2019年2月12日火曜日

伊東愛子の『こねこのなる樹』


 昨年暮れ(12月20日頃)ラジオから「猫畑」と云う言葉が流れて、思い浮かんだのが『こねこのなる樹』でした。でもタイトルだけで作者も内容もすっかり忘れていました。たぶんこの辺じゃないかなと捜したところ、伊東愛子の同名の本が出てきました。伊東愛子はこの「こんなマンガがあった」で一番初めに取り上げた人です。
 で、早速読んでみました。こんなお話だったのかと改めて思いました。

 両親を亡くし、アパートで兄と暮らす高校三年生の勝美ですが、結婚して子供のいる姉が拾った子猫を連れてやって来ます。もとからいた猫と併せて三匹になってしまいます。大家さんから一匹は飼っていいよといわれていたのですが、その一匹の他にもう一匹拾った猫がいたのです。それで三匹です。
 夜に庭から猫の鳴き声、逃げ出したかと慌てて庭に出ると二匹の子猫が。一匹は怪我をしていて、結局二匹とも家の中に入れます。
 翌日学校で猫のもらい手の話をする勝美ですが、学校帰りに子猫をいじめている子供から猫を救います。こうして子猫は都合六匹になります。
 もらい手も見つからず、あれやこれやがあり、大家さんの孫娘にばれてしまいます、そして大家さんにも。六匹ときいて驚く大家さんです。
 「なぜ急に子ネコが集まったのかしら?」との勝美の疑問に「お姉ちゃんちの裏庭に「こねこのなる樹」があるからよ」と孫娘の指さすところには銀色毛皮のねこやなぎが。
 この孫娘は赤ちゃんの時に両親を亡くしています。それが語られているのが22ページなのですが、孫娘は最近両親を亡くした勝美を可哀想に思い見ていたのです。

 高校生ですから、進路の悩みも出てきます。働きながら専門学校と初めの頃は考えているのですが、結局は姉や兄の勧めで大学を目指します。
 最後から二つ目の齣には、兄の友達で参考書をくれた男が出てきて、最後の齣は顔を赤らめる勝美で終わっています。

 最近は野良猫を見ることは滅多にありません。でも昔はけっこう見かけたような気がします。猫に首輪は滅多にないようで、飼い猫が外に出ることも多かったようです。このマンガは昭和53年一月号に載ったものなので1977年に描かれたもののようです。確かにこのころはかなりの数の猫がうろついていたのでしょう。

 マンガのタイトルは大事なのだなあと思ったものです。中身はすっかり忘れていても風変わりなタイトルだけはしっかりと覚えているのですから。
 後書き代わりの制作エピソードに花郁悠紀子が出てきますが、彼女は1980年に亡くなったことが書かれています。


 書名『こねこのなる樹』
 出版社 朝日ソノラマ sun comics 641
 昭和56年4月30日初版発行


 ネコヤナギと猫は、萩尾望都のマンガにネコヤナギネコが一齣か二齣出てきているような気がするのですが、確かめていません。

2018年12月5日水曜日

坂田靖子の『パパゲーノ』


 坂田靖子については、以前『リカの想い出 永遠の少女たちへ』で、触れています。
 この人はいろいろなジャンルの作品を描いています。その中から何を持ってくるのか悩みましたが、今回は表題作を含む短篇集を選んでみました。

 この本には表題作『パパゲーノ』の他に五作品が入っています。一つずつ観ていきたく思います。

 まずは『パパゲーノ』と『めりー・ひーる』についてです。
 パパゲーノと云えば思い浮かぶのはモーツァルトの「魔笛」に登場する人物です。
 でもこのマンガに出てくるパパゲーノは草と木でできた小さな家に住んでます。ページをめくると、パパゲーノの大きさがわかります。ライオン狩りに出かけるのですが、ダンディライオンなのです。勝ったり負けたりしているようです。タンポポの草丈の 1/3 もないでしょうか。それでも家の屋根で栽培しているキノコを食べ、ダンディライオンに勝った時にはタンポポコーヒーを飲みと静かに暮らしていたのです。
 ところがある日フィガロの歌を歌いながら現れた少年に静かな生活は破られてしまいます。パパゲーノの家の屋根のキノコは盗られるは、魚を釣り上げると横からかっさらうは、とパパゲーノの日々は落ち着かなくなります。そんな雨の日、フィガロの歌を歌いながら川辺を走っている少年は足を滑らせ川に落ちてしまいます。慌てて家を出て少年を助けようとするパパゲーノですが、少年は見つかりません。
 もとの静かな生活が戻ってきます。遠くから来たカメが山を越えた向こうでフィガロの歌を聞いたと教えてくれます。
 最後の齣がカーテンコールと題されて、コーヒーを飲んでいるパパゲーノとカメの前にフィガロの歌を歌いながら少年が現れます。この齣は何を意味してるのでしょうか。

 三番目に載っているのが『めりー・ひーる』です。繁みの中に棲んでいる妖精のようなものです。羽はありません。かんしゃく持ちでかなり我が儘なようです。めりー・ひーるが茨を抜けて森の中に入ると魔女の家に着きます。魔女は大きな鍋で何かを煮ています。地下で眠る龍(?)を起こす薬だそうで、龍に乗ると星まで行けるとのことです。そんなことに興味のないめりー・ひーるは帰るのですが、一陣の風(?)で気が変わり魔女のところに戻ります。ところが扉は開きません、魔女と龍はいつもめりー・ひーるの居るところで彼女を待っています。
 さて、どちらが先に家に帰ろうとするのでしょうか。

 この二作品はファンタジーなのですが、何も変わったことは起きていません。身体が小さいとか、カメが話すとか、魔女と龍が出てきてるじゃないかとかは置いておいてください。不思議なことが起こらなくてもファンタジーになるのだなぁと、特に『パパゲーノ』を読みながら考えてました。

 四作目は『フロスト・バレー』です。
 冬の、とは云っても冬至祭なのでまだ本格的な冬ではないはずなのですが、夜のお話です。キング・フロストの落とした冬至祭のタネが原因で何でもかんでも凍り付くと云うもので、結局は夢オチになっているのですが、面白いファンタジーです。

 五作目の『壁紙』は、「マザー・グース」のいろいろなお話がもとになってできています。終わりから三ページ目の、少年の「でも……誰かいるよ 誰か……ぼくがいないと困る人が……」はなかなかに考えさせられるセリフです。マザー・グースを知らなくても面白く読めると思います。

 六作目はアンデルセンの「ナイチンゲール」のマンガ化です。

 さて、二作目ですが、『海』、この短篇集の中では一番気に入ったものです。
 としゆき少年の夏休みの話です。小さい頃に見た図鑑のせいで海が嫌いになったとしゆきですが、両親は海水浴が大好きです。
 夏休みの土日に海辺のおじいさんの家に行くことになります。早速海に行こうとする両親を振り切ります。夜、海の音を聴きながら思います、「枕の下が海だ おじいちゃんはこんなとこにすんでてなんともないのかな」と。
 翌日、親子三人の海水浴があり、その後海沿いの道を歩くとしゆきとおじいさんの場面になります。「おじいちゃん海がこわいの?」「こんなでかいものこわいにきまっとるだろう!」
 おじいさんに買ってもらった帽子をかぶり一人海辺の道を歩き、ガードレールに寄りかかり海を眺め波を聴くところで終わっています。

 何の事件も起こらないありふれた日常を描いただけのマンガなのですが、妙に心に残ります。ほとんど二日間のお話なのですが、としゆきの成長を感じることができます。それは直截には描かれていませんが、最後の海を見るシーンでそれを表していると思えます。


 書名『パパゲーノ』 坂田靖子傑作集 
 出版社 MOE出版
 1989年4月 第1刷



 今日からから九年目になります。この一年は五回だけでした。次の一年はどうなることでしょう……



 【追記】2019年7月31日
 先日、「世界史を変えた異常気象」を読んでいましたら、1941年にソ連に侵攻したドイツ軍は11月に寒波に襲われ、12月上旬には身動きがとれなかったとありました。積雪の記載はありませんが、モスクワで零下25.9度まで下がり、場所によっては零下50度にもなったとあります。知らなかったとはいえ、12月上旬でこんな事になった年もあったなんて。
 『世界史を変えた異常気象』2019年4月30日 第1刷発行 田家康
 日経ビジネス人文庫 日本経済新聞社


 【さらに追記】2019年12月5日
 今年は北日本では12月上旬に40 cm を超える積雪のあったところもあり、うっかりしたことは書けないなぁと思い知らされるこの頃です。

2018年7月31日火曜日

江島絵理の『柚子森さん』


 最終五巻の出たのが五月なので、新しいマンガです。普段はこんなに目の大きな女の子の表紙のマンガはめったに読まないのですが、この時はなんだか呼ばれたような気がして買ったのです。

 第一・二巻の登場人物は三人だけです。小学四年生の柚子森楓と高校二年生の野間みみかとみみかの同級生のしーちゃん(第二巻で志摩栞と柚子森さんに自己紹介をしています)です。第三巻では、その16にちらっと出ていた柚子森さんの同級生がその18.5で、りりはという名前で出てきています。第四巻ではその22までは、りりはと同級生の五十鈴がメインです。後半はひとりぼっちの柚子森さんです。第五巻では、結局仲直りするみみかと柚子森さん、そして親友になったりりはと五十鈴の四人といったところでしょうか。

 みみかが初めて柚子森さんに出会うのは、見開きにしゃがんでいる柚子森さんと猫のシーンです。この時は防犯ブザーを鳴らされかけます。その時に財布を落とし学校帰りに財布を捜すみみか、そこを通りかかった柚子森さん。柚子森さんのおかげで財布は見つかります。そこから二人は付き合い(?)始めます。七つ年上のはずなのに、みみかは柚子森さんに敬語で話すし、雷の怖いみみかは柚子森さんに怖がらせられないように慰められるしと、立場が逆転しています。
 そんな柚子森さんですが、しーちゃんにみみかのことをいろいろ聞かされて、嫉妬します。しーちゃんが帰った後で、柚子森さんの告白があり、悩んだ末のみみかの「私も好きです」があり、両想いだと知る二人です。
 その18.5で、りりはは柚子森さんに「あなたの大切なもん、ぜんぶ奪ってあげる」と言います。りりはは五十鈴を誘って、柚子森さんとみみかの後を付けます。柚子森さんと別れた後のみみかに近づくりりはですが、みみかに相手にされません。みみかのバッグから落ちたマンガを見て五十鈴が食いつきます。そのおかげでりりはの計画は成功します。
 翌日、柚子森さんがみみかを尋ねるとそこにはりりはと五十鈴がいます。りりはの言うことを真に受けて、みみかは柚子森さんとの付き合いを止めてしまいます。二人はそれぞれ胸に空洞を抱えます。一方りりはは作戦通りだったのですがちっとも楽しくありません。
 ある日、みみかのことを想い雨に打たれている柚子森さんにしーちゃんが声をかけます。みみかのうちに特攻かけようとするしーちゃんですが、涙を零している柚子森さんを見かけてりりははしーちゃんに跳び蹴りをして柚子森さんと逃げます。りりはは、みみかと仲違いさせたのは自分の計画だったことを話します。実はりりはも柚子森さんを特別な目で見ているのです。その柚子森さんから「腹黒くても。いまのりりはのほうが好きかな。」と言われるりりは。やっとりりはに追いついた五十鈴が見たのはにこ~としているりりはです。
 柚子森さんはりりはと別れたその足でみみかのところに向かいます。柚子森さんとみみかのやり取りがこのマンガのクライマックスなのでしょう、とても四年生とは思えないセリフが飛び交っています。道端で抱き合う二人をちょっと悔しそうに見やるりりはです。
 しーちゃんを加えた五人で夏祭りに行くところでメインの話は終わりです。柚子森さんとみみかの二人のブランコでの会話がここのキモです。みみかの「先に大人になって待ってますから」に「待ってて」と答える柚子森さん。
 最終話は柚子森さんの中学の入学です。毎日あなたを失って、会うたびあなたにまた恋をする、とのみみかの思いで終わっています。唄のセリフにあったような……。

 このマンガは徹頭徹尾女の子しか登場しません、男の子は遠景です。以前に扱った矢代まさこの「シークレット・ラブ」はレズを扱ったものですが男が出てきています。というより、女の子が女の子が好きなのに気づいて姿を消すというお話です。また少女マンガで女の子同士のキスシーンを初めて描いたといわれる山岸凉子の「白い部屋のふたり」は、舞台が外国で二人とも15歳ぐらいだったような。
 五巻まで続いたにしては、最終話を除いては時間は数ヶ月しか経っていません。それでもずいぶんといろんな事があって、と言ってもそれは終わりの二巻なのですが、時間が経ったように感じられます。
 マンガとはいえ、小学四年生とは思えないセリフの数々、でもそれも含めて面白く読めました。
 最終話の「私が一目で恋に落ちた、あのときの柚子森さんにはもう会えない。二度と会えない。」のシーンで、脳裏を掠めたのは「レ・ミゼラブル」の終わりのほうでジャン・ヴァルジャンが小さかったコゼットの服をみて涙を流す場面です。中学三年の頃に読んだと思います。章ごとにストーリーとは直接関係のない話が入っていて何故だろうと思いつつ読んだ記憶があります。

 「みみか」を一瞬「みかか」と読みそうになったのは2ちゃんねるに毒されているのでしょうか。


 書名『柚子森さん』
 出版社 小学館 ビッグスピリッツコミックススペシャル
 2016年12月17日初版第1刷発行 ① 大正義。
 2017年  3月15日初版第1刷発行 ②  最最最の高。
 2017年  7月17日初版第1刷発行 ③  1ページごとにため息ついて
 2017年15月17日初版第1刷発行 ④ 全ページが神域
 2018年  5月16日初版第1刷発行 ⑤  祝福につつまれる至高のガールミーツガール。

↑帯の惹句です

2018年5月31日木曜日

永野のりこの『GIVE ME(くれくれ)たまちゃん!』


 永野のりこといえば、眼鏡の少年(マッドサイエンティスト)とおかっぱの女の子が定番ですが、このマンガはちょっと違います。眼鏡の中学生と三つ編みの女の子が主役です。
 帯には「いつものメガネのマッドサイエンティストが女の子をアレするマンガと思ったら大まちがい ひとあじ違う永野のりこ ハンカチは、5枚じゃ足りない!」とあります。確かにハンカチは5枚では足りないと思います。けれどもちろんお涙ちょうだいではありません。マンガに必要な笑いがちりばめられています。

 このマンガは1989年から描かれたもののようで、日本はバブル経済の真っ最中でした。だからこそ帯に「お大尽だよぅ」とあるのも頷けます。
 あらすじについては「つれづれの館」の「漫画資料室」を見て戴ければ幸いです(www.jakushou.com/ture/manga/mei/tama.html)。
 終戦直後からコールドスリープで平成の世に甦る女の子のお話です。

 それでは、私なりに面白いと思うところを少し書いてみます。

 2章の「マリラのようなツッコミをっ」は赤毛のアンからのものでしょう。同じページと次のページにかけては泣くべきなのか、笑うべきなのか、道の真ん中でがつがつと食事をするおたま。せっかくの名場面が……。
 この章からレギュラーの佐渡金山(さどかねやま)もり子が登場します。
 3章でおたまが還(カエル)と同学年で八ヶ月生まれが早いことがわかります。カエルの好きな子がイライザと名乗った女の子なのが気を失ったカエルの回想に出てきます。
 そして4章で、もり子がイライザであることが読者にはわかります。カエルがそれを知るのは21章なのですが。
 8章でもり子の祖父佐渡金山日出邦(じいさん)が出てきます。日本一、いや世界一の大金持ちですが、おたまには徹底的に優しく振る舞います。敗戦後のどさくさで行方不明になった妹のお給とそっくりなおたまなのですから。9章でおたまとお給が同一人物と気づくカエルですが、そこはマンガ、いろいろと邪魔が入り21章までじいさんには話せません。
 10章の佐渡金山の「あのヤケアトで日本の繁栄を切望していたわしが… この豊かさをにくむとは…」との思いと、この章の終わり三ページはグッときます。じいさんの回想で、青年のじいさんがたまをだきしめ「わが愛しの妹(たま)よ…」と言うシーンがあります。

 以下ドタバタギャグとところどころにしんみりのシーンがあります。
 そして終わりから三つ目の章(20章)で、じいさん宛のカエルの手紙(おたまがじいさんの妹である)をもり子がカエルから奪って読みます。もちろん信じられないもり子は21章でおたまを攫って、どこかに捨てるように国際シンジケートに依頼します。カエルはじいさんにおたまの出自を話します。おたまが自分の妹であることを知り、おたまを探し出そうとするじいさん。しかしじいさんは、病に倒れます。一方、もり子がイライザなことを知ったカエルはもり子を抱きしめます。
 最後の22章では、大団円なのですが、最初にじいさんの回想があり、カエルの父親の作ったコールドスリープでじいさんは眠りにつきます。
 それからしばらくしてーー具体的な期間はありません、おたまが大人になっているくらいの期間ですーー脳と骨格以外はすべて交換されてじいさんは復活します、青年として。
 おたまに会ってあんちゃんは訊きます。「おめぇ ハラへってねぇか?」「うん あんちゃん!!」と答えるおたま。このシーンにはハンカチが必要です。

 なお、1章と書きましたが、①と白抜きの数字で示されています。
 また、章ごとにタイトルがありますが、映画のタイトルまたはそのパロディーになっています。全部がそうなのかはわかりませんが。

 360ページの大作なのですが、読み始めると止まりません。笑いあり、考えさせられるところあり、涙ありと面白く読めます。カエルの父がマッドサイエンティストの役を演じています。

 このマンガが描かれた頃は、最初に述べたようにバブル景気の真っ只中でした。その頃にこのようなマンガが描かれたことに驚きを感じます。世界一の大金持ちが登場するのはそれが背景にあります。それでも金より当然家族を取るじいさん、そしてもり子なのです。
 おたまが主人公なのですが、もうひとつのお話はもり子のカエルへの想いと、カエルのイライザへの恋でしょう。最後のページで子供を抱いているカエルともり子がいます。

 このマンガの前に「火垂るの墓」のアニメが上映されています。戦後を生き延びられなかった二人に対して、このマンガは戦後の混乱期を生き抜いたじいさんと、そこをスルーしたおたまの奇妙な物語です。

 どうでもいいことですが、21章のもり子が鬘を脱ぎ捨てるシーンで後ろ姿の脚が描かれているのですが、そのストッキングに縫い目があります。

 書名『GIVE ME(くれくれ)たまちゃん!』
 出版社 徳間書店 少年キャプテンコミックススペシャル
 1993年12月20日 初版発行

2018年4月30日月曜日

秋月りすの『OL進化論』


 第一巻が1990年10月ですので、28年も続いているマンガです。現在も連載中なので「こんなマンガがあった」ではないのですが、四齣マンガで時代を反映しているということで、初期のものは過去にこんな事があったと云うことで、懐かしさを感じるのです。

 Wikipedia に「OL進化論」の項目があり、そこにはかなり詳しく過去のことなどもあり、参考になります。1989年の終わりごろから連載が始まっています。

 そこで初期のもので印象に残っているのをいくつか取り上げます。

 まず、第二巻の最初16ページについてです。このころはまだバブル時代が残っていて、商店街のミス・コンテストで香港旅行ということもあったようです。
 ジュンちゃんに誘われて、ミス・ハーバーライトに出て優勝して香港旅行のペアチケットを手に入れる美奈子です。みんなを誘って遊びに行こうというジュンちゃんに、鵜飼いの鵜を思い浮かべる美奈子。
 同じ課の絵美とけいこも一緒に行くことになり、残される課長一人。田中君も休みを取ったのでしょうか。課長はブルーマウンテンを買って一人飲んでいます。
 OL四人の香港でのお話は、行きの飛行機での話を含めて七ページほどです。その半分ほどは食堂と食べ物のお話なのはまぁわかります。15ページの「圧縮」にはくすりとします。旅行中ずっと便秘のジュンちゃんを見て、あれだけ食べたものがと不思議に思う美奈子。
 二ページほどに渡って、社長と社長秘書令子のお話があります。社長の「香港だとひとっ飛びだ 国内出張と変わらんね」とのセリフがあります。
 おみやげの中国服を課長に着せて、そこに部長が現れる場面には笑ってしまいます。

 33ページの「効果」を見て、このころはまだ音姫が広く普及していなかったのかとわかります。1988年発売とありますので、広く普及する前だったのでしょう。

 三巻の34ページには派遣社員が出てきます。派遣会社から来たコとなっています。
 五巻87ページの「最近の若者って」には、昔を思い出して納得できます。中学生と高校生の区別が付かなくなって、歳だなぁと思わされる話です。

 六巻の91ページからの16ページは面白く読めます。派遣会社からの派遣社員の話と課長の子ども達のアルバイトの話の二つが並行して進んでいます。子ども達の春休みの頃の話です。派遣社員の話も面白いのですが、アルバイトの話も面白いものです。中学生の娘はお金持ちの年齢不詳の女の人にアルバイトを持ちかけられます。女の人の不在の十日間ほど犬の散歩をすることになります。そのバイト代として十万円を出されます。「こんなにもらえませんお母さんにおこられちゃう」「そろそろ親に秘密を持ってもいいんじゃない?」と言われお金を受け取ります。高校生の兄は九時から五時まで倉庫での荷物運びのアルバイトをします。そして新学期、身長が伸びて大喜びする兄です。

 今回は七巻まで目を通しました。始まった頃はバブルの終わりで、途中でそれがはじけてしまった頃のお話になってと、良くも悪くもあの頃を思い出してしまいます。


 実はこのマンガを読み返して取り上げたのにはわけがあります。それはいわゆる「働き方改革法案」が国会に上程されたからなのです。派遣労働は初めの頃は特定の業種に限られていたのですが、改正に改正を重ねてほとんどすべての業種に適用されるようになりました。そして何時の頃からか、ハケンとカタカナ書きされるようになっていったのです。
 高度プロフェッショナル制度の導入については、賃金と業種が限定されていますが、派遣労働のようにいつの間にかその縛りが無くなっていくのではないかとの不安がよぎるのです。杞憂ならばいいのですが。


 書名『OL進化論』
 出版社 講談社 ワイドKCモーニング
 1991年 6 月22日第1刷発行 2巻
 1991年12月16日第1刷発行 3巻
 1993年 1 月23日第1刷発行 5巻
 1993年 9 月23日第1刷発行 6巻

2018年3月11日日曜日

地震から七年


 今年も3.11になります。あの日から七年です。海岸には慰霊碑などがありますが、仙台の街の中は地震のあったことを思わせるものは捜さなければありません。
 今日の仙台は春の日差しが降り注ぎ、あの日と違って春なのだなあという一日です。

 先日の発表では、福島原発の凍土壁は一定の効果はあるものの、予想よりその効果はかなり小さいようです。廃炉作業の準備も予定通りには進んでないようですし。四十年から五十年はかかるという作業は、果たして終わりがくるのでしょうか。
 また、双葉町や大熊町はどうなるのでしょうか。自治体としてやっていけるのでしょうか。浪江町と富岡町は人口の三パーセント前後しか戻ってきていないとのことです。

 一週間前のTVで河川津波のことをやっていました。確かに海の見えない十キロ以上も河口から離れたところに津波が押し寄せるとは誰も思っていなかったことでしょう。これが予想されている東南海地震への教訓になれば、命を落とされた方々も浮かばれるのでしょうか。

 避難している人は七万人以上いて、福島県だけで六割以上とか。まだ仮設住宅に住んでいる方も多いとのことです。災害公営住宅の建設もまだのところがあるようです。被災面積に大きな違いがあり、阪神淡路の時と比べてはいけないのでしょうが、遅すぎるのではないでしょうか。阪神淡路では、津波の被害がなかったためにすぐに復旧できたとのことです。津波のことを考えると、色々と大変なことはわかりますが。
 七年ということは、被災者は七つ年をとるということなのです、あと三年で十、年をとるのかと考えると……。

 被災地での、小さくて地震を覚えていないはずの、または震災後に生まれた子供の行動に異常が見られるとの話には考えさせられます。被災した人たちの震災後の不安やいらだちの影響とのことですが、この子達の将来は、と思うと……。
 ハード面での復旧・復興は時間と金さえあれば何とかなるのでしょうが、心の問題はそうではないので、時間がかかるのでしょう。

 あれこれととりとめなく書いてきましたが、七年が、まだなのかもうなのかわかりません。


 震災の二年後に出版されたマンガ、『3.11 あの日を忘れない』1~5巻をずっと積ん読の状態でした。あの日から七年が過ぎた今、ようやく読んでみようと考えています。

2018年2月12日月曜日

東屋めめの『すいーとるーむ?』


 東屋めめを知ったのは『リコーダーとランドセル』の第三巻が本屋に平積みになっているのを見た時でした。面白いのかなぁと、まず第一巻を買ってみました。翌日には三巻までを買っていました。
 他にはないのかなぁと捜して目に付いたのが表題の『すいーとるーむ?』とデビュー作の『ご契約ください!』です。とりあえず『すいーとるーむ?』の第一巻を買い、ちょっとしてから五巻までを買いました。この時にはまだ最終の六巻は出ていません。もちろん、『ご契約ください!』も買いましたけど。

 一回、(原則)八ページで四齣マンガが15本載っています。四齣マンガですのでストーリーはありません。一回15本でのつながりはありますが。
 OL のゆかりさんが主役で、部長、主任、中途採用の後輩の男子(永井君)、部署の違う女子(美好さん)、そして以前勤めていて独立した女性(塩田さん)が登場人物です。一巻から四巻46ページまではセールス三人娘が登場します。四巻31ページから秋律子というアルバイトの女の子が出てきます。

 タイトルの「すいーとるーむ」が何を意味しているかは最初の四齣でわかります。新人の永井君が「おはようございます」とドアを開けるとパジャマ姿のゆかりさんが。終電を逃したのかと訊いてみると、「ここに住んでるの」との返事。生活用品一式が置いてあります。最初は通勤していたのが「毎日帰るの時間のムダ」と会社に棲みついてしまったのです。そして一巻50ページでは、会社の住所に住民登録をしていることまで出てきます。
 一巻26ページにセールス三人娘が出てきて、以後ときどき登場して、永井君が振り回されます。なにしろ売っているのが、家だったり宝石だったり絵画だったりするのです。そしていつの間にか契約をしている永井君。さすがに家とか宝石は買っていませんが。同巻36ページには塩田さんが登場します。これから先、永井君を巡りゆかりさんとのバトル(?)がしばしばあります。と云ってももちろん、男女関係ではありません。
 四巻31ページから登場する秋さんなのですが、なかなかに面白いキャラクターです。永井君には目もくれず、ひたすらゆかりさんに纏わり付くのです。しかも永井君を敵視しています。この三人の三角関係(?)は五巻にも続いていきます。
 ここまではまとめて読みました。2012年の二月のことです。最後の六巻はこの一年後に出ています。
 六巻には永井君が前の会社を辞めることになった先輩社員の吉川さんが出てきます。永井君が吉川さんに「好きです!」、「ごめんね無理」と振られ、「わかりましたここ辞めます!」が一齣で描かれています。前の会社では「退職理由に失恋」と書いて伝説となり、賭の対象にまでなっているのです。
 この巻の81ページには関心を少し永井君に向ける秋さんが描かれています。89ページには悩みをゆかりさんに相談する秋さん、93ページには転職した秋さんが描かれています。そして94ページには塩田さんと一緒に現れる秋さん。正社員としての転職先が塩田さんの会社で、天敵が二人になってうろたえる永井君。
 六巻の帯には「ゆかりさんいっちゃうの!?」「永井君の恋の行方は!?」とあります。最後の二話のお話はここではしません。
 この巻は35ページ以降は、六ページ11話が原則になっています。

 このマンガの面白さはその設定にあります。これまでにも四齣マンガで OL を扱ったものはたくさんありますが、通勤が面倒で会社に棲みつくというのはありません。究極の職住近接の勤務形態と云っていいでしょう。なにしろ通勤時間がゼロなのですから。もっとも遅刻しないかといえば、時計代わりの永井君が出張した時とかその他がありますが。
 仕事以外では、会社から五分の距離しか動かないというゆかりさんが主役で六巻も描くというのはたいしたものです。

 作者の描く OL マンガは設定がどこかとんでいます。このマンガにしても、『ご契約ください!』にしても、決してあり得ないはずなのに面白いのです。それは『秘書の仕事じゃありません』の秘書にも言えることですが。
 カヴァーのゆかりさんの顔が、巻を追うごとに険が無くなってかわいらしくなっていくのも面白いなぁと思います。

 三巻45ページだけが美好さんが三好さんになっています。


 書名『すいーとるーむ?』
 出版社 芳文社 MANGA TIME COMICS
 2008年1月23日第1刷発行 1巻 手元のものは 2010年5月15日第4刷
 2008年12月21日第1刷発行 2巻
 2009年12月22日第1刷発行 3巻
 2010年10月22日第1刷発行 4巻
 2011年10月22日第1刷発行 5巻
 2013年3月22日第1刷発行 6巻

2017年11月3日金曜日

北原文野の『夢の果て』


 作者のPシリーズの最初がこの『夢の果て』の「ひとりトランプ」です。『夢の果て』は全六巻のシリーズです。わたしが初めて見たPシリーズは「WINGS」を見ていませんでしたので、「プチフラワー」の『L6 外を夢みて』でした。

 Pとは 地上が放射能で汚染され、人間が地下都市に逃れて生きる未来の地球…。超能力者は、混乱させる者 (Perplexer) 略してPと呼ばれ、恐れられていた…。
 これは二ページの最初にある説明です。

 各巻に副題がついています。前半三巻と後半三巻では少し構成が違っています。後半は副題と構成が一対一に対応していますが、前半は副題よりかなり細かい構成になっています。

 超能力者を恐れ迫害する普通の人間と超能力者のことを描いたマンガです。戦いというよりは一方的な迫害と、それから逃れようとする超能力者と云ったところでしょうか。戦いは六巻だけでしょう。
 始まりは自分の子供スロウがPと知って苦悩する母親です。小さな弟サモスに暗示をかけて捨てて、母親はスロウを殺して自殺しようとするのですが、スロウは命を取り留めます。以下、スロウと彼を巡る人たちの話です。サモスがPなのは一巻の200ページでわかります。
 六巻の半ばから、Pと人間の戦いが始まります。終わりは、放射線の少ない地上で生活する超能力者達です。でもそこにはスロウはいません。サモスはスロウと二年半を過ごしたトゥリオに兄のことを聞くところで話は終わります。

 長い話の中で印象に残っている場面を少し書いてみます。
 三巻69ページの、警部の娘で大人になってからPになったヘレンのいまわの際の言葉、
 「生まれた時から"P"の人もいれば あたしみたいに途中から"P"になる人もいる…… それをどうして人間とPと分けられるっていうの……?」
 このマンガでは生まれながらのPもいれば後天的にPになる人間のいることで話が複雑になっています。

 四巻96ページにゲオルグIII世が出てきて、亡くなったゲオルグI世の葬儀を執り行っています。III世は非常に重要な人物です。五巻3ページに祖母が登場します。ゲオルグI世の妻で、透視のできるPです。
 同じ巻の179ページにはクァナが登場します。名前が出てくるのは193ページです。同じ作者の『クァナの宴』の主役です。III世の甥です。

 五巻76ページには「お母さんは どんな子でもいとしく思っているんだよ……」と助けたPの子供に言って、はっとするスロウです。悩んだ末に無理心中をしようとしたのでは、との母の思いに気づくのです。

 六巻131ページにはゲオルグIII世がPであることが描かれています。テレポートで姿が消えます。134ページ以下で、彼が高い能力の超能力者であることがわかります。
 147ページでスロウからなぜPを狩り、Pを利用するのかと訊かれ「わたしは頂上に立つのが好きでね……」と答えるIII世です。

 SFではよくある普通の人間と超能力者の戦いがテーマなのですが、それが最後にひっくり返るとは……と云ったところでしょうか。
 ゲオルグIII世がPなのが明らかになるところまでは、Pと人間との戦いかなと思わせておいて、実はそうではなかったという。祖母がPなのは五巻の最初に出てくるのですが、そこからIII世もPだと分かれというのは無理でしょう。
 自分が支配者の頂点に立ち、すべてを自分のものにするという野望を抱くIII世です。人間もPも嫌いだというIII世に、「それでは(中略)ずっとひとりで生きていかなくちゃならない」と言うスロウに激高するIII世です。 
 その後に、III世の口から自身が親から引き離され、妹のイリィと二人で生きていくことを強いられたことが語られています。

 甥のクァナについては、『クァナの宴』で作者は様々なことを描いています。この物語が途中で終わってしまったのは残念です。
 III世の行動は決して肯定されるものではないでしょうが、そこに至る心の動き、幼少期の暮らし、そういったものがあれば読んでみたいと思ったものです。愛してくれるもの、愛するものすべてを失ったというIII世の心情を知りたいものです。
 頂点に立とうとするIII世ですが、再建される新都市で彼の野望は達成されるのでしょうか? Pが生まれつきのものなら子供のうちに洗脳は可能でしょうが、ある日突然Pになる大人がいるとしたなら、超能力を隠し、磨いて、III世に叛旗を翻すものも出そうです。III世ならそのへんも考えているでしょうが。

 タイトルの“夢”というのはPの見る争いのない世界なのでしょうか。ゲオルグIII世の夢なら怖いなぁと。


 書名 『夢の果て』 1~6巻
 出版社 新書館 WINGS COMICS
 1986年3月5日初版発行 第1巻
 ……
 1991年6月10日初版発行 第6巻

 第4巻から消費税3%がかかっています。

2017年9月22日金曜日

松本和代の『フレンズ』


 だいぶ前にこの作者の『もな子…しゃべり勝ち!』を取り上げました。今回は最初の単行本の表題作を取り上げます。カヴァーを見る限りはギャグマンガです。それは間違ってはいません。けれども見方を変えるとけっこうシリアスな展開もあったりします。

 女子高に通う女の子二人と、男子校に通う男の子二人が主役です。
 舞台になっている街はダイエーはあり、マクドナルドもあり、通学には電車を使うようなところです。59ページにチバ県立東高校とありますから、千葉県が舞台なのでしょうが、東京の通勤圏ではないようです。
 インターネットで千葉県立東高校を調べると、千葉県立千葉東高校がヒットして、千葉市にありました。40年近く前の千葉市はこんなにものんびりしてたのでしょうか。

 楠本美之(みゆき)と横瀬香織の二人の女子高生が角井哲明君と桃田岩男君の二人の男子高生と出会い、付き合いを始めるというと、身も蓋もなくなりますが、これが面白いのです。
 美之と角井の出会いはダイエーの地下の食品売り場です。横瀬はお好み焼きを、美之は焼きそばを買うことにして、焼きそば大盛りでと頼むのですが、いつものおじさんではなくアルバイトの若い人がいます。それが気になって次の日、一人でまた行くと、バイトに「今日も大盛りですか」と言われて逃げ出す美之です。三日目に横瀬と行ってみるともうバイトはいません。縁がなかったとあきらめます。
 同級生の真矢から聞いた喫茶店で二人は、男同士で喫茶店に来ているバイトの男の子に出会います。東高校生で角井と桃田という名前です。三十分ほど話して別れます。東高校の校門前で待ち伏せをする二人ですが、40分ほど立っていてあきらめて、肉まんあんまんを買って公園で食べているところに角井と桃田が現れます。まんじゅうを食べながらの話がしばしあって、日曜日に四人でデートになります。デートの場所はなんとラーメン屋です。そのデートもうまくいきますが……。
 美之は角井と真矢が親しくしているのを何度か目撃します。それを見てもやもやする美之。真矢が角井の従妹と知るまでの80ページ近くは面白く読めます。と云ってもほんの二、三日しか経っていませんが。204ページの美之と真矢の顔の対比には笑ってしまいます。笑いを堪えられない美之とぶすっとした真矢と。
 最後の三ページがなかなかに面白いものです。角井に付き合って欲しいといわれ、顔を赤くする美之、最後のページは大きな一齣で、樹の下で赤い顔をして「あの…あの…」と言う角井と、赤い顔の美之で終わっています。

 この終わり方がいいなぁと思ったものです。ここから先は描かなくてもわかるでしょと云うところが初々しい二人をうまくあらわしているなぁと。
 カヴァー袖には食欲増進オトメチックまんが!とあります。確かに食べている場面は多いです。そもそもの出会いからして焼きそば大盛りですから。高校の場面も昼休みが多いし。美味しそうに昼食のシーンもかなりあります。
 このマンガのタイトルもよく考えられていると思います。友達同士として美之と横瀬、角井と桃田が出てきて、四人が友達になって、美之と角井、横瀬と桃田が付き合ってと、関係がわかりやすくなっています。


 書名『フレンズ』
 出版社 集英社 MARGARET COMICS MC 512
 1980年9月30日 第1刷発行 手元のは1981年1月30日 第3刷です

2017年8月31日木曜日

こうの史代の『夕凪の街 桜の国』


 昨年末から今年(2016年~2017年)にかけて『この世界の片隅に』が劇場アニメ化され評判になった作者ですが、ここで取り上げるのはもう少し古いマンガです。腰巻にはみなもと太郎のベタ褒めの推薦文があります。

 『夕凪の街』は昭和30年(1955年)の広島の原爆スラムが、『桜の国(一)』は、昭和62年(1987年)の東京都中野区が、『桜の国(二)』は平成16年(2004年)の西東京(田無)市と広島が舞台です。
 あらすじは、『夕凪の街 桜の国』で調べると wikipedia にかなり詳しく載っています。そこに、『夕凪の街』の最終ページの次に空白のページがありますが、それについての説明もあります。その次のページには、髪を梳いている母親とうれしそうにしている子供の絵があります。母親のフジミと娘の皆実なのでしょうか。

 それでは、印象に残る場面を少し。
 まず『夕凪の街』について。皆実の14ページのフラッシュバックと、15, 16ページの銭湯でのシーンです。「ええヨメさんなるな」に頬を赧らめる(ように見える)皆実ですがその下の齣は瓦礫から突き出た腕です。いずれの齣も小さいのですが印象的です。銭湯では皆実のあのことについての思いが書かれています。「死ねばいい」と誰かに思われ、それでも生き延びていることについての。
 西平和大橋の袂で皆実は同僚の打越に思いを打ち明けられ、キスされそうになります。その時皆実の脳裏をよぎったのはあの日のことです。打越を突き放し家へ逃げ帰る皆実に思い浮かぶのは、あの日のこと、それに続く日々のことです。「しあわせだと思うたび美しいと思うたび 愛しかった都市のすべてを人のすべてを思い出し すべて失った日に引きずり戻される おまえの住む世界はここではないと誰かの声がする」には、ドキッとさせられます。
 翌日、打越に「うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい 十年前にあったことを話させて下さい」という皆実です。28ページの最後の齣と29ページの初めの齣の間には皆実の話があったのでしょう。「なんか体の力が抜けてしもうた」と言う皆実に、「生きとってくれてありがとうな」と手を絡ませる打越。
 その次の日から家で床についた皆実に会社の人たちが見舞いに来ます。しかし、日に日に弱っていく皆実、目が見えなくなります。32ページの五齣目から33ページは絵がありません、セリフだけです。「十年経ったけど原爆を落とした人はわたしを見て「やった! またひとりころせた」とちゃんとおもうてくれとる?」
 養子に出した弟の旭と伯母が水戸から着いたところで、皆実の思いがあって皆実のお話は終わります。終わりから二齣目に堤防の石段に腰を下ろす打越と、最後の齣は打越にもらったハンカチを持った皆実の左手で終わっています。「このお話はまだ終わりません 何度夕凪が終わっても終わっていません」でこのお話は終わっています。
 たった30ページでこれだけのことが描けるとは驚きしかありません。あの日のことは三ページしか描かれてないのに通奏低音としてすべてに流れています。
 戦争と災害では話が違うといわれるでしょうが、被災者が、私だけが幸せになっていいのかと思うことは多いと聞きます。「うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい」と同じ思いなのでしょう。幸せに生きることが亡くなった方の供養にもなりそうに思えるのですが……。
 皆実が亡くなったのは昭和三十年九月八日です。二十三歳でした。あの日から十年経っています。
 佐々木禎子が亡くなったのは、同年の十月二十五日でした、享年十二歳。「つるのとぶ日」を読んだのはいつ頃だったでしょうか、こちらは実際にあった話ですが。

 つぎに『桜の国(一)』は小学五年生の石川七波のお話です。七波は父の旭、弟の凪生、そして祖母の平野フジミと団地で暮らしています。七波は少年野球のショートをやっていて、野球大好きな女の子です。凪生は喘息で入院しています。団地の向かいの邸宅には七波と同学年の利根東子がいます。四月十日、七波は校庭の桜の花びらを拾い集めて、東子と凪尾の入院している病院に行って花びらを撒き散らして凪生を見舞います。検査で病院に来ていたおばあちゃんには怒られますが。
 そのおばあちゃんが亡くなるのはその夏(昭和六十二年)の八月二十七日のことです、八十歳です。秋には凪生が入院から通院に変わって病院の近くに引っ越します。
 この話はつぎの話の入り口のようで、特にあれこれはいいません。

 『桜の国(二)』は旭と七波、東子が主な登場人物です。凪生ももちろん出てきます、主役ではありませんが。
 退職した旭の様子・行動が変だと気づいた七波はある夜に散歩に出かけると出ていった父の旭の後を付けます。田無駅で17年振りに会いたいと思っていなかった東子に会います。二人で後を付けると、東京駅前から広島行きの夜行バスに乗ります。
 夜行バスでのおばあちゃんの病床シーンの七波の回想は切なくなります。
 広島に着いてからしばらく二人で後を付けます。東子と別れて七波はさらに後を付け墓地に入ります。平野家の墓を見る七波、その三駒前の七波が隠れてみている墓には、あの日とその直後に亡くなった四名の名前が刻まれています。
 70ページの川原の土手に腰を下ろす旭、71ページではそれが昭和30年代初めに変わります。以下、72ページから旭の回想シーンが5ページ半続きます。まだ小学生(たぶん六年生)の太田京花との出会いが描かれています。そして83から84ページには京花を嫁にしたい旭と「知った人が原爆で死ぬんは見とうないよ……」というフジミの言葉があります。
 京花は38歳で血を吐いて倒れ亡くなります。倒れている京花を見つけるのは学校から帰ってきた七波です(直接描かれてはいませんが小学一年生)。93ページの「生まれる前そうあの時わたしはふたりを見ていた」はジーンとくるシーンです。平和大橋の袂の旭と京花は幸せそのものです。
 東子と凪生の二人もうまくいくことでしょう。
 終わりの三ページは帰りの電車での旭と七波です。旭は今年が皆実の五十回忌で、皆実を知っている人たちに会いに行ったことを伝えます。
 最後の齣のセリフは無ければないでも良いように思えるのですが、最後まで暗さを引きずらせないためには必要なのでしょう。

 原爆の怖さはそれを浴びたものに何時影響が現れるかわからないところにもあるのでしょう。皆実の父と妹はおそらく即死に近かったのでしょう、姉は二ヶ月後に、皆実は十年後になくなっています。京花は38年後になくなっていますが、フジミは80歳まで生きています。86ページの七波の思いは当然のことのように思えます。
 子供の頃の思い出の場所は大人になってから訪れると、その小ささに驚くというのはよくあることでしょう。桜が大きくなったせいではないでしょう。


 書名『夕凪の街 桜の国』
 出版社 双葉社
 2004年10月20日第1刷発行 手元にあるのは2004年12月15日第2刷です 

2017年3月31日金曜日

沖倉利津子の『火曜日の条件』


 セッチシリーズの二冊目です。「火曜日の条件」と「金曜日の試合は!?」の二つが入っています。あとはシリーズ外の三作品です。
 では、雑誌掲載順に見ていきましょう。

 まず『金曜日の試合は!?』です。隣の大学生でセッチの家庭教師をしているおにいちゃんの鉄が、きれいな女の人と歩いています。その人は、おにいちゃんのいとこの恵子で、昔、小学一年生のセッチに野球を教えた六年生でした。その頃は男の子と見間違うような女の子だったのが、今はどうみてもお嬢様なのです。
 自分が18になった時にあんな風になれるかと考え込んでしまうセッチです。可愛い女の子になりたいと、野球の試合を断り、母親にはスカートを買ってとねだったりするのですが…。わたしから野球を取ったら何が残るのかと思い悩むセッチ。
 そんなある日、ジーンズ姿の恵子がセッチを尋ねてきて、キャッチボールをしようと言います。キャッチボールをしながらの恵子との会話で色々と考えるセッチです。そして、仲間との5月5日金曜日の試合の練習へと駆けつけるセッチなのです。

 この回のテーマは自分らしいとは何かにあります。女らしくしようと馴れない事をするセッチですが、それはことごとくうまくいきません。「セッチから野球とったらなにが残んだよ?」に一瞬顔色の変わるセッチ。色々と思い悩みながらも、結局、いつものようにやりたい事、野球をする事になるのです。セッチにとっての自分らしい事は野球だったのです。

 つぎに『火曜日の条件』では、一学期の期末試験の前から始まります。試験の二週間前から試験勉強をする者と、それを不思議そうに眺めるセッチから話が始まります。
 優等生の一人染屋からの質問に怒りなぐるセッチ。何故なぐられたか分からない染屋は、柴崎に勉強以外は何も知らないと言われます。
 セッチは「試験試験でサ(中略)自殺する子の気持ちわかるなあ…」と言っておにいちゃんに「あまったれんな!!」と本気の平手打ちを喰らいます。「やってもできない人間の気持ちなんてわかんないんだ!」と言うセッチに、「ほんとうにやったかどうかよーく考えてみろ!!」と言うおにいちゃん。
 二時間かかって数学の証明問題を解いて、お兄ちゃんに見てもらうセッチです。答えは間違っていましたが、「じぶん自身のためにセッチが“やる気”ってものを理解してくれてうれしい」と思う鉄です。
 何とか無事に試験も終わり、通信簿をもらい一学期も終了になります。セッチはそれなりに成績も上がったようです。

 劣等生の悩みと優等生染屋の無神経と云ったところでしょうか。染屋は柴崎に「セッチは(中略)野球やってればしあわせなんだ」と言われ、おまえは?と問われて答えに詰まります。
 海に行くのは全部で七人と鉄で車一台では収まらず、鉄の姉勝三(かつみ)に電話をするセッチ。海に行くのに柴崎は、染屋を誘っています。その火曜日は7月25日でしょう。
 このマンガの見所は、鉄にぶたれてから自分で問題を解こうとするセッチにあるのですが、この二ページは面白いものでした。


 書名『火曜日の条件』
 出版社 集英社 マーガレットコミックス MC 373
 1978年11月20日 第1刷発行  手元のものは1983年1月25日 第13刷です

2017年3月11日土曜日

地震から六年


 あの日から六年経ちます。仏教では七回忌と云うことになります。
 行方不明の方は2,550余名を数えるとのことです。

 外から見れば、復興もだいぶ進んでいると云うことなのでしょうが、当事者にはそう思えないとの思いが強いようです。「インフラは復旧したけれど、復興はまだまだ」と言っていた被災者もいます。また、福島県では原発事故で避難指示が出て、それが解除されこれから故郷に帰れるという人が、「ようやく復興に取りかかれる」とも言っています。
 でも、風評被害は解消されそうにありません。あの日から時間が進んでいないのでしょう。

 TVでは、漁港の復旧は二割強と言っています。復興ではなく、復旧です。
 でも、当事者以外からはもう復興してるのではなどと思われているのでしょう。

 先日、仙台市荒浜と名取市閖上に行ってみました。荒浜にはバスの来なくなったバス停があり、慰霊碑と観音像があります。閖上では、嵩上げ工事が続いています。それを見ていると、まだまだ復興半ばだなぁとの思いが湧いてきました。

 何だかとりとめのないことになってしまいました。お許しください。


 昨年の4月14日と16日には熊本大分地震がありました。日本列島に住む限りは地震からは逃れられないようです。

2017年2月28日火曜日

清原なつのの『なだれのイエス』


 表題作は「花岡ちゃん」シリーズの三作目で最終作です。理屈っぽいところは前二作と同じですが、全体から受ける印象が違います。また、タイトルからも想像が付きますが、これは喜劇です。とはいえ、一人の人物、花岡ちゃんにとっては悲劇として現れます。

 ではマンガを見ていきましょう。
 まず扉絵ですが、これは「ピエタ」のパロディーになっています。花岡ちゃんがマリアに、簑島さんがイエスになっています。全体から受ける印象はどう見ても悲劇の始まりを予感させるものではありません。

 ストーリーについては以下を見ていただければ幸いです。これらを読めば分かるとおり、どう見てもシリアスだろうと思うのは当然なのですが、それでもこれは喜劇なのです。
 pippupgii.blog.so-net.ne.jp/2008-01-20
 wikiwiki.jp/comic-story/ 左のタイトル別一覧から、は~ほを選択し「花岡ちゃんの夏休み」をクリックしてください。この303には「なだれのイエス」までの五作品が載っていますが、ハヤカワコミック文庫にはこの他に二つあります。

 お話が始まって七ページ目で簑島さんが生きていることが読者には分かります。簑島さんから電話を受けた映研部長の遠野は、誰とも連絡を取らないようにと簑島さんに言います。まだ携帯電話のない頃のお話です。
 簑島さんが帰省したことを知らない花岡ちゃんの獅子奮迅の戦いが始まります。詳しくは wikiwiki.jp/comic-story/ の「花岡ちゃんの夏休み」307および308を見ていただければ幸いです。

 以前に読んだときには「花岡ちゃん」シリーズの続編と思っていたし、オチのあるシリアスな話と思っていました。でも、読み返してみると、やっぱり喜劇です。
 唯一シリアスかなと思えるのは、終わりから二ページ目の遠野がみやもり坂で転んだというところでしょうか、

 前二作とは三年の間があいて描かれていますし、ハヤカワコミック文庫では前二作の次ではなく五番目になっています。
 喜劇と割り切って読めば面白いマンガです。
 と云うわけで、前に取り上げた『花岡ちゃんの夏休み』と『早春物語』とは別に書いてみました。


 タイトル『なだれのイエス』
 書名『3丁目のサテンドール』
 出版社 集英社 りぼんマスコットコミックス RMC-219
 1981年12月19日 第1刷発行

 ハヤカワコミック文庫
 『花岡ちゃんの夏休み』
 2006年3月10日 印刷
 2006年3月15日 発行

2017年2月12日日曜日

市川みさこの『ラブ・ミーくん』


 市川みさこと云えば『しあわせさん(オヨネコぶーにゃん)』なのかもしれません。Wikipedia には『オヨネコぶーにゃん』の項目はありますが、「市川みさこ」はありません。ここで取り上げるマンガは、『しあわせさん』より少し後、たぶん平行して書かれたギャグマンガです。

 男の子二人(ラブ♥ミーとムーテ)と牧師さんが毎回の登場人物です。この三人が繰り広げるドタバタマンガです。男の子の名前は最初の話では出てきません、つぎのお話で二人の名前が分かり、マリアちゃんという女の子が登場します。

 最初の「天罰なんか怖くない」では、悪戯をする二人と、それに振りまわされる牧師というマンガを貫く構図が示されています。つぎの「牧師さまとラブレター」では、マリアちゃんに書いたラブレターと、牧師から借りた本を返すために持って出たラブ・ミーが、間違えて牧師にラブレターを渡してしまうと云うお話です。悩む牧師が面白く描かれています。
 「僕のパートナー」では、秋祭りのダンスパーティーに女の子と行くのですが、二人が狙っていたマリアちゃんは風邪でパーティーに行けなくなります。あぶれた二人の考えたのは、女の子の格好のラブ・ミーとムーテのカップルなのです。
 「魔法入門」からの三話は牧師の持っている魔法の本を巡るお話です。「魔法入門」では、魔法の本を持ち出したラブ・ミーが自分の影を使って芝刈りをさせると、影は芝の影だけを刈って、役に立たなかったというオチです。次のお話では魔法の本自身が魔法を使う話で、三話目では、魔法の本が子供達を持ち出してしまいます。手足の生えた魔法の本が両脇に子供を抱え口笛を吹いています。
 「名犬ブルーマウンテン」では、牧師が友人から預かった名犬が登場します。名犬なのですが、牧師が二、三日留守にすることになります。二人に犬を預けて帰ってくると、犬の性格は、子供達にそっくりに変わってしまっています。

 ギャグマンガの難しさは、どのように終わるかにあると思うのですが、このマンガの場合はどうでしょうか。見てみましょう。
 最終話のタイトルは「恐怖のオーメン悪魔ばらい」です。子供達に悪魔が憑いているに違いないと、悪魔払いをする牧師ですが、その様子を見るためたくさんの悪魔が集まってきます。「これが有名なエクソシストか」などと集まってきた悪魔が言っています。
 「悪魔ばらいなのに悪魔をよんでしまった」と自分の修行の足りなさを嘆く牧師。「本物の悪魔になるには… 修行がたりないようだ…」と思う子供達。集まってきた悪魔が何かをしてと云うわけではないようですが。
 「というわけでみんなが修行にでるのでこのまんがは… おしまいです」で終わっています。

 いなくなるのでおしまいは、確かにそうなのでしょうけれど、なんか肩すかしを食らったような気持ちになります。とは云っても代案があるわけでもないのですが。
 それと、子供達が修行にでる理由が分かりません。素直に読むと、悪魔になるための修行にでる、になるのです。それまでは悪魔のような行いを牧師にはしているのですが、悪魔のようだと自分では思っていません、悪戯をしているだけです。それがいきなり悪魔になるというのは無理があるのでは…、と思うのです。
 それでもこのマンガは楽しく読めました。


 書名『ラブミーくん』
 出版社 東京三世社
 出版年 1983年5月10日 初版発行

2017年1月25日水曜日

曽祢まさこの『死霊教室』


 何か禍々しいタイトルのマンガです。ストーリーは以下の通りです。

 中学三年生の藤本広子は、親の期待に添える成績がとれなくて、塾もサボってしまう。そんな広子を父親は叱る、「パパたちが子どものころは戦争で ろくに勉強どころじゃなかった」と。
 その翌日、また塾をサボりひとり街をうろつく広子ですが、家に帰りづらく足はいつの間にか学校へと向かっています。誰もいない教室であれこれ考えているうちにいつしか眠ってしまう広子です。
 ふと目を覚ますともう暗くなっています。そこに先生が来て、授業はもう始まっていると言います。言われた教室に行くと、すでに大勢の人がいます。その人たちを見ていて、広子は違和感を覚えます。知らない人がいる、お父さんのアルバムで見た戦争中の服装をした人がいる。そして気づきます、ここは死人の教室なのだと。
 隣の学生服の高校生が広子に言います。「きみはここにきてはいけない人だよ(中略)コートは方そでだけとおしていくんだ」と。そっと抜け出す広子ですが、教室を出るときにくしゃみをしてしまい、みんなに気づかれます。死人に襲われる広子、コートに群がりそれを引き裂いている間に逃げ出す広子、ところが廊下の先のドアには鍵がかかっています。襲いかかる死人たち、もうダメかと思われたその時、死人たちは消えていきます。一番鶏の鳴き声を聞いたように広子は思います。
 学生服の男は、広子が子どものころいじめっ子からかばってくれた、五つ六つ年上の男の子だったことを思い出します。
 広子は自分にあった高校を自分で選ぶことにして、勉強をするようになります。

 以前に読んだときはなかなか面白い話と思っていました。なんのために勉強するのか悩む女の子しか見ていなかったのでしょう。結末も上手くまとまっているし、さすがだなあと。

 けれど、読み返してみてちょっと、と考えたことがあります。
 父親の「子どものころは戦争で勉強どころじゃなかった」が、伏線になって死人の教室に繋がるのですが、ここに引っかかりました。
 勉学半ばで戦禍で亡くなった人たちは、広子を羨ましがることはあっても、恨むことはないのでは、と思ったからです。確かに恨まないことにはストーリーが成り立たないのはわかるのです。ですが、志半ばで死んでいった人たちを、このようなところに引っ張り出していいのかと考えたのです。
 このマンガが描かれたのは戦後30年です。わたしが読んだのはその五年あとです。意識して読み返したのは去年2016年です。この35年でわたしも変わったのでしょうか……。


 タイトル『死霊教室』
 書名『海にしずんだ伝説』
 出版社 講談社 KCなかよし KCN250
 出版年 昭和51年9月5日第1刷発行 手元のものは昭和56年6月19日第17刷です。

2016年12月5日月曜日

清原なつのの『花岡ちゃんの夏休み』


 以前に清原なつのを取り上げた時に、「タイムトラベル」シリーズと「花図鑑」シリーズに惹かれたと書きましたが、今回取り上げるのは私が作者に惹かれたきっかけになったマンガです。

 ネットを見ると書評がたくさんありすぎて困ってしまいます。面白いマンガなのですがその面白さが、拙い文章で伝わるものなのか悩みます。
 『花岡ちゃんの夏休み』には、五つの短編が入っていて、表題作と、次の『早春物語』が続き物です。カヴァー袖の作品かいせつによるとこの間が七ヶ月あり、途中にもうひとつの作品が入っています。

 以下のホームページにあらすじがあります。
 ストーリーを教えてもらうスレ まとめ Wiki* (http://wikiwiki.jp/comic-story/?%B2%D6%B2%AC%A4%C1%A4%E3%A4%F3%A4%CE%B2%C6%B5%D9%A4%DF) 
 また以下にも興味深いことが書いてあります。http://meganekkokyodan.org/iincho/この眼鏡っ娘マンガがすごい!/この眼鏡っ娘マンガがすごい!第92回:清原なつの/
 
 では、作品を見ていくことにしましょう。

 まず表題作『花岡ちゃんの夏休み』から。花岡数子と簑島さんの物語です。いちおう恋物語なのかもしれませんが、ちょっと変わっています。
 簑島さんは大学三回生、花岡ちゃんは何年生なのかは直接は描いてありませんが、一回生か二回生です。話の中でお見合いをする場面があります。金沢が舞台のお話なのですが、40年前には二十歳前のお見合いは普通だったのでしょうか。
 ストーリーについてはここではあまり触れません。本屋で一冊の本(ロバートブラウン物語)を花岡ちゃんと簑島さんが取り合うところから始まります。喫茶店で二人は百本の線を引いたあみだくじで本の決着を付けます。その喫茶店の壁に貼ってあるメニュー(?)はかなりこまかくて読むのに苦労するのですが、面白いものです。そして本を手に入れた花岡ちゃんが「ばいばーい」と去っていく壁には「おみやげコーヒー」の貼り紙が。これにはクスリとさせられます。

 なんだかんだがあって、毎日公園に出かけて簑島さんと話をする花岡ちゃんです。しかしまわりからきこえる簑島さんについての話は以下のようです。「天才級の IQ、ありあまる才能、総ハゲといううわさ、吸血鬼だとも言われている」などです。「吸血鬼はかまわないけど、ハゲだけは」と花岡ちゃん。
 お見合いの席で、「ちょっと御不浄へ」と云って抜け出し、いつもの公園に行く花岡ちゃん。できあがった童話を読み聞かせる簑島さん。その時強風が吹いてきて、簑島さんの帽子が飛び、カツラが飛び、簑島さんのツルっパゲが顕わになり、「さようなら」と帰ってしまう花岡ちゃん。
 親友の美登利から「簑島さんのどこにひかれたのか…」考えろと云われます。
 次の日、公園に行き「きのうのつづき……」と云う花岡ちゃん。

 こうして書いてみると、一体何に惹かれたのかなぁと思います。きっと花岡ちゃんの悩み苦しむところに共感したのだと思います。読み返してみると、今は花岡ちゃんの悩みよりも、ストーリーの喜劇的なところに惹かれます。
 若い頃に読んだ倉橋由美子の初期の小説ほどではありませんが、ある種の観念をマンガにしたのかなあとも思えます。

 つぎに『早春物語』です。つきあい始めた花岡ちゃんと簑島さんですが、そこに美人で才女の笹川華子さんが登場します。笹川さんは花岡ちゃん同学年なのですが、考え方はどう見ても大人です。笹川さんは簑島さんとつきあおうとするのですが、振られてしまいます。「いつもきれいな笹川華子さん どうせわき役ふられ役」と一人やけ酒の華子さん。
 花岡ちゃんが簑島さんの胸に飛び込んでお話は終わります。

 八重子おばさんの花岡ちゃんの部屋でのシーンで、背景の本棚の本にはしっかりと「ロバートブラウン物語」があります。つぎのページには「花岡ちゃんの……」のタイトルの本が三冊あります。70ページの二齣目の貼り紙には BBT, TNT, EDTA, EBT とありますが、最初の BBT は BT ではないのかなぁなどと余計なことを。でもそれなら EBT と同じだしなぁとも。
 手元の本は第4刷なので、78ページの下から二番目の齣の「ボクガイルジャナイ」は、ありました。ハヤカワコミック文庫にはありません。以下にこのセリフが消えたことについて色々あります。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1986&id=6710508
 最後の齣に「GOOD BYE HANAOKA CHAN」とあります。これで終わらせるつもりだったのでしょう。しかし三年後の『なだれのイエス』で本当に終わりになっています。

 当然と云えば当然なのですが、ハヤカワコミック文庫の後書きマンガとは絵の余りの違いに時の流れを感じたり……。

 この二つのマンガを今初めて読んだとしたなら、あの頃と同じように面白いと思えるのかはわかりません。それでも、どこかに引っかかるものがあるのだと思います。

 書名『花岡ちゃんの夏休み』
 出版社 集英社 りぼんマスコットコミックス RMC-140
 1979年1月10日 第1刷発行 手元のものは1979年7月15日の第4刷です

 ハヤカワコミック文庫
 『花岡ちゃんの夏休み』
 2006年3月10日 印刷
 2006年3月15日 発行


 今日から7年目になります。この一年は7月に書いてから四ヶ月も放置してしまい、もっとコンスタントに書けたらなぁと思っています。
 細々とではございますが、もう少し続けようと考えております。 

2016年7月31日日曜日

川崎苑子の『タンポポとりでにあつまれ』


 小学六年生になる春休みに、パパの海外勤務で母方の田舎に預けられる事になったマキのお話です。初めてやってきたママの実家での、従兄弟達とのあれこれ、薔薇を作っている祖父とのことなどがあります。そんなある日、パパがやってきて、マキを抱きしめてくれます。ママはマキを産んでなくなっています。
 と、纏めると身も蓋もなくなってしまいます。タイトルの「タンポポとりで」はどこにとなってしまいますので、少し詳しく見ていきましょう。

 お話は田舎で従兄弟達がマキを待っているところから始まります。バラ作りをしているおじいさんはマキを抱きしめます。マキを歓迎する従兄弟達ですが、一人田舎に追いやられたマキにはそれすらもうっとうしく感じられます。
 マキと従兄弟達との諍いがしばらく続きます。

 タンポポの野原の中にある大きな木の上の秘密の小屋にようやくマキは気づきます。もちろん従兄弟達が作ったものです。従兄弟達がサイクリングに出かけた時を狙ってマキは秘密の小屋の偵察をします。小屋の中でついうとうとしていると、激しい風に目を覚まさせられます。ロープで何とか小屋を木に縛り付けるマキですが、最後に足を滑らせ、タンポポの中に落ちて気を失います。気がつくと心配そうに取り囲んでいる従兄弟達。「ぶじだったよ とりで」と言われます。それからは従兄弟達とも仲良くなります。

 マキの自転車の練習や、恋のさや当てなどがありますが、マキは田舎の暮らしになじんでいきます。
 そんなある日、マキは偶然パパからの航空便を見つけます。ここで第一巻は終わっています。

 手紙の束を持っておばさんのところに行くマキですが、おばさんに手紙の宛名を見るように言われます。宛名は全部おばさん宛です。
 以下の12ページで多くのことが明らかになります。おばさんはおじいさんに内緒でパパとマキについての手紙のやり取りをしていたこと、おじいさんはパパがマキに手紙を出さないことを条件にマキを受けいれたこと、ママは一人寂しくマキを産んでなくなったこと(これは事実とは少し違うことが後に分かります)、そして今はパパが重い病気で入院していることなどです。
 一人ででもアメリカに行きたいと思うマキですが、そこに電話がかかってきます、パパが完全に持ち直したとの国際電話です。

 従兄弟達の中で一番年嵩の隆史のエピソードを挟んで、「タンポポとりで」のお話が30ページ余りに渡って描かれています。近くにできた団地の子供達との秘密の小屋(タンポポとりで)を巡る攻防があり、そのことが大人達に知られて、小屋ののっかている木を切り倒されそうになります。木を切り倒そうとしている時に、大勢の子供達が押しかけてとりでを壊さないようにと頼みます。土地の持ち主のおじいさんは子供の頃のことを思い出し、木を切るのをやめます。

 おじいさんは白バラ作りに励んでいます。温室に入ったことをとがめられ、おじいさんとケンカするマキですが、おじいさんが白バラに自分の母親の名前で呼びかけるのを聞いてしまいます。そのすぐ後で、温室の屋根を従兄弟の蹴ったサッカーボールが壊します。
 次の日、おじいさんはバラ展の打ち合わせで町に出かけます。その夜、眠っていたマキは雨音で目を覚まします。白バラは雨に弱いとおじいさんから聞かされていたマキは、傘とビニールを持って温室の屋根に登ります。おじいさんが帰ってきて、そんなマキを見つけて叫びます。「(バラよりも)おまえのほうがずっとだいじだ!」
 朝、バラを見に行くと、風雨にさらされたのにきれいな白い花を咲かせています。「この花はもろくない おまえもそうだったのか?」と、亡き娘に思いを馳せるおじいさん。
 バラ展で白バラは特別賞を取ります。その喜びの中でおじいさんは倒れてしまいます。バラ展に来ていた医者が自分の病院におじいさんを運び込みます。その病室はマキの母が亡くなった部屋で、医者はマキを取り上げた医者でした。医者から話を聞き、ママが幸せだったことを知るマキです。

 ある雨の日、家では親戚が集まって何か忙しそうです。でもマキはなぜかわけを知らされません。雨が上がり、とりでにボタンを取りに行った帰り、マキは思いがけない人に出くわします。おじいさんに呼ばれて田舎にやってきたパパです。
 「はしりだしたマキ(中略) たんぽぽの季節にやってきた女の子の声がこだまする」でマンガは終わります。

 笑いあり、涙ありと少女マンガの王道を行くマンガです。読んでいて飽きません、面白いのですが、うまく言えませんが、この作者ならもう少しストーリーを作れなかったかなあと思うのです。不満の一つが、タイトルにあると思えるのです。もちろん、最初にとりでを作り、そこを遊びの拠点にしていたのはわかります。しかしその後の、タンポポとりでを巡る大人と子供の対立は一つのエピソードとしか思えないのです。お話の底流は、マキとパパと亡くなったママ、そしておじいさんにあるのですが、タイトルからはそのことには思いあたりません。ではどうすればと言われると代案もないのですが。
 バラ展に来ていた医者は一体何が看板の医者なのでしょうか、産婦人科であっても緊急だからとおじいさんを受けいれたのでしょうか。
 
 このマンガからすでに40年以上の時が流れています。だからといって50歳を過ぎたマキにあって見たいかと云われると……。
 このマンガが描かれた頃の年表を見ると、1973年の第一次オイルショックに始まる大変な時代だったんだなぁと。でもこのマンガはそんな暗さは感じさせません。


 書名『タンポポとりでにあつまれ』
   一巻二巻とも副題が付いています。
   一巻 マキの初恋の巻  二巻 バラ展はてんやわんやの巻
 出版社 発行所 創美社 MARGARET RAINBOW COMICS 
     発売元 集英社
 発行年 一巻1976年11月25日初版発行  二巻1977年1月15日初版発行