2013年3月31日日曜日

双見酔の『空の下屋根の中』


 比較的新しいマンガを取り上げてみます。

 主人公香奈絵は高校卒業後、ニート(無職)になります。
 「高校を卒業して 大学に行くでもなく 就職をするでもなく 特にやりたいことの ない私は 世間でいうところの ニートになりました」から始まる連続の4齣マンガです。2巻の始まりのカラーページ(これは4齣ではありません)ではもっと切実に描かれています。

 主人公は一人娘で、父親は単身赴任で母親との暮らしです。おとうさんは二巻の三番目の章に登場するだけですが、常識人のようです。
 このマンガで、一番強いのはどうやらおかあさんのようです。時には辛辣なことも言いますが、広い心で主人公を見ているようです。
 同級生だった友だちが登場していますが、休みが平日で、普通の友だちとは休みが合わなくて主人公のところによく顔を出すようです。

 ある種の成長物語です。アルバイトをしながら職探しをして、普通に就職してマンガは終わっていますが、このマンガを読みながら、いろんな事が脳裏をよぎりました。

 なお、一巻の巻頭のカラー6ページとところどころに2ページずつ3ヶ所、そして二巻の巻末7ページには、ニートの男が主人公の別のストーリーのマンガが載っています。こちらのほうはある意味もっと重いマンガです。


 このマンガの描かれたのは。失われた20年も終わりに近づくころです。今は失われた30年の入り口とも言われています。バブルの崩壊後、「いざなみ景気」と呼ばれる73か月の景気拡大があったとはいえ、それは庶民には実感に乏しいものでした。なにしろ、収入がちっとも増えないのですから。というよりも、景気がいいって、どこの国のこと? というのが普通の反応でした。
 少し前に、(高度)成長期を知らない層が働いている人の半分を超えたというニュースがありました。今の状態が普通になってしまったのでしょうか。一方、今の状況の日本を、多少の皮肉をこめて "happy depression" と呼ぶアメリカの金融関係者もいます。

 わたしには、今の状況はわかりませんが、そんな状況さえもマンガにしてしまえるところが、日本の強みなのかもしれません。


 書名 空の下屋根の中 1巻 2巻
 出版社 芳文社
 1巻 2009年8月11日 題1刷発行  手元にあるのは2010年5月25日 第5刷
 2巻 2010年6月11日 第1刷発行

 1巻と2巻をまとめて買ったようです。

2013年3月10日日曜日

地震から二年



 あの日から二年になります。震災で亡くなられた・行方不明となられた18,548人と、震災関連死の2,303人のかたに哀悼の意を捧げます。

 高田松原の奇跡の一本杉の復元がニュースになったのはつい先日のことです。枝の出方が違っていて、それもニュースで流れていました。

 これまでに、震災の復旧はそれなりに進んでいるようですが、復興にはほど遠いのが現実のようです。災害復興住宅の建設も遅々として進んでいないようです。
 また、地震の被害というと、津波・原発の福島県と津波の宮城県と岩手県の東北三県が主に取り上げられて、茨城、千葉の両県が忘れられることが多いように思えます。

 津波による被害が多かったのがこの地震の特徴でしたが、昭和三陸大津波、明治三陸大津波が襲った地方なのにとの思いは拭えません。浪分神社を始め仙台近郊には津波の伝承を持った神社がいくつもあり、このたびの津波の被害もなかったとのことです。
 今回の津波被害を最後として、いつまでも津波のことが語り継がれればと思うのですが。

 原発のことはまた別の問題です。
 除染と言えば、普通は何らかの方法で汚れを落とし無害化することを意味することが多いと思いますが、放射性物質による汚染は、取り除いた放射性物質を保管しなければなりません。半減期をどうこうできるものではありませんので、相当長い期間が必要になります。また、広くばらまかれたものを集めるわけですから、どうしても放射線の密度は高くなってしまいます。
 そういったことを考えると、いつになったら終わりが見えてくるのだろうかと不安になってしまいます。



 追記

 今朝(3月11日)の仙台は薄く雪が積もっていました。日中も5.1℃にしかならず二年前を思い出してしまいました。
 犠牲者の数を訂正しました。

2013年2月12日火曜日

中村昭子の『峰子さんのメランコリー』


 この人のマンガは一冊しか出ていないようです。それが表題作です。
 『峰子さんのメランコリー』には六つの短編が載っています。1976年から1981年のものです。後書きが四ページあり、そのうちの一ページは、ますむらひろしが描いています。ますむらひろしのホームページ(http://www.tiara.cc/~goronao/kudoi.htm)には1977年秋に結婚とありますので、この前後の作品と云うことになります。

 まずは『ぼくの眠り姫』です。
 朝の電車の中で主人公(懸)に寄りかかって眠っている女の子(まち子、マーチと呼ばれています)、同じ高校の制服を着ています。電車に乗るとすぐに眠くなってしまうという習性だそうです。
 その娘が番長(今のマンガにもこんなキャラクターが登場するのでしょうか)から交際を迫られて、主人公とつきあっていることにして断ります。番長とその取り巻きとの間でいろんな事が起こりますが、それを撃退するときにマーチは「大好きよ」と叫びます。帰りの電車で懸は、「ぼくもマーチのこと好きなんだ」と言いますが、すでにマーチは懸に寄りかかって眠っています。懸の言葉はマーチに届いたのでしょうか。
 マーチは「懸くん」と呼んでいますが、学年が上の男の子をこう呼ぶものなのでしょうか。
 あとがき(思ひ出)でこのマンガについては「何も思い出せん」と書いています。

 次は『センチメンタルのっぽ』について。
 ヒロインの三木村乃里は170 cmの背があり外見が女の子っぽくないのが悩みです。けれど、それは奥に秘めているようで、男の子のように振る舞っています。そんな彼女が思いを寄せている男の子の小城と、文化祭で「変身フォーク・ダンス」を踊ることになります。その名の通り、女が男装し、男が女装してフォーク・ダンスを踊るのです。
 文化祭では、クラスごとに作った菊の品評会があり、三木村のクラスの菊が見事に最優秀賞になります。菊の面倒を小城が見ていることを知っている三木村はそのことを小城に伝えます。三木村は小城に好きだと言おうとしますが、「変身フォーク・ダンス」開始の放送があり言えずじまいになります。
 フォーク・ダンスの後で別の男の子から告白されますが、小城が好きな三木村は、断ります。
 その後、小城の告白を受けます。

 最後になりましたが、『峰子さんのメランコリー』です。
 主人公森宮志郎は、女の子から爆笑されるような理想の女性像を持っています。
 そんなある日、理想に近いセーラー服の女の子野坂峰子が転校してきます。峰子に一目惚れの志郎と、志郎に気のありそうな峰子、そんな峰子は、同級生の桜井とみもあなたが好きなんだと言います。
 峰子は志郎に、学校の裏手の雑木林を掘ることを依頼します。何日かで志郎の掘り当てたのは人骨でした。峰子は言います、「この白骨 わたしなんです」と。50年前に、事故で凍死したわたし、パリで死んだという恋仲の彼の死を確かめるために、パリに行くと言って家を出たので、こんなところで死んでいるとは誰も考えなかった、と。死んだわたしが握りしめている、彼からもらった形見のくしを、パリの彼の墓に埋めてくれと頼むのです。志郎の前に現れたのは、志郎が彼の遠縁にあたるからと話します。
 気を失った志郎ですが、温かい手にはっとすると、それは桜井の手です。桜井に峰子のことを尋ねると、誰? と言われます。峰子は志郎にしか見えなかったのです。
 峰子のおもかげを追うたび、桜井の温かい手に行き着く志郎。
 パリに行くための旅費稼ぎにアルバイトに精を出すところで終わります。
 きっとパリには桜井と二人で行くのだろうと思わされます。

 以下、蛇足です。
 この学校には、制服がないようです。みんな思い思いの服装です。
 最初のページで主人公の名前が間違っています。
 14ページに太宰の格好をした主人公が登場するのですが、そのセリフの日本語が変です。


 六つの話とも、高校生をテーマにしたものです。『峰子さんのメランコリー』は、話としては面白いのですが、桜井さんがもうひとつピンときません。32ページにまとめるのは難しいのかもしれません。マンガとしては、『センチメンタルのっぽ』のほうが、まとまっているように思えます。


 書名『峰子さんのメランコリー』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス・ストロベリー・シリーズ 717
 昭和57年12月15日 初版発行

2013年1月30日水曜日

青木光恵の『女の子が好き♥』


 この人の描くマンガは、ほとんどが少女マンガではありません。レディースコミックになるのでしょう。絵だけを見るとかわいい女の子が大勢登場します。その一方で「ぱそこんのみつえちゃん」をファミ通に連載していたりもします。

 どのマンガでも、登場する女の子は健康美というと古いイメージがありますが、風が吹けば飛んでしまいそうな女の子ではありません。

 最初の短篇集の『えっちもの』の出版は1995年5月です。初出を見ると、「OL天国」「結婚なんてラララ」「イケ!! イケ?  m&m」が、1992年で、「富樫さんとこの娘さん」が1993年から1995年、「オガタくんとその妻君」が1994年です。
 この本は、カヴァーの上に八割ぐらいの面積を占めるいわゆる腰巻が巻いてあります。

 さて『女の子が好き♥』ですが、1995年12月の出版です。「女の子が好き」が2/3ほどで、短編4つで残り1/3を占めています。「おわりに(自作解題)」が1ページで全部で139ページです。
 腰巻の惹句には「男のようにエッチな女」とあります。22歳のOL 森高由美の日常(?)4コマ漫画です。好きなものは、女の子、それも巨乳が好きという、オヤジがはいっています。普通のマンガだったら伏せ字になりそうな単語もそのまま出てきます。そんなマンガなのですが、いわゆるエロマンガのような卑猥さは不思議と感じられません。あっけらかんとしてるとでも云えばいいのでしょうか、お日さまの下での出来事のようです。

 このマンガは1992年末から1995年半ばに掛けて雑誌に掲載されたものですが、この頃と云えば、ちょうどバブルがはじけて失われた10年の始まる頃です。Wikipedia によれば失われた10年は1991年3月から始まるとのことですが、92年末までバブルの余韻はあったとのことです。また、ワンレン・ボディコンで思い起こされるジュリアナ東京は1991年5月15日から1994年8月31日とのことです。「富樫さんとこの娘さん」には、ボディコンという言葉が出てきています。

 このような社会的背景があるのですが、とりあえず面白ければいいという見方からすれば、今観ても面白いと思えます。


 書名『女の子が好き♥』
 出版社 ぶんか社
 1995年12月25日 初版第1刷発行

 『えっちもの』は、ぶんか社から1995年5月15日に出ています。

2012年12月5日水曜日

奥友志津子の『冬の惑星』

 惑星フェルサリアは、最高気温が氷点下20度以上にはならない星です。そこにも地球からの人類が住んでいます。普通人(コモン)からは、ネオと呼ばれる超能力者達です。  ケイトに言わせると、「わたしたちは 地球を追われた のじゃないわ わたしたちが 地球を捨て たのよ」ということになるのですが。

 以下にあらすじを書きます。
 主人公のロドニーはネオですが、それを知っても両親は彼を手元に置き育てますが、14歳の時に町の人にネオと知られて、リンチを受け両親は死亡します。瀕死のロドニーは救われてフェルサリアに送られてきます。
 念波の強さによる能力の可能性でロドニーの出した値は∞(無限大)でした。
 ロドニーはケイトに「超越者として あの人間どもの上に 君臨する方が ずっとたやすくて 楽なのに」と言いますが、ケイトの返答は先に記したものでした。ロドニーはこの考えの隙をフェルサリアの女神サラヴィーアに突かれることになります。
 一万年の眠りから覚めた女神サラヴィーアはロドニーを見つけ「わたくしの小さな騎士(ナイト) わたくしのかわいい とりこ」とつぶやきます。
 ロドニーの能力はみるみるうちに開花していきます。
 何度目かにサラヴィーアに会ったときに、彼女は一ヶ月以内に地球帰還の発表があることを告げます。そしてロドニーを地球に連れて行きます。実体ではなく虚像…精神のみを送ることで。地球で姿を見られて、サラヴィーアは何のためらいも見せず小さな兄妹を殺します。それを見て動揺するロドニーに彼女は言います。「まだまだ感情が不安定ですね それが命とりにならぬよう気をおつけなさい」と。
 三週間後の地球帰還が発表されますが、失踪者が続出します。その中に友だちのジニもいます。テレパシーの輪を広げてジニの行方を突き止めますが、そこはいつもサラヴィーアに会っていたところでした。行ってみると失踪者みんなが精神の欠落した状態です。現れたサラヴィーアは「コントロールを柔順に 受けいれるには ほんの少し精神が 強すぎたのです」といいます。
 そこにケイトが現れます。ケイトを守るためにロドニーはサラヴィーアと戦うことになります。相打ちにはできると、ケイトを基地の中にテレポートしてから、ロドニーはサラヴィーアに挑みます。
 医務室でロドニーはケイトに言います。「やっと見つけたよ地球を ぼくの心の中に 歩き出すよ 君たちの中へ」

 人類と新人類の対立を避けるために、二つの星に棲み分けると云ってしまえば身も蓋もなくなってしまいます。そこに一万年前は温暖な気候だった星を舞台にして、その頃の文明を回想の形で出してきたところが面白く思えました。
 疑問に思ったことを二つほど。
 一つめは、フェルサリアは地球からどのくらい離れたところにあるのだろうかということです。コールドスリープで渡ってきたとありましたが何光年と云うことは具体的にはありません。
 二つめは、地球に行ったサラヴィーアがどうして人を殺せたかです。虚像…精神のみで人を殺せるのだろうかと云うことです。精神がこのマンガのキーワードだから可能だと云われればそうですが…。


 書名『冬の惑星』
 出版社 東京三世社 シティコミックス
 昭和59年1月1日初版発行


 前回からいつの間にか三か月以上が経ってしまいました。前回はまだ暑かったのに、今はしっかりと暖房を使っています。
 今日から三年目に入ります。最低でも月に一度は更新したいと考えています。

2012年8月29日水曜日

巴里夫の『赤いリュックサック』と『疎開っ子数え唄』

 戦争を扱ったマンガを持っていたはずと捜してみました。すぐに目に付いたのが河あきらの『山河あり』と巴里夫の『赤いリュックサック』でした。
 『山河あり』は、杜甫の「春望」の一節からつけられたのでしょう、本来の意味とは少し違いますが。

 さて、『赤いリュックサック』ですが、昭和20年8月の満州が舞台です。ソ連軍の侵攻に伴い、8歳の陽子は母親と一緒に東満州から南を目指して逃げることになります、赤いリュックサックを背負って。父親は役所の残務整理をしてから、後を追うことにします。しかし、妻子と別れた直後に砲弾に当たり命を落とします。
 南に逃げる一行に対して、匪賊の襲撃があったり、わずかの食料と引き替えに子どもを現地の人に渡したりと云ったことが起こります。まだ国内では大きな問題として扱われていない中国残留日本人孤児の問題の芽がマンガに描かれています。Wikipedia によれば、1980年に問題が再認識され、1981年から訪日肉親捜しが始まっています。
 追い詰められた一行は自害することを選びます。短刀の刃を陽子に向けて母親はためらいます。目をつぶって母の胸に陽子は飛び込んでいきます。「富士山がみえる(中略)きれい」とつぶやいて陽子は亡くなります。満州で生まれ育った陽子は本当の富士山は見たことがありませんでした。
 前方からも兵が現れ、もはやこれまでと云うときに、後から現れた兵は一行を追い詰めた兵に射撃を浴びせます。将校が現れ、命令に背いた部下を撃ち殺したことを告げます。それを聞いて陽子の母は死んでしまった陽子を思い、短刀を我が身に突き立てようとしますが、止められてしまいます。8月14日のことです。
 以下の2ページで敗戦の日から、日本への引き揚げが描かれ、最後の4ページでは、富士山のみえる地に立つ陽子の地蔵と、8月が来るたびにお地蔵様の赤いリュックサックを新しくする母親が描かれています。

 歴史の一ページとしてこんな事もあったのかとの思いがまず湧きました。また、本当にさらりとしか描かれていませんでしたが、敗戦から、引き揚げ船に乗るまでが大変だったというのを読んだこともありました。
 母親を生きて内地に帰すためとはいえ、将校の出現はあまりにも都合がよすぎるように思えました。偏見かもしれませんが、ソ連軍の将校がこんなことを言うとは思えませんでした。
 それでも、陽子が死の間際に富士山を見るシーンは、何度読み返しても胸に迫るものがありました。そして最後のページで、赤いリュックサックに結んでいるひもが切れて鈴が地面に落ちる終わりも印象深いものでした。

 次に『疎開っ子数え唄』ですが、『赤いリュックサック』の次に載っているマンガです。東京から長野の田舎に疎開した小学5年生の少女・美保子のお話です。
 優等生で五人の班の班長を務める美保子ですが、疎開してからは班の中で少しずつ浮いた存在になっていきます。たった一度の過ちで班長の座も失ってしまいます。そんな中、面会に来た母親に帰りたいと言いますが、それは叶いません。煎った大豆をいれたお手玉五個を置いて母は帰っていきます。
 しばらく経った3月10日、東京大空襲で母と妹は命を落とします。それを先生から聞かされて美保子は認めまいとして、気が触れてしまいます。
 戦争も終わりしばらくした10月、疎開も終わり美保子を除いてみんなは東京に帰ることになります。別れにお手玉をもらった美保子は、笑いながら戦時の数え歌を歌いお手玉をします。そんな美保子を見てみんなは「疎開って、戦争って、お国のためって」なんだろうと思うのです。


 『赤いリュックサック』は戦争を扱ったマンガだと言うことは憶えていましたが、内容はほとんど忘れていました。また『疎開っ子数え唄』については、完全に記憶から抜け落ちていました。改めて読み返してみますと、ある意味での極限状態でのいじめの問題や、敗戦による価値観の転換など、テーマとしては、今に通じるものがあると思います。


 書名『赤いリュックサック』
 出版社 集英社
 1974年9月10日初版発行(手元にあるのは1975年8月10日第2版です)

 『赤いリュックサック』昭和47年りぼん8月号
 『疎開っ子数え唄』昭和48年りぼん9月号 と記されています。

2012年7月31日火曜日

ふくやまけいこの『星の島のるるちゃん』

ふくやまけいこの絵は、どことなくほんわかとしていて見ていてほっとします。「ナノトリノ」は、冒険物のようでいて、少し違うし、「ひなぎく純真女学園」は、百合物と帯にはあるのに、いわゆる百合物ではないし。
 「東京物語」のころから見ると、力を入れて読む必要がなくなっています。

 初期の作品の「ゼリービーンズ」も面白いのですが、ここでは90年代半ばの表題作を取り上げてみます。
 このマンガは三回にわたって単行本になっています。そして、内容がひとつずつ増えているのです。

 舞台は2010年四月の地球・星の島からお話は始まります。
 るるちゃんは、星の形をした人工の島、星の島にパパとやってきます。パパはずーっと地球で海藻の研究をしています。ママはサテライトの通信係をしていて、宇宙に残っています。一年間るるちゃんをパパと暮らすためにと、地球に送り出したのです。

 星の島には学校がひとつしかなく、新学期から早速通うことになるのですが…。
 「びっくりだらけの新学期」でクラスメイトと仲良くなります。その中には、島一番の大金持ちの家の子タフィー、ロボットのエリ、転校生の新野郎太、宇宙人のメロウがいます。

 不思議な犬に出会って友だちになります。犬ではなくて、本当は宇宙人なのですが、るるちゃんにはどうでもいいことのようです。名前はフーポワとつけます。
 島の洞窟を探検して恐竜の子どもとも友だちになります。これが伏線で、このあと恐竜の母親が出てくるのですが、子どもから、るるちゃんは友だちだと言われて、島を壊すのをやめます。

 次のお話からパピルス(パピちゃんと呼ばれて、ムッとしています)という女の子が登場します。転校生で、歌い手で、スフィンクスというロボットを連れています。
 パピちゃんの登場から星の島を去るまでのお話が全体の半分を占めています。るるちゃんが主役のはずなのですが、パピちゃんに完全に食われているのは気のせいではないでしょう。

 以上で、講談社版は終わりになっています。

 大都社版では番外編として、「やってきたポメちゃん」が載っています。フーポワを追いかけてきた恋人(?)のポメちゃんが、お話の終わりで思わぬ活躍を見せます。
 ハヤカワコミック文庫版ではこのお話が17話になって、最終話として、「ふたりのエリちゃん」で完結しています。
 人間のエリが帰ってくることになり、ロボットのエリは…と云うお話です。
 最後の齣は人間のエリ、ロボットのエリとともに、の大団円です。


 以下のサイトには、『ゼリービーンズ』の「Sleeping Beauty」との対比が載っています。
 http://sukeru.seesaa.net/article/232053340.html


 書名 『星の島のるるちゃん』1巻, 2巻
 出版社 講談社 KCN778, 791
 1994年5月6日 第1刷発行, 1994年11月2日 第1刷発行
 2巻の終わりには "第3巻に続く" とありますが、3巻はありませんでした。

 書名 『星の島のるるちゃん』1巻, 2巻
 出版社 大都社
 2000年5月8日 初版発行(1, 2 巻とも)

 書名 『星の島のるるちゃん』1巻, 2巻
 出版社 早川書房 JA785, JA791
 2005年3月10日, 2005年4月10日 印刷
 2005年3月15日, 2005年4月15日 発行


 読み終えたあとで、ロボットと人間の関係は永遠のテーマなのだなあと知らされます。

2012年6月10日日曜日

ちょっと休憩 『吉備大臣入唐絵巻』と『蘇我簫白』 マンガのような…

昨日、久しぶりに東京に行ってきました。行ったついでに、東京国立博物館で開催されていた「ボストン美術館 日本美術の至宝」展を観てきました。その中で特に印象に残ったのが、標題の二点でした。

 「吉備大臣入唐絵巻」は12世紀後半に作られたと説明にはありました。一方のマンガの始まりとされる「鳥獣戯画」は、四巻からなり古いものは12世紀とのことですので、こちらの方が少し古いようです。ですが、「入唐絵巻」には、物語性があります。云ってみれば、絵物語と云ったところでしょうか。ストーリーマンガの元祖かもしれません。

 「蘇我簫白」は雲龍図で有名です。ここに描かれている龍は恐ろしいというより、ユーモラスです。また、「商山四皓図屏風」は、デフォルメされた人物は、どう見てもマンガの登場人物です。さらに「風仙図屏風」は、もう少し効果線をいれればそのままマンガとして使えそうです。
 簫白の絵はマンガ的なものだけではないことは付け加えておきます。

 日本では大人もマンガを読むと、海外で話題になったのは40年ほど前でしょうか。でも、絵巻物として、800年も前からマンガ的なものを見て喜んでいたのならば、何を今更と思えるのです。

2012年5月27日日曜日

西谷祥子の『マリイ・ルウ』

西谷祥子は、なんとなく前の世代のマンガ家として、ほとんど読んでいませんでした。
 記憶にあるのは、「花びら日記」の、アルバイト、是か非かの場面と、友だちが劇団に入ってどうこうの場面だけです。あるいは別のマンガとごちゃごちゃになっているかもしれません。

 表題の作品は1965年の後半に週刊マーガレットに載っていたものです。およそ半世紀も前のマンガです。
 2003年に新たに出版されたものを本屋で見かけて買ってきましたが、そのまま積ん読になっていました。表紙の、目の中にきらめく星に、何でこのマンガを買ったのだろうとの後悔があったのかもしれません。きわめて典型的な古い時代の少女マンガとの思い込みがあったのでしょう。

 読んでいて古き良き時代の少女マンガとは思いましたが、面白く読めました。

 アメリカのハイスクールを舞台にした Boy meets girl (Girl meets boy かもしれませんが) の典型的なマンガです。
 大学生の姉のローラは、妹のマリイルウもうらやむほどの美人で、取り巻きの男達が大勢いつも家に押しかけてきています。そんな中に、道路からローラの部屋の窓を見上げるハンサムな青年がいます。ジョージという名前で、マリイルウは一目惚れをします。
 そのジョージ・スコットからパーティーへの招待状をもらって喜ぶマリイルウですが、ローラが付き添いで行くことになります。ところがせっかくのドレスをペンキ屋のはしごにぶつかってペンキがかかりだめにしてしまい、パーティーには行けなくなってしまいます。ジョージの車に乗ってローラは帰宅しますが、別れ際に二人はけんかをしています。
 ハイスクール時代にローラとジョージはつきあっていて、結局二人は婚約します。
 マリイルウは、ジョージの後輩で、ペンキ屋のアルバイトをしていたジムと、つきあうことになります。この二人がつきあいを始めるまでが、このお話の後半なのですが、そこは割愛させてもらいます。

 絵はさすがに半世紀前のものなので、今の読者にはつらいものがあるかもしれません。また、設定にも現在にはどうかというのもあるかもしれません。けれどテーマは今でも十分に通用するものと思います。登場人物の一人ひとりの心理描写の濃やかさや、それに至る環境設定は決して古びていません。
 それに、結果がわからなくて、ドキドキしながら読んでいても、悪いことにはならないはずという予定調和なので、安心して読めます。


 書名『マリイ・ルウ』
 出版社 白泉社
 2003年9月13日 第1刷発行


 単行本としては、「マリイ・ルウ」は最初に集英社マーガレットコミックスで出版されていて、MC 1 になっています。同時に出たのが、わたなべまさこの「ハイジ」と、水野英子の「すてきなコーラ」で、いずれも 1968年1月5日初版発行になっています。
 表紙の絵を見ると、目の中の星は集英社版の方が多いようです。

 朝日ソノラマのサンコミックスは、少女マンガもありましたが、少女マンガのみを扱ったものはマーガレットコミックスが、最初のようです。

2012年4月30日月曜日

ぬまじりよしみの『ひがみちゃん・Jam』

この人の少女マンガは「ちょっとだけESP」と表題作しか単行本になっていないようです。あとは全部レディースコミックです。

 このマンガは作者のデビュー作です。大学生のキャンパスライフを描いたものですが、いわゆる青春マンガではありません。
 舞台は私立小田巻大学です。そこに通う市毛ひがみと数人が主な登場人物です。ひがみは一見すると小学生のように小さな女の子です。学生証や定期券をなくしたところからお話が始まります。

 70年代から80年代というと、大学が都心から郊外へと移転していた時期なのでしょうか、ただし、この大学は新設大学です。資金がなくて、田舎に大学を作ったようです。
 いったいどこら辺りを作者は考えていたのでしょうか。このマンガを読んでいて、初めは東京の西部かと思っていたのですが、「海辺の人々」で、間違いに気づいたのです。第三巻の57ページを見ると神奈川県のようです。

 追記:小田巻なら鎌倉だと気づきました。簡単なことなのに。(2015/12/27)


 終わりから二番目の「小田巻大学の崩壊」で、資金繰りが付かなくなって大学は倒産してしまいます。最後の「小田巻にお越しの節は」で、このマンガには何度も登場している大地主の与作が、再建資金を都合してくれて、与作ちゃん立小田巻大学として大学は復活します。ただし、農作業が必修としてですが。

 このマンガを読み返してみて、三巻の穴埋めページのてぃー・たいむが、こんなに面白いことが描いてあることをすっかり忘れていました。
 その後の登場人物と作者との茶飲み話なのですが、これがなかなかのものです。自分で作った登場人物とはいえ、性格がうまく描かれています。


 書名 『ひがみちゃん・Jam』1〜3巻
 出版社 白泉社 花とゆめCOMICS 301, 422, 423
 1982年1月25日第1刷発行 第1巻
 1982年9月25日第1刷発行 第2巻
 1983年7月24日第1刷発行 第3巻


 第1巻の巻末にはパタリロの第10巻、第3巻の巻末には第18巻の広告が載っていました。

2012年4月22日日曜日

あとり硅子の『これらすべて不確かなもの』

登場するのは生活破綻者(?)の父親・史緒と、三人の息子・葵、遠志、珠生、そして死んでしまった母親・颯子です。父親は一人では何もできず、息子達はそんな父を反面教師として、颯子の墓の近くに引っ越した父とは離れて暮らしています。
 母親の命日に、父親の家に集まる次男・遠志と三男・珠生、そこで目にするのは、どうしようもない父親の姿です。

 暴風雨の中、盛装で墓参りに出かける父親と、あとを追う遠志。母親の墓前で思わぬ事を聞かされます。「きみたちを キライだとか いらないとかは 思っていないが」、さらにきっぱりと「愛情はない」と言われます。
 雨で崩れた道から滑り落ち、病院に運ばれる遠志ですが、そこに長男・葵が駆けつけます。
 葵とのやりとりで、遠志は思い出します、母親に言われたことを。「史緒の仕事は 母さんだけを愛すること」と。

 史緒はさらに付け加えます。「約束したんだねえ……颯子と ずっと颯子だけを愛すると」 颯子のポリシーは「愛だって分ければ減る」だったのです。そして、史緒はその約束を忠実に守っているのでした。

 わたしには、この考え方は驚きでしたし、新鮮なものでした。広大無辺な愛は、普通の人には無理なのはわかります。しかし、身内に対しての愛さえも分ければ減ってしまうものなのでしょうか?
 息子達の母親の思い出からみると、颯子は、子ども達にはそれなりの愛情を注いでいたように見えるのですが。

 巻末のおまけは、笑いながら読めました。


 書名『これらすべて不確かなもの』
 出版社 新書館 WINGS COMICS
 1998年9月10日 初版発行


 あとり硅子は、本屋で『夏待ち』を見て買ったのです。なぜかというと、名前のせいなのでした。硅子の「硅」と言う字に引きつけられたのです。日本語では硅素以外には使われない字だとのことです。

 あとり硅子さんが逝ってもうすぐ八年になります。多くはない作品は今も輝いていると思いますが、手に入りにくいのは仕方ないのでしょうか。

2012年3月31日土曜日

佐藤史生の『金星樹』

この人のマンガを初めて見たのはプチフラワー創刊号の「夢見る惑星より 竜の谷」です。その時はあまり気にも留めませんでした。大きな物語の始まりとは気がつかなかったせいでしょう。

 表題の作品は1978年とのことですので、相当初期の作品です。「金星樹」と云うタイトルの本は何度か出版されたようですが、手元にあるのは、1992年出版のものです。奇想天外社からの1979年出版に「青い犬」を追加したものです。

 最初が「星の丘より」で、カヴァーの女の子の絵は、鼻と口元が、山田ミネコを思わせます。顔の輪郭は山田ミネコの少女は、もっと丸いのですが。奇想天外社版ではこれが最後になっています。
 話としては、SF ではよくある話なのですが、なかなかに面白く作ってあります。6ページ目でここが火星だとわかるシーンがあります。

 「金星樹」は、一種のタイムマシンものというか、タイムパラドックスものというか、アイディアがものをいっています。
 以下にあらすじが載っています。
 http://www.chatran.net/dispfw.php?A=_manga/_sato
 ここには、『金星樹』のなかの、「一角獣の森で」と「星の丘より」のあらすじも載っています。

 時間がゆっくり流れる現象というと、遠くからブラックホールに落ちていくのを見るというのが思い起こされます。金星樹はブラックホールに近い現象を引き起こす何かなのでしょうか。こちらから行くことができるのも似ているように思えます。

 登場する三人のそれぞれに揺れ動く心の内が、うまく描けています。特に後半のネネとアーシーの会話、そして45年後のアーシーの言葉が胸を打ちます。
 けれど、ほとんど動かないネネとマッキーをずうっと見つめてきたアーシーの内心は、神への感謝だけだったのでしょうか……。

 前に取り上げた佐々木淳子の「セピア色したみかづき形の…」とは違った意味での、抒情的SFといえるでしょう。ブラッドベリを読んだような気になります。


 書名『金星樹』
 出版社 新潮社 Alice's Book
 1992年12月15日

 奇想天外社奇想天外コミックスは、1979年7月5日初版発行


 間もなく佐藤史生さんの三回忌になります。4月4日が命日です。
 長生きして、もっと作品を描いてほしかった人です。

2012年3月21日水曜日

紺野キタの『ひみつの階段』

紺野キタは、今は「Webスピカ」で『つづきはまた明日』を描いています。この人のマンガを初めて見たのは、コミックFantasy に載っていた作品です。たぶん『白日夢』が最初だと思いますが、ここでは表題作を取り上げます。『ひみつの階段』シリーズの第一作で、シリーズ名にもなっている作品です。

 マンガで、階段というとまず思い浮かぶのは、くらもちふさこの『おしゃべり階段』なのですが、これは読んだことはありません。

 『ひみつの階段』は、女子校の寄宿舎が舞台です。一ページ目で主人公の夏は、三段しかないはずの階段を踏み外し、転げ落ちてしまいます。下には、夏が知っているような知らないような女の子がいます。足を挫いたという子に肩を貸し、階段を登り扉を開けるとそこはいつもの光景で、女の子は消えています。振り返ると、そこには三段しかない階段があります。
 階段と怪談がかけてあるのですが、怖いというところはありません。夏が唯一悲鳴を上げるのは、夜、自分の部屋でマンガ(Fantasyコミックという雑誌です)を読んでいるときに、手にページをめくられて、振り向くと誰もいないときだけです。

 あるとき、夏は不思議なお茶会に入り込んでしまい、「知らない子ばかりなのに(中略)懐かしい友だちといるみたいな」感じになります。その中の一人が「みんな帰る時間(ばしょ)はてんでばらばら」と教えてくれます。「それぞれの場所に戻れば すれ違うこともないけど 現在(いま)ここではみんな16・7歳(じゅうろくしち)の女の子で 同じ時を共有してる」
 年を経ると物(この場合は寄宿舎でしょう)にも魂が宿るという日本的な設定なのでしょうか、「さみしいとか かなしいとか そういった感情を ひきよせる」場所なのだそうで、夏は、ホームシックになったことをずばり言われて、うろたえます。

 終わりのほうで古典の先生が階段で転ける場面があります。この学校の OG で、お茶会の時に「古典のサカイ」と名前の出た先生です。「昔っからそそっかしくて よく階段をふみはずす」と聞いて、はっとする夏です。何かを訊ねようとしますが、結局「階段…気をつけて…下さい」としか言えませんでした。
 何を訊ねたかったかは、痛いほどわかります。でも、それは訊いてはいけないことなのでしょう。

 時を超えて集う女の子たちの心情はどんなものなのでしょう。「さみしいとか かなしいとか そういった感情」で引き寄せられたのが発端だとしても、その場での女の子は決してそういった感情を表には出しません、というより負の感情を忘れるために引き寄せられるのでしょう。
 寄宿舎に棲みついている座敷童のようなものというのが、シリーズ三作目の『春の珍客』にありますが、寄宿舎が生み出す夢なのでしょう。


 エフヤマダというかたが OTAPHYSICA というホームページで「紺野キタ『ひみつの階段』の時間論」を書いています。
 http://www.ne.jp/asahi/otaphysica/on/column19.htm
 おおむね同意しますが、「視点が徹底的に過去形である」は、どうでしょうか。シリーズ二作目の『印度の花嫁』の花田毬絵が中学生の時に見たのは、未来の夏ちゃんだったのではないでしょうか。確かに、それを思い出すのは高校生の毬絵なのですが。しかし、未来の夏ちゃんが、中学生の毬絵を変えたのではないでしょうか。

 時間物のファンタジーというと、真っ先に思い浮かぶのは、『トムは真夜中の庭で』でしょうか。マンガとはいえ、それに匹敵する物だと思います。


 書名『ひみつの階段』1
 出版社 偕成社
 1997年2月 初版第1刷

 書名『ひみつの階段』1, 2
 出版社 ポプラ社 PIANISSIMO COMICS
 2009年8月5日 初版発行
 帯には、「完全版!!」との表記があります。

 2002年4月にポプラ社から三分冊で出版されたようですが、持っていません。

2012年3月10日土曜日

地震から一年

もうなのかまだなのかわかりませんが、一年になります。
 揺れによる被害しかなかったわたしの身の回りですが、津波に遭われたかた、原子力発電所の爆発で避難されているかたは、本当につらい一年だったことと思います。いつになったら普通の暮らしに戻れるのでしょうか。

 今も原発は毎日のようにニュースに登場しています。一度飛び散った放射性物質を集めるのは大変なことです。それに、集められたとしても、その保管は並大抵のことではありません。だからこそ、中間貯蔵施設の設置場所がニュースにもなるのでしょう。
 また、放射線被曝から逃れるために、あちこち移動せざるを得なくて、そのために亡くなったかたも大勢いるようです。

 一方、津波被害を受けた沿岸部のことは、原発に比べてあまりニュースにはなってきませんでした。一年が経つということで、ここ数日は大きく取り上げられていますが。
 瓦礫の撤去も進まず、その量は普段のゴミの20年分以上です。ときどき自然発火もあるようです。被災地にとっては、新たなスタートをしようにもどうしようもないところもあるようです。

 このようなことを考えても、どうしようもないのかもしれません。それでも、生きて行かなくてはならないのです。

 亡くなられた二万人のかたに哀悼の意を表します。


 萩尾望都の『なのはな』を読みました。よくこれだけのことを調べて、マンガにしたものと感心しました。19ページに土壌の汚染除去のために植物を植える話があります。そこからこの本のタイトルが来ているのですが。でも、放射性物質の濃縮された植物はどうするのでしょうか。結局は、防塵装置の付いた焼却炉で燃やし、煙から回収された放射性物質と焼却灰を、どこかに保管しなければならないのでしょう(ひまわりは効果がなかったとか)。
 「サロメ20××」でプルトニウムの半減期は2万4千年、毒が消えるまで10万年は、とあります。これは、初めのプルトニウムの量がわからないと何とも言えないのではないでしょうか? およそ 1/16 弱にはなりますが。
 「かたっぽのふるぐつ」では、公害に対しての揺れ動く心があったのですが、ここでは作者の考えは明快です。

 書名『なのはな』
 出版社 小学館
 出版年 2012年3月12日初版第1刷

2012年2月28日火曜日

遠野一生の『ラプンツェル』

遠野一生は、いまは“一実”名で描いていて、ぶんか社コミックス(B6判)から出ている「ラプンツェル」は新しい名前になっているようです。

 ラプンツェルはご存知のとおり、グリム童話の中のお話です。魔女を親に置き換えると、このマンガの始まりの前に書いてある、「親の束縛から 異性愛をバネに逃れようとする 思春期の娘の心を象徴した民話 と解釈される」になります。
 ところで、このマンガでは、童話と共通するのは、ヒロインの長い(とは云っても身長ぐらいですが)金色の髪だけでしょうか、父親に監禁されているわけでもありません。

 主人公の海(カイ)は8歳の時、ヒロインの鹿乃子に会います。その時の鹿乃子は素っ裸で二十歳前でしょうか、もちろん海は名前さえ知らずにそれっきりになります。
 それから十年、バイオメカニズムを学ぶべく大学に入った海の前に鹿乃子が現れます、十年前と同じ姿で。海は、十年前の人の娘か妹と思います。鹿乃子はバイオメカニズムの沢辺教授を「お父さん」と呼んでいます。

 いろんな事がありますが、海と鹿乃子は普通につきあうことになります。
 海の知らないところでは、教授と鹿乃子の会話で鹿乃子は教授に作られたことが明らかになっています。また、教授は、亡き恋人に似せて鹿乃子を作ったことも明かされています。
 海はバイク乗りが趣味で、鹿乃子を後ろに乗せて海(うみ)を見に行きます。その帰り、飛び出してきた子供を避けようとして、事故を起こします。壊れた鹿乃子の左腕を見て、義手と思う海ですが……。
 教授から鹿乃子は、自分が作った事を聞かされますが、それを聞いても鹿乃子には「全然 嫌悪感を感じなかった(中略) 思い出の女(ひと)が彼女だとわかって なぜかうれしかった」と思う海でした。

 半ば脅されて、教授はアンドロイドを作ることにしますが、海と鹿乃子は設計図の入ったフロッピーディスクを持って、逃げ出します。
 船に乗った二人ですが、鹿乃子は輪廻転生の話をします。そして海が船内の席の空きを見に行った隙に、席にフロッピーディスクとペンダントを残し海に消えてしまいます。
 「機械として生きるよりも人間として死ぬことを選んだのだ」との海の思いがモノローグとして書かれています。

 ペンダントの中に膨大なデーターが入っているのを知り、新たな鹿乃子を作り上げたところでマンガは終わります。

 最後の20ページは、連載時のものとは違っています。こちらの方がスリリングで、終わり方もスマートです。

 疑問に思ったことを書いてみます。
 タイトルが何故「ラプンツェル」なのか。グリム童話(初版)では、塔に閉じ込められたラプンツェルとそこに通ってくる王子が主役です。むしろタイトルとしては「ピュグマリオーン」か、ピュグマリオーンによって作られたという「ガラテイア」の方がふさわしく思えたのです。最初のピュグマリオーンが教授で、二番目が海です。恋人を失った教授が作った鹿乃子、鹿乃子を失い新たな鹿乃子を作る海。そう思ったのです。

 ところが、読み直してみて、「ラプンツェル」の意味がわかったような気がしました。鹿乃子は自分の意志を持っていて、それに基づいて行動をしているわけです。それが「機械として生きるよりも人間として死ぬことを選んだのだ」になるわけなのです。
 自分の意志で王子を塔に招き入れたラプンツェルと、自分の意志で死を選んだ鹿乃子が重なったのでした。そして、この本の最初に書いてあった「親の束縛から 異性愛をバネに逃れようとする 思春期の娘の心を象徴した民話 と解釈される」の意味も納得できたのでした。
 とするなら、最後のページの海が少し寂しそうに見えるのもわかります。


 書名『ラプンツェル』
 出版社 偕成社
 1992年9月 初版第1刷発行

 連載は
 コミックモエ No.9〜No.11(1991年7月〜1992年4月)

2012年2月12日日曜日

倉多江美の『ぼさつ日記』

短編から長編までを手掛ける倉多江美ですが、表題のマンガは39話からなる作品で、作者唯一の週刊誌連載作品とのことです。

 主な登場人物は、中学生の地獄寺ぼさつ、火山灰裾野、留目(とどめ)トメオ、浅梨(せんり)ちゃんで、四人は同じ学年です。ぼさつはお寺の娘で、父は娘からは往生住職と呼ばれて、とーちゃんと呼びなさいといわれています。
 タイトルと登場人物が中学生と云うことから、ラブコメかと思うとさにあらず、シュールなギャグマンガです。カヴァー絵を見ればわかることなのですが。

 第一話は、朝目覚めたぼさつが面倒くさがって、最終回にしようとするところから始まります。とーちゃんに起こされて学校に行くと、美形の転校生・留目が現れます(この頃はイケメンという言い方はなかったのがわかります)。ぼさつはこの転校生に「だめ……ほれちまった」と恋心を抱くのですが……。

 第三話で裾野と浅梨ちゃんが登場します。
 この人の描く人物は極端に言えば、ジャコメッティの彫刻の身体に服を着せたようなものが多いのですが、裾野だけは違います。「どうせあたしはドラムかんよ」と本人が言う体型で描かれています。

 ぼさつと裾野は恋敵になるのですが、迷惑をかけられるのが留目なのです。
 会えばいがみ合うぼさつと裾野ですが、考えが一致すれば手を組むこともあります。それが第十話です。嫌みな女の飼い犬のリードを車に結んでしまうのです。
 12話から15話はぼさつの地獄巡りのお話です。最後は地獄から追い出され生き返るのですが、針山の針を土産に持って帰るのでした。

 23話に登場するのが「ひとりぼっちの悪魔くん」です。ぼさつと友達になり一人ぼっちではなくなります。以後、ほとんどのお話に登場し、ほかの登場人物とも仲良くなります。

 30話のお話が一番印象に残っています。「旅に出た太陽さん」と云うタイトルで、「なぜ毎日ここにいるのだろう」「真理をみきわめるために旅に出よう」と、太陽がいなくなってしまうというものです。みんな困っているところに太陽は戻ってくるのですが。
 一瞬にして太陽が無くなったら、物理学的にどうなるかなどということは、置いておきましょう、ナンセンスマンガですから。

 最終話は登場人物五人の挨拶だけなのですが、最後に全話に登場している太陽さんが挨拶に来るところで終わります。

 このようなギャグマンガあるいはナンセンスマンガが少女マンガ誌に載っていたのは、それだけ少女マンガの懐が広がったからなのでしょう。
 このマンガと同じ頃、『ポーの一族』があったのが、16話からわかります。


 書名 『ぼさつ日記』 倉多江美傑作集2
 出版社 小学館 フラワーコミックス FC-352
 出版年 昭和53年4月20日初版第1刷発行


 別に項目を立てた方がいいのかもしれませんが、気になっていることを少しだけ。

 この頃は少女マンガ誌にも、週刊誌があり、マンガの量としては、少年マンガを凌ぐほどだったかもしれません。思い出すままにあげてみると、「週刊マーガレット」「週刊少女コミック」「週刊少女フレンド」がありました。
 以下、Wikipedia によるとマーガレットは1963年の創刊から1987年、少女コミックは1970年から1977年、少女フレンドは1962年の創刊からから1973年までは週刊誌でした。一番古かった少女フレンドは1991年に月2回から月刊になり1996年の10月号で廃刊になっています。
 なぜ週刊少女マンガ誌がなくなったのか、ネットを見てもよくわかりませんでした。
 マンガの描き手の側からと、読み手の側の双方から考えてみる必要があるのはわかります。
 たとえば次のように書かれています。
 少女漫画は少年漫画よりも絵に重点を置くので、どうしても書き込みや仕上げ処理に時間がかかる。これは描き手の側から見た場合と思います。
 “BOY MEETS GIRL で始まりライバルや障害を乗り越えて両思いになってエンディングという黄金パターンは4コマ漫画以上に固定化されています”については、反論が出されています。恋愛沙汰だけが少女マンガではないので、反論の方がもっともだと思います。
 読み手の側が気が長いというのもありましたが、週刊少年マンガ誌を読む女の子が多いのも事実のようです。
 これについての答えがあるのかもわかりません。ときどき、何故かなぁと思ってみるのがいいのかもしれません。

2012年1月31日火曜日

大島弓子の『詩子とよんでもういちど』

この人のマンガで最初に読んだのは、「綿の国星」です。面白いマンガだなぁ、もっとほかにはないのかなぁと思いました。恥ずかしながら大島弓子を知らなかったのです。
 朝日ソノラマのサンコミックスから何冊か出ているのを見て、買いました。ページをめくって愕然としました。絵が、少女マンガだったからです。綿の国星とは全然違う絵に、本当に同じ人なのかと思ったものです。
 改めて見直してみると、年代が下るにつれて、次第に綿の国星の絵に近づいているのがわかります。

 表題の作品はサンコミックス「誕生!」に入っている作品です。

 「誕生!」は、女子高校生の妊娠を扱ったもので、重いテーマの作品です。母子ともに助かるのかどうか、というところで話は終わっていて余韻が残ります。

 「詩子とよんでもういちど」は、はっきりした年代は書いてありませんが、おそらく第二次世界大戦の前の話のようです。
 詩子の祖父は、病院長です。詩子はおてんばな少女ですが、いとこ政子の婚約者寺内文彦が訪ねてきた日に倒れてしまいます。文彦は院長から詩子は白血病だと聞かされます。
 詩子が気にかかる文彦は、政子との婚約指輪の交換の後で、婚約を破棄してくれといいます。病院を追い出された文彦は、武蔵野のサナトリウムで医者をしています。
 雨の中、詩子はサナトリウムに行きます。文彦にあって倒れた詩子はそのままサナトリウムに入所します。
 サナトリウムには白血病の小さな男の子がいて、詩子と仲良くなります。しかし男の子はしばらくして亡くなります。
 祖父がサナトリウムに来て、ドイツで白血病の治療剤ができたと知らせます。それを学ぶために三年間の留学を文彦に勧めます。しかし詩子を置いていくわけにはいかないと、断る文彦。
 詩子は、文彦が行かなければ一緒にいられるけれど、多くの白血病の患者はどうなると祖父に言われて、文彦をドイツに送り出します。
 しばらく経って(一ヶ月以上)、詩子の病状は悪化します。ドイツで電報を受け取った文彦はすぐに日本に帰ります。しかし船旅なので二週間もかかります。横浜からタクシーで駆けつけて、何とか臨終には間に合います。
 そしてマンガは次の文彦の独白で終わります。
 ぼくの青春は…おわった(中略)ぼくのすべては終わった…

 読んでいて、笑いと最後には涙の、少女マンガの王道を行く作品です。
 ただ、うまくは言えませんが、ありふれた少女マンガとは違う何かがあるからこそ、読んだときから30年経った今になっても引っかかるものがあるように思えるのです。

 なお、白血病が治るようになり始めるのは1960年代後半からとの記述が Wikipedia にあります。


 タイトル 『詩子とよんでもういちど』
 書名 『誕生!』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス(SCM-310)
 出版年 昭和50年1月25日 初版発行 
  (昭和55年7月30日14版が手元にあるものです)

2012年1月21日土曜日

ちょっと休憩 『リカの想い出 永遠の少女たちへ』

表題の本は、リカちゃん人形の発売20周年を記念して出版された、マンガとエッセイ集です。リカちゃんの発売が昭和42年(1967年)で、本の出版は1986年です。

 目次の代わりにプログラムが載っています。

 ご挨拶と祝辞ーーマンガ家二人(大島弓子とまつざきあけみ)とその他五人(谷山浩子、岡安由美子、群ようこ、美保純、伊藤比呂美)が書いています。
 記念撮影・アルバム・オブ・リカーー1967〜1970 1972〜1974 1977〜1986 リカちゃん人形の写真が載っています。
 談話室ーー第一部から第四部まであり、18名のマンガ家のマンガが載っています。
 もうひとつの同窓会ーー高橋源一郎、日比野克彦、秋山道男、野田秀樹の四人が書いています。
 インフォメーションーー牧美也子ほか二人が書いています。

 牧美也子はある意味ではリカの生みの親です。二ページのエッセイでそのことを書いています。
 挨拶と祝辞のマンガ家二人は、当然のことながらリカちゃん世代ではありません。岡安と美保はリカちゃんで遊んだと書いてあります。

 談話室のマンガ家は、何とか、人形(いろいろな人形があって、それはそれで面白いのですが)に話を持って行こうと苦心しています。実際にリカちゃんと遊んだ人もいるのですが、それはほんの少数です。
 木原敏江は「私の子供時代」のタイトルで二ページを描いていますが、人形は出てきません。坂田靖子は「わたしの博物学的子ども時代」で十ページ描いていて、これにも人形は出てきません。このマンガは印象に残っていて、いかにも彼女らしいと思います。
 子供のころは、うちのまわりは一面のたんぼで、から始まる子供のころの想い出です。川で釣りをしたり、木登りが好きだったり、と外でよく遊んでいたようです。外で遊んでいないときは、うちで本をよく読んでいたとか。幼稚園の時に父親からもらった理科図鑑を、今も持っていると描いてあって、感心したりもしました。最後の大きな齣は、「ときどきうちの前でそら一面の夕焼けを見ると 世界は なかなか広かったのであります」との言葉で終わっています。画面の八割が空で、残光と三日月とねぐらに帰る鳥、そしてたたずむ子供のころの作者が印象的です。

 本のタイトルが「リカの想い出」なのに、人形が全然出てこないマンガを載せたことにも驚きました。編集の香山リカと土肥睦子の度量の大きさに感謝です。

 リカちゃん人形で、リカちゃんハウスで遊ぶことを「ハウスしよう」と言っているのを聞いたときは、気に留めませんでしたが、play house の意味を考えれば、納得のいく言い方です。


 書名『リカの想い出』
 発行所 ネスコ
 発売元 文藝春秋
 1986年7月30日 第1刷

2012年1月11日水曜日

樹村みのりの『菜の花畑のこちら側』

この人のマンガは何から読んだのか記憶にありません。1949年生まれとのことなのでいわゆる24年組のように思えるのです。ですが、デビューを見ると1964年、14歳の時とのことなので、直接には関係がないようです。
 個性的な絵を描く人で、一度見たら忘れることはないでしょう。

 さて、表題の作品は 1〜3 の三つから構成されていて、別冊少女コミックの1975年11月号から1976年1月号までに連載されたとの記載がありました。
 ストーリーは以下の通りです。

 幼稚園の年長さんの女の子、まあちゃん、お母さんとおばちゃん(お母さんのお姉さん)の三人は菜の花畑にある少し広めのおうちに住んでいます。近くには、お母さんの妹のあきおばちゃんが住んでいます。近いこともあって、赤ちゃんを連れてよく遊びに来ます。
 二階に手を入れ、回転の早いことを考慮して学生を下宿させることにします(このマンガが描かれたのは、食事付きの下宿がまだまだ多い頃でした)。男の学生がいいだろうと張り紙をします。
 そこに押しかけてきたのは寮を追い出された(本人に言わせると自主退寮した)四人の女子大学生(モトコ、森ちゃん、ネコちゃん、スガちゃん)です。いろいろとなんだかんだがありまして、四人はまあちゃんのお家の二階に下宿することになります。ここまでが、その1です。季節は春の終わりから夏の初めにかけてでしょうか…。

 まあちゃんがドングリを拾う場面からお話が始まるのが、その2です。森ちゃんとネコちゃんも一緒です。途中でお向かいの水谷さんに会ったりして、お家まで帰ってくると、まあちゃんより少し大きい知らない男の子がいます。
 たけちゃんという子で、あきおばちゃんが預かった、義兄の子とのことです。義兄夫婦の間で、離婚についての話し合いがされることになって、預かったのです。カギッ子で、この機会に人の多い家庭の雰囲気を味わわせたいと思って、連れてきたとのことです。
 なかなか手に負えない子だったのですが、次第に打ち解けていき、遊園地にもまあちゃんと一緒に、四人の大学生のお姉さんに連れて行ってもらいます。遊園地から帰ってくると、家の前にたけちゃんの家の車が止まっています。
 義兄夫婦はもう一度やり直すと言うことで、たけちゃんを連れて戻ります。車が出るまでの間の、まあちゃんの家族および女子大生とたけちゃんの会話がクライマックスなのでしょう。動き始めた車の窓越しに、最後の憎まれ口を叩くたけちゃんです。
 車が去った後の空からは雪が降ってきます。

 その3は、年末から始まります。下宿に残る森ちゃんとネコちゃんは、まあちゃんと一緒に、帰省する二人を見送り、お家に帰ってきます。お母さんとおばさんは、出産の手伝いで親戚の家に出かけるところです。二、三日中には帰ると言って出かけます。
 広い家の中に三人で、まあちゃんは八時半には寝てしまいます。雨が降ってきて、二人は寮の時の怪談話を思い出しています。その時玄関をノックする音がして、浜口つとむという青年が訪ねてきます。おばさんからの電話で、女三人だと心配だろうからと来たと言います。二人は自分の部屋に戻ります。
 次の朝、まあちゃんは一人で寝かされたことに文句を言います。
 つとむ君は一葉の写真を二人に見せて、この人の消息を知らないかと尋ねます。つとむ君と、隣にはきれいな女の人が写っています。たきちゃんと言ってつとむ君は好きだったのですが、「聞き取りにくい声は耳に手をあてて、いく度も聞くので、はずかしくなって心を打ち明ける機会を逃がした」と言います。
 お母さんたちが帰ってくると、青年の姿は消えています。二人の写った写真を見ておばさんは言うのです。つとむ君は二年前の今頃亡くなったこと、たきちゃんは大きな農家に嫁いで、今は幸せに暮らしていると。そして、小さいときの病気がもとで片方の耳が聞こえなかったことを。そのことはつとむ君は知らなかったのでした。
 最後の齣で除夜の鐘が鳴ります。

 以上があらすじなのですが、その1に登場する女子大学生四人の一人ひとりがおのおの個性を十分に発揮して、存在感にあふれています。さらには、目的のためには手段を選ばず(?)、男子学生が下宿するのを阻止しようとする、そのヴァイタリティーには驚かされます。現実にこんな事をする人がいるかどうかは措いておきますが。
 その2では、向かいの水谷さんとはここで初めて会ったことになっていますが、半年以上も経って初めてというのは、なんか変な感じがしました。
 たけちゃんが次第次第に変わっていく様子は、実によく描かれていると思いました。子どもは親の背中を見て育つと言いますけど…。
 その3では、つとむ君はまあちゃんには見えない設定になっていること、お母さんたちが帰ってきたときには姿が消えていることから、たきちゃんを直接に知っている人とは、会えないくらい恥ずかしがりなのかなあと思ったものでした。

 『こちら側』を読み返してみて、あれ、解放区の場面がないと思ったら、『むこうとこちら』でした。まあ、ネコちゃんのノーブラのエピソードなんですけど。

 『菜の花畑のむこうとこちら』の141ページのコラムに四人の名前は?とあります。わたしなりに考えたのですが、森ちゃんとネコちゃんはこの名前でしか登場しません。『むこうとこちら』の125ページから見ると、ネコはミネコの省略なのでしょう。森ちゃんは森絵なのかなあと考えます。伊東愛子のマンガに登場する女の子です。山田ミネコも伊東愛子も、樹村みのりと同じ年の生まれです。


 タイトル『菜の花畑のこちら側』
 書名『ポケットの中の季節2』
 出版社 小学館 フラワーコミックス FC-92
 出版年 昭和52年8月20日初版第1刷発行

 なお、以下の本には続編を含めて載っています。
 書名『菜の花畑のむこうとこちら』
 出版社 ブロンズ社
 昭和55年3月25日初版発行

 デビュー作を含む初期作品集は
 書名『ピクニック』
 出版社 朝日ソノラマ
 昭和54年9月25日初版発行
 として出版されています。1964年から1967年の作品が入っています。


 今日で10ヶ月になります。

2011年12月5日月曜日

山田ミネコの『最終戦争』シリーズから「ペレランドラに帰りたい」

山田ミネコといえば、すぐに思い浮かぶのは「最終戦争」シリーズです。このシリーズを始める10年も前からマンガを描いています。貸本マンガとのことですが、さすがにそれは見ていません。
 1995年にオウム真理教の事件があり、この人も間接的に非常に大きな被害(?)を受けています。シリーズの「最終戦争」にはハルマゲドンのルビが振ってありましたので。

 表題作は白泉社の『冬の円盤』に載っているものでシリーズ初期のものです。
 扉絵は内容には関係のない絵で、ひとりの男と人間ではないもの(胸に山田の名前があります)との次の会話が載っています。「おまえ 気は不確かか?」「だいじょうぶ ちゃんと狂っているよ」
 東京三世社の少女SFマンガ競作大全集版ではタイトルの下には次の言葉があります。
 SFは応々(ママ)にして嘘とも真実(まこと)とも判別し難い物語がある。

 ストーリーは以下のようになっています。

 金星に夢中の男と切手が趣味の男がキャベツ畑の真ん中の家に下宿しています。ある夜に、畑のはずれに何かが落下します。ふたりが駆けつけると若い女が倒れています。
 ふたりは若い女を下宿に運びます。気がついた女は自分はペレランドラの第一女王リマだと言います。大臣の反乱で父も母も殺されて、自身も命を狙われているというのです。
 三人は下宿の一室で暮らすことになります。
 リマは言います、「ペレランドラに帰ったら 女王になる たいかん式の日は 山々から花火が打ち上げられて 地球からはふん火のように見える」と。
 数日経ったある日、怪しい三人組が現れて、あっさりとリマを攫われてしまいます。ふたりが気がつくと、部屋は荒らされ切手帳もなくなっています。
 一か月ほど過ぎて、TV のニュースで「金星の表面に火山の爆発が現れ」とやっています。続いてニュースは、非常に珍しい切手で、4万ポンド、約3千万円の値が付いたとして、切手マニアの持っていた切手が紹介されます。
 このニュースで金星に夢中だった男の世界は崩れ去り、以後、切手集めに夢中になります。一方、切手が趣味の男は金星の火山の爆発から、リマの言ったことを思い出します。そして、「やっぱり彼女は本当の金星人だったのかもしれない」と思い、天体望遠鏡を覗くようになるのです。
 最後に趣味の入れ替わりになるというところでお話は終わります。

 キャベツ畑の中といえば、練馬の24年組のことなのでしょう、作者自身にも関係するようですが。
 このマンガの面白さの第一は、扉絵の会話にあると思うのですが、どうでしょうか。この頃には金星の素顔も知られていたのに、敢えて金星を持ってきた作者には感服します。これが、太陽系外の星からだったなら、最終戦争シリーズは生まれなかったろうと思うからなのですが。

 果たしてリマは無事にペレランドラに帰れたのでしょうか。

 間もなく東北地方太平洋沖地震から九ヶ月です。ペレランドラよりもはるかに近い被災地なのですが、そこに帰れない人たちはまだ大勢います。いったいいつになったら帰れるのでしょうか。あるいは、ペレランドラより遠いのでしょうか……。


 タイトル『ペレランドラに帰りたい』
 書名『冬の円盤』
 出版社 白泉社 花とゆめコミックス
 出版年 1977年5月20日 第1刷発行

 『ナルニア国物語』で知られる C. S. ルイスの『金星への旅』を読んだのはこの4年ほど後です。原題を "PERELANDRA" といいます。奇想天外社で出版されたものです。


 今日でこのブログを始めて一年です。
 拙い文章を読んでくださった方に感謝いたします。

2011年11月30日水曜日

萩尾望都の『かたっぽのふるぐつ』

公害を扱った40年前の作品です。以下のページに内容が載っています。
 http://www.hagiomoto.net/works/013.html
 なお、これにはネタバレはありませんが、以下にはそれも記しています。

 「ぼくたちのY市は 石油コンビナートの町だ(中略)みんな スモッグとガスの中にある」そんな町にある小学校の5年B組はさよなら会で「ふるぐつホテル」と云う劇をやることになります。ヨーコによると「旅人にすてられたぼろぼろのふるぐつがアリたちに励まされ、希望を失わずひばり一家の巣になるまで」のお話です。吉田志郎と渡辺悠は古靴の役をやることになります。

 公害についての授業でクラスでは侃々諤々の議論をします。終業のベルが鳴り、先生は言います。「きみたちは公害に 勝つために 強いからだを つくることだ かんぷまさつや うがいを かかさずやって 体力をつける」
 志郎との帰り道で悠は言います。「かんぷまさつじゃ 公害に 勝てないよ!」

 志郎は家に帰って父親に公害のことを訊きます。すると父親は言います。「何億円もかけて公害防止機械を買いいれ設備をよくしてる 公害なんか出してやしない」
 それを聞いて安心する志郎ですが…。
 翌朝、学校への途中で出会ったヨーコは言います。以下にそれを要約します。
 “現実に公害はある、そんな公害防止機械なんてない。父さんたちは会社ではたらいて、わたしたちに食べさせたり教育をうけさせたりしている。町の発展のためにはコンビナートは必要だ、人間は石油からはなれて生きていけない。公害はいや! でも公害は必要悪だ。”

 その日休んだ悠に会うために、帰りに悠の家に寄った志郎に悠は見た夢の話をします。
 “第三次世界大戦さ 石油コンビナート対人間の 煙はまるまって 世界中の空にちった 悪臭は風をつかまえて 世界の空気の中にひろがった ロケットで わずかの人びとが 月へ逃げた 石油コンビナートはますます大きくなって…… 地球の爆発と一緒に宇宙へ飛び散り 宇宙中の全部の星が 腐ってとけて消えてしまった”
 その話を聞いてぽかんとする志郎でした。

 次の日の朝、志郎とヨーコは悠を迎えに行きます。
 放課後、劇の練習中に悠は発作を起こし、救急車で病院に運ばれますが、その夜に喘息で吐いたものが気管に詰まり、死んでしまいます。

 さよなら会は中止になります。通知表を渡されるとき、志郎は先生に尋ねます。吉田の次は渡辺だったのです。「それ…… 中味 書いて あるんですか?」「今日 わたす つもりだった ……からな 渡辺は公害に 勝てなかった なあ」
 自分の席に戻りかけて志郎は叫びます。「ユウは かんぷまさつじゃ 公害に勝てないって 言ってました」「亜硫酸ガスには プロレスラーだって 勝てない……負ける!」

 終わりまでのおよそ5ページは志郎の思いなのでしょう、ある意味で、社会問題(公害)に対する思いです。
 石油コンビナートの町----- 人びとの幸福と未来を約束された町に------ あしたをもたない少年たちがいる…… との言葉でマンガは終わります。

 このような社会派のテーマは悪を想定して、それを叩くという形になりやすいのですが、このマンガにはそういったものがほとんどありません。もちろん、公害を認めているのではありません。公害は悪であるが、それを全面否定もできない、そんな宙ぶらりんの状態をどうすればいいのかに重点があるような……。

 このマンガの頃は、公害問題が日本中に蔓延していました。このマンガの舞台のY市についても、Wikipedia に詳しく載っています。これが描かれた頃は公害の後期にあたるようです。
 また、松尾鉱山の閉山は 1969 年とのことですので、脱硫装置はこの頃までにほぼできあがっていたようです。

 このマンガを読んだのは 1977 年なので、公害問題はほとんど終わった頃でした。それでも読み手の胸に響くものはありました。
 このようなマンガは、今も公害に悩まされている国では、どのように受け取られるのでしょうか。


 タイトル『かたっぽのふるぐつ』
 書名 萩尾望都作品集2『塔のある家』
 出版社 小学館
 昭和52年4月10日初版第1刷発行


 11月25日に出た雑誌「暮しの手帖」に萩尾望都のエッセイが載っていて、両親のことを書いています。

2011年11月13日日曜日

ちょっと休憩 『七ツ森』

仙台の北に大和町という町があります。そこに七ツ森と呼ばれる七つの小さな山があります。大和町のホームページに「七ツ森のできたわけ」と云うお話が載っています。
 https://www.town.taiwa.miyagi.jp/soshiki/soumu/7tsumori.html
 七ツ森は、地名で、七つ森ではありません、念のため。

 仙台に住んでしばらく経った頃、わたしはどうにもこの七つの小さな山が気になって仕方ありませんでした。もちろんまだホームページなんか無い頃のことです。そこで自分でこの山のいわれを考えてみたのでした。
 以下、少し恥ずかしいのですが、それを書いてみます。

 ずうっとずうっとむかしのこと、七ツ森の辺りは一面の田圃だった。
 ある日、男があぜ道で大きなたまごを拾った。そのたまごときたら、にわとりのたまごを十(とお)集めたものを十(とお)集めたよりも大きかった。男は村のものを呼び集めた。「はて、なんのたまごだべぇ」「さて、こんなたまごなんぞ見たこともねぇ」「食えるべぇか」などと話していると、堅い木を叩くような音がした。見る間にたまごが割れて中からヤモリのようなもんが出てきた。その大きさときたら、大きなネコよりも大きかった。わっと、みんなは逃げ出した。
 それからが大変だった。この生きもんは初めは人の家に入り込んで飯を平らげていた。そして、食えば食った分だけ大きくなった。飯を食い尽くすと、秋の田圃に入り込んで、刈り取り間近の稲を食いだした。辺り一面の田圃を食い尽くす頃には小山のような大きなもんになっていた。とても鍬や鎌で殺せるような代物ではなかった。
 ばけもんは稲を食い尽くすと、ぐっと頭を上げ鼻をひくひくさせて、北へ向かってのそのそと歩き出した。どうやら大崎の方へ向かうらしい。百姓たちは智慧を絞った。「毒を盛るしかあんめえなぁ」「けど、あいつは米しか食わんぞ」「その米に毒を盛ればいい」ということで、みんなは毒草を集めに集めた。なにしろあんなでかい身体だ、少しぐらいでは効くまい。毒草から搾った汁を炊きあげた飯に混ぜて、大きな握り飯をいくつもいくつも作った。それをばけもんの前に置いて、遠くから様子を見た。
 ばけもんは飯の匂いを嗅ぎつけると、のそのそとやってきて、握り飯を食いだした。その間にも、食った分だけさらにばけもんは大きくなった。「もうすぐみんな食っちまうぞ」「いっこうに弱ったふうには見えんなぁ」と、みんなは不安げに見ていた。
 そのうち、さすがのばけもんにも毒が回ってきて、のたうち回り始めた。その時、ばたばたさせていたしっぽが泉ヶ岳にあたった。その頃の泉ヶ岳は、今よりもずっと高くて、富士山のような形だったのが、しっぽがあたって頂が二つに割れた。こうして北泉ヶ岳と泉ヶ岳ができた。
 しばらくすると、ばけもんはぴくりともしなくなった。おそるおそる近寄ってみると、ばけもんは死んでいた。大きすぎて動かせなかったのでそのまま放っておいたら、いつの間にか、ばけもんは山になっていた。ばけもんの頭や背骨が今の七ツ森だということだ。

 おしまい


 どこかで聞いたことのあるようなお話かと思います。でも、民話とはそうしたものなのではないでしょうか。
 こんな話をあとふたつ作ってみたのでした。三つの中でこれが面白いと言ってくれた人のいたのが、このお話です。

2011年10月25日火曜日

COCO の『異形たちによると世界は…』

 今回は、今年発行された新しいマンガを取り上げます。この人はブログでマンガを描いていますが、初めて読んだのは出版された『今日の早川さん』です。SFの博覧強記には驚かされました。

 表題のマンガは、H.P.ラヴクラフトのクトゥルー神話を換骨奪胎した4コママンガと、3〜7ページの短編で作られています。帯には、「もしも、怖ろしいクトゥルーの邪神たちが実はかわいい女の子だったとしたら?」との惹句があります。

 ラヴクラフトは文庫本で1, 2冊読んだだけで、それもずいぶん前のことでした。それほどの興味も湧かずにそれでおしまいになってしまいました。著者後書きに、登場する者の発音は指定されていないというようなことが書いてあったような気がします。Cthulhuをどう発音するかですが、その本にはクトゥルフとあったように思います。
 ラヴクラフトに興味がなかったにしては、諸星大二郎のマンガはずいぶん読みましたけれど。

 短編はシリアスが主ですが、4コママンガは基本的にはギャグマンガと言っていいと思います。
 4コマは続き物が多いのですが、クトゥルーのキャラクターが作者なりの解釈で登場します。妙に怖い(?)のが15ページ目の「重ね合わせの猫」でした。シュレディンガーの猫の話ですが、4コマ目で、顔中に冷や汗をかきながら、ナイアルラトホテップとティンダロスは何を見たのでしょうか、気になります。

 短編では「庭の片隅で眠るもの」を面白く読みました。珠恵が庭で見つけた、カエルに似た生き物ツァトゥグァの話です。ツァトゥグァは人から見たら長命の生き物です。珠恵は成長するにつれて、ツァトゥグァを忘れます。家を出て行った珠恵ですが、出戻ってきます、ツァトゥグァに初めて出会ったときぐらいの女の子を連れて。
 その子がツァトゥグァに気づきます。「おかーさん、変なカエルがいるよ」「そういえばお母さんが小さい頃にも、いつもここにこんなカエルがいたのよ。懐かしいなあ」
 最後のコマは「きみきみ、あのときの カエルくんじゃないよね?」と云う珠恵の呼びかけと 「…もうしばらく、ここにいるとするか」と云うツァトゥグァの心のつぶやきです。
 最後のコマの珠恵は、少し前のコマとは違って、生き生きとして見えます。娘と同じ歳のようにも見えます。きっとここではよい生活を送れそうに思えてきます。

 このマンガは面白く読みましたが、もう一度ラヴクラフトを読もうとは思いませんでした。ラヴクラフトが高い山か深い池かわかりませんが、その周辺をうろうろしているのがわたしには似合っているのでしょう。


 書名『異形たちによると世界は…』
 出版社 早川書房
 2011年7月20日 初版印刷
 2011年7月25日 初版発行

2011年10月13日木曜日

矢代まさこの『シークレット・ラブ』

 これは41年前のマンガです。1970年に描かれたものです。ですけれども、単行本の出版年から見ると、このマンガを読んだのは早くても1978年だと思います。

 「きいてください わたしの初恋の物語 けれどききおえたあとで あなたの健康なほおを さげすみの笑いでゆがめないでください」と始まる物語、まさに「秘められた恋」の物語です。デラックス・マーガレットに載ったものですが、この当時、このようなマンガを載せたことには敬服します。

 以下にストーリーを簡単に記します。

 登場するのは、わたし敦(敦子)、冬子、そして冬子のいとこの牧夫です。わたしと冬子は高校一年生です。
 わたしは冬子を親友だと思っています。冬子のことは、何だってわかっているのですから。わたしは、プレゼントしたショールに包まれた冬子を絵に描こうとします。
 体の弱いわたしは、病院で手に怪我をした男の人から、外科の診療室の場所を訊ねられます。数日経って、その男の人に街で出会います。内田牧夫と名乗り、カメラマンの卵で、イメージにぴったりだからわたしを撮りたいと言いますが、きっぱり断ります。

 冬子のところで、冬子をモデルに絵を描いているところに、牧夫さんが来ます。牧夫さんは冬子のいとこだったのです。冬子を撮ると言って、わたしも撮っているのに気づいたわたしは、興奮して、貧血を起こして倒れてしまいます。
 「ほかの男の子は らんぼうで 子供っぽくて うすぎたない けどね 牧夫さんは ちがうわ」と冬子に言われます。その時から自分の冬子への友情をうたがいはじめます。
 翌日、病院で牧夫さんに会ったわたしは公園で牧夫さんと話します。話していて気づきます、ほんの少し深い友情だと思っていた冬子への感情は、実は恋なのではなかったのかと。

 冬休み中には冬子に会うことを避けますが、休みが明けて再び冬子を描くために冬子のもとに行きます。しばらく来なかったことを気遣う冬子。
 冬子から牧夫さんの気持ちを訊いてほしいと頼まれて、わたしは自分に云いきかせます。「牧夫さんに やきもち やいたり しないわ 気の弱い 冬子の気持ちを 彼に伝えて あげるわ それが ふつうの 友情なん だわ」と。

 牧夫さんに会って冬子の想いを伝えますが、牧夫さんが好きなのはわたしだと言うのです。冬子を牧夫さんに取られるのでは、との恐れはなくなりましたが…。
 化学室の掃除当番の冬子に、どのように伝えようかと悩むわたしですが、冬子は牧夫さんからの電話で牧夫さんの気持ちを知っていました。わたしは自分の気持ちを冬子に伝えられません。
 二人の間で硫酸の瓶が割れて、わたしは足に硫酸を浴びます。

 それから一週間、冬子は訪ねてきません、ふと窓を見ると手紙が挟んであります。冬子からの手紙です。それを読んで、わたしはすぐに牧夫さんに電話をします、「冬子は…… 死ぬかもしれない!」と。
 海辺で冬子を見つけますが、ふたりの前で冬子は岩から海に身を投げます。慌てて海に飛び込み冬子を助ける牧夫さん。その様子を見つめながらわたしは考えます。
 「冬子に恋したりしなければ(中略)あんな誤解は……こんな事件はおこらなかったんだわ」「冬子のそばから去らなければ…」と。

 最後の齣はショールに包まれ微笑む冬子の絵と、「病的に潔癖な少女の異性をいみきらう 感情がうらがえしにされつくられたエピソード それがわたしの初恋だったのかもしれません 冬子は今もキャンバスの中で愛らしく ほほえんでいますけれど……」との敦子のモノローグで終わります。

 このマンガについて作者は“エス”の世界を描きたかったんだけど…と言っているようですが、なんか違うような気がしました。吉屋信子は読んだことはありませんが、エスで真っ先に思い浮かぶのは、ペギー葉山の学生時代の三番の歌詞です。吉屋信子の世界は、そんなにきれいじゃないよと言われれば、なにも言えませんが。
 このマンガでは、登場する三人の想いが、見事に三角形を描いています。そして、矢印は常に一方方向なのです。冬子と牧夫の想いは敦子にはわかっています。でも、自分の想いは誰にも知られてはいけない、と敦子自身は思っています。そのために敦子は街を離れることになるのですが。
 16歳で初恋は遅いと思いましたが、恋だと気づいたのがその時で、そのずうっと前から恋していたのならと、納得できました。
 今のマンガなら、敦子の葛藤はほとんど描かなくても成り立つのかもしれません、それがいいことなのかどうかはわかりませんけれども。

 このマンガを冬子の眼から見た物語として描けば、どんな話になるのでしょうか、興味のあるところです。


 書名『シークレット・ラブ』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス SCM-473
 出版年 昭和53年4月20日初版発行

 矢代まさこを扱った blog では
 http://blog.goo.ne.jp/luca401/e/92ef3476d56e5447ced8ab3ade35bcef
を面白く読ませてもらいました。

2011年9月24日土曜日

柴門ふみの『反逆天使の墜落』

 読んだ後で背筋がぞうっとするマンガです。

 柴門ふみは高橋留美子と双璧をなすマンガ家です、少女マンガを描かない女性マンガ家として。どちらも少年マンガや青年マンガを描いて人気を得ています。

 表題のマンガは1980年の「マンガ奇想天外」No.1 に載ったもので、ほとんど間を置かずに単行本に収録されています。

 以下にあらすじを載せます。

 幼い頃に、八畳間で一人寝る私は、薄明かりの中で「クリスマス・ツリー」と名付けたものを見ながら眠ります。それは、人や車や建物などの飾りをぶら下げ、回転しながら飾りをらせん状に吸い込んでいきます。手を伸ばせば届きそうで届かない、そのうちに眠ってしまいます。
 成長とともにクリスマス・ツリーは現れなくなります。

 ホテルで一瞬クリスマス・ツリーが見えます。「渦の中に 吸い込まれ そうで 吸い込まれ なくて」
 男は言います、「吸い込まれない方法(中略)うんと食べて うんと太って 樽の様に なるのだ」「ポーの短編に あるだろう 円筒状のものが 渦にまき込まれる速度が 一番遅い」「落ち着いて 太るには 家庭に入るのが(後略)」

 男と結婚して赤ん坊が生まれますが、「もはやクリスマス・ツリーは 断片すら見えなくなって しまったのですが、 失なわれてしまったものに対する 執着も又、私の内で どんどん膨んでいったのでした。」
 泣いている赤ん坊の傍らで、灯りもつけずにクリスマス・ツリーの現れるのを待つ私。「息子が かわいく ないのか!」と夫に言われ、「ぶよぶよして 生温かくて 気持ち悪い」と答えます。
 街に逃げ出した私の目には、遠近感を失った人びとしか見えません。
 「(前略)墜落の感覚をおぼえました」「おちた私の足元には 眠り続ける私がいました」「頭上では 街と人びとが回転を続けていました」「本当の私は、実はまだ あの八畳間で、眠り続けているのだ」と私は気づきます。

 暑い日に、夫は赤ん坊を連れてパンダを見に動物園に行こうとします。上り坂は夫がベビーカーを押します。私は、下り坂は楽だからと夫からベビーカーを受け取ります。頭上でクリスマス・ツリーの鳴る音を聞いて、私はベビーカーのハンドルから手を離します。坂を下り落ちるベビーカーと追いかける夫、追いついたところに大型トラックが…。

 坂の上で私は眠っているあたしに言います。”ほら あたし 目が醒めたでしょ” ”クリスマス・ツリーが 見えるでしょう” ”立ち上がって 腕を差しのべるのよ”と。
 「まだ円筒形でない おもりもない あたしはまっすぐに吸い込まれてゆく 渦をつっ切り 加速をあげて 回転する間もなく」
 最後のページは、「光の点をめざして……」と、両手を挙げた子どもの私が吸い込まれていきます。
 でもこれは吸い込まれると云うよりは、上に向かって落ちていくというほうがいいのかもしれません。

 このマンガを読んだのは、30年前です。そのときは、なんか怖いなぁ、と思ったものでした。たぶん、母性本能はどこに行ってしまったのかとの思いがあったのでしょう。
 最後のページでは、中学生の時に読んだ詩を思い出していました。作者もタイトルも忘れてしまったのですが、寝転んで青空を見ていると、空に落ちそうになって草をぎゅっと掴むと言う詩です。
 また、このマンガのタイトルの意味がよくわかりませんでした。
 しばらく経ってから読み返したときに、読み終えて最後のページで涙がこぼれました。誰も救われないその寂しさかもしれません。

 さて、改めて読んでみて、主人公の私はそれなりに救われるのかなぁとか考えつつ、初めて読んだ頃とは全然別のことが頭をよぎりました。
 裁判になったときに、心神耗弱が認められるのだろうかとか、未必の故意なのだろうかなどという大事かもしれないけれど、作品の本質とは無関係のことですが。


 タイトル『反逆天使の墜落』
 書名『ライミン・フーミン』
 出版社 奇想天外社 奇想天外コミックス
 昭和55年6月15日初版発行

 帯には、柴門ふみ処女短篇集とあり、吾妻ひでおの推薦文があります。


 167ページの最後の齣に"ポーズの短編"とありますが、これは"ポーの短編"です。このような誰でも気づく誤りは訂正しないのでしょうか。「マンガ奇想天外」での誤りがそのままになっているものですので。

2011年9月12日月曜日

地震から半年

 大地震から半年が経ちました。海沿いの地域は、まだまだ復興にはほど遠いのが実情のようです。また、地震の被害を被った内陸部の復旧もまだのようです。
 それでも希望の明かりを灯すために、仙台では恒例の「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が先日の土曜・日曜に行われました。人出もそれなりだったようです。

 海から離れたところに住み、海から離れたところに職場がありで、津波の被害は幸いありませんでした。私の勤務場所はほとんど被害はありませんでしたが、地震の被害はまだ復旧からほど遠い職場です。

 この半年は、まだ半年なのか、もう半年なのかよくわかりません。なんか、気がつけば半年と言ったところでしょうか。今から半年後には、一年経ってなどと書いてるのでしょうか、なってみなければわかりませんが。

 地震と津波と、そして原発と三重苦を負った人から見たら、幸せなのだからと、前を向いていくしかないと思います。

 まぁ、りきまずに、ぼちぼちと行こうと、思うこの頃です。


 死者・行方不明者が二万人を切ったことが救いと言えるのでしょうか……。

2011年9月7日水曜日

須藤真澄の『電氣ブラン』

 表題は作者の最初の単行本のタイトルで、この名前の作品はありません。九つの短編と MASUMI'S スーパーマーケットと題する一ページのイラストというか、身近なもの(たとえばいろいろな時計)を描いたものが数ページです。
 電氣ブランというのは浅草にある神谷バーのアルコール飲料の名前です。

 9編中6編が1985年の作品です。うち、一編は同人誌に描かれたものです。ただし、初出一覧は、東京三世社版には載っていません、竹書房版にはあります。
 初出一覧でみると『告知』が一番古い作品です。ただし、五年後に(原稿サイズ直しのためリライト)とあります。

 『月守(つきもり)』は、星を作るのが仕事のおじいさんと孫娘のお話です。孫娘は初めは高校生として登場しています。最後のページは、右・左・下と三齣しかありませんが、面白い齣です。

 『黄金虫(おうごんちゅう)』は、錬金術学校に進もうとしている高校生・木乃枝が主人公です。自分の心の中が、金の光沢になって現れるというプレッシャーに耐えながら、受験に励みます。錬金術材料との看板の店に入ると、おばあさんと赤ちゃんがいます。ふたりとも名前は木乃枝でした。おばあさんのアドバイスを受け、合格する木乃枝です。最後のページがこれも素敵でした。

 『スウィング』は、拾ったタコのおもちゃの足が折れるたびにタイム・スリップが起こり、そのときのエネルギーで地震が、それも大きな地震が起こってと云うお話です。タコさんはいったい何なんでしょうか、誰が作ったのでしょうか、と言うことは一切でてきません。

 『帝都は燃えておりまする』は、初代ゴジラのパロディーです。登場するのは帝都を焼き尽くそうとする大火災です。ファイヤー・デストロイヤーを持った博士がヘリコプターから火の中に飛び込み火災を終わらせます。
 このマンガは1985年に発表されたのですが、1989年のジョークに一酸化二水素 (Dihydrogen Monoxide) があります。1997年には、アイダホ州の14歳の中学生が "How Gullible Are We?" と云う調査に用いて、世界中に広まったのですが、このジョークがもう少し早くにできてたら、きっと作者はこれを取り入れていたに違いないと、今は思うのです。

 ばかばかしいのが『大回転焼小路』で、笑わせてもらいました。

 『告知』は1980年、『創造』は1981年の作品ですが、高校 1, 2 年生の時の作品とは思えないほどに完成されています。

 『告知』は、子どものない夫婦の前に、それぞれに現れた中学生ぐらいの女の子「麻憂(まゆ)」のお話です。ある日、別々に行動していた夫婦はそれぞれに麻憂を連れて出会います。ふたりの麻憂は消えてしまいます。そしてしばらくして夫婦に子どもができます。と、書けばそれほど面白くないかもしれませんが、読んでみると、絵とお話がマッチして面白いのです。「麻憂(まゆ)」は、子宮を見立てて、繭に掛けてあるのでしょうか。

 『創造』は、植物で少女タイプの生物を作り、それをクローンにして増やすというお話です。植物少女・草子(カヤコ)は順調に増えていくのですが、ある朝、すべてのカヤコは花にもっどてしまいます。最後の一ページは示唆に富むセリフで終わっています。「僕らが宇宙のちりに 一握りの土くれに 戻ってしまうことなど無いと 言い切れるだろうか」「歩いて来た このはるかな道が どこかでゆがんでいた ものとしたら—」

 『晩餐』は、この短篇集では一番長くて、30ページあります。この短篇集の中では一番読み応えがあります。そんなわけで、これはそのうちに別に取り上げようと考えています。(yonemasu.blogspot.com/2015/02/blog-post.html に書きました)

 作品後記「川のほとりに」は、面白く読ませてもらいました。文才もあるようです。


 書名 『電氣ブラン』
 出版社 東京三世社
 1985年11月10日 初版発行
 まひるの空想掌編集 と副題が付いています。
 カラー口絵が8ページあります。
 また、カヴァーには、銀文字で電氣ブランについて以下の記述があります。
  リキュール類
  アルコール分40%
  容量162ml

 書名 『電気ブラン』
 出版社 竹書房
 1996年4月18日 初版第一刷発行
 東京三世社のものとは違うカラー口絵が1ページあります。
 初出一覧があります。

2011年8月30日火曜日

いしかわじゅんの『至福の街』

 作者は一応少女マンガ(らしきもの)も描いているのですが、それは措いておきます。どんなマンガだったのか全然印象がないのです。『うえぽん』と云うタイトルで、白泉社から全三巻ででています。今は、電子書籍で読めるようです。

 さて、表題作ですが、1980年の「マンガ奇想天外」No.1 に載ったもので、翌年に単行本になっています、また、1985年に別の出版社からでています。
 この本には11編の短編が載っていて、一番長いのが表題作で48ページあります。巻末に自註があります。その中で作者は、「さる高名な漫画家が、今にどんでん返しがあってギャグになるだろうと、最後まで読んで、結局シリアスのままだったんで驚いた、と言う話が伝わって来た位に、コレはシリアスなのだ」と書いています。別のところで手塚治虫が、と書いている人がありましたので、高名な漫画家は手塚なのでしょう。

 マンガ家菱川は、あるときから自分の周りの人たちが、遠い目をするようになったのに気づきます。初めは恋人の由以、その由以に振られ、由以がつきあいだした筒井と…。
 そしてその頃にブームになったUFO、先輩マンガ家の恩田もそのことに気づき、話し込むふたりでしたが。
 道を歩いていて、菱川は人にぶつかってしまいます。「あ… 失礼!」「いいえ」「あの目だ…!!」菱川はその男の頭上に一瞬「ピンク色の………肉」を見た、と思います。

 アシスタントは「むこうの方が給料がいい」とやめたり、あるいは独立していきます、遠くを見る目をして。ついに連載も次々に打ち切られ、連載無しになります。
 この頃には「あの眼は既に 街の過半を 覆って居た」「遠くを見る様な ……そう 至福とでも 言ったらいいか」「我利と秩序とが 奇妙な調和を 成して居る風景だ」と言う状態になっているのでした。
 「最後の 頼みの綱」と、菱川は恩田のもとを訪ねます。その恩田は「一人ひとりが 幸福になる 事によって全体も 幸福になるんだ そうだろう?」と、サングラスを外して拭きます。その眼は遠くを見る眼だったのです。

 菱川は部屋に閉じ籠もります。今日が何日なのかもわからなくなり、真冬なのに暖かい日々です。
 「受け容れちまやいいんだ…」などと考えているところに、それは現れます。なにが現れたかはここには書きません。答えは扉絵ですが…。
 大勢の集まった道場で、由以は菱川に絹の袱紗を渡そうとします。「さあ……」「宇宙とひとつに なるのよ…」
 受け取ろうとして手を伸ばす菱川ですが、あと少しのところで拳を握りそこから逃げ出します。すると街中の人たちが追いかけてきます。逃げる途中で、街全体が大きなドームに覆われているのを知ります。ドームの果て、押し寄せる人、先頭には由以。
 絶望から両手をドームに付くと、すっと手首から先だけがドームの壁を突き抜けます。

 「オレの指の間を 真冬の風が ゴウと鳴って 走り抜けた」

 宗教と SF がある意味で融合したような、奇妙なマンガです。また、絵がいしかわじゅんのマンガの絵なのも、ミスマッチのようでいて味があるような気にもなります。

 恩田の「一人ひとりが云々」は、ある種の合成の誤謬だと、今ならすぐに言えるのですが、このマンガを初めて読んだときには、そんな言葉は知りませんでした。
 マンガのタイトルの『至福の街』とは、言い得て妙です。信じてしまえば幸福なのですが、信じられない者にはこれほどのディストピアはないでしょう。
 大勢(たいせい)に流されやすい自分は、きっと、菱川を追いかけるほうになるんだろうなぁ、などと思いながら読みました。


 書名『至福の街』異色短篇集
 発行所 奇想天外社 奇想天外コミックス
 昭和56年11月25日 初版発行


 1985年12月に双葉社から ACTION COMICS の一冊として出されています。カヴァー絵は扉絵を描き直したもののようです。こちらは、持っていません。

2011年8月19日金曜日

さべあのまの『地球の午后三時』

 この人も「プチフラワー」で知った一人です。創刊号から描いていますが、『フリフリCAT』は、印象に残っていません。その次の『三時の子守唄』からは、面白い絵を描く人だなぁと、思いました。

 絵については、できるだけ書かないようにしようと思っているのですが、この人については一言書きますと、アメリカンコミックを取り入れたような絵です。とは云っても、マンガにアメコミの薫りを入れたような感じです。その絵が受けたのだろうと思います。一度見たら忘れられない絵といえるでしょう。

 表題作は朝日ソノラマで出していたマンガ雑誌「デュオ」に載ったものです。
 主人公の男の子リッキー、リッキーと仲良くしたいマリィ・ルー(たぶん二人とも小学校の高学年でしょうか)、リッキーの両親、リッキーの家庭教師のバド、そして一年前になくなった鍛冶屋のユッカ大将が主な登場人物です。

 リッキーは、バドがママにちょっかいを掛けようとしていて、ママも悪い気ではないようだと思っています。
 そんな夕方に、ママはパパの好物のマッシュ・ポテトを作りますが、それはインスタントです。まずくてイヤになったリッキーは、皿の上に山を作ろうとしてママに叱られますが、新聞を取り上げられたパパも新聞の蔭で同じことをしています。
 その後で、できあがったばかりの模型の船を持ってリッキーの部屋に来たパパは、次の日曜に島の入り江でリッキーの船と一緒に進水式を行おうと言います。
 「なんでも知ってるボク この家庭の平和なんて ボクによって保たれているようなもんさ」とリッキーは思います。

 土曜日にリッキーはマリィ・ルーと庭でピクニックをします。絵はありません。
 天気予報は明日の日曜は雨と云っています。

 まだ暗いうちに雨音でリッキーは目を覚まします。メモ帳を破り雨を受けて、雨を燃やすためにバケツの上でマッチで火をつけると、雨は蒸気となってリッキーを雲の上へと運んでいきます。以下10ページが雲の上でのリッキーとユッカの話になります。
 ユッカは雲の上の天気を作る鍛冶場で働いています。

 ここでの二人の会話がこのマンガの言いたいことで、この会話を通してリッキーの考え方に少しずつ幅ができていくのです。「早くおとなに なりたいと 思うけど いいかげんに なるのは イヤだし」「ずっと このままで いたいと思ったり」と言うリッキーに、ユッカは笑いながら答えます。「完璧な おとなや 永遠の こどもなんて いるもんか!」と。
 ママについては「キミ達 男同士(リッキーとパパ)が 仲良くすれば するほど 女のママは さみしいことも あるのさ」「女はいくつに なっても チヤホヤして もらいたい もんなのさ」と言います。
 雲の上から自分の家を見ると、台所でママが本物のマッシュ・ポテトを作っています。「ママは キミとパパのことを ちゃんと思っているのさ」と、ユッカは言います。リッキーはユッカに「今日だけは 雨に しないでよー!」と、お願いして、午后の三時までは雨を降らせないことにしてもらいます。

 日曜の朝、まだ眠っているリッキーに「早く起きないと おいてっちゃうぞー」とパパが声を掛けます。外はいい天気です。
 朝食の席で、ママに弁当のバスケットを渡され、少し考えてから「ママも いっしょに 行こーよ!」とリッキーは誘います。「でも…」とためらうママに言います。「進水式には シャンペンを 割ってくれる ご婦人って 必要なんだ!」

 進水式を終えて、うれしそうにパパに寄り添うママを見てリッキーは心の中でつぶやきます。「ユッカ ありがとう……」

 男の子の成長物語です。この後で、リッキーはマリィ・ルーに優しくできるのでしょうか、気になるところです。
 季節は違いますが、このマンガを読み終えたときに思い浮かんだのは、イギリスの詩人ブラウニングの "春の朝(あした)" でした。特に、あの最後の一節、「すべて世は事も無し(All's right with the world!)」を思ったのでした。

 この本のカヴァー絵は雲に乗ったリッキーとマリィ・ルーそれに犬のクラ・ビス、それを遠くの雲の上から手を振って見ているユッカです。実際の物語ではリッキーとユッカだけしか雲の上ではでてきませんが。


 書名『地球の午后三時』
 出版社 朝日ソノラマ サンコミックス 713・ストロベリー・シリーズ
 昭和57年11月26日初版発行

2011年8月11日木曜日

筒井百々子の『たんぽぽクレーター』

 プチフラワーに連載されたマンガで、のちに小学館から単行本二冊で出ています。
 各パートごとにサブタイトルがあり、単行本の目次には、いつの出来事かが示されています。以下、単行本をもとに書いていきます。

 双子の兄弟ダグとレミイは、12歳の夏に、原子炉を積んだ衛星の落下事故に巻き込まれ、ダグは被曝してしまいます。このままでは秋を越せないと知って、父親は月にある WHO の病院にも電話をするのですが、どうしようもないと言われてしまいます。
 そこに助け船が現れます。たんぽぽクレーターにある病院の院長は、この病院でなら、治療方法が見つかるまで、コールド・スリープで眠らせておけるというのです。
 レミイは院長に言います、「ダグが 月で死んだら 許さない」と。

 PART2 からが月面のたんぽぽクレーターでの話になります。

 たんぽぽクレーターとは、民間の月面総合医療都市で小児医療を行っています。まもなく18歳になるジョイは、18になったら医師国家試験を受けることになっています。受かるだけの実力はとっくにあるのですが、院長の方針で18まで待たされています。奥さんをアメリカに残して月にきているデイバイン医師と、ジョイから見るといろいろとわけのわからないところの多いマックギルベリー院長が副主人公です。

 患者の小さな女の子・ジルを誘拐しようと入り込んだ男・パチョーレクは院長に取り押さえられます。院長の右手は義手でした。パチョーレクは、護送の途中で下記のような騒ぎのどさくさで逃げ出して、月にとどまり、さまざまの場面に味方として登場します。
 ハローウィンの夜に地球との連絡が取れなくなります。傍受した地球の放送から、以前から寒冷化していた地球は、中緯度地方までが氷河に覆われたことがわかります。それを聴いて多くの職員は持ち場を離れ地球へ帰ろうとします。
 その混乱の中で夢遊病のジルは、壊れていたエレベーターの穴に落ちて死んでしまいます。そこにジルの父親が現れます。彼は「地球は 環境破壊と 大気汚染で 寒冷化していた(中略)6月の各国の 宇宙兵器実験は 致命傷でした」と説明します。1巻123ページの「季節は 大切な 地球の娘 冷たくなった少女 帰らない夏」は印象的です。

 暴徒に襲われ、地下に避難するジョイたち、その中でジョイはコールド・スリープ中のダグを見つけます。
 発電所の故障で病院中が停電してしまいます。眠っているダグの装置はどうなってしまうのか? と気遣うジョイで、1巻は終わります。

 ジョイの働きで、何とか間に合わせの発電機で電力は供給できました。そして、ジョイは、二度とダグのところには来ないことにします。
 捨てられた太陽発電車を見つけて、それをばらして新しい発電車を作ろうとするジョイですが…、修理班の人からたんぽぽクレーターが年内に閉鎖されることを知らされます。
 その頃院長はデイバインに「患者の亡命や 引き渡し拒否(中略)職権濫用の ワンマン院長」として「月面での 医療活動禁止 追放」となったことを伝えます。たんぽぽクレーターは、患者の引っ越しのためにクリスマスイブまでは存続されます。
 閉鎖のことを確かめようと、ジョイは院長のもとに急ぎますが、途中で倒れてしまいます。急性白血病でした。スクラップ置き場から、危険レベルの放射性廃棄物が見つかります。

 それでもダグのことを心配するジョイは、クリスマスイブまではたんぽぽクレーターに残ることにします。さまざまのことがあり、院長は月から追放、アメリカに帰るはずだったデイバインは妻が死んだことを知らされ、診療所に規模を縮小してのたんぽぽクレーターに残り、ダグを守ることにします。
 クリスマスイブに、デイバインは車いすでジョイを外に連れ出し、ジョイが作っていた発電車を見せます。それを見て喜ぶジョイ。ベッドに戻ってジョイに小さな紙袋を渡します。袋の中には小さなスイッチが入っています。そのスイッチを入れると、窓の外に発電車からの電気を取り入れて、大きなツリーに灯りが点ります。

 以上が PART9 までです。PART10から12は、それから3年半後の話になります。

 たんぽぽクレーターからの子どもたちは同じ夢を見ます。男の子と夏の夢です。その謎を解こうとするうちに、クリスマスイブにジョイが亡くなったことを知ります。謎の答えを捜すとしたらまずあそこだと、たんぽぽクレーターに向かう子どもたち。
 一方、放射線障害の特効薬「黒」を完成させた院長は、ラグランジェポイントのコロニーにレミイを訪ね、そのことを伝え、月にくるように言います。
 月に密入国した院長ですが、宇宙空港で原子力船の墜落に巻き込まれます。気がつくと心配そうに見ているレミイがいます。院長はダグの分の「黒」をレミイに託して、けが人の手当に駆けつけます。

 子どもたちは夢に登場した男の子がダグだったことを知ります。
 何とかたんぽぽクレーターにたどり着いたレミイは、「黒」を投与された小さなダグの手を取って眠ります。
 ダグが目覚めたら地球に帰るはずだったデイバインは、診療所を続けることになります。
 デイバインは院長に「信じますか? あの子たちが ダグの夢を見たこと」と言うと院長は答えます。「子どもは どんな夢だって 見るものだよ(中略)地球に 夏を呼ぶものがいるなら あのたんぽぽクレーターの 子どもたちかもしれない」と。

 作者はいろんなSFや小説からこのストーリーのヒントを得ているようです。
 1巻18ページと2巻238ページには「星の王子様」の挿絵も登場しています。それがまた実にいいところにです。


 書名『たんぽぽクレーター』1巻 (PART1 から PART5 まで)
 発行所 小学館 PFC-491
 昭和59年10月20日 初版第1刷発行

 書名『たんぽぽクレーター』2巻 (PART6 から PART12 まで)
 発行所 小学館 PFC-492
 昭和60年3月20日 初版第1刷発行


 東日本大震災から5ヶ月です。死者・行方不明者が2万500人と最初の頃より少なくはなっていますが。
 余震でしょうか、いま22時32分ですが、揺れています。