2018年3月11日日曜日

地震から七年


 今年も3.11になります。あの日から七年です。海岸には慰霊碑などがありますが、仙台の街の中は地震のあったことを思わせるものは捜さなければありません。
 今日の仙台は春の日差しが降り注ぎ、あの日と違って春なのだなあという一日です。

 先日の発表では、福島原発の凍土壁は一定の効果はあるものの、予想よりその効果はかなり小さいようです。廃炉作業の準備も予定通りには進んでないようですし。四十年から五十年はかかるという作業は、果たして終わりがくるのでしょうか。
 また、双葉町や大熊町はどうなるのでしょうか。自治体としてやっていけるのでしょうか。浪江町と富岡町は人口の三パーセント前後しか戻ってきていないとのことです。

 一週間前のTVで河川津波のことをやっていました。確かに海の見えない十キロ以上も河口から離れたところに津波が押し寄せるとは誰も思っていなかったことでしょう。これが予想されている東南海地震への教訓になれば、命を落とされた方々も浮かばれるのでしょうか。

 避難している人は七万人以上いて、福島県だけで六割以上とか。まだ仮設住宅に住んでいる方も多いとのことです。災害公営住宅の建設もまだのところがあるようです。被災面積に大きな違いがあり、阪神淡路の時と比べてはいけないのでしょうが、遅すぎるのではないでしょうか。阪神淡路では、津波の被害がなかったためにすぐに復旧できたとのことです。津波のことを考えると、色々と大変なことはわかりますが。
 七年ということは、被災者は七つ年をとるということなのです、あと三年で十、年をとるのかと考えると……。

 被災地での、小さくて地震を覚えていないはずの、または震災後に生まれた子供の行動に異常が見られるとの話には考えさせられます。被災した人たちの震災後の不安やいらだちの影響とのことですが、この子達の将来は、と思うと……。
 ハード面での復旧・復興は時間と金さえあれば何とかなるのでしょうが、心の問題はそうではないので、時間がかかるのでしょう。

 あれこれととりとめなく書いてきましたが、七年が、まだなのかもうなのかわかりません。


 震災の二年後に出版されたマンガ、『3.11 あの日を忘れない』1~5巻をずっと積ん読の状態でした。あの日から七年が過ぎた今、ようやく読んでみようと考えています。

2018年2月12日月曜日

東屋めめの『すいーとるーむ?』


 東屋めめを知ったのは『リコーダーとランドセル』の第三巻が本屋に平積みになっているのを見た時でした。面白いのかなぁと、まず第一巻を買ってみました。翌日には三巻までを買っていました。
 他にはないのかなぁと捜して目に付いたのが表題の『すいーとるーむ?』とデビュー作の『ご契約ください!』です。とりあえず『すいーとるーむ?』の第一巻を買い、ちょっとしてから五巻までを買いました。この時にはまだ最終の六巻は出ていません。もちろん、『ご契約ください!』も買いましたけど。

 一回、(原則)八ページで四齣マンガが15本載っています。四齣マンガですのでストーリーはありません。一回15本でのつながりはありますが。
 OL のゆかりさんが主役で、部長、主任、中途採用の後輩の男子(永井君)、部署の違う女子(美好さん)、そして以前勤めていて独立した女性(塩田さん)が登場人物です。一巻から四巻46ページまではセールス三人娘が登場します。四巻31ページから秋律子というアルバイトの女の子が出てきます。

 タイトルの「すいーとるーむ」が何を意味しているかは最初の四齣でわかります。新人の永井君が「おはようございます」とドアを開けるとパジャマ姿のゆかりさんが。終電を逃したのかと訊いてみると、「ここに住んでるの」との返事。生活用品一式が置いてあります。最初は通勤していたのが「毎日帰るの時間のムダ」と会社に棲みついてしまったのです。そして一巻50ページでは、会社の住所に住民登録をしていることまで出てきます。
 一巻26ページにセールス三人娘が出てきて、以後ときどき登場して、永井君が振り回されます。なにしろ売っているのが、家だったり宝石だったり絵画だったりするのです。そしていつの間にか契約をしている永井君。さすがに家とか宝石は買っていませんが。同巻36ページには塩田さんが登場します。これから先、永井君を巡りゆかりさんとのバトル(?)がしばしばあります。と云ってももちろん、男女関係ではありません。
 四巻31ページから登場する秋さんなのですが、なかなかに面白いキャラクターです。永井君には目もくれず、ひたすらゆかりさんに纏わり付くのです。しかも永井君を敵視しています。この三人の三角関係(?)は五巻にも続いていきます。
 ここまではまとめて読みました。2012年の二月のことです。最後の六巻はこの一年後に出ています。
 六巻には永井君が前の会社を辞めることになった先輩社員の吉川さんが出てきます。永井君が吉川さんに「好きです!」、「ごめんね無理」と振られ、「わかりましたここ辞めます!」が一齣で描かれています。前の会社では「退職理由に失恋」と書いて伝説となり、賭の対象にまでなっているのです。
 この巻の81ページには関心を少し永井君に向ける秋さんが描かれています。89ページには悩みをゆかりさんに相談する秋さん、93ページには転職した秋さんが描かれています。そして94ページには塩田さんと一緒に現れる秋さん。正社員としての転職先が塩田さんの会社で、天敵が二人になってうろたえる永井君。
 六巻の帯には「ゆかりさんいっちゃうの!?」「永井君の恋の行方は!?」とあります。最後の二話のお話はここではしません。
 この巻は35ページ以降は、六ページ11話が原則になっています。

 このマンガの面白さはその設定にあります。これまでにも四齣マンガで OL を扱ったものはたくさんありますが、通勤が面倒で会社に棲みつくというのはありません。究極の職住近接の勤務形態と云っていいでしょう。なにしろ通勤時間がゼロなのですから。もっとも遅刻しないかといえば、時計代わりの永井君が出張した時とかその他がありますが。
 仕事以外では、会社から五分の距離しか動かないというゆかりさんが主役で六巻も描くというのはたいしたものです。

 作者の描く OL マンガは設定がどこかとんでいます。このマンガにしても、『ご契約ください!』にしても、決してあり得ないはずなのに面白いのです。それは『秘書の仕事じゃありません』の秘書にも言えることですが。
 カヴァーのゆかりさんの顔が、巻を追うごとに険が無くなってかわいらしくなっていくのも面白いなぁと思います。

 三巻45ページだけが美好さんが三好さんになっています。


 書名『すいーとるーむ?』
 出版社 芳文社 MANGA TIME COMICS
 2008年1月23日第1刷発行 1巻 手元のものは 2010年5月15日第4刷
 2008年12月21日第1刷発行 2巻
 2009年12月22日第1刷発行 3巻
 2010年10月22日第1刷発行 4巻
 2011年10月22日第1刷発行 5巻
 2013年3月22日第1刷発行 6巻

2017年11月3日金曜日

北原文野の『夢の果て』


 作者のPシリーズの最初がこの『夢の果て』の「ひとりトランプ」です。『夢の果て』は全六巻のシリーズです。わたしが初めて見たPシリーズは「WINGS」を見ていませんでしたので、「プチフラワー」の『L6 外を夢みて』でした。

 Pとは 地上が放射能で汚染され、人間が地下都市に逃れて生きる未来の地球…。超能力者は、混乱させる者 (Perplexer) 略してPと呼ばれ、恐れられていた…。
 これは二ページの最初にある説明です。

 各巻に副題がついています。前半三巻と後半三巻では少し構成が違っています。後半は副題と構成が一対一に対応していますが、前半は副題よりかなり細かい構成になっています。

 超能力者を恐れ迫害する普通の人間と超能力者のことを描いたマンガです。戦いというよりは一方的な迫害と、それから逃れようとする超能力者と云ったところでしょうか。戦いは六巻だけでしょう。
 始まりは自分の子供スロウがPと知って苦悩する母親です。小さな弟サモスに暗示をかけて捨てて、母親はスロウを殺して自殺しようとするのですが、スロウは命を取り留めます。以下、スロウと彼を巡る人たちの話です。サモスがPなのは一巻の200ページでわかります。
 六巻の半ばから、Pと人間の戦いが始まります。終わりは、放射線の少ない地上で生活する超能力者達です。でもそこにはスロウはいません。サモスはスロウと二年半を過ごしたトゥリオに兄のことを聞くところで話は終わります。

 長い話の中で印象に残っている場面を少し書いてみます。
 三巻69ページの、警部の娘で大人になってからPになったヘレンのいまわの際の言葉、
 「生まれた時から"P"の人もいれば あたしみたいに途中から"P"になる人もいる…… それをどうして人間とPと分けられるっていうの……?」
 このマンガでは生まれながらのPもいれば後天的にPになる人間のいることで話が複雑になっています。

 四巻96ページにゲオルグIII世が出てきて、亡くなったゲオルグI世の葬儀を執り行っています。III世は非常に重要な人物です。五巻3ページに祖母が登場します。ゲオルグI世の妻で、透視のできるPです。
 同じ巻の179ページにはクァナが登場します。名前が出てくるのは193ページです。同じ作者の『クァナの宴』の主役です。III世の甥です。

 五巻76ページには「お母さんは どんな子でもいとしく思っているんだよ……」と助けたPの子供に言って、はっとするスロウです。悩んだ末に無理心中をしようとしたのでは、との母の思いに気づくのです。

 六巻131ページにはゲオルグIII世がPであることが描かれています。テレポートで姿が消えます。134ページ以下で、彼が高い能力の超能力者であることがわかります。
 147ページでスロウからなぜPを狩り、Pを利用するのかと訊かれ「わたしは頂上に立つのが好きでね……」と答えるIII世です。

 SFではよくある普通の人間と超能力者の戦いがテーマなのですが、それが最後にひっくり返るとは……と云ったところでしょうか。
 ゲオルグIII世がPなのが明らかになるところまでは、Pと人間との戦いかなと思わせておいて、実はそうではなかったという。祖母がPなのは五巻の最初に出てくるのですが、そこからIII世もPだと分かれというのは無理でしょう。
 自分が支配者の頂点に立ち、すべてを自分のものにするという野望を抱くIII世です。人間もPも嫌いだというIII世に、「それでは(中略)ずっとひとりで生きていかなくちゃならない」と言うスロウに激高するIII世です。 
 その後に、III世の口から自身が親から引き離され、妹のイリィと二人で生きていくことを強いられたことが語られています。

 甥のクァナについては、『クァナの宴』で作者は様々なことを描いています。この物語が途中で終わってしまったのは残念です。
 III世の行動は決して肯定されるものではないでしょうが、そこに至る心の動き、幼少期の暮らし、そういったものがあれば読んでみたいと思ったものです。愛してくれるもの、愛するものすべてを失ったというIII世の心情を知りたいものです。
 頂点に立とうとするIII世ですが、再建される新都市で彼の野望は達成されるのでしょうか? Pが生まれつきのものなら子供のうちに洗脳は可能でしょうが、ある日突然Pになる大人がいるとしたなら、超能力を隠し、磨いて、III世に叛旗を翻すものも出そうです。III世ならそのへんも考えているでしょうが。

 タイトルの“夢”というのはPの見る争いのない世界なのでしょうか。ゲオルグIII世の夢なら怖いなぁと。


 書名 『夢の果て』 1~6巻
 出版社 新書館 WINGS COMICS
 1986年3月5日初版発行 第1巻
 ……
 1991年6月10日初版発行 第6巻

 第4巻から消費税3%がかかっています。

2017年9月22日金曜日

松本和代の『フレンズ』


 だいぶ前にこの作者の『もな子…しゃべり勝ち!』を取り上げました。今回は最初の単行本の表題作を取り上げます。カヴァーを見る限りはギャグマンガです。それは間違ってはいません。けれども見方を変えるとけっこうシリアスな展開もあったりします。

 女子高に通う女の子二人と、男子校に通う男の子二人が主役です。
 舞台になっている街はダイエーはあり、マクドナルドもあり、通学には電車を使うようなところです。59ページにチバ県立東高校とありますから、千葉県が舞台なのでしょうが、東京の通勤圏ではないようです。
 インターネットで千葉県立東高校を調べると、千葉県立千葉東高校がヒットして、千葉市にありました。40年近く前の千葉市はこんなにものんびりしてたのでしょうか。

 楠本美之(みゆき)と横瀬香織の二人の女子高生が角井哲明君と桃田岩男君の二人の男子高生と出会い、付き合いを始めるというと、身も蓋もなくなりますが、これが面白いのです。
 美之と角井の出会いはダイエーの地下の食品売り場です。横瀬はお好み焼きを、美之は焼きそばを買うことにして、焼きそば大盛りでと頼むのですが、いつものおじさんではなくアルバイトの若い人がいます。それが気になって次の日、一人でまた行くと、バイトに「今日も大盛りですか」と言われて逃げ出す美之です。三日目に横瀬と行ってみるともうバイトはいません。縁がなかったとあきらめます。
 同級生の真矢から聞いた喫茶店で二人は、男同士で喫茶店に来ているバイトの男の子に出会います。東高校生で角井と桃田という名前です。三十分ほど話して別れます。東高校の校門前で待ち伏せをする二人ですが、40分ほど立っていてあきらめて、肉まんあんまんを買って公園で食べているところに角井と桃田が現れます。まんじゅうを食べながらの話がしばしあって、日曜日に四人でデートになります。デートの場所はなんとラーメン屋です。そのデートもうまくいきますが……。
 美之は角井と真矢が親しくしているのを何度か目撃します。それを見てもやもやする美之。真矢が角井の従妹と知るまでの80ページ近くは面白く読めます。と云ってもほんの二、三日しか経っていませんが。204ページの美之と真矢の顔の対比には笑ってしまいます。笑いを堪えられない美之とぶすっとした真矢と。
 最後の三ページがなかなかに面白いものです。角井に付き合って欲しいといわれ、顔を赤くする美之、最後のページは大きな一齣で、樹の下で赤い顔をして「あの…あの…」と言う角井と、赤い顔の美之で終わっています。

 この終わり方がいいなぁと思ったものです。ここから先は描かなくてもわかるでしょと云うところが初々しい二人をうまくあらわしているなぁと。
 カヴァー袖には食欲増進オトメチックまんが!とあります。確かに食べている場面は多いです。そもそもの出会いからして焼きそば大盛りですから。高校の場面も昼休みが多いし。美味しそうに昼食のシーンもかなりあります。
 このマンガのタイトルもよく考えられていると思います。友達同士として美之と横瀬、角井と桃田が出てきて、四人が友達になって、美之と角井、横瀬と桃田が付き合ってと、関係がわかりやすくなっています。


 書名『フレンズ』
 出版社 集英社 MARGARET COMICS MC 512
 1980年9月30日 第1刷発行 手元のは1981年1月30日 第3刷です

2017年8月31日木曜日

こうの史代の『夕凪の街 桜の国』


 昨年末から今年(2016年~2017年)にかけて『この世界の片隅に』が劇場アニメ化され評判になった作者ですが、ここで取り上げるのはもう少し古いマンガです。腰巻にはみなもと太郎のベタ褒めの推薦文があります。

 『夕凪の街』は昭和30年(1955年)の広島の原爆スラムが、『桜の国(一)』は、昭和62年(1987年)の東京都中野区が、『桜の国(二)』は平成16年(2004年)の西東京(田無)市と広島が舞台です。
 あらすじは、『夕凪の街 桜の国』で調べると wikipedia にかなり詳しく載っています。そこに、『夕凪の街』の最終ページの次に空白のページがありますが、それについての説明もあります。その次のページには、髪を梳いている母親とうれしそうにしている子供の絵があります。母親のフジミと娘の皆実なのでしょうか。

 それでは、印象に残る場面を少し。
 まず『夕凪の街』について。皆実の14ページのフラッシュバックと、15, 16ページの銭湯でのシーンです。「ええヨメさんなるな」に頬を赧らめる(ように見える)皆実ですがその下の齣は瓦礫から突き出た腕です。いずれの齣も小さいのですが印象的です。銭湯では皆実のあのことについての思いが書かれています。「死ねばいい」と誰かに思われ、それでも生き延びていることについての。
 西平和大橋の袂で皆実は同僚の打越に思いを打ち明けられ、キスされそうになります。その時皆実の脳裏をよぎったのはあの日のことです。打越を突き放し家へ逃げ帰る皆実に思い浮かぶのは、あの日のこと、それに続く日々のことです。「しあわせだと思うたび美しいと思うたび 愛しかった都市のすべてを人のすべてを思い出し すべて失った日に引きずり戻される おまえの住む世界はここではないと誰かの声がする」には、ドキッとさせられます。
 翌日、打越に「うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい 十年前にあったことを話させて下さい」という皆実です。28ページの最後の齣と29ページの初めの齣の間には皆実の話があったのでしょう。「なんか体の力が抜けてしもうた」と言う皆実に、「生きとってくれてありがとうな」と手を絡ませる打越。
 その次の日から家で床についた皆実に会社の人たちが見舞いに来ます。しかし、日に日に弱っていく皆実、目が見えなくなります。32ページの五齣目から33ページは絵がありません、セリフだけです。「十年経ったけど原爆を落とした人はわたしを見て「やった! またひとりころせた」とちゃんとおもうてくれとる?」
 養子に出した弟の旭と伯母が水戸から着いたところで、皆実の思いがあって皆実のお話は終わります。終わりから二齣目に堤防の石段に腰を下ろす打越と、最後の齣は打越にもらったハンカチを持った皆実の左手で終わっています。「このお話はまだ終わりません 何度夕凪が終わっても終わっていません」でこのお話は終わっています。
 たった30ページでこれだけのことが描けるとは驚きしかありません。あの日のことは三ページしか描かれてないのに通奏低音としてすべてに流れています。
 戦争と災害では話が違うといわれるでしょうが、被災者が、私だけが幸せになっていいのかと思うことは多いと聞きます。「うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい」と同じ思いなのでしょう。幸せに生きることが亡くなった方の供養にもなりそうに思えるのですが……。
 皆実が亡くなったのは昭和三十年九月八日です。二十三歳でした。あの日から十年経っています。
 佐々木禎子が亡くなったのは、同年の十月二十五日でした、享年十二歳。「つるのとぶ日」を読んだのはいつ頃だったでしょうか、こちらは実際にあった話ですが。

 つぎに『桜の国(一)』は小学五年生の石川七波のお話です。七波は父の旭、弟の凪生、そして祖母の平野フジミと団地で暮らしています。七波は少年野球のショートをやっていて、野球大好きな女の子です。凪生は喘息で入院しています。団地の向かいの邸宅には七波と同学年の利根東子がいます。四月十日、七波は校庭の桜の花びらを拾い集めて、東子と凪尾の入院している病院に行って花びらを撒き散らして凪生を見舞います。検査で病院に来ていたおばあちゃんには怒られますが。
 そのおばあちゃんが亡くなるのはその夏(昭和六十二年)の八月二十七日のことです、八十歳です。秋には凪生が入院から通院に変わって病院の近くに引っ越します。
 この話はつぎの話の入り口のようで、特にあれこれはいいません。

 『桜の国(二)』は旭と七波、東子が主な登場人物です。凪生ももちろん出てきます、主役ではありませんが。
 退職した旭の様子・行動が変だと気づいた七波はある夜に散歩に出かけると出ていった父の旭の後を付けます。田無駅で17年振りに会いたいと思っていなかった東子に会います。二人で後を付けると、東京駅前から広島行きの夜行バスに乗ります。
 夜行バスでのおばあちゃんの病床シーンの七波の回想は切なくなります。
 広島に着いてからしばらく二人で後を付けます。東子と別れて七波はさらに後を付け墓地に入ります。平野家の墓を見る七波、その三駒前の七波が隠れてみている墓には、あの日とその直後に亡くなった四名の名前が刻まれています。
 70ページの川原の土手に腰を下ろす旭、71ページではそれが昭和30年代初めに変わります。以下、72ページから旭の回想シーンが5ページ半続きます。まだ小学生(たぶん六年生)の太田京花との出会いが描かれています。そして83から84ページには京花を嫁にしたい旭と「知った人が原爆で死ぬんは見とうないよ……」というフジミの言葉があります。
 京花は38歳で血を吐いて倒れ亡くなります。倒れている京花を見つけるのは学校から帰ってきた七波です(直接描かれてはいませんが小学一年生)。93ページの「生まれる前そうあの時わたしはふたりを見ていた」はジーンとくるシーンです。平和大橋の袂の旭と京花は幸せそのものです。
 東子と凪生の二人もうまくいくことでしょう。
 終わりの三ページは帰りの電車での旭と七波です。旭は今年が皆実の五十回忌で、皆実を知っている人たちに会いに行ったことを伝えます。
 最後の齣のセリフは無ければないでも良いように思えるのですが、最後まで暗さを引きずらせないためには必要なのでしょう。

 原爆の怖さはそれを浴びたものに何時影響が現れるかわからないところにもあるのでしょう。皆実の父と妹はおそらく即死に近かったのでしょう、姉は二ヶ月後に、皆実は十年後になくなっています。京花は38年後になくなっていますが、フジミは80歳まで生きています。86ページの七波の思いは当然のことのように思えます。
 子供の頃の思い出の場所は大人になってから訪れると、その小ささに驚くというのはよくあることでしょう。桜が大きくなったせいではないでしょう。


 書名『夕凪の街 桜の国』
 出版社 双葉社
 2004年10月20日第1刷発行 手元にあるのは2004年12月15日第2刷です 

2017年3月31日金曜日

沖倉利津子の『火曜日の条件』


 セッチシリーズの二冊目です。「火曜日の条件」と「金曜日の試合は!?」の二つが入っています。あとはシリーズ外の三作品です。
 では、雑誌掲載順に見ていきましょう。

 まず『金曜日の試合は!?』です。隣の大学生でセッチの家庭教師をしているおにいちゃんの鉄が、きれいな女の人と歩いています。その人は、おにいちゃんのいとこの恵子で、昔、小学一年生のセッチに野球を教えた六年生でした。その頃は男の子と見間違うような女の子だったのが、今はどうみてもお嬢様なのです。
 自分が18になった時にあんな風になれるかと考え込んでしまうセッチです。可愛い女の子になりたいと、野球の試合を断り、母親にはスカートを買ってとねだったりするのですが…。わたしから野球を取ったら何が残るのかと思い悩むセッチ。
 そんなある日、ジーンズ姿の恵子がセッチを尋ねてきて、キャッチボールをしようと言います。キャッチボールをしながらの恵子との会話で色々と考えるセッチです。そして、仲間との5月5日金曜日の試合の練習へと駆けつけるセッチなのです。

 この回のテーマは自分らしいとは何かにあります。女らしくしようと馴れない事をするセッチですが、それはことごとくうまくいきません。「セッチから野球とったらなにが残んだよ?」に一瞬顔色の変わるセッチ。色々と思い悩みながらも、結局、いつものようにやりたい事、野球をする事になるのです。セッチにとっての自分らしい事は野球だったのです。

 つぎに『火曜日の条件』では、一学期の期末試験の前から始まります。試験の二週間前から試験勉強をする者と、それを不思議そうに眺めるセッチから話が始まります。
 優等生の一人染屋からの質問に怒りなぐるセッチ。何故なぐられたか分からない染屋は、柴崎に勉強以外は何も知らないと言われます。
 セッチは「試験試験でサ(中略)自殺する子の気持ちわかるなあ…」と言っておにいちゃんに「あまったれんな!!」と本気の平手打ちを喰らいます。「やってもできない人間の気持ちなんてわかんないんだ!」と言うセッチに、「ほんとうにやったかどうかよーく考えてみろ!!」と言うおにいちゃん。
 二時間かかって数学の証明問題を解いて、お兄ちゃんに見てもらうセッチです。答えは間違っていましたが、「じぶん自身のためにセッチが“やる気”ってものを理解してくれてうれしい」と思う鉄です。
 何とか無事に試験も終わり、通信簿をもらい一学期も終了になります。セッチはそれなりに成績も上がったようです。

 劣等生の悩みと優等生染屋の無神経と云ったところでしょうか。染屋は柴崎に「セッチは(中略)野球やってればしあわせなんだ」と言われ、おまえは?と問われて答えに詰まります。
 海に行くのは全部で七人と鉄で車一台では収まらず、鉄の姉勝三(かつみ)に電話をするセッチ。海に行くのに柴崎は、染屋を誘っています。その火曜日は7月25日でしょう。
 このマンガの見所は、鉄にぶたれてから自分で問題を解こうとするセッチにあるのですが、この二ページは面白いものでした。


 書名『火曜日の条件』
 出版社 集英社 マーガレットコミックス MC 373
 1978年11月20日 第1刷発行  手元のものは1983年1月25日 第13刷です

2017年3月11日土曜日

地震から六年


 あの日から六年経ちます。仏教では七回忌と云うことになります。
 行方不明の方は2,550余名を数えるとのことです。

 外から見れば、復興もだいぶ進んでいると云うことなのでしょうが、当事者にはそう思えないとの思いが強いようです。「インフラは復旧したけれど、復興はまだまだ」と言っていた被災者もいます。また、福島県では原発事故で避難指示が出て、それが解除されこれから故郷に帰れるという人が、「ようやく復興に取りかかれる」とも言っています。
 でも、風評被害は解消されそうにありません。あの日から時間が進んでいないのでしょう。

 TVでは、漁港の復旧は二割強と言っています。復興ではなく、復旧です。
 でも、当事者以外からはもう復興してるのではなどと思われているのでしょう。

 先日、仙台市荒浜と名取市閖上に行ってみました。荒浜にはバスの来なくなったバス停があり、慰霊碑と観音像があります。閖上では、嵩上げ工事が続いています。それを見ていると、まだまだ復興半ばだなぁとの思いが湧いてきました。

 何だかとりとめのないことになってしまいました。お許しください。


 昨年の4月14日と16日には熊本大分地震がありました。日本列島に住む限りは地震からは逃れられないようです。

2017年2月28日火曜日

清原なつのの『なだれのイエス』


 表題作は「花岡ちゃん」シリーズの三作目で最終作です。理屈っぽいところは前二作と同じですが、全体から受ける印象が違います。また、タイトルからも想像が付きますが、これは喜劇です。とはいえ、一人の人物、花岡ちゃんにとっては悲劇として現れます。

 ではマンガを見ていきましょう。
 まず扉絵ですが、これは「ピエタ」のパロディーになっています。花岡ちゃんがマリアに、簑島さんがイエスになっています。全体から受ける印象はどう見ても悲劇の始まりを予感させるものではありません。

 ストーリーについては以下を見ていただければ幸いです。これらを読めば分かるとおり、どう見てもシリアスだろうと思うのは当然なのですが、それでもこれは喜劇なのです。
 pippupgii.blog.so-net.ne.jp/2008-01-20
 wikiwiki.jp/comic-story/ 左のタイトル別一覧から、は~ほを選択し「花岡ちゃんの夏休み」をクリックしてください。この303には「なだれのイエス」までの五作品が載っていますが、ハヤカワコミック文庫にはこの他に二つあります。

 お話が始まって七ページ目で簑島さんが生きていることが読者には分かります。簑島さんから電話を受けた映研部長の遠野は、誰とも連絡を取らないようにと簑島さんに言います。まだ携帯電話のない頃のお話です。
 簑島さんが帰省したことを知らない花岡ちゃんの獅子奮迅の戦いが始まります。詳しくは wikiwiki.jp/comic-story/ の「花岡ちゃんの夏休み」307および308を見ていただければ幸いです。

 以前に読んだときには「花岡ちゃん」シリーズの続編と思っていたし、オチのあるシリアスな話と思っていました。でも、読み返してみると、やっぱり喜劇です。
 唯一シリアスかなと思えるのは、終わりから二ページ目の遠野がみやもり坂で転んだというところでしょうか、

 前二作とは三年の間があいて描かれていますし、ハヤカワコミック文庫では前二作の次ではなく五番目になっています。
 喜劇と割り切って読めば面白いマンガです。
 と云うわけで、前に取り上げた『花岡ちゃんの夏休み』と『早春物語』とは別に書いてみました。


 タイトル『なだれのイエス』
 書名『3丁目のサテンドール』
 出版社 集英社 りぼんマスコットコミックス RMC-219
 1981年12月19日 第1刷発行

 ハヤカワコミック文庫
 『花岡ちゃんの夏休み』
 2006年3月10日 印刷
 2006年3月15日 発行

2017年2月12日日曜日

市川みさこの『ラブ・ミーくん』


 市川みさこと云えば『しあわせさん(オヨネコぶーにゃん)』なのかもしれません。Wikipedia には『オヨネコぶーにゃん』の項目はありますが、「市川みさこ」はありません。ここで取り上げるマンガは、『しあわせさん』より少し後、たぶん平行して書かれたギャグマンガです。

 男の子二人(ラブ♥ミーとムーテ)と牧師さんが毎回の登場人物です。この三人が繰り広げるドタバタマンガです。男の子の名前は最初の話では出てきません、つぎのお話で二人の名前が分かり、マリアちゃんという女の子が登場します。

 最初の「天罰なんか怖くない」では、悪戯をする二人と、それに振りまわされる牧師というマンガを貫く構図が示されています。つぎの「牧師さまとラブレター」では、マリアちゃんに書いたラブレターと、牧師から借りた本を返すために持って出たラブ・ミーが、間違えて牧師にラブレターを渡してしまうと云うお話です。悩む牧師が面白く描かれています。
 「僕のパートナー」では、秋祭りのダンスパーティーに女の子と行くのですが、二人が狙っていたマリアちゃんは風邪でパーティーに行けなくなります。あぶれた二人の考えたのは、女の子の格好のラブ・ミーとムーテのカップルなのです。
 「魔法入門」からの三話は牧師の持っている魔法の本を巡るお話です。「魔法入門」では、魔法の本を持ち出したラブ・ミーが自分の影を使って芝刈りをさせると、影は芝の影だけを刈って、役に立たなかったというオチです。次のお話では魔法の本自身が魔法を使う話で、三話目では、魔法の本が子供達を持ち出してしまいます。手足の生えた魔法の本が両脇に子供を抱え口笛を吹いています。
 「名犬ブルーマウンテン」では、牧師が友人から預かった名犬が登場します。名犬なのですが、牧師が二、三日留守にすることになります。二人に犬を預けて帰ってくると、犬の性格は、子供達にそっくりに変わってしまっています。

 ギャグマンガの難しさは、どのように終わるかにあると思うのですが、このマンガの場合はどうでしょうか。見てみましょう。
 最終話のタイトルは「恐怖のオーメン悪魔ばらい」です。子供達に悪魔が憑いているに違いないと、悪魔払いをする牧師ですが、その様子を見るためたくさんの悪魔が集まってきます。「これが有名なエクソシストか」などと集まってきた悪魔が言っています。
 「悪魔ばらいなのに悪魔をよんでしまった」と自分の修行の足りなさを嘆く牧師。「本物の悪魔になるには… 修行がたりないようだ…」と思う子供達。集まってきた悪魔が何かをしてと云うわけではないようですが。
 「というわけでみんなが修行にでるのでこのまんがは… おしまいです」で終わっています。

 いなくなるのでおしまいは、確かにそうなのでしょうけれど、なんか肩すかしを食らったような気持ちになります。とは云っても代案があるわけでもないのですが。
 それと、子供達が修行にでる理由が分かりません。素直に読むと、悪魔になるための修行にでる、になるのです。それまでは悪魔のような行いを牧師にはしているのですが、悪魔のようだと自分では思っていません、悪戯をしているだけです。それがいきなり悪魔になるというのは無理があるのでは…、と思うのです。
 それでもこのマンガは楽しく読めました。


 書名『ラブミーくん』
 出版社 東京三世社
 出版年 1983年5月10日 初版発行

2017年1月25日水曜日

曽祢まさこの『死霊教室』


 何か禍々しいタイトルのマンガです。ストーリーは以下の通りです。

 中学三年生の藤本広子は、親の期待に添える成績がとれなくて、塾もサボってしまう。そんな広子を父親は叱る、「パパたちが子どものころは戦争で ろくに勉強どころじゃなかった」と。
 その翌日、また塾をサボりひとり街をうろつく広子ですが、家に帰りづらく足はいつの間にか学校へと向かっています。誰もいない教室であれこれ考えているうちにいつしか眠ってしまう広子です。
 ふと目を覚ますともう暗くなっています。そこに先生が来て、授業はもう始まっていると言います。言われた教室に行くと、すでに大勢の人がいます。その人たちを見ていて、広子は違和感を覚えます。知らない人がいる、お父さんのアルバムで見た戦争中の服装をした人がいる。そして気づきます、ここは死人の教室なのだと。
 隣の学生服の高校生が広子に言います。「きみはここにきてはいけない人だよ(中略)コートは方そでだけとおしていくんだ」と。そっと抜け出す広子ですが、教室を出るときにくしゃみをしてしまい、みんなに気づかれます。死人に襲われる広子、コートに群がりそれを引き裂いている間に逃げ出す広子、ところが廊下の先のドアには鍵がかかっています。襲いかかる死人たち、もうダメかと思われたその時、死人たちは消えていきます。一番鶏の鳴き声を聞いたように広子は思います。
 学生服の男は、広子が子どものころいじめっ子からかばってくれた、五つ六つ年上の男の子だったことを思い出します。
 広子は自分にあった高校を自分で選ぶことにして、勉強をするようになります。

 以前に読んだときはなかなか面白い話と思っていました。なんのために勉強するのか悩む女の子しか見ていなかったのでしょう。結末も上手くまとまっているし、さすがだなあと。

 けれど、読み返してみてちょっと、と考えたことがあります。
 父親の「子どものころは戦争で勉強どころじゃなかった」が、伏線になって死人の教室に繋がるのですが、ここに引っかかりました。
 勉学半ばで戦禍で亡くなった人たちは、広子を羨ましがることはあっても、恨むことはないのでは、と思ったからです。確かに恨まないことにはストーリーが成り立たないのはわかるのです。ですが、志半ばで死んでいった人たちを、このようなところに引っ張り出していいのかと考えたのです。
 このマンガが描かれたのは戦後30年です。わたしが読んだのはその五年あとです。意識して読み返したのは去年2016年です。この35年でわたしも変わったのでしょうか……。


 タイトル『死霊教室』
 書名『海にしずんだ伝説』
 出版社 講談社 KCなかよし KCN250
 出版年 昭和51年9月5日第1刷発行 手元のものは昭和56年6月19日第17刷です。

2016年12月5日月曜日

清原なつのの『花岡ちゃんの夏休み』


 以前に清原なつのを取り上げた時に、「タイムトラベル」シリーズと「花図鑑」シリーズに惹かれたと書きましたが、今回取り上げるのは私が作者に惹かれたきっかけになったマンガです。

 ネットを見ると書評がたくさんありすぎて困ってしまいます。面白いマンガなのですがその面白さが、拙い文章で伝わるものなのか悩みます。
 『花岡ちゃんの夏休み』には、五つの短編が入っていて、表題作と、次の『早春物語』が続き物です。カヴァー袖の作品かいせつによるとこの間が七ヶ月あり、途中にもうひとつの作品が入っています。

 以下のホームページにあらすじがあります。
 ストーリーを教えてもらうスレ まとめ Wiki* (http://wikiwiki.jp/comic-story/?%B2%D6%B2%AC%A4%C1%A4%E3%A4%F3%A4%CE%B2%C6%B5%D9%A4%DF) 
 また以下にも興味深いことが書いてあります。http://meganekkokyodan.org/iincho/この眼鏡っ娘マンガがすごい!/この眼鏡っ娘マンガがすごい!第92回:清原なつの/
 
 では、作品を見ていくことにしましょう。

 まず表題作『花岡ちゃんの夏休み』から。花岡数子と簑島さんの物語です。いちおう恋物語なのかもしれませんが、ちょっと変わっています。
 簑島さんは大学三回生、花岡ちゃんは何年生なのかは直接は描いてありませんが、一回生か二回生です。話の中でお見合いをする場面があります。金沢が舞台のお話なのですが、40年前には二十歳前のお見合いは普通だったのでしょうか。
 ストーリーについてはここではあまり触れません。本屋で一冊の本(ロバートブラウン物語)を花岡ちゃんと簑島さんが取り合うところから始まります。喫茶店で二人は百本の線を引いたあみだくじで本の決着を付けます。その喫茶店の壁に貼ってあるメニュー(?)はかなりこまかくて読むのに苦労するのですが、面白いものです。そして本を手に入れた花岡ちゃんが「ばいばーい」と去っていく壁には「おみやげコーヒー」の貼り紙が。これにはクスリとさせられます。

 なんだかんだがあって、毎日公園に出かけて簑島さんと話をする花岡ちゃんです。しかしまわりからきこえる簑島さんについての話は以下のようです。「天才級の IQ、ありあまる才能、総ハゲといううわさ、吸血鬼だとも言われている」などです。「吸血鬼はかまわないけど、ハゲだけは」と花岡ちゃん。
 お見合いの席で、「ちょっと御不浄へ」と云って抜け出し、いつもの公園に行く花岡ちゃん。できあがった童話を読み聞かせる簑島さん。その時強風が吹いてきて、簑島さんの帽子が飛び、カツラが飛び、簑島さんのツルっパゲが顕わになり、「さようなら」と帰ってしまう花岡ちゃん。
 親友の美登利から「簑島さんのどこにひかれたのか…」考えろと云われます。
 次の日、公園に行き「きのうのつづき……」と云う花岡ちゃん。

 こうして書いてみると、一体何に惹かれたのかなぁと思います。きっと花岡ちゃんの悩み苦しむところに共感したのだと思います。読み返してみると、今は花岡ちゃんの悩みよりも、ストーリーの喜劇的なところに惹かれます。
 若い頃に読んだ倉橋由美子の初期の小説ほどではありませんが、ある種の観念をマンガにしたのかなあとも思えます。

 つぎに『早春物語』です。つきあい始めた花岡ちゃんと簑島さんですが、そこに美人で才女の笹川華子さんが登場します。笹川さんは花岡ちゃん同学年なのですが、考え方はどう見ても大人です。笹川さんは簑島さんとつきあおうとするのですが、振られてしまいます。「いつもきれいな笹川華子さん どうせわき役ふられ役」と一人やけ酒の華子さん。
 花岡ちゃんが簑島さんの胸に飛び込んでお話は終わります。

 八重子おばさんの花岡ちゃんの部屋でのシーンで、背景の本棚の本にはしっかりと「ロバートブラウン物語」があります。つぎのページには「花岡ちゃんの……」のタイトルの本が三冊あります。70ページの二齣目の貼り紙には BBT, TNT, EDTA, EBT とありますが、最初の BBT は BT ではないのかなぁなどと余計なことを。でもそれなら EBT と同じだしなぁとも。
 手元の本は第4刷なので、78ページの下から二番目の齣の「ボクガイルジャナイ」は、ありました。ハヤカワコミック文庫にはありません。以下にこのセリフが消えたことについて色々あります。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1986&id=6710508
 最後の齣に「GOOD BYE HANAOKA CHAN」とあります。これで終わらせるつもりだったのでしょう。しかし三年後の『なだれのイエス』で本当に終わりになっています。

 当然と云えば当然なのですが、ハヤカワコミック文庫の後書きマンガとは絵の余りの違いに時の流れを感じたり……。

 この二つのマンガを今初めて読んだとしたなら、あの頃と同じように面白いと思えるのかはわかりません。それでも、どこかに引っかかるものがあるのだと思います。

 書名『花岡ちゃんの夏休み』
 出版社 集英社 りぼんマスコットコミックス RMC-140
 1979年1月10日 第1刷発行 手元のものは1979年7月15日の第4刷です

 ハヤカワコミック文庫
 『花岡ちゃんの夏休み』
 2006年3月10日 印刷
 2006年3月15日 発行


 今日から7年目になります。この一年は7月に書いてから四ヶ月も放置してしまい、もっとコンスタントに書けたらなぁと思っています。
 細々とではございますが、もう少し続けようと考えております。 

2016年7月31日日曜日

川崎苑子の『タンポポとりでにあつまれ』


 小学六年生になる春休みに、パパの海外勤務で母方の田舎に預けられる事になったマキのお話です。初めてやってきたママの実家での、従兄弟達とのあれこれ、薔薇を作っている祖父とのことなどがあります。そんなある日、パパがやってきて、マキを抱きしめてくれます。ママはマキを産んでなくなっています。
 と、纏めると身も蓋もなくなってしまいます。タイトルの「タンポポとりで」はどこにとなってしまいますので、少し詳しく見ていきましょう。

 お話は田舎で従兄弟達がマキを待っているところから始まります。バラ作りをしているおじいさんはマキを抱きしめます。マキを歓迎する従兄弟達ですが、一人田舎に追いやられたマキにはそれすらもうっとうしく感じられます。
 マキと従兄弟達との諍いがしばらく続きます。

 タンポポの野原の中にある大きな木の上の秘密の小屋にようやくマキは気づきます。もちろん従兄弟達が作ったものです。従兄弟達がサイクリングに出かけた時を狙ってマキは秘密の小屋の偵察をします。小屋の中でついうとうとしていると、激しい風に目を覚まさせられます。ロープで何とか小屋を木に縛り付けるマキですが、最後に足を滑らせ、タンポポの中に落ちて気を失います。気がつくと心配そうに取り囲んでいる従兄弟達。「ぶじだったよ とりで」と言われます。それからは従兄弟達とも仲良くなります。

 マキの自転車の練習や、恋のさや当てなどがありますが、マキは田舎の暮らしになじんでいきます。
 そんなある日、マキは偶然パパからの航空便を見つけます。ここで第一巻は終わっています。

 手紙の束を持っておばさんのところに行くマキですが、おばさんに手紙の宛名を見るように言われます。宛名は全部おばさん宛です。
 以下の12ページで多くのことが明らかになります。おばさんはおじいさんに内緒でパパとマキについての手紙のやり取りをしていたこと、おじいさんはパパがマキに手紙を出さないことを条件にマキを受けいれたこと、ママは一人寂しくマキを産んでなくなったこと(これは事実とは少し違うことが後に分かります)、そして今はパパが重い病気で入院していることなどです。
 一人ででもアメリカに行きたいと思うマキですが、そこに電話がかかってきます、パパが完全に持ち直したとの国際電話です。

 従兄弟達の中で一番年嵩の隆史のエピソードを挟んで、「タンポポとりで」のお話が30ページ余りに渡って描かれています。近くにできた団地の子供達との秘密の小屋(タンポポとりで)を巡る攻防があり、そのことが大人達に知られて、小屋ののっかている木を切り倒されそうになります。木を切り倒そうとしている時に、大勢の子供達が押しかけてとりでを壊さないようにと頼みます。土地の持ち主のおじいさんは子供の頃のことを思い出し、木を切るのをやめます。

 おじいさんは白バラ作りに励んでいます。温室に入ったことをとがめられ、おじいさんとケンカするマキですが、おじいさんが白バラに自分の母親の名前で呼びかけるのを聞いてしまいます。そのすぐ後で、温室の屋根を従兄弟の蹴ったサッカーボールが壊します。
 次の日、おじいさんはバラ展の打ち合わせで町に出かけます。その夜、眠っていたマキは雨音で目を覚まします。白バラは雨に弱いとおじいさんから聞かされていたマキは、傘とビニールを持って温室の屋根に登ります。おじいさんが帰ってきて、そんなマキを見つけて叫びます。「(バラよりも)おまえのほうがずっとだいじだ!」
 朝、バラを見に行くと、風雨にさらされたのにきれいな白い花を咲かせています。「この花はもろくない おまえもそうだったのか?」と、亡き娘に思いを馳せるおじいさん。
 バラ展で白バラは特別賞を取ります。その喜びの中でおじいさんは倒れてしまいます。バラ展に来ていた医者が自分の病院におじいさんを運び込みます。その病室はマキの母が亡くなった部屋で、医者はマキを取り上げた医者でした。医者から話を聞き、ママが幸せだったことを知るマキです。

 ある雨の日、家では親戚が集まって何か忙しそうです。でもマキはなぜかわけを知らされません。雨が上がり、とりでにボタンを取りに行った帰り、マキは思いがけない人に出くわします。おじいさんに呼ばれて田舎にやってきたパパです。
 「はしりだしたマキ(中略) たんぽぽの季節にやってきた女の子の声がこだまする」でマンガは終わります。

 笑いあり、涙ありと少女マンガの王道を行くマンガです。読んでいて飽きません、面白いのですが、うまく言えませんが、この作者ならもう少しストーリーを作れなかったかなあと思うのです。不満の一つが、タイトルにあると思えるのです。もちろん、最初にとりでを作り、そこを遊びの拠点にしていたのはわかります。しかしその後の、タンポポとりでを巡る大人と子供の対立は一つのエピソードとしか思えないのです。お話の底流は、マキとパパと亡くなったママ、そしておじいさんにあるのですが、タイトルからはそのことには思いあたりません。ではどうすればと言われると代案もないのですが。
 バラ展に来ていた医者は一体何が看板の医者なのでしょうか、産婦人科であっても緊急だからとおじいさんを受けいれたのでしょうか。
 
 このマンガからすでに40年以上の時が流れています。だからといって50歳を過ぎたマキにあって見たいかと云われると……。
 このマンガが描かれた頃の年表を見ると、1973年の第一次オイルショックに始まる大変な時代だったんだなぁと。でもこのマンガはそんな暗さは感じさせません。


 書名『タンポポとりでにあつまれ』
   一巻二巻とも副題が付いています。
   一巻 マキの初恋の巻  二巻 バラ展はてんやわんやの巻
 出版社 発行所 創美社 MARGARET RAINBOW COMICS 
     発売元 集英社
 発行年 一巻1976年11月25日初版発行  二巻1977年1月15日初版発行

2016年6月30日木曜日

山田ミネコの『最終戦争』シリーズから「誕生日がこない」


 表題作は「冬の円盤」の続編です。花とゆめコミックスの『西の22』に収められています。この巻から「最終戦争シリーズ」と副題が付いています。
 「冬の円盤」の七年後、あと二ヶ月で笑(えみ)は16歳になります。そしてその日を、セイヤに再び会える日を心から待ち望んでいる笑です。

 あと2か月で16歳になる笑はセイヤに会うことだけが願いです。けれどまた血を吐いてしまいます。「あなたが来るまで生きていられるかしら?」と不安になるのです。
 それでもいつもと変わらず学校に出かける笑です。次の番長と噂の沢渡が笑に気があるようなのですが、誕生日が待ち遠しい笑には通じません。そんな笑を30年後のおまえを見せてやると、自宅に連れて行って母親を見せます。母親は息子の存在を見えていて無視しています。

 笑は沢渡の前で吐血します。沢渡の父親は医者で沢渡に、笑は肺ガンで1か月持つかどうかと言います。悩む沢渡の前にセイヤが現れて言います、「笑はやさしい、どうすれば人が幸せになるかということばかり思っている」と。
 数日後、待ち伏せていた沢渡に笑は捕まり、逃げようとしますが、倒れて死んでしまいます。セイヤは笑を生き返らせます。そして、沢渡には笑の生き返ったことを忘れさせます。

 セイヤは笑に真砂流が急性白血病で洗面器いっぱいの鼻血を出したこと、今は元気でいることを伝えます。死ぬ運命にある人達だけしかつれていけないことも言います。
 セイヤは、原子分解光線で自殺した者以外は、蘇生措置を施されて冷凍睡眠装置に入れられ、冬眠カプセルが無数に並んでいると言います。「生きている人々のほとんどは過去からやって来た人々ばかり、あなたといっしょに住む家は…もうない」と。「それでも笑 私といっしょに来ますか?」

 「少し散歩してゆきましょう 今日でこの世界は見おさめなのですから」「もう夕方の風ね おかしいわね私幽霊なのね」

 「冬の円盤」と「誕生日がこない」では直接は出てこない未来(セイヤの現在)の、暗い様子が分かるように具体的に描かれています。それでも未来に行くことを選んだ笑の行く末が気になります。
 これほどくらい未来を描いていながら、それでもこの後さらに多くの続編が描かれている、恋愛要素はあるもののそれが主ではない、そんな少女マンガとしては異質のマンガがあったのです。如何に少女マンガの懐が広かったかが分かります。
 このあらすじではほとんど触れませんでしたが、恋の話が底にあって、その流れから沢渡と笑の話につながるのですが、最終戦争とは関係がないので割愛しています。笑の普通の学園生活も出てきています。

 この巻の終わりに1969年から1977年の作品リストが載っています。「冬の円盤」と「誕生日がこない」の間に「遙かなり我が故郷」(『冬の円盤』所収)があります。


 タイトル『誕生日がこない』
 書名『西の22』
 出版社 白泉社 花とゆめコミックス HC-113
 出版年 1978年2月20日 初版発行

2016年6月28日火曜日

山田ミネコの『最終戦争』シリーズから「冬の円盤」


 『最終戦争』シリーズは様々の作品があってどれも面白いのですが、今回は表題作を取り上げます。未来からきた星野(せいや)が、大槻真砂流(まさる)と笑(えみ)の兄妹と出会い真砂流を連れて未来に帰ります。次回に取り上げる「誕生日がこない」は、それから七年後、再び現れた星野が笑と逢うお話です。

 ある冬の日、真砂流と笑が車に乗っていると、笑は空を見て言います。「兄さま円盤よ」「何も見えないじゃないか」このあと兄妹のやりとりがあり、真砂流は思うのです。「(略)どこかへ行って思うさま冒険ができたらどんなにいいだろう…」と。
 急ブレーキがかかって車が止まります。隣の高利貸しのばあさんの乗った車とぶつかりそうになって止まったのです。その時に人と接触します。診察室で、ほとんどたいした怪我のないことを告げられます。診察の時には兄妹と高利貸しのばあさんがいます。
 はねられた人(星野)は、行く当てがないというので真砂流は家にくるように言います。ばあさんに謝る笑に、「あんたはいい子だね」と頭を撫でます。
 家に帰ると継母の比沙絵と真砂流が衝突します。父親は会社の社長で、ほとんど家にいません。

 星野は警官(パトロール)であることを真砂流に言います。真砂流は星野に比沙絵と秘書の真崎との逢瀬を覗かせます。父に知られずに継母を追い出したいと考える真砂流、そんな真砂流に「あなたは父上を愛しておられる」と星野は言います。亡き母の思い出を話す笑に、「あなたは幸せですね」と言う星野、星野には家のないことに気づき、「あなたかわいそう」と笑。

 手に手を取って(?)逃げようとする比沙絵と真崎、最後の仕上げとばかり会社に行きます。後を付ける真砂流と星野ですが、さらに後を付けてきた笑が積んである荷物に躓き音を立ててしまいます。二人に気づかれて、真崎を取り押さえようとする真砂流ですが、背後から比沙絵が大きな花瓶を振り上げます。星野が投げた小さな箱が比沙絵の額に当たり、比沙絵はバランスを崩し積み上げてある荷物にぶつかり、荷物が崩れて比沙絵の上に落ちてきます。慌てて原子分解光線(この名前は「誕生日がこない」まで出てきません)銃で荷物を撃つ比沙絵ですが、星野はこの時を待っていたのです。
 「本当に愛されてみたかった」と言う比沙絵ですが、「本当に愛されるには自分がまず愛さねばならない」と星野は言います。比沙絵に原子分解光線銃を向ける星野ですが、兄妹はそれを止めようとします。「好きじゃなきゃ結婚なんかするわけない」との真砂流の言葉に驚き微笑み涙する比沙絵、そして原子分解光線銃を自分に向けて撃つのです。

 星野は円盤を二人に見せて、時間飛行機(タイムマシン)だと言います。そして次のように言います。「私たちの世界は病んでいるんです」 以下四ページに渡って未来の世界(星野にとっての現実世界)の話が続きます。「人間は未来に希望を持つことをやめてしまったのです」「勇気のある人をさがしもとめている(中略)いっしょに来て下さい」と。それに対して真砂流は父親を一人ぽっちにはできないと言います。

 家に帰ると、事業に失敗した父親は自殺しています。葬儀の席で親戚達は兄妹の押し付け合いをします。そこに隣の金貸しのばあさんが来て、笑を引き取ると言います。立腹した真砂流は「クソババアの世話なんかになるもんか」「人の親切のわからんやつはとっととどこへでもおゆき!」とばあさんとのやり取りの後、星野のところに行きます。後を追って笑もやって来ますが、星野は言います。「16歳になったらきっとむかえにきます」と。
 円盤が去った後で、ばあさんが来て泣いている笑を慰めて家に帰るシーンで終わっています。この場面はセリフはありません。

 以上、ストーリーの紹介が長くなってしまいました。
 さて、気づいたことを少し。

 この作品は「最終戦争」シリーズの実質的な最初のものです。この時に作者がどの程度に作品群の構想を考えていたのかわからないのですが、以降の作品の基礎はしっかりと描かれています。「最終戦争」後の希望を失ってしまった人間はここでは星野の話の中にしか出てきませんが、それが決して明るいものではないのは分かります。だからこそ過去に来て、未来を開けそうな人を捜しているのです。
 ストーリーはシリアスなのに、画面にはときどきわけのわからないネコが出てきます。このネコには名前があったはずなのに忘れました(ヨロネコと云う名前?)。また作者の自画像のウサギも顔を出しています。このネコとウサギはシリアスな画面にもさりげなく小さくではありますが出てきています。手塚治虫のヒョウタンツギのようなものかと思いましたが、違うようです。手塚はシリアスな場面にヒョウタンツギやブクユツギを出すことで、ある種の息抜きのようなことをさせているのに対して、山田ミネコのネコやウサギはストーリーを遮ることなく出てくるのです。
 バックに花のとんでいる場面が四箇所あるのですが、その最初のシーンで場違いのところで花がとんでいます。ロクでもない花でキョーシュクでありますとの小さな手書きの文字があります。

 二台の車が出てくる場面で気づいたことがあります。一台はフェンダーミラー(ボンネットにバックミラーがある)で、もう一台がドアミラーなのです。でも、wikipedia で確認すると日本でドアミラーが認められたのは1983年とあります。ひょっとして輸入車を違法に改造したのかななど本筋に関係ない事を思ってみました。


 書名『冬の円盤』 HC-87
 出版社 白泉社 花とゆめコミックス
 出版年 1977年5月20日 初版発行 

2016年5月31日火曜日

沖倉利津子の『日曜日はげんき!!』


 作者のマーガレットコミックスで最初に出版された本です。「セッチシリーズ」が四作品とその他が三作品入っています。

 セッチシリーズにはタイトルに曜日が入っていて、「日曜日はげんき!!」、「水曜日にウェンズディがやってきた!!」、「月曜日ハンパ者の乱」、「土曜日はなんの日!?」となっています。
 それではセッチシリーズを見ていくことにしましょう。

 中学一年生のある日曜日からお話が始まります。

 『日曜日はげんき!!』はシリーズの最初の作品で主な登場人物がほとんどでてきています。主人公のセッチ(武田世津子)、親友のえみちゃん(上杉栄美)、おにいちゃん(セッチの隣家の大学生でセッチの家庭教師、小林鉄)、そしてセッチのクラスメイトで委員長の川中島弘です。
 勉強がキライで、長いスカートが我慢できないセッチには、授業も制服もカンケーない日曜日は天国なのです。
 野球で川中島に見事に三振を喫したセッチは、川中島が気になります。けれどえみちゃんも川中島に気があることを知ります。その川中島からえみちゃんの誕生日を訊かれて、身を引くセッチ、それを見守るおにいちゃんです。

 うじうじしないであっさりと身を引くセッチは、悩んでもしょうがないと割り切ったのでしょうか。おにいちゃんの心の内はまだ知らないようです。12ページにおにいちゃんの内心が書いてあるのですが、ふと疑問に思ったこと……6つちがいのおいらの妹とあります。小林鉄は19歳です。中学一年のセッチは12歳か13歳ですが、12月24日が誕生日で二十歳になる鉄とは学齢では七つ違いなのです。えみちゃんとの交換日記が6月5日 Sun なので、セッチが4月か5月生まれならば6つ違いもわからないではないですが。
 ここまで書いて、舞台の1977年が今年2016年と三月以降が同じ曜日配列なのに気がつきました。

 『水曜日にウェンズディがやってきた!!』 火曜日におにいちゃんから逃げ出し野球をするセッチ、野球を観ている(セッチに云わせると感じの悪い)金髪の少女がいます。次の日、都内の中学校からアメリカ人の兄妹が転校してきます。兄ディビー・ダーリングは三年生、妹ウェンズディは前日の少女でセッチのクラスです。
 その行動でクラスの女の子から孤立するウェンズディですが、セッチとえみちゃんの力で何とかクラスに溶け込みます。セッチとウェンズディとの壮絶なとっくみあいの末なのですが。「案ずるより産むがやすし 似たもの同士のいいコンビよネ」とのえみちゃんの思いが書かれています。
 最後の齣はしっかりとギャグになっていますが、セッチが鉄への想いを初めて表したシーンでしょう。

 『月曜日ハンパ者の乱』は生徒会選挙を巡る話です。
 近所の低学年の小学生と飛行機飛びの競争をして、セッチは右手を骨折して入院します。入院中にさまざまな理由で入院している人の事情を見聞きします。たとえば、インターハイまで行ったのにアキレス腱断裂で短距離走ができなくなって落ち込んだけど、まんが家になることに生き甲斐を見出した高校生とか。
 さて、生徒会選挙なのですが、この中学校は三つの小学校からの生徒の集まりなのですが、生徒会の主導権を握るために争うような状況です。今回の選挙にも三組が立候補します。その過程でセッチは今の生徒会の制度を作ったのは鉄だったことを知るのです。
 ところが、新たに四番目の立候補グループが現れます。現副会長が小学校の枠を取り払い、川中島を副会長候補として立候補します。立候補登録はされますが、各グループからは嫌な顔をされます。「やだってしょうがない これからいそがしくなるぞ」と張り切る第四グループの生徒たち。
 セッチは「なんでだろう… なんでやなことなのにがんばれるんだろう… あたしってなんにもわかってない……」と思うのです。
 投票前の最後の応援演説を頼まれたセッチは、入院中のことを話し、「……健康なのにこんなおしのけあい…してケンカしてたんじゃ申し訳ない」と最後は涙をこぼします。
 選挙の場面でマンガは終わっていて、結果はありませんが、タイトルからすると自ずとわかるでしょうとなります。

 生徒会選挙なのにセッチの入院から話が始まるのにはちょっと驚きますが、それが応援演説の伏線になっているのです。
 四つの中では中学生らしいテーマで、これが一番面白く読めました。
 しかし揚げ足を取るようですが、10月31日に生徒会選挙をする学校があるのでしょうか、任期はいつまでなのでしょうか、二年生が会長候補なので、11月から次の年の10月までなのでしょうか、などとの疑問が湧いてきます。
 いつセッチが骨折したのかは描かれていませんが、手首(終わりのほうの齣から見ると)の骨折かひびが入ったのなら、そんなに長く入院とも思えないのですが。

 『土曜日はなんの日!?』 12月24日土曜日は鉄の二十歳の誕生日です。プレゼントのマフラーを編み始めるセッチですが、いろんな事があってなかなか進みません。鉄には三人の姉がいて、二人は学校の先生、一人は教授夫人です。鉄は高校の国語の先生になりたいと云います。
 ある日、鉄の車の運転席側がめちゃくちゃになっています。止まっている時に横から突っ込まれたとのことで、本人も同乗者も幸い軽い怪我で済みます。
 「おとなになると考えがかわる」と鉄の姉の勝三(かつみ)に言われてセッチは思うのです。「おとなになれば考えかわるかしれない でもいまのあたしがキライなおとなには絶対なりたくない」
 徹夜で何とかマフラーを編み上げるセッチなのでした。

 小学校の先生の要はいつも煙草が手放せないようです。まぁ、40年も前のマンガだから良しとしますか。最後の齣に教授も登場しているのですが、若くして教授になったようで、その人をつかまえた姉の馨も優秀なのでしょう。
 あれほど車がひどいことになっているのに軽傷とは運が良かったのでしょう。大学の前で車をぶつけられて、その車で家まで帰ってくるとは思えませんが、どうなのでしょう。
 大学生になったら酒も煙草もかまわないというのは、このころは当たり前だったのでしょう。今の少女マンガでは無理でしょうね。
 「土曜日はなんの日!?」の最初のページに鉄が車を買い換える話が出てきますが、車種にはちょっと考えさせられました。セリカ、マークII、フェアレディZ、コスモが候補として出てきています。一体誰がお金を出すのだろうかと思わずにはいられませんでした。

 デビュー作の『ふたりの場合は…』が、セッチシリーズの次に載っていますがここでは触れません。


 書名『日曜日はげんき!!』
 出版社 集英社 マーガレットコミックス MC 338
 1978年4月20日 第1刷発行  手元のものは1983年3月15日 第16刷

2016年5月16日月曜日

ちょっと休憩 『美の祝典 I -やまと絵の四季』


 東京の出光美術館に表記の展覧会を見に行ってきました。
 顔料の数が少ないのに、着色の作品はそれなりに観られるし、飽きませんでした。

 『伴大納言絵巻』に触れないわけにはいかないと思いますので、少し。
 展示されているのは上巻なのですが、駆けつける検非違使たちから始まって、風下で炎上する応天門を見る庶民と、風上からのんびりと(?)見る貴族たち、場面変わって、天皇を諫め申し上げる藤原良房で終わっています。
 続きが気になるところは、「つづく」で終わるマンガみたいですが。

 風下の庶民の多くの烏帽子が渦を巻くように描かれているのは、火災旋風を表しているとのことで、なるほどなぁと感心してしまいました。関東大震災や東京大空襲の時のことは本で読んで知っていましたが、平安時代にも知られていたんですねぇ。
 炎上する応天門では、炎の描き方に引き込まれました。赤と朱の二色しか使われていないはずなのにもっと色数が多いように感じました。

 応天門炎上は貞観8年(866年)で、絵の描かれたのはそれからおよそ300年後とのことで、赤穂浪士の討ち入りを現代の人が描いたのと似たようなものかと思いました。
 貞観と云えば、6年には富士山が噴火し、11年には大地震が起こってと、その間の時期に都ではこんな事があったのですかとの感想を抱きました。


 東京都美術館にも行ってみたのですが、行列の長さに挫けてしまいました。国立西洋美術館で『カラヴァジョ展』を観て帰ってきました。

2016年5月2日月曜日

岡田あーみんの『お父さんは心配症』


 このマンガを読んだのは最近です。作者もタイトルも知ってはいましたが、読んでいませんでした。

 お父さんと16歳の高校生の娘・典子のお話です。母は他界しています。
 父は娘のことが心配でたまりません。どんな些細なことでも典子のことになると見境がなくなります。と云うわけで、同級生でボーイフレンドの北野くんは父親の目の敵です。

 ギャグマンガを説明することは野暮だと思いますので、そこは略させてもらいます。

 第21話からはお父さんの見合い相手の安井千恵子と息子の守がでてきます。典子は「守くんみたいなやさしい子大好きだもん」と言っています。
 第47話で交通事故でなくなったお父さんですが、そこはギャグマンガ、生き返り安井さんにプロポーズして、つぎの最終回は結婚式で終わります。が、最後のページはしっかりとギャグマンガです。

 ギャグマンガなのですが、それだけでは終わりません。
 読んでいて感じたことを一言(ではないかもしれません)でいうと、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」です(「おもしろうてやがて寂しき花火かな」と鵜舟がごちゃ混ぜになって最初に「おもしろうてやがて悲しき花火かな」が浮かんだのは内緒)。
 チャップリンの映画のような趣もあります。映画は終わりがしんみりが多いのですが、このマンガは中間でしんみりが多いように思えます。

 もっと早くこのマンガを読んでいれば良かったと云うのが偽らざるところです。

 書名『お父さんは心配症』 1~6巻
 出版社 集英社 RIBON MASCOT COMICS 351, 381, 405, 431, 463, 490
 1巻 1985年11月20日 第1刷発行 2014年 6 月 7 日 第73刷発行
 2巻 1986年 9 月17日 第1刷発行 2014年 6 月 7 日 第61刷発行
 3巻 1987年 5 月20日 第1刷発行 2014年 6 月 7 日 第47刷発行
 4巻 1988年 1 月19日 第1刷発行 2015年 8 月10日 第39刷発行
 5巻 1988年11月20日 第1刷発行 2015年 2 月11日 第30刷発行
 6巻 1989年 7 月19日 第1刷発行 2014年10月11日 第31刷発行
 右側が手元にあるものです。りぼん創刊60周年記念特別企画と帯にあります。


 同時に『こいつら100%伝説』と『ルナティック雑技団』も出ています。
 『ルナティック雑技団』は三作品の中では、ギャグマンガですが一番少女マンガかもしれません。けれども、タイトルの意味がわかりません。本質がギャグマンガなので変な登場人物が多いのですが、主人公の森夜の母親以外はそれほどルナティックな人物はいないようです。また、雑技団は何を意味するのでしょうか、人生はサーカスだよと云われれば、そうかなぁと思わないでもないのですが。

2016年3月30日水曜日

私屋カヲルの『めがねーちゃん』


 『こどものじかん』が話題になった作者ですが、ここでは別のマンガを取り上げます。

 ちょっとHなほのぼのコメディーとあるとおりの内容です。
 コンビニでアルバイトをしている巨乳で眼鏡の姉(二十歳過ぎ)・こがねと貧乳の高校生の妹・あかね、姉の同僚のイケメンの男・風太が主な登場人物です。もう一人、コンビニの店長がいます、風太の叔母で、歳は具体的にはでてきませんが、若い頃にはヤンキーだったとあります。

 こがねは天然ボケで妄想力たくましく、風太は下のあかねの評になります。
 61ページのあかねによると、「片想いで自己完結型のお姉ちゃんと 自分から手を出しそうにないマジメすぎる男」と云うことになります。この二人をくっつけようとあかねも同じコンビニでアルバイトをすることにします。
 最終話で、こがねは店長から見合いを勧められて、嫌々ながら見合いをします。店長に連れられた相手が現れる前にこがねは平身低頭して、風太への思いをぶちまけます。顔を上げると店長と、男が一人います。彼が誰かは言うまでもありませんね。

 ネットの読書メーター http://bookmeter.com/b/475753471X にいろいろな書評があります。
 確かに品の良いマンガではありません。下ネタ満載と云ったところでしょう。

 でも、下ネタだけではない言葉遊びがたくさんあります。合コン→合唱コンクール、ブラパン問題(これはちょっとHかな)、めがねーちゃん→ギガねーちゃん→テラねーちゃん(このためにタイトルを考えたのかと)、これはよくある志●うしろー、「懐が柔らかい」と書いて「懐柔」(この場面ではそうでしょうけど)があります。
 テラねーちゃんになって、しまう時はマトリョーシカになるは妙に印象に残りました。さすがにテラの上はこのマンガには出せなかったでしょう、ペタですから。

 第5話ではこがねとあかねの子供時代の回想が少しでてきます。同じ場面なのですが、こがねとあかねの受け止め方は違っています。それが今の二人の違いになっているのでしょうか。

 『こどものじかん』は、けっこう疲れるのですが、このマンガはばからしさが前面に出ていて、それでうまくいっているのでしょう。でもマンガを描くほうとしては大変なのではないのかなぁと。


 書名『めがねーちゃん』
 出版社 スクウェア・エニックス ヤングガンガンコミックス
 2012年1月12日 初版発行

2016年3月11日金曜日

地震から五年


 あの日から、もう五年なのかまだ五年なのか、経ちました。
 今日3月11日はあの日と同じ金曜日です。雪こそ降っていませんが、平年よりは冷たい一日になっています。

 五年経って国の「集中復興期間」は間もなく終わります。でも今も17万人以上のかたが避難生活を送っています。
 「住」を巡っては福島とその他は大きな違いがあるようです。福島以外では遅れているのはどこにどのように造るからしいのですが、福島では7万人は避難指示の続くところに住んでいた人たちなのです。
 そういえば、住宅建設の値段が高騰していると云うことも聞きました。材料費のほかに、人件費も高くなっているのだとか。

 先日のTVで観たのですが、放射線のホットスポットがあちこちにあるようで、目に見えないだけに怖いなあと思ったことを憶えています。
 飛散した放射性物質の扱いもまだ解決していません。各県で一ヶ所に集めるとの方針なのですが、どこに集めるのかを巡ってもめています。原発立地箇所に集めることになっている福島県でさえ地主との交渉は遅々として進んでいないようです。

 被災地にとってはまだ五年なのですが、それ以外ではもう五年で、記憶もだんだんと薄れていくのでしょうか……

 常磐線の浜吉田と相馬間は今年中に開通するようで、仙台と小高間は線路でつながるようです。

2016年2月29日月曜日

神坂智子の『シルクロード』シリーズから「イシククル天の幻影」


 神坂智子と云えば真っ先に思い浮かぶのは『シルクロード』シリーズです。花とゆめCOMICS から11冊でています。
 ここで取り上げる「イシククル天の幻影」は「少年/少女 SFマンガ競作大全集」PART 15 に掲載され、花とゆめCOMICS 『風とビードロ』に載っているものです。あまのげんえいと振り仮名があります。wikipedia によるとシリーズ外のSF作品となっています。しかし、シリーズの登場人物は出てこなくとも、シルクロードのひとつと思われます。

 イシククル湖の伝説に着想を得たものでしょう。湖の伝説については以下をご覧ください。井上靖の「西域物語」は、わたしは読んでいません。
 http://ww5.enjoy.ne.jp/~s-mattsun/essei/esseibk12.htm および
 http://ethnos.exblog.jp/5437634/ (最後のほうで大きさは琵琶湖ぐらいとありますが、イシククル湖は琵琶湖の9倍ぐらいとのことです)

 何年も沙漠をさすらう一行は、泉と樹と、その傍らに一人の女のいる土地にたどり着きます。水を飲もうとする男たちに女は言います。「水は一日一人に一杓」と。
 小麦を播き、葡萄の種を植えと男たちは水の要求を増していきます。
 そんなある日、樹の葉が落ち、泉が枯れてしまいます。泉の底に大石があります。その石を動かそうと手をかけると突然水が噴き出し、辺り一面が湖になります。

 一人一口の水で生きられたおまえ等が 一日一杓の水をほしがり次には畑の水さえいるという さあ おのみ あきるまで おぼれて死ぬまでのむがよい

 上記は湖底から水が噴き出している時に、女の言う言葉です。素直に読めば欲を張るなと云うことなのでしょう。
 でもと、つむじ曲がりのわたしは思うのです。昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日が続くとしたら、堪らないのではないでしょうか。何の変哲もない同じことの繰り返しよりは、何らかの変化を求めるのが人間の性なのではないでしょうか。その結果としての今があるのではないのかと。
 一口の水よりは、一杓の水を、そしてより多くを求めるのも仕方がないのかなぁと。しかし、だからこそ水戦争も起こるのかなぁとも。どちらにしても極端に走るなと云うことなのでしょう。

 少年/少女SFマンガ競作大全集には「漫画家 Free Talk シルクロードは面白いのです…」と神坂智子が一ページ書いていて、その中に伝説のひとつが載っています。
 「この湖は神様が守っていて、ある日やって来た遊牧民の仕様に怒りを覚え、民も町も湖の底に飲みこんでしまったそうだ。」

 タイトル『イシククル天の幻影』
 書名 少年/少女SFマンガ競作大全集PART 15 p.125
 出版社 東京三世社
 昭和57年7月1日発行

 タイトル『イシククル天の幻影』
 書名『風とビードロ』 HC-341
 出版社 白泉社
 1982年10月25日 第1刷発行

 少年/少女SFマンガ競作大全集の誤字が『風とビードロ』では直っています。

2016年2月12日金曜日

一ノ関圭の『らんぷの下』と『裸のお百』


 この二冊は1980年(昭和55年)に出たものです。作者については『らんぷの下』の解説に副田義也が書いています。また、次の五点で才能が読み取れるとしています。(1)ストーリーが巧みに作られている。(2)心理描写が緻密である。(3)ひとを駆りたてる巨大な暗い情念が、正確にとらえられている。(4)絵が旨い。(5)時代考証が綿密におこなわれていて、正確である。
 それはそのとおりと思うのですが、それだけでは何かが足りないような気がするのです。

 ここでは『らんぷの下』の一編「女傑往来」と、『裸のお百』の「女傑走る」をとりあげます。女傑とは日本で三番目に女医になった高橋瑞子のことで、医者になるまで(女傑往来)を新聞記者の野路の目を通して見たものと、医者になってからの活躍(女傑走る)を描いています。

 まず「女傑往来」ですが、野路の後輩の手紙から話が始まります。「(略)彼女(玉緒)はぼくといい線をいっているんです。 女といえばここにはもう一人変わった女がいますね。 先輩のことをとても懐かしがっておりましたよ。(略)」
 下宿屋桂林館が舞台で、主な人物は瑞子と下宿屋の娘玉緒、そして野路です。
 友人の山口の出て行くのを待たずに予定より一月早く桂林館に来た野路ですが、同室の相手が瑞子です。山口は「たいがいの男より気を使わなくてすむ」と云います。
 野路には瑞子がわかりません。瑞子は下宿にいる時は勉強をしていて、朝早くに学校へと出かけていきます。また、学費のために妾にもなります。そのために、瑞子に逃げられた亭主の車夫と、旦那(そこらの豆腐屋の親父)の女房に踏み込まれたりします。
 野路は玉緒が気になっていますが、玉緒は下宿人の一人と駆け落ちをします。瑞子から玉緒が駆け落ちするのは初めてではないと聞かされます。
 明治18年3月20日、女の医者が現れたことが新聞に載り、下宿の連中は大騒ぎをしています。その日、野路は引っ越しをします。荷物運びを手伝ってくれた瑞子に「医術開業試験、前期合格おめでとう」と云います。同じ日に玉緒は桂林館に戻ってきます。
 二年後、瑞子は試験に合格して医者になり、羽織袴姿で人力車に乗っています。車夫は亭主だった男です。
 この時に瑞子は35歳です。話の中で野路が瑞子と会ったのは瑞子33歳と云うことになります。詳細については On Line Journal ライフビジョンの日本科学技術の旅をみてくだされば幸です(http://www.lifev.com/mag/search.php)。
 マンガの中で瑞子は「二十九の時これから金持ちになるには何の仕事がいいか考えたんです」と言っています。

 次に「女傑走る」です。
 医療推理と云っていいのかもしれません。
 呉服屋井筒屋のお婆さんがだんだんにやつれて、ついには亡くなってしまうのですが、その原因を突き止めると云うものです。他殺に見せかけた自殺で、塩断ちをして、救荒作物を食べるという方法です。「飢饉考」と云う本がお婆さんの本棚にあり、その本には救荒作物が載っています。それを見て瑞子は真相を知ります。
 なお、犬でこの症状が発見されたのは1872年(インターネットで見たのですが、確認しようとしても見つかりませんでした)とのことですので、それをヒトに適用してこの病状に名前が付いたのがいつかわかりません。マンガには低ナトリウム血症と高カリウム血症という単語は出ていません。

 前者を読んでいて感じたことは、ある種の出世物語なのはわかるのです。けれど、なんか、こういう苦労をして女医になった人がいたよ、で終わってしまうような、消化不良というか、何かが足りないように思えるのです。子供のころに親に買ってもらった学習マンガを読んでいるようなイメージが近いような……。
 「女傑走る」は、推理小説のようで面白く読めます。

 「らんぷの下」は、夭折した画家青木繁と柘植、そして津田すなほの三角関係が主題になっています。と云っても柘植とつきあっている時にはすなほと青木の関係は終わっています。どうしても青木には勝てない柘植、そしてたった一度だけで燃焼し尽くしたすなほの自画像を見て、絵筆を捨てる柘植です。
 ビッグコミック大賞受賞作です。副田義也の評はこの作品についてのものです。面白い話ではあるのですが、読み終えたあと疲れます。漱石の「坊っちゃん」と「吾輩は猫である」以外の作品を読んだあとのような……。

 「裸のお百」は明治時代の裸体モデルを題材にした物語です。

 この二作品は東京芸術大学美術学部絵画科出身者らしい題材と云えます。

 「だんぶりの家」は、昭和東北大飢饉が背景にあります。この二冊の中では一番素直に読めました。


 書名 『らんぷの下』
 出版社 小学館 BC261
 昭和55年6月1日初版第1刷発行

 書名 『裸のお百』
 出版社 小学館 BC262
 昭和55年7月1日初版第1刷発行

 「女傑往来」に女医第一号として登場している人の名前が間違っています。萩野吟子ではなく荻野吟子です。今はインターネットですぐに調べられるのはありがたいことです。この本が文庫になった時に直されたのかはわかりません。以下のホームページに荻野吟子と楠本イネについて載っています。
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2008/06/post_585b.html

2015年12月5日土曜日

鈴木光明の『もも子探偵長』


 今回取り上げるマンガは、帯に「連載から55年 初単行本化!!」とあるものです。
 マンガ史を観ると必ずと云っていいほどに出てくるマンガです。一体どんなマンガかと興味がありました。それにしても復刊ドットコムのマンガとはいえ、上下二冊で7000円(税抜)はちょっと高いかなぁと。上巻366ページで、下巻は286ページです。ページ数とハードカバーの本から見ると仕方がないのかもしれませんけれども。

 登場する女の子は、もも子のほかにキジ子とワン子で、ちゃんとタイトルどおり桃太郎のパロディーになっています。三人は中学生です。また、惹句には「こわいまんが」と書かれています。

 最初の事件は「金のオルゴール」で102ページあります。第1回が9ページ(カラーです)、第2回が11ページ、残り82ページが第3回です。今から見ると不思議な配分のようですが、月刊誌の頃は別冊付録がありました。下巻の口絵ページを見ると第3回は別冊付録だったことがわかります。
 第1回の初めに、もも子が「りぼんたんていだん」を作った事と登場人物の紹介があります。掲載誌が「りぼん」なので当然の命名でしょう。金のオルゴールの製作者・雪村五郎と、オルゴールをだまして手に入れた宝田との争いと云っては、少し単純でしょうか。
 もも子達は宝田の依頼を受けて事件に介入し、くろかげぬまのまぼろしやしきに手漕ぎの舟で渡ります。88ページで、宝田が札束の上下だけに本物を使った偽札で雪村をだました事がわかります。もも子達をもだまして舟で島を脱出しようとする宝田ですが、一緒に舟に乗った娘は父を責め舟から湖に身を投じます。宝田は泳げません、娘はもも子に助けられます。それを見て、改心する宝田です。金のオルゴールは雪村の手に戻ります。

 次の「黒い手事件」は3回で46ページです。3話の「海のはかば」は2回目が、4話の「三角やしき」は3回目が別冊付録です。
 以上で上巻は終わりで、2話以外は悪人が改心して終わっています。

 下巻は「まぼろし人形のひみつ」(48ページ)、「かっぱ沼」(96ページ)、「ゆうれい鬼」(57ページ)、「おおかみこぞう」(40ページ)、読切(18ページと16ページ)が2編です。この六つの話では「スキー場の天狗」以外では改心して終わりにはなっていません。きちんと犯人は罰せられることでしょう。「スキー場の天狗」には本当の意味での悪人はでてきていません。

 ネットで見るとこのマンガについての評価は高いようです。1958(昭和33)年から1959(昭和34)年の丸二年にわたっての連載という昔のマンガを目にできるのはありがたいことです。絵は手塚タッチというのでしょうか、丸みを帯びた線で描かれています。でも明らかに手塚の絵でないことはわかります。作者の個性が出ているのでしょう。

 このころの少年マンガを見ると『まぼろし探偵』(少年画報1957年3月号から1961年12月号)、『少年ジェット』(ぼくら1959年から三年間)などが探偵もののようですが、『もも子探偵長』とは趣が違うようです。 Wikipedia によれば二人ともオートバイに乗って現れるとありますので、16歳以上と云うことになり、もも子よりは年上です。

 今から見ると、絵は確かに古く、ストーリーとしてもどうかなと思う場面もあるのですが、面白く読めます。今の子供が読むかどうかはわかりませんが。
 「金のオルゴール」についてはあらすじを紹介しましたが、少し手を入れれば今のマンガになりそうに思えます。ただし今のマンガだと、最後は娘を見捨てて宝田は逃げそうな気がします。そして、もちろん最後は捕まりますが、反省しないとか……。これではちょっと子供向けにはならないでしょうね。
 「海のはかば」では、腑に落ちないところがあります。三十数ページに渡って海中の場面があるのですが、ごく普通に三人は会話を交わしています。アクアラングを付けての会話ができるのでしょうか。とはいえ、会話がないとストーリーが進みませんから、仕方がないのかもしれません。
 「三角やしき」はストーリーとしてはまとまっていると思います。

 下巻については割愛します。

 扉絵を見ていて気がついたのですが、もも子が右を見ている絵は二枚しかありません。日本のマンガは右綴じなのでそのせいかもしれませんが。それと、マンガを見ていて気がついたのですが、人物の正面を向いた絵がないような気がします。

 このころの少女マンガは、水野英子が『銀の花びら』(原作緑川圭子 1958年)や『星のたてごと』(1960年)を描いています。また、少し時代は下りますが、以前に取り上げた西谷祥子の『マリイ・ルウ』(1965年)があります。それらのマンガとはだいぶ違った感想を持ちました。


 書名『もも子探偵長』上巻・下巻
 出版社 復刊ドットコム
 2015年1月26日 上巻 初版発行
 2015年2月25日 下巻 初版発行


 今日から六年目になります。途中挫けたりもしましたが、何とか五年は持ちました。次は七年目を目指すことになるのでしょう。

 仙台は明日12月6日から2本目の地下鉄・東西線が走ります。南北線からの乗り継ぎですと、バスよりかなり割安なので、終点の動物公園に行ってみようかなぁなどと考えています。

2015年11月27日金曜日

阿保美代の『月街ものがたり』


 また阿保美代の作品を取り上げます。今回は『くずの葉だより』からです。この中にはもくじでは四つの物語があります。初めの『くずの葉だより』は六ページの掌編22作からできています。残りの三つ(『10とひとつの物語』、『月街ものがたり』、『ケンペン麦の帽子』)はそれぞれ16ページです。

 『10とひとつの物語』では王さまを眠らせるために時の砂のうたうたいが、月ごとの風のエピソードを語ります。12の月全部を語り終える前に王さまは眠ってしまいます。

 『ケンペン麦の帽子』は、母親を亡くした少年が、自分をかまってくれない父親に反撥するお話です。奇妙な妖精から手に入れた帽子をかぶると、ママの歌がきこえてきます。けれどその帽子を真夜中にかぶると……。終わりには少年とパパは仲良く手をつないでいます。このお話は、ちょっと怖くて、終わりに少年と父親が和解してと、印象に残っています。

 標題の作品は九つの月と一つの街の子供達のお話です。
 「その街は 運河の街」からお話は始まります。「あそこを少女が走っていく こちらには誰もいないのに……」と。水に映った街の道には少女とその後を走る犬の姿があります。これは五月の街のおはなし。以下「坂の街」(一月の街)、「百とひとつの塔の街」(九月の街)、「記憶のない街 旗の街 いつもお祭りの街」(四月の街)、「百とひとつの橋の街」(十月の街)、「百とひとつの石像とふんすいの街」(八月の街)、「おおきな樹の上の街」(十二月の街)、「夜の街」(十一月の街)、さまざまの鐘がさまざまの場所で鳴り、鐘はまあるくひとつの街をつくる「七月の街のおはなし」と続きます。

 「もういいかい まあだだよ あの子は運河のほとりの赤レンガの家の影にかくれてる あの子は塔の上 あの石像のとこ ぼくが目をつぶればみーんなみえてしまうんだから」と、目をつぶって鬼になっている男の子が。
 お話の終わりでは、「これらの街はひとつの街(中略)きょうの街はどんなふうにみえるのか(後略)」となっています。これらの街はすべて同じ街を見ている子供の目に映る街のようです、子供の想像あるいは空想の中の。

 この中で印象に残っているのは、「運河の街」の運河にだけ映っている女の子と犬のお話と「百とひとつの橋の街」です。「百一番目の橋だけはどこにつうじているのかわからない(中略)その橋をわたっていって帰ってきた人はひとりもいない」とミステリアスに綴られています。「けどその橋がどこからどうやって数えれば百とひとつめの橋になるのか だあれもしらない だからその街の橋はぜーんぶ百とひとつめの橋になるのです……」で終わっています。
 詳しいことはわからないのですが、民俗学的には橋は異界とを結ぶ象徴と聞いたことがあります。とするならどの橋も百一番目の橋になり得るわけかと納得できそうな気もします。そこまで考えてマンガにしたのかなぁ、深いなぁとも。
 でもこのエピソードを読んだ時に真っ先に思い浮かんだのは、そんなことではありませんでした。NHKのみんなのうたの「この橋の上で」の三番の歌詞です。あの子は一体どこへ行ったのでしょうか、そして四番ではこの橋の上でロンドを踊る影とあの子。原曲はチェコ民謡です。
 橋をわたって帰ってこない人は、他所の土地で元気に暮らしているのでしょうか、それとも……。


 タイトル『月街ものがたり』
 書名『くずの葉だより』
 出版社 講談社 KCフレンド 974
 昭和58年2月15日第一刷発行