東京の上を飛ぶヘリコプターのシーンでマンガは終わります。

 前に、突っ込みどころがあると書いたのは、後半に多いのですが、それはやめておきましょう、昼の東京都区内が水没すれば、一千万人からの人が亡くなるのは、わからないではないです。でも、サンシャインビルが傾き、水没するとは考えられません。そのほかにもあるのですが、やめておきます。


 書名『東京マグニチュード8.2』
 出版社 集英社  集英社漫画文庫
 昭和58年2月25日 第1刷発行


 つぎに古屋兎丸の『彼女を守る51の方法』ですが、一応のことは、Wikipedia にありますので、そちらをご覧くださるようお願いします。書きかけ項目になっていますが。

 こちらは現実味があるというのは、震災とその後の大勢の登場人物が、ありそうな設定になっているところにあります。また、津波はでてきませんが、帰宅困難者というところは、このたびの東北地方太平洋沖地震の際にも問題になりました。

 書名『彼女を守る51の方法』
 出版社 新潮社
 いつの出版か、余震で本棚が壊れたままなので今のところわかりません。


 地震から三週間経った今日現在、死者・行方不明者は28,000名を超えてしまいました。